人間みたいね
一通り話し終えた落花は、顔を俯かせ、表情を見せないよう沈黙した。
街の音が、その沈黙をより際立たせるかのように、遠くで響く。
街灯以外に明かりらしい明かりもないこの場所で聞こえるそれは、どこか現実味がないように思えた。
「……と、まあ、こんなところかな」
そんなことを考えていると、落花は顔をあげて、俺に言った。
その顔は疲れているような、あるいは諦めているような、そんな表情だった。
「ごめんね、ニッパーくん。暗い話に付き合わせちゃって」
「……いや、いいさ。これもタスクのうちだ」
「言葉足らずの癖に一言余計なんだよ、君は」
先ほどの神妙な顔はどこへやら行ったのか。
落花はそう思いたくなるようなじっとりとした目つきで、責めるように俺を見つめた。
「それで、なんでわざわざ俺に、親殺しの話をしたんだ?」
落花のそんな目もスルーして、俺は疑問に思っていることをそのまま聞いた。
落花がどうしてフェアリィになったのかは分かった。天神に出会った経緯や、彼女に対する想いも。
だが、それを俺に話してどうしようと言うのだろうか。
ただ聞いて欲しかった、と言うにしては、話の内容が少々重すぎる。
「……ホント冷静だよね、ニッパーくんは」
と、落花はそんなことを言って、続ける。
「普通さぁ、『自分の親殺しました』なんて聞いて、そんな無感情でいられなくない?」
「リクエストしてくれるんなら、なるべくお望みのリアクションで応えてやるぜ?」
「うわぁ、ムカつく回答」
どこか呆れたような苦笑いを見せ、落花はため息を一つ。
どうやらお気に召さないらしい。
「……お望みのっていうか、普通はこういう話聞いたら、言葉失ってドン引きするか、じゃなきゃ同情するかじゃない?」
「そうなのか?」
「そうなの。多分」
「それで、だったらなんだ? そういう反応すれば良かったのか?」
「まあ、そうなのかもね」
俺の言葉に、落花は是とも否とも言えない、曖昧な返事をした。
それはどういう意味なのか、そう考えていると、彼女は再度口を開く。
「逆にさ、なんでそんな無関心でいられるのさ?」
「関心を向けるべきことじゃないからだ」
その問いに、俺は即答した。
「へえ、その心は?」
ただそれだけだと納得いかなかったのか、落花は追加の説明を求めてくる。
特に拒否する理由も無いので、俺はそれに答えることにした。
「聞いた限りじゃ、アンタは作戦遂行に邪魔だから、自分の両親を殺害したって話だろう? この解釈で合ってるか?」
「うん」
「なら問題ないだろう。要は自分のやるべき仕事をやったってだけの話だ。共同して任務を遂行する味方として考えれば、これに指摘すべき問題点があるとは思えない」
さっきからいやに神妙な態度で落花は話しているが、聞いてみれば別になんてことはない。
彼女は任務遂行の際、後々に問題にならない形で障害を排除した。ということではないか。
確かに、親殺しというのは社会性動物である人間にとって、タブーとなることだろう。
だが、話の限り落花の最優先事項は、あくまで天神だ。
その天神にとって邪魔だと判断したから、両親を排除した。
つまり、設定した最優先事項に則って行動した、というだけのことではないか。
そりゃ、これが『特に考えも無しに一時の感情で突発的に殺害した』という話であれば問題だ。
だが、そうではないのだろう。
落花は冷静に、天神にとって最も有益な行動は何かを考えたうえで、それを敢行したのだ。
しっかりと設定目標に準じた行動を取っており、これといった矛盾点もない。
またそれは当然ながら、俺のライカの障害になることを予期させるような行動でもない。
ならば、少なくとも現時点では何も問題はない。
ライカにとっても、俺にとっても。
ならば、それでいい。
「そういうところだよ、ニッパーくん」
落花は淡々と、俺にそう言った。
表情の抜け落ちた貌が、俺を覗き込むように見つめてくる。
「なに?」
その言葉の意図を理解しきれなかった俺は、思わずそんな声を出した。
それに対して落花は一切表情を変えることもなく、まるで決まったことのように口を開く。
「私と君が、同じところは、そういうところだ」
「……何が言いたい?」
「自分の目的のためなら他人なんてどうだっていいと思っている。自分の大事なものを守るためなら、それ以外のものなんて、天秤にかけるまでもないと思っている」
「それが、なんだ? 何の問題がある?」
「私も、同じ考えだったよ」
落花はどこか遠いところを見るような目を、街の方角へ向ける。
「ナナの邪魔になるやつなんて要らない。そんな奴らは消えちゃえばいい。ずっとそう思ってた――いや、多分今でもそう思っている」
けれど――と落花は続ける。
「ナナは、それを望んでいなかった。笑えるよね、一番大切な人のためと思っていた行動が、一番大切な人を傷つけていただなんて」
「……で?」
「だから、ナナを傷つけないために、いろいろ学習したんだ。何に傷ついて、何に怖がって、何に喜ぶか。そして、私は何に傷つくべきか、何に共感すべきか」
「それで出来上がったのが、今のアンタの性格ってことか」
「そ。結構イイ出来でしょ?」
そう言うと、落花は歯を見せて、明るく笑ってみせた。
まるで何度も練習したかのように、スムーズな表情の変化だった。
こうやって改めて見てみると、落花の表情の変化というのは、実は乏しかったのかもしれない、なんてことを考えた。
