どっちの私が好き?
レイと駆藤が訪ねてきてから、おおよそ数十分くらい経った頃だろうか。
日課の訓練とレポートを終わらせてきた天神と落花と大羽が、あとに続く形で研究室に入ってきた。
天神曰く、ホムンクルスの件を聞いて、様子を見に来たとのことで、これでウルフ隊は全員揃った形になる。
余談だが天神達が来る直前まで、俺はライカのことを異常に不機嫌になったレイに釈明をする羽目になった。
どうやら俺がホムンクルスに抱き着かれていたのが随分と気に入らなかったらしく、挙句俺がそれをやらせていると思ったらしい。
いい加減辟易していたアイシャを見送ったあと、何か言おうとしても拗ねているのか、やれロリコンだの節操なしだのと返されろくに聞いてもらえない始末だ。
駆藤は駆藤で一応フォローに回ってはくれたのだが、『男は一度はああいうのを夢見るものだ』などと訳の分からんことを言って、より事態をややこしくしていた。
結果的に桂木が不慮の事故だということを説明して、ようやく沈下したわけだ。
しかし、俺がホムンクルスに抱き着かれた居たのを見ただけで、何故あそこまで不機嫌になるのだろうか。
別にレイには関係のない話な気もするのだが。
本人にそう聞こうかと思ったが、ヤブヘビになりそうなので止めた。
閑話休題。
「……で、その子が、その……ライカなの?」
桂木から説明を受けた天神はそんなことを言いながら、俺の膝に座っているライカを見つめる。
他の連中も口にこそ出さないが心持は同じなようで、まさに『信じられない』という表情で、同じようにライカに視線を集中させていた。
それでライカはというと、まるでそんなことは気にしていないようだった。
周囲を一回見回した後は、俺にもたれかかって、頭を擦り付けるようにして俺を見上げている。
いわゆる椅子代わりにされている状態なわけだが、これがずうっと続いているのだ。
ちなみに今のライカは、先ほどと違い服を着ている。
と言っても、とりあえずで俺のジャケットを羽織っているだけだが。
「ああ、俺と桂木の情報に間違いがなければな」
「なんか、もう何でもありですね……」
俺が答えると、天神ではなくレイがそう返した。
まだ半信半疑なのか、表情がどこかぎこちない。
無理もないだろう。
俺と桂木も未だに信じられないのだ。
しかしこのホムンクルスの基幹部分にある、巨大な容量で構成されている個体識別コードがライカと完全一致した。
言うなれば、遺伝子情報が合致したようなものだ。
信じたというよりも、疑う余地がなくなった、というほうが正しいかもしれない。
「ええっとつまり、ライカちゃんは戦闘機をやめてお人形さんになっちゃったってこと?」
と、落花。
「いいえ、調べてみてわかったけど、ライカ自身は戦闘機のままよ。それは変わってない」
それに対し、桂木は否と唱える。
落花はその言葉の意味がわからないようで、怪訝な表情で首を傾げていた。
俺もよくわからない。桂木の言葉はどういう意味なのだろうか。
「ん、どういうことです博士? その人形の中に、ライカちゃんがいるんじゃ……」
「この子はライカが動かしてるけど、この子はライカじゃない。さてどういう意味でしょうか?」
「急にクイズ? うーん……」
「遠隔操作ってことじゃないかな」
桂木の問いに答えたのは落花ではなく、先ほどまで静観していた大羽だった。
「ピンポーン」
と、桂木。正解のようだ。
しかしなるほど、遠隔操作か。
どうやって接続を保っているのかはわからないが、なんにせよ今ここにいるこの子は、ライカが操作している、偵察ドローンのようなものなのだということだろう。
確かに考えてみれば、ライカを構成するデータは膨大なのだ。
停電直後の再起動時なんていう、あんな短時間でまるまる移動できるわけがない。
