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装置に必要なもの

 マーティネス支社に降りて補給を受けている間、俺はそれに立ち会いながら、遠巻きに周りの様子を眺めていた。

 今回のように、有人エリアで戦闘が行われた場合は、なかなか手続きが長引いて面倒らしい。

 そんなことを、以前どこかで落花が愚痴っていたのを思い出す。

 なるほど確かに、戦闘からしばらく経った街は、先程までの静寂が嘘のように、救助隊員やラヴェル関係者などの人でごった返していた。


 遠くの方で、天神が何人かの人間に囲まれて、何やら話しているのが見えた。

 おそらく今回の戦闘に関して、事情聴取でも受けているのだろう。

 他のウルフ隊も似たようなものだった。

 天神のように大人たちと話しているか、でなければ、俺のように少々手持ち無沙汰になって、退屈しているかの、どちらかだ。


「あ……」


 ふと、そんな声が聞こえた。

 小さい声だったが、少し前まで、よく聞いていた声だ。


 声のする方に顔を向ける。

 すると、やはりと言うかなんというか、予想通りの人物が、そこにはいて。

 俺は彼女の名を呼んだ。


「桂木」


 桂木、そう、姉の方の桂木。

 桂木シズクだ。


 呼ばれたのがハンガーの入り口付近のところで、話すには少し遠かったものだから、俺は彼女のいる場所に駆け寄った。

 近づいて見ると、服の肩部分が裂かれ、そこから包帯と思われる、白い布があった。

 肩を負傷しているようだ。


「ああ、これ?」


 桂木は俺の視線に気づいたようで、肩を隠すように、そうっと手を添えた。


「気にしないで。全然、なんでもないから……ごめんなさい、呼びつける形になっちゃって」


 目を逸らして話す桂木の顔は、何やら複雑な表情をしていた。

 やりにくそうな、何か怯えているような。

 そんな印象だ。

 そんな顔をしながら、言葉を選ぶようにゆっくりと、彼女は続ける。


「結局――そう、ライカと一緒に、脱出できたのね」

「そうだな……不服か? 命令不履行なわけだから」

「まさか」


 彼女は頭を振って、俺の言葉を否定する。

 なぜか、それにはどことなく必死さを感じた。

 桂木は顔を俯かせて、続ける。


「私が、そんなこと考える資格ないわよ……」

「なぜ?」

「なぜって……」

「思考に資格は必要ないはずだ、違うか?」

「……変わってないのね、ニッパー」


 どうやら俺の考えていることは、またもや的外れなものらしかった。

 その顔は俯いたままだ。

 そんな具合なので表情はあまり見えないが、浮かない、と表現して憚らないように見えた。


 沈黙が、場を支配した。

 他の人間たちが発する喧騒が、いやに遠くに聞こえる。

 