思えば、いつも笑っているか、笑っていないか。
その二択のみのテンション以外、見ていなかった気がする。
なるほど、話が見えてきた。
つまるところ、落花は自分が俺と同類だということを言いたいらしい。
それはまあ、話を聞く限りは間違えていないだろう。
人間社会にさしたる関心はなく、またそれに疑問も抱かない。
所謂他人に対する興味も薄く、人間性も低い。
自分の至上目的以外に行動理念や動機がない。
一昔前の単純なAIのような思考回路。
俺たちはそんな存在なのだ、ということを、落花は言っているのだ。
違いといえば、落花は低い人間性を、学習で補ったという点か。
そして、多分これは前提だ。
以上のことを踏まえたうえで、落花はこう言いたいのだろう。
「つまり、昔のアンタみたいな俺が、天神の傍にいるのはよろしくない――そういうことか?」
「なんだ、察しいいじゃん」
落花のその言葉を聞く限り、どうやら俺の推測は当たっていたらしい。
別に落花の心がわかったわけではない。
彼女は基本的に俺と同じ思考回路だ。
であれば、俺が落花であれば――即ち、至上目的をライカではなく天神と仮定した場合、俺がどういう存在なのかを考えれば、自ずと落花の考えは導き出せる。
それだけの話だ。
「……君は気づいていないだろうけれど、ナナは君のこと、結構気に入ってるんだよ?」
「気に入られることをした覚えもないがな」
「私だって不思議だよ。なんにせよ、だからこそ、一番恐れていることがある」
そう言って、落花は俺を見据える。
「ニッパーくん」
「なんだ?」
「もし、ナナがライカにとっての障害になったら、君はどうするつもり?」
「わかりきったことを、聞くなよ」
それは、酷く意味のない問答だったように思えた。
いや、これが疑問ではなく確認だとしたら、そんなこともないかもしれない。
そしてこの問答は、こう返せる。
「逆に聞く。ライカが天神の邪魔をするなら、どうする?」
「わかりきったこと聞かないでよ」
「だろう」
なるほど、落花の言っていることが、実感としてわかってきた気がする。
確かに、俺と彼女は同類だ。
「……これだけは言っておくよ、ニッパーくん」
普段のおちゃらけた声色とは違う。
無機質で平淡な声のトーンで、彼女は俺にこう言った。
「もしライカがナナと敵対するようなことがあれば、私は迷わずライカを攻撃する。それだけは覚えておいて」
「……ああ、当然だろうな」
落花のその宣言に対して、俺は特段思うようなところはなかった。
だって、そうだろう。
落花にとっては天神が最優先で、俺にとってはライカが最優先だ。
それが敵対することになれば、無論そういうことになる。
当然の思考。
当然の機能だ。
静寂が夜の帳の中で、より強まる。
遠くから聞こえてきていた街の喧騒も、いつの間にか酷く小さくなっていた。
街灯の駆動音だけが、弱弱しく耳に入る。
見つめあって、無言のままどれだけ経っただろうか。
――瞬間、鐘の音のような音が、遠くから響いた。
「……はぁ~、もうそろそろ門限か」
先ほどまでの張り詰めた空気とは一転して、落花は気の抜けたような声を出した。
それを聞いて思い出した。
そう言えばこの音は、フェアリィが寮に帰る門限が迫っていることを教えるチャイムだったっけか。
前にレイが、これを聞いて焦っているのを聞いたような、そんな記憶がある。
「じゃ、この辺でお開きかな。今日はいろいろ話せてよかったよ」
そう言って、落花はその場から立ち上がる。
俺もそれに倣って立ち上がり、ズボンに着いた土草を払って、帰る用意をした。
「まあ、いろいろ脅したけどさ。そんな事態にならないように、お互い頑張ろうよ。人間になれない機械同士さ」
彼女は捨て台詞のように言って、踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
そのまま黙って見送ってもよかった。
「落花」
だが、何故だろう。
自分でもわからないが、俺は落花を呼び止めた。
ただ、ひとつだけ、言いたいことがあった。
「人間は多分、機械にもなれねえよ。どれだけ異質だろうが、望まなかろうが、人間として生まれた以上、それから逃れることはできないんだと思う」
俺がそう言うと、歩いていた落花の足が止まった。
数秒の間ができる。
そして、彼女はゆっくりと顔だけ、こちらに振り向いた。
「……羨ましいけど、嫌いだ。君のそういうところ」
それだけ言って、落花は再び顔を背け、歩き始めた。
もはや見ることは叶わないが、彼女の顔が一瞬、泣くことを堪えているように見えたのは、気のせいだろうか?
俺はその場から動くことはなく、落花の姿が見えなくなるまで、彼女のことを見つめていた。
やがてその姿が夜の闇に溶けきるのを確認して、空を見上げてみる。
少しだけ、星が見える。
……結局のところ、デートは成功だったのか、失敗だったのか。
それすらわからないが、ひとまずは完了したと思っていいだろう。
「……そんな事態に、か」
もし、そうなったら。
俺とライカはどこまで飛べるだろうか。
どこまで行けて、そしてどこで墜ちるのだろうか。
いや、今それを考えても仕方ないだろう。
そうなったら、その時はその時だ。
そう思いながら、俺は買ったものを入れた袋を手に取り、歩き始めた。
任務は終わった。
帰ろう、ライカのところに。




