初めての体温
「ライカ?」
身体に抱き付いているホムンクルスを見下ろして、俺は思わず呟いた。
少女型のホムンクルスは何も応えない。ただその代わりなのか、先ほどからモールス信号のようなリズムで叩いていた指を止め、俺の腰に張り付けた。
何もせず、張り付いたような無表情で、ホムンクルスは俺を見上げている。
そのまま、沈黙が数秒。
「……桂木」
埒が明かない。
そう思った俺は、こちらを見て唖然としている桂木に聞くことにした。
「な、なな、な、なに……?」
やはり彼女も状況をあまり飲み込めていないようだ。
まあ、そうもなるだろう。
空っぽの人形が急に動き出したのだ。
昔のホラー映画のような展開が現実に起こったら、大抵の人間は驚くというものだ。
「一応聞きたいんだが、こいつに何か、起動用のソフトウェアをインストールしたか?」
そう言って、俺はホムンクルスを指さす。
桂木は戸惑いながらも、首を横に振った。
「あり得ないわ、こんなの……その子の基幹部分には何も入っていない。動けるはずないのに……」
「……けれど動いた以上、何らかのファイルが勝手にインストールされたってことになる」
タイミングとしては、さっきの停電後の再起動時だろうか。
この部屋の桂木が使用するコンピュータは、基本的に彼女謹製のプライベートネットワークで繋がっている。
確か、このホムンクルスも解析のためにネットワークに繋げていたはずだ。
共有スペースに何らかの起動ファイルがあったとすれば、再起動でそれがスタートアップした。
という可能性も、全くないとは言えないが……。
「悪いけど、ホムンクルスの起動用ファイルなんて持ってないわ。同じ拡張子のやつすらない。それこそあり得ないわよ」
「まあ、そりゃそうか」
桂木の言葉によって、俺の考えは一蹴される。
無理筋な考えだったし、当然と言えばそうだが。
「……アイシャ、アンタが何か――」
「するわけないじゃないっすか! 何なんすかそれ!? キモ!」
「だよな」
アイシャにも一応聞いてみたが、やはり心当たりはないようで、ホムンクルスを見て後ずさりしている。
となると、あと考えられることと言えば。
……あるな。
ひとつだけ、ある。
「……外部からのハッキング」
「そんな、プライベートネットワークなのよ? インターネットになんか繋いでない。ドアも窓もない家にどう入るって――」
そこまで言って、桂木は口を噤んだ。どうやら気づいたようだ。
確かに窓もドアもない家に、侵入することはできない。
だが、こちらから招き入れたのであれば、話は別だ。
そんな存在が、ただひとつだけ、存在する。
データ共有のために、ここのネットワークに招いた外部のものが、ひとつだけ。
「……ニッパー、アナタさっき、ライカって呟いてたわよね? まさか、そんな……」
そう言いながら、桂木はホムンクルスへと視線を落とす。
「……」
すると、ホムンクルスは俺と顔を合わせたまま、しかし傍目で桂木とアイシャがいる方向を見た。
直後、再び腰のあたりが指で叩かれる。
先ほどと同じく、恐らくモールス信号。
ALLY 1
BOGGY 1
味方機1、不明機1、不明機は敵機の可能性大。警戒されたし。
そう俺に伝えていた。
恐らく、あの二人のことを言っているのだろう。
「それぞれの名前はわかるか?」
「……?」
ホムンクルスは俺の言葉に反応し、けれど首を傾げてみせた。
意味が伝わっていないのだろうか。
「識別コードだ、わかるか?」
「……!」
試しにライカによく使う単語で言い直してみると、今度は勢いよく指を叩いてきた。
ALLY SIT2134-KATSURAGI
BOGGY UNKNOWN
味方機として表示されたその文字列は、酷く見覚えがあるものだった。
「桂木、この子はアンタのことを、SIT2134と言っている」
「……研究所時代の、私の識別コードね。ライカに入力したのを覚えてるわ」
桂木は頭を抱えて、続けた。
「とても信じられないけど、認めるしかないわ。その番号で登録したのは、ライカだけだもの」
「そうか」
「……あんまり驚かないのね。確信があったの?」
桂木にそう言われ、俺は答えられず閉口した。
確信というほど確固たる根拠を持って、このホムンクルスがライカだと思ったわけではない。
ただ何故かはわからないが、そうだろうとは思った。
ライカと居る時と同じ感覚が、この子からは感じたから。
「……いや、驚いてるよ、十分」
根拠としてはあまりにも弱い気がして、俺ははぐらかすようにそう伝えた。
しかしこの子がライカだとして、わからない。
なぜライカは急に、このホムンクルスを操ったのだろうか?
