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エイペックス・イン・サークル

 アリーナという名の、ラヴェルに導入されているシミュレーションサービスシステムの話は、俺も何度か聞いたことがあった。

 サービスの正式名称は『PIXY VR ARENA』。


 本来はフェアリィやその他兵器のテストを仮想空間で行うためのシステムだったが、それを利用してフェアリィの強さを格付けしようと、誰かが思いついたのがアリーナの始まりらしい。

 だが、本来は測定のためだけのこのシステムは、予想以上に人々の興味を惹いたらしく、今やエンターテインメントとしての側面が強い。


 形式は基本的に1on1で、勝負に勝ったフェアリィのランクは、当然ながら勝つほど上がっていく。

 いつの間にかどのフェアリィが最も強いかを示すランキングがデカデカと発表されるようになり、勝負の内容も一般公開されているとのことだ。


 それだけではなく、挙句には仮想空間を観戦するための観客席が用意されているとか、トップランカーのフェアリィはグッズが作られて、飛ぶように売れているとか……そんな話すら聞く。


 昔本で読んだが、紀元前の西の帝国でも、奴隷や剣闘士なるものを戦わせて、娯楽としていたらしい。

 それを考えると、人の琴線に触れるものというのは、何千年経っても変わらないのかもしれない。

 なんてことを、ふと思った。


「……で、それで俺に戦えっていうのか?」

「その通り〜。話が早い子は好きだよ」


 俺の返答を聞いて、狙い通りと言わんばかりに落花は笑みを浮かべる。


「み、ミサさん本気ですか!?」


 すると、狼狽した様子でレイがミサに話しかけた。


「ニッパーさん、理事長からお休みを命令されてるって言ってたし、これ命令違反への教唆じゃ――」

「大丈夫だって。だって実際飛ぶわけじゃないし、ゲーセンに誘うのと変わんないよ、こんなの」

「そ、そうなんですかね……?」

「そうそう……で?」


 レイを強引に言いくるめた落花は、俺に再び参加意思を聞いてきた。


「別にそれでいい。だが、ひとつ聞きたい」

「ん?」

「アリーナはもはやフェアリィの――つまり、SUのシミュレーションを前提としたサービスって聞いてる。そもそも俺は参加できるのか?」

「ああ、それならモーマンタイ」


 そう言いながら、落花は携帯端末の画面を俺に向ける。

 見たところアリーナへの申請画面らしく、記入用であろう空欄がズラリと並んでいた。


「使う人なんて全くと言っていいくらい居ないけど、それでも一応フェアリィの他に一般兵装枠ってのがあるんだよ。それで戦闘機パイロットとして登録すれば、オーケー」


 欄を読んでみると、確かに落花の言う通り、フェアリィ以外にも参加資格はあるようだ。


「機体のカタログデータさえ読み込めば、ライカちゃんと一緒に出れるはずだよ――あー、まあ、AIまで対応できるかはわからないけど」

「そこまでは求めちゃいない」


 ライカのAI――つまりライカそのものであるコア・コンピュータは、ランバーに乗っ取られないために、それ自体は完全なオフラインとして設計されている。

 ネットワークを使用するオンライン系統にコア・コンピュータが介入する時は、物理的な接触がないと干渉できないようになっているのだ。


 それこそ、人がパソコンを使うのをイメージすればわかりやすい。

 パソコンにどれだけウイルスが入ってしっちゃかめっちゃかになろうが、それを操ってる人間には、直接的には何のダメージもないわけだ。