「ということはだ、桂木」
「なに?」
「はい?」
俺が桂木に聞こうとすると、桂木とレイの両方が反応した。
「すまん、姉の方の桂木」
「……面倒くさいから名前で呼べば? 紛らわしいし」
と、桂木(姉)がそう提案してきた。
ふむ、まあ確かに、そっちの方が何かと不便もないか。
特に苗字呼びに拘りがあるわけでもないから、俺としてはそれで問題ないが……。
「い、いいじゃないですか! そうしましょうよニッパーさん!」
すると、何故かレイが食い気味に賛同してきた。
なんだろうか。そんなに名前の呼び方にこだわりがあるのだろうか。
「わかった、わかったよ。そうする」
その勢いにややたじろいでしまったが、俺は賛同の意を返した。
特に断る理由もないだろうから。
「……ふぅん」
一瞬天神がムッとした表情を見せた気がする。
俺かレイのどっちかが不興を買ったのだろうか。
いや、まあ、そんなことよりだ。
今は聞きたいことがある。
「じゃあかつ――シズク」
「はいはい、シズクですよ」
「ライカは、トラスニクから何もデータを移動させてないんだな? これまで通り、出撃できるってことか」
「ええ、その認識でいいと思うわ。ホムンクルスとの接続は切ってもらわなくちゃいけないけど」
「接続を?」
「そう、ていうのもライカのAI思考リソース……つまりライカの『意識』と呼べるものが、今見た感じ、ホムンクルスの操作にかかりっきりになってるの。つまり、トラスニクを動かすには、ライカの意識をその子から戻す必要があるってわけ」
「……何にせよ、飛ぶのに支障はないってことだ」
それを聞いて、俺は安堵の息を吐いた。
ライカが不慮の事故で飛べなくなるなど、それこそあってはならない。
ライカの至上目的は、飛び続け、そのための障害を排除すること。
人型に押し込められそれができなくなるなど、撃墜よりタチが悪いではないか。
この子がフェアリィのようにSUでも装着できれば、それでいいのだが。
兎にも角にも、ライカはまだ飛び続けられるということだ。
であれば、何も問題はない。
「……」
ふと、息を吐いたときに下を見て、ライカと目が合った。
無機質で、しかし綺麗なグリーンの瞳。
その瞳孔が、少し大きくなった。
ピントを合わせているのだろうか。
「どうした?」
そう言ってみても、何も反応はない。
ただ変わらず、ライカはじいっと俺を見つめているだけだ。
「まあ、何にせよ良かったじゃないか。お役御免とはならなかったわけだろう?」
と、駆藤がそんなことを俺に言ってきた。
「まあ、そうなるな。少なくとも、トラスニクが空っぽになるのは避けれたわけだ」
「それでいい、せっかく戦うのに最適化された身体に生まれたんだ。わざわざ不便な人型に成ることもあるまいよ。一利もない脆弱さなんだからな」
そう駆藤は微笑んで、自分を指さすように、親指を胸に添える。
どこかシニカルな印象を思わせる笑みだった。
「……そんな悪いものでもないと思うけどね、人間も」
すると、それに大羽が答えた。
駆藤のほうを見ず、そっぽを向いてではあるが。
「ふん、どうだかな」
売り言葉に買い言葉で、駆藤はそう返した。
「ほらそこ、喧嘩しない」
と、そんな二人に対して、天神はかったるそうに諫める。
隊の雰囲気を良い方向に保とうとしているのだろう。
隊長というのは大変なものだな。
「でも意外だねえ」
そんなやり取りをスルーして、今度は落花がそう言ってきた。
椅子の背もたれを前にする形で座り、からかうように、わざとらしくギシギシと揺らしている。
「何がだよ」
「いや、ニッパーくんってライカちゃんのこと大好きじゃん? 自分と同じ人間――もとい人型に変身できるようになったんだから、もっと喜ぶと思ってたんだけど」
落花のその言葉に、何故か焦ったような感じで、天神とレイが反応した。