何か狙いがあってのことか、それとも強制再起動による偶発的な事故か。
ダメだ、わからない。
少なくとも、あとで戦闘機の方のライカをチェックしなければいけないのは、間違いないだろう。
「はぁ……なんか面倒ごとみたいですね~」
と考えていたところに、アイシャが気怠げにそう言ってきた。
「まあよくわかんないですけど、頑張ってください。私はもう失礼しま~す」
面倒ごとに巻き込まれるのは御免だとでも思っているのだろう。
そそくさ、という副詞が似合う歩き方で、アイシャは出口の方へと向かう。
その途中で、多少の労いのつもりなのか、俺の肩をポンと叩いていった。
「……!」
次の瞬間。
驚くことが起きた。
俺に抱き着いていたホムンクルス――もといライカが離れ、急にアイシャ目掛けて走り出したのだ。
「え、な――ゲフゥッ!?」
そして、ライカは猛スピードでアイシャの腹部に、自分の頭部をぶつけた。
つまり、頭突きした。
「痛ぁ!? なに、なんすか!?」
困惑するアイシャもなんのそのといった感じで、ライカは繰り返し頭突きをアイシャに行う。
「……ねえニッパー」
その様子をしげしげと眺めながら、桂木が聞いてきた。
「あのホムンクルスをライカだと仮定するとして、アイシャちゃんのことなんて言ってたの?」
「不明機。敵機の可能性大。詳細不明」
「ああ、なるほど。さっきの肩叩いたのを、敵機の攻撃だと判断したのかもね。だから撃墜行動に移ったのかも」
「ちょっと待ってくれ、じゃあまだライカは、感覚は戦闘機のままだってことか?」
「感覚という言い方は正確ではないけれどね。そもそもが戦闘機用のAIだもの」
「そこがわからない。なんでライカは、わざわざ互換性のない人型に自分を――」
「話し込む前に一旦これ止めてくれません!? うわこいつ力強っ!」
アイシャの切羽詰まった大声に顔を向ける。
なるほど確かにそこには、未だに頭突きを敢行しているライカを、必死で抑えているアイシャの姿があった。
不器用な身体のぶつけ方だ。やはり、人型の操作がおぼついていない。
とにかく、このまま続けさせるわけにもいかないだろう。
まずは彼女を止めねば。
「ライカ」
試しにそう呼んでみる。
すると、ライカは動きをぴたりと止め、俺のほうを見た。
「それは味方機だ。敵じゃない。今行われたのも攻撃じゃない。ウェポンズ・タイト。ここで許可のない攻撃はできない」
そう言うと、ライカは少しの間静止し、しかしすぐに、俺に向けて手を差し出した。
すると差し出してきた手を、規則的なリズムで閉じたり開いたりしてくる。
グーとパーを繰り返し。
これもモールス信号のようだ。
『許可は誰から取る?』
そう聞いてきた。
「桂木だ。SIT2134」
「え、私!?」
すると、桂木をじいっと見つめるライカ。
それが攻撃許可を求めているということは、火を見るよりも明らかだった。
なぜだろうか、味方だと伝えたはずなのだが。
「……ダメです。許可できません。即刻中止しなさい」
桂木の返答に対し、ライカは束の間静止。
若干俯いている。不服なのだろうか?
いや、ライカにそういった感情はない。気のせいだろう。
そしてやっと諦めたのか、彼女は再び俺に抱き着いてきた。
それにしても、なぜいちいち抱き着いてくるのだろうか?
この動作にも何の意味があるのか皆目わからない。
「た、助かった……もう、何なんですか、そいつ?」
「……まあ、それを今調べてるところだ」
こいつの中身が自分の腕をもいだ戦闘機だとアイシャが知ったら、またややこしいことになるだろう。
ここははぐらかしたほうが得策だな。
「じゃあ、今度こそ行きますんで、それじゃ」
アイシャはそう言って、再度ドアへと歩いていく。
ようやく解放される、とでも言いたげな、安どのため息を彼女はしていた。
と、次の瞬間、ドアが勢いよく開かれ、誰かが入ってきた。
「お疲れ様ですニッパーさん! ようやく午後の授業が終わって――」
そう言って入ってきたのは、あとで合流すると言っていたレイだった。
後ろには駆藤もいるようだ。
「……え?」
が、レイはあいさつの言葉を言いきる前に、石化したかのように止まった。
まるで、情報の処理が追い付かず、フリーズしたかのように。
「あ、ちょっとややこしいことになっちゃったかも……」
「なんだ、面白いことになってるじゃないか」
すると桂木と駆藤は、レイと俺の様子を交互に見ながら、それぞれそんなことを呟いた。
状況を整理しよう。
レイはどうやら、俺を見てフリーズしている。
それで俺の様子はというと、ライカが入ったホムンクルスに抱き着かれている。
より詳細に言うと、衣服を身に着けていない少女型のホムンクルスに、抱き着かれているのだ。
……なるほど、桂木の意見に納得できた。
確かにこれは、だいぶややこしいことになったかもしれない。
「とりあえず説明してくださいニッパーさん。全部」
レイの貌は笑顔を携えていながらも、その声は酷く低いトーンで発せられた。
この謎の圧は何なのだろうか?
わからない、皆目わからないが、下手に逆らってはいけないということだけは、俺の生存本能が教えてくれた。
「……私、いつここから出ていけるの?」
三度帰れなかった弱々しいアイシャの嘆きを背に、俺はレイに起きたことを一から説明する羽目になるのであった。




