ミサとナナが初めて会った日
私の人生は、全部がどうでもいいものだった。
目標も目的もない。
ただ親の言うことを聞いて、先生や周りの大人のご機嫌取りをして、たくさんいる友達におべっかをつかう。
周囲に求められる行動を学習して、他人に好かれる傾向とパターンを勉強して、それを基に構築したコミュニケーションを実行するだけ。
私はとにかく、そんな感じだった。
接客業用のロボットに皮肉をつけたような、そんな子供。
「そこで、なにしてるの?」
私こと落花ミサが、天神ナナに初めてそんなセリフを言ったのは、とにもかくにもそんな子供の頃のことだ。
フェアリィが現れたばかりくらいの頃だから、まだ小学生くらいの時。
その日は社会科見学で、樫野重工の本社にクラスでお邪魔させてもらっていた。
会社の沿革とか歴史とか商品とか、なんかのマニュアルに書いてありそうなことを聞き流すだけの、ごく普遍的なやつ。
そんなだらけた説明を聞いてる時に、ふと横を見ると、グループから離れて、ぼうっと何かを見上げている女の子を見つけたのだ。
何で誰も注意しないんだろう? なんて思いながら、私は何となく、周りにバレないように離れて、その子に近づいてみた。
すごく綺麗な子だと思った。
まるで絵本の中の妖精が、そのまま現実世界に飛び出してきたみたいな、そんな感じ。
天神ナナは、少なくとも私には、そんな女の子に見えた。
あんまり綺麗で、何か話しかけないと目の前から消えちゃいそうな気がして、それで咄嗟に口に出たのが、『なにしてるの?』なんて差し障りのない言葉だった。
「羽」
ナナはこちらに振り向くこともなく、ただ短くそう答えた。
なんのこっちゃと思った。
まあ、ナナが目を向けている方向を見たら、それはすぐにわかったんだけど。
「……この、フェアリィの機械のこと?」
そこにあったのは、ショーウィンドウに覆われた、樫野製のSUだった。
ロングブーツみたいにスリムなシルエットの脚のユニットと、コウモリの羽骨みたいなものに、宝石で飾るみたいに、いろんなスラスターが付けられている翼。
「ニュースで言ってたやつ、こんなんなんだ」
それを見てパッと出てきた言葉は、そんな何の面白みもない感想だけだった。
だって、その時は自分に関係のないものだったし。
子供の頃の私は、自分に関係のないものはどうでもいいものだと思っていたから、特段SUに興味を持つこともなかったんだ。
でも、ナナは違った。
あの子は色素の薄い、キラキラとした目を開けて、食い入るようにそれを見ていた。
「これを使える人が、ランバーを倒せるんだよね?」
そう言いながら、ナナはやっとこっちに振り向いてくれた。
雪のような真っ白い髪と同じ色の、長いまつ毛を見て、妙にドギマギしたのを覚えている。
「う、うん。それもニュースで、言ってたと思う。フェアリィって言うんだって」
「そうなんだ」
「なりたいの? フェアリィに」
「うん」
ナナは即答して、そのまま続けた。
「ママが、これをつけた人たちのこと、褒めてたの。すごい人たちなんだって」
そう言うナナの顔は、なんだか目を細めて、寂しそうな表情をしていたのを覚えている。
今思うとあれは、お母さんに褒められた人を羨ましがってたんだと思う。
「だから、フェアリィになりたいんだ?」
「うん、そうすれば、ママが喜んでくれるかなって」
まだ卒業まであるのに、もう進路のこと考えてるんだな、なんてことを、その時私は考えていたと思う。
というのも、私は特になりたいものなんかなかったし、それどころか、将来についてなんか殆ど何も考えてなかったのだから。
「ねえ、アナタって、同じクラスの人?」
「うん」
「見たことないけど」
「お母さんのお世話で、あんまり学校、行けてないから」
同じクラスなのに――ましてやこんな、一度会ったら忘れないような綺麗な子と面識がないわけを、その時ようやく本人から聞けた。
まあ、小さかった私は、その理由がどれだけ業の深いものか、なんてことには気づけなかったんだけれど。
「じゃあ、今度のフェアリィになる試験、受けるんだ?」
私がそう聞くと、ナナは無言で頷いた。
フェアリィっていうものが出来た途端、その適合者を探そうと世界中が躍起になっていたもんで、どこもかしこも女の子を集めては、適性試験をやりまくっていた。
とはいえ、試験の時間は長いし、結構な激痛を伴うものだから、試験を受けるのは流石に任意だったけど。
「アナタは?」
「え?」
「試験。受けないの?」
ナナはその綺麗な目をぱちくりと開けて、私に聞いてきた。
その時、まさか聞かれるとは思ってなかったから、ちょっと焦った記憶がある。
正直なところ、その当時受けるつもりはまったくなかったんだよね。
だって、そうじゃん?