どうしたというのだろうか。
「……どうしてこれで、俺が喜ぶ?」
「え? だって戦闘機と違って、いろいろできるじゃん。恋人みたいにデートしたり、手ぇつないだり。ずうっと一緒に居れるしさ」
……そういうものなんだろうか。
確かに落花の言う通り、ライカと接触できる時間は長くなるのだろう。
それこそ、トラスニクのときとは比較にならない程に。
しかし、だから何だというのだ。
ライカの至上目的は、空を飛んで、敵を殺すことだ。
それ以外はどうでもいい、それ以外は要らない。
そういうふうに造られたはずだ。
ライカも、俺も。
であるならば、駆藤が言ったように、ホムンクルスの身体になることなど、ひとつの得もないはずだ。
こんな体で、飛べるはずもないのだから。
「別に、彼女にそんなことは求めていない」
「あれ、そうなんだ」
「俺はライカの恋人じゃない、ただの部品だ。彼女が飛ぶために、俺は考えて動くだけだよ」
ふうん――とだけ落花は返事して、それで会話は打ち切られた。
彼女にとっては、つまらない話だったらしい。
それもそうかもしれない。落花の真意を知った今となっては、こんな『機械でござれ』みたいな話は、きっと嫌いなのだろう、ということがわかる。
「こほん……ま、まあ、ニッパーが変な趣味に走ってないようで、安心したわ」
すると、天神が咳払いをして、そんなことを言ってきた。
「い、いやあ、ホントですよ! ちゃんとそういうこと割り切れる人で安心しました、ホントに!」
そしてそれに呼応するように、レイが続けた。
こいつらが俺のことをどういう目で見ているのか、なんとなくわかった気がする。
しかし二人とも妙に上機嫌になったのは何なんだろうか。
「難敵出現だねえ、リーダー」
「……ミサ、うるさい」
落花はどうやら天神達の真意を見抜いているらしい。
にやけながら天神にそんなことを言っていた。
……にしても本当に、なぜライカはホムンクルスを乗っ取ったのだろうか。
ライカにとってこれは本意なのか、そうではないのか。それすらわからない。
もし彼女自身の意思でこの形になったのだとしたら、それはどういう意図があってのことなのだろう。
わからない。彼女との隔たり、思考の差異が、同じ人型となったことで、より顕著になった気がした。
「……」
「ん?」
ふとライカを見ると、彼女はそれに呼応するように、俺に両手を伸ばしてきた。
すると、その両手で顔を包むかのように、俺の頬を触ってくる。
「……」
ああ、まただ。
彼女が何を考えているのか、何を望んでいるのか、そもそも望みなどあるのか。
俺には何もわからない。
……もしだ。もし彼女に望みのようなものがあるとして。
そこに俺は必要なのだろうか?
要らないのだとしたら、それでいい。
その時は――。
「みんな」
と、唐突に天神が呼びかけた。
思考をいったん切って、彼女のほうに目を向ける。
気づけば、全員の視線が天神に集中していた。
天神は携帯端末を手に持ち、続ける。
「そのホムンクルスの身元が割れたわ」
そう言って、彼女は端末の画面を俺たちに見せる。
そこには、調査員からのレポートらしき文章と、マークのようなひとつの画像。
それを見せる天神の顔は、どこか辟易としているようだった。
「……めんどくさい感じ?」
そこで何かを感じ取った大羽が、恐る恐る聞いた。
「かなりね」
天神は答え、画面のマークを指さしながら、続ける。
「『アルド教会』……昔からあるところで、今は親ランバー派を謳ってる、カルト教団よ」
どこかニュースで聞いたことがあるような、その名前。
そのワードが天神から出た途端、全員がどこか辟易としながらも、ピンとこないような顔をしている中。
駆藤と大羽だけが、どこか驚きを伴った、苦い表情をしていた気がした。