 つまり言うと、俺が仮想空間での落花との対決で使えるのは、ライカの身体であるトラスニク、そのコピーのみ。

 彼女の脳までは持っていけない、というわけだ。


 まあ、いいさ。

 慣れない機体で戦うよりも、ずっといい。


「わかった、それでやろう」

「よーし、決まり!」


 落花は大袈裟に指を鳴らし、かと思えば携帯端末をいじり始めた。

 アリーナへの申請をしているのだろう。

 あっという間に入力は終わらせたようで、彼女は端末から顔を上げた。


「一時間後に予約したよ。後はデータ入力だけ」

「よし、準備しよう」


 そう言って俺と落花は、店を出るべく席を立つ。

 ライカのカタログスペックなら全て記憶しているが、如何せん手入力だと時間がかかりすぎる。

 桂木にアップロード用のデータがもらえないか聞いてみよう。


「……はぁ、どうなっちゃうんだろ」


 未だに席から立たないレイはひとり、何か疲れることでもあったのか、ため息を吐いて呟いた。





「……どういうことだ、これは?」


 少し時間は飛んで、アリーナの対決がもう間も無くまで迫ってきた頃。

 桂木から貰った機体データを持ってアリーナ用施設に来た俺は、思わずそんな言葉が口から出てしまった。


 目の前にはドーム状の、ここまで大きい必要があるのかと思えるサイズの建物が、視界一杯に広がっている。

 それは別にどうでもいい。知ったこっちゃない。

 問題は、別のことだ。


「ヤバくない!? ミサ様が緊急でアリーナ参戦だって!」

「ね、めちゃめちゃプラチナチケットじゃん! ホント今日の放課後空いてて良かったー!」

「でも誰だろ、この対戦相手? 変な名前」

「しかもフェアリィじゃなくてただの戦闘機なんだって。まともな勝負になるのかな?」


 この不可解なフェアリィの群れは一体どういうことなんだ。

 いや、よく見るとフェアリィだけじゃなく一般の人も混じっているが。

 そんなことはどうでもいい。問題は、聞こえてくる限り、連中が俺たちの対決を知っているらしいことだ。


 桂木からデータを貰った時、彼女から『頑張ってね……』と困ったように言われたが、その理由が分かった気がした。

 しかし、いったい何でこんなことになってるのか。


「よう」


 と、そんな声が聞こえた。

 振り向くと、見覚えのある顔。

 駆藤がいた。大羽も一緒だ。


「聞いたぞ、ミサとアリーナで決闘するらしいじゃないか。面白いことになったな」

「でも意外だね、ニッパーも意外とこう言うのに興味が……あるわけじゃないみたいだね」


 駆藤はともかくとして、大羽は俺を見て何か察したのか、苦笑いをしてきた。


「どういうことだ? なんでこんな大事になってる?」


 ともかく俺は状況に追いつけておらず、口ぶりから事情を知っているらしい二人にそう聞いてみた。


「む、ここのアリーナ観たことないのか?」


 と、駆藤。

 大羽に目をやると、彼女は少し呆れたような顔をしながら、口を開いた。


「あー、ニッパー。アリーナが今やスポーツ観戦みたいな需要があるって話、聞いたことある?」

「ああ、ほとんど興行になってるらしいな」

「で、そういうエンタメ的な試合となると必然、いつどんな試合が行われるかは、アリーナの公式アカウントとかで告知するわけ」

「そりゃそうだろうが……でも、それだけでか?」


 何故ここにいるフェアリィたちが勝負のことを知っているのかは、まあ理解できた。

 しかし、それだけでこんな大群が押し寄せてくるのものなのだろうか?