私、基本的に面倒くさがりだし、フェアリィの適性試験だって、『すっげえ痛いらしいし、パス一択だな』なんて考えてた。
「う、ううん! 私も受けて見るつもり!」
なのに私は、咄嗟にナナに対して、そんなことを宣っちゃったんだ。
本当に、その時は無意識で言っちゃったわけだけど、今考えてみると、ああ答えるべくして答えたんだと思う。
何でって言われると、ちょっと困っちゃうんだけどさ。
けれど、これでこの子と一緒にいれるな……なんて浮かれたことを考えていたとは思う。
だいぶ長くなっちゃったけれど、要は何が言いたいかというと。
全部どうでもいいもののはずだった私の人生に、天神ナナっていう、唯一『目的』ができたっていうこと。
うん、そうだね。ちょうど、ニッパーくんがライカちゃんを想うみたいに。
私にとってはナナが、そうだったんだと思う。
なんでナナがそうなったんだって聞かれると……ごめん、それは恥ずかしいから、内緒。
「じゃあ、もしかしたら、将来一緒に戦うことになるかもね」
ナナはそう言うと、少し目を細めて、微笑んだ。
私はなんだかそれに緊張しちゃって、顔がこわばっちゃってたと思う。
「わ、私ね……」
「うん」
「私、落花ミサ。アナタは?」
「天神ナナ。よろしくね、ミサ」
まあ、そんなこんなで、私はフェアリィになることを決めた。
うん、結構他人任せな選択だな、と思う。
でも、私はそれでいいと思ったんだ。
実際、その後の私の人生は、それ以前と比べると、驚くほど満たされたものになったと思う。
ナナのことだけ考えて、どうすればナナと一緒にいれるかだけ考えて、それに殉じて行動すればいい。
本気でそれだけ考えていればいいと思っていたし、実際それで上手くいっていた。
二人でフェアリィの試験を突破して、一緒にラヴェルに入って、一緒にランバーと戦って。
そんなことをしているうちに、ナナはどんどん強くなって、私は相棒としてそれを支えるような立ち位置になった。
理想的な生き方だった。
ナナの目的が、私の目的だった。
ナナの好きなものが、私の好きなものだった。
ナナの全てが、私の全てだった。
それで良かった。
生きる目的も意味もなかった私にとって、ナナこそが全てだった。
だから、それ以外のことは心底どうでも良かった。
親も、周りの大人も、友達も、自分も。
ナナに比べれば――いや、天秤にかける価値もない。
ナナにとって有益なら利用するし、邪魔なら排除する。
それだけの存在だって、あの時の私は本気で思っていた。
下手すると、ニッパーくんより極端な考え方だったかもね。
うん、いや、実際そうだよ。
だから、私は間違いを起こしたんだ。
「どうしてあんなことしたの!?」
中等部に上がって、間も無くくらいのことだと思う。
とある作戦が終わってラヴェルに帰るなり、ナナが今までにないくらいの声で、私に怒鳴ってきたんだ。
「え、あ……え……?」
怒鳴られた当の私はというと、怒られるような心当たりなんて全くないもんだから、当然困惑した。
「ど、どうしたのさナナ?」
「どうしたって……本気で言ってるの?」
ナナは、怒っている理由を私が気づいていないことにすら、ひどく憤っているみたいだった。
当時の私はそこまでは気づけたけど、肝心の怒っている理由がわからなかった。
一緒に作戦に参加していた他のフェアリィたちも、私のことを怯えた目で見ていたらしいよ。
他人事みたいなのは、これは当時からチームにいた、リリアから後で聞いた話だからだよ。
だって、ナナ以外の別の人の顔なんて、いちいち覚えちゃいないし。
でも、とはいえ、今考えると、ナナやリリアたちの反応は、きっと当然なんだと思うよ。きっと。
ただ、そうだね。
ニッパーくんだったら、ひょっとしたら、私と同じことを言うかもしれない。
「自分の親を殺しといて、なんでそんなこと言えるのよ!」
「え……? だって、邪魔だったじゃん」
当時の作戦で、私は自分の親を殺した。
なんでって、理由は単純で、ナナが作戦を進める上で邪魔だったから、消した。
ちゃんと正当防衛になるように仕向けて殺したから、こっちにお咎めもない。
なのに、なんでこんなに怒っているんだろう?
私は本気でわからなかった。
あの時のナナの顔が、今でも記憶に焼き付いている。
ひどく悲しそうなあの顔を、私は生涯忘れることはできそうにない。
その時になってようやく、あれはナナにとってダメなことだったんだと、気づいたんだ。