「……ウルフ隊の試合を観たいって言う子は、大勢いるからね」


 俺が何に疑問を感じているのかがわかったらしく、大羽はそう補足してきた。


「スケジュールの決まってる試合だったら、毎回観客席は満員御礼。今回みたいなゲリラ的なものでも、ご覧の通りだよ」

「……何というか、すごい話だな」


 ウルフ隊の求心力というものは、周りの反応からその高さが窺えたわけだが、これは想像以上だ。

 何せ、アリーナで練習試合のひとつでも組もうものなら、すぐにこんな妖精の波ができるというのだから。


 もはやこのラヴェルでウルフ隊は、一種のプロパガンダになっているのかもしれない。

 誘蛾灯のように、彼女らの存在が、より多くの妖精を引き入れるのだろう。

 なんてことを、ふと思った。


「まあ、ミサは気にしてもいないだろうがな」


 すると、駆藤が何の気なしにそう言った。


「あいつは基本的に、隊長のこと以外見えちゃいないから」

「……その、ごめんね、ニッパー。ミサが迷惑かけて」


 駆藤の言葉に大羽は思うところがあるのか、バツの悪そうな顔で、俺に謝ってきた。


「確かに迷惑だ。アンタが謝ることでもないと思うが」


 大羽が謝罪してきたところで、落花が突っかかるのを止めてくれるわけでもないだろうし。


「ハッキリ言うね。らしいけど」


 大羽は俺の返答に笑って、そして少しだけ言いにくいのか、僅かな間を置いて、しかし続けた。


「その、あんまり悪く思わないであげて。あの子、ナナが心配なだけなんだ」

「別に、良くも悪くも思ってない」


 それに対して、俺は素直にそう答えた。

 実際の話、落花のやつの本意がどこにあろうと、俺の知ったことではない。

 それがどんなものであれ、この勝負は受けなければいけないのだから。

 起きる事象が同じなら、勝手にしてくれ、とは思う。


「ならいいけど」


 何やら力が抜けたような顔で、大羽は言った。


「そろそろ行くよ、入り口はあっちか?」

「協力してやろう。道を作ってやる」


 俺が聞くと、駆藤が得意げな表情――基本表情筋の動かないポーカーフェイスだが、物腰が全体的にわかりやすいのだ――をして、フェアリィたちの群れに近づいていった。


「嫌な予感がする」


 大羽がそう言った瞬間、どうやらそれは当たったようで、黄色い声が鳴った。


「ああ、やっぱり……」


 大羽が諦めたような表情で呟く。

 駆藤の方を見てみると、大勢のフェアリィが彼女を囲っていた。


「ん、かたじけかたじけ。通してくれ」


 駆藤がそう言うと、妖精たちの波は海を割るかの如く、アリーナ入り口までの道を開けた。


「よし、来いニッパー」


 駆藤にそう言われ、彼女に近づく。

 まあ助かった。これでスムーズにアリーナまで行ける。


「誰、あの男の子?」

「ヨーコ様と随分親そう……」


 相も変わらず敵意を持った視線が刺さる。

 これだけ敵意を持ってるのに攻撃してこないのだから、優しい連中だな。と思った。


「……私の周りって、他人を気にしない奴ばっかりなのかな」


 すると大羽は疲れたような顔をして、誰に言うでもなく、そうひとりごちた。





 アリーナの参戦ベースに入ると、そこは外とは打って変わって静かな場所だった。

 機材のランプと、僅かな間接照明のみが光源の暗い個室で、中央にさまざまなオプションの付いた椅子が鎮座している。


 参加者はこの椅子に座り、備え付けのヘッドセットとマニピュレータを装着して、仮想空間にダイブするというわけだ。

 五感を完全に仮想空間に同期する技術が使われており、やってる間は現実と区別できないほどらしい。大したものだ。


「ここか」


 データチップ挿入用のハブを見つけ、そこにライカの機体データが入ったチップを差し込んだ。


 椅子に座り、一通りの装備を身につける。

 すると、不思議な浮遊感ともに、ヘッドセットに映像が映し出される。


 『PIXY VR ARENA』


 オーケストラチックな音楽と共に、そんな文字が空中に浮かんでいる。

 かと思えば次の瞬間、気づけば無機質な空間に立っていた。

 何とも気持ち悪い感覚だ。

 超えてはならない境界線があやふやになってしまったような、そんな感じ。


「ピクシーアリーナへようこそ。ユーザー認証を開始します」


 どこからともなくそんな声が聞こえた。

 話の内容からして、アリーナのアナウンスだろうことは容易に想像できた。

 少しローディングを挟んで、声は続ける。


「認証完了。SIGーTー28、ジョン・ドゥ、TACネーム、ニッパー。これよりまもなく、対戦が入っております」


 すると、空中に再び文字が表示される。

 内容は、俺と落花の対戦カード。


 サイドA ウルフ2 落花ミサ

 サイドB ニッパー ジョン・ドゥ

 1on1

 制限時間 5:00


「これより、対戦準備を開始します。兵装データを確認、読み込み」


 アナウンスとともに、目の前の視界がみるみる変化していった。

 何もない空間から、見慣れたコクピットへ。

 現在飛行状態。オートパイロットモード。


「……考えてみれば、ちょうどいい機会かもしれないな、ライカ」


 俺はここにはいない自分の主人に向けて、そう呟く。

 そうだ、ずっと気になっていたことがあったんだ。

 初めてフェアリィたちの戦いを見た時から、ずっと気になっていた。


 これはきっと、滅多にない機会だ。

 ライカが生き残るための、『想定外の事態』が起きた時に対処するための、貴重なデータを取れる機会。

 ほとんどあり得ないが、決してゼロではない、そのパターン。



 妖精が敵対した時、ライカは妖精を殺せるのか。



 せっかくだ、試させてもらおう。

 彼女がより、遠くまで飛べるようになるために。


「対戦を開始します。カウントダウン開始」


 アナウンスが、10からカウントを開始する。

 キャノピィの外側が、より鮮明な景色へと変わる。


 吸い込まれそうなダークブルーの中に、巨大な積乱雲がひとつ。

 晴れた、昼下がりの夏の空。


 操縦桿を握る。

 カウントダウン、残り3秒。

 2――――。

 1――。


 READY


 開始を知らせる、ブザーが鳴り響いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 吸い込まれそうなダークブルー、あぁもうエスコンファンからすると語感のポイント高くて最高っすね
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