「本当は」


 と、そんな中、桂木はゆっくりと話し始めた。


「アナタとこうやって、話すつもりはなかったの。遠巻きに見て、元気そうだったら、それでいいと思った」

「それはまた、どうして?」

「だって、そうでしょう? アナタに散々ひどいことして、今更どんな顔して会えばいいかも、わからないのに」


 けれども――そう言って、桂木は続ける。


「でも、アナタの顔見た途端、無意識に、話しかけようとしちゃってて――ごめんなさい、いやな思いさせちゃって」


 彼女はそれを最後に、口を閉じた。

 桂木の顔は俯いていたままだ。


「酷いことっていうのは、なんだ、桂木?」


 会話の中で疑問に感じていたことを、俺はそのまま聞いた。

 実際に、そうだ、わからない。

 彼女は俺に対して、一体何をやったというのだろうか。

 俺のあずかり知らぬところで、俺は彼女に何かされていたのか。

 それを知りたい。


「え……?」


 思わずといったような、そんな声が聞こえた。

 彼女は顔を上げて、俺のほうを見た。

 その顔は、目を見開いて、驚いているような、怯えているような、そんな表情だ。


「……本気で言ってるの?」


 と、桂木。


「少なくとも、冗談では言ってない」

「したじゃない、たくさん」

「だから、それは何だ?」

「アナタの名前を奪って、身体を弄って、人生をめちゃくちゃにした。ライカのことだって」

「……なんだ、酷いことっていうのは、それか」


 一体何をやられたのかと思ったら、なんてことはなかった。


「今更だろう、別に」

「……そう、ね」


 ただ、桂木にとってはまだ思うところがあるのだろう。

 研究所にいたころも、彼女は似たような状態になったことがあった。

 所謂、気にしてもメリットのないようなことを気にするような状態。

 被害者に当たる人物から許しを得てるのに、当人がそれを良しとしない、とでも表現するべきか。


 人の機微に敏感な方ではなかったから、なぜそうなるのかを、23番に聞いた記憶がある。

 彼曰く、それは罪悪感や、そこからくる負い目みたいなものが原因らしい。


 自分で選択したことなんだから、そんなもんに捉われるのは、非効率だ。そんなに耐えれないなら、とっとと辞めて、別のアプローチを探せばいいんだ。


 なんてことを、当時、俺は23番に言った。

 どんなに自身の倫理観に反することが起こったところで、それは結局、自分が選んだ結果だ。

 そんなに嫌なら、目を背けて、来た道を戻ればいい、と。

 そう思っていたから。


 ――雁字搦めなのさ、ニッパー。お前が思っている以上に、人間っていうのは、選ぶのが下手くそなもんでな。やめる気はないが、だからって全部割り切れるほど、シズクちゃんは強くもなかった、それだけだ。弱いくせに、進むしかできない不器用な女なのさ、彼女は。


 どこか面白がるような、それでいて懐かしむような顔をして、23番はあの時、そう答えた。

 そういうものか、と思ったものだ。

 プロセスとして何も問題がなくても、倫理観や罪悪感が介入し、目的達成を阻害する。

 そんな不思議な処理。


 だが、その処理を良しとしてきたからこそ、人はこうやって、辛うじて社会を形成できているのかもしれない。

 となるとこれは、所謂フール・プルーフに近いかもしれない。

 社会性を保つための、安全装置(セイフティ)

 それが、感情というものなのだろうか。


 桂木は目的のために、安全装置を外したかったが、それが完璧にできるほどの強度はなかった。

 外れはしたが、中途半端で、それが今のような歪な形で現れてる。

 それだけの話なのかもしれない。


「……桂木、何か、我慢していることはないか?」


 ふと、思わず、俺はそんなことを言った。


「え?」


 案の定、桂木は意外そうな顔をして、こちらを見た。

 面食らったような、そんな顔。

 それもそうか。

 なぜこんなことを口走ったのかは、自分でもよくわからないのだから。


「ど、どうしたのよ、突然――ないわよ、大丈夫」


 あまりにもぎこちなく、彼女はそれを否定した。

 それは俺みたいなやつが見ても、一目で誤魔化していることがわかるほどだ。

 やはりだ、まだ中途半端に、感情(セイフティ)が外れている。


 ああ、そうか。

 この状態を見て、ようやく俺は、自分がそれを聞いたのか、理由を言語化できた。

 このままでは危険だと、無意識にそう思ったのだ。


 もう、研究所もないし、人体実験もする必要がなくなった。

 それは望むところではないかもしれないが、けれど、どうにしろ、感情を除外する必要は、無くなったわけだ。

 ならば、外したものを、もう一度かける必要がある。

 必要になったとき以外はかけておく。

 安全装置とは、そういうもののはずだ。


「桂木」

「……なに?」


 だから、先に俺が、思ったことをそのまま伝えることにした。

 彼女が装置をかけることを促せればと、そう思ったから。


「これだけは言っとくよ。アンタが生きてて、良かった。それは確かだ」


 そう言うと、桂木の顔が歪んだ。

 息をのむような声が聞こえた気がした。


 少しの、沈黙。


「……わ、私」


 すると、詰まったようなそんな声が、桂木から発せられた。

 見ると、彼女の目からは、大粒の涙が出てきていた。


「バカよね、私――わ、私も、それが言いたいだけだったのに、言い訳みたいに、変なことばかり……」


 そう言うと桂木は、ゆっくりと俺に近づいて、そして、抱きしめてきた。


「い、生きてたッ……よかった、よかったよぉ……!」


 それを最後に、桂木は泣きじゃくるだけで、それが終わるまで、話すことはなかった。

 なぜ泣いたのかは、わからない。

 だがそれは感情の顕現ということはわかったし、それはすなわち、安全装置がかかった、ということだ。


 しばらく桂木は俺を抱きしめながら泣きじゃくり、俺はされるがまま、その場所に静止していた。

 ふと、向こうを見ると、レイがこちらを見ていた。

 どこか、拗ねているような、不機嫌なような、よくわからない表情をしていた。





 桂木はひとしきり泣いて、それが終わると、俺が研究所を脱出してからのことを聞いてきた。

 いろいろなことを話した。

 脱出した途端、ランバーと闘ったこと。

 天神達フェアリィ達がいたこと。

 その中に、妹である桂木レイがいたこと。

 とにかく、いろいろ。

 レイの話をすると、桂木は複雑な表情で、向こうで取り調べを受けている本人を見た。


「あの子にも、ちゃんと話さないとね。私が何をしてきたか」


 そう言う桂木の顔は、どこか諦めたような寂しそうなものに見えた。

 しかしそれは、先ほどとは違い、どこか憑き物が落ちたかのようだった。

 楽そうではないが、歪でもない。

 自分の中にある何かを、受け入れられたのかもしれない。

 それが何なのかまでは、わからないが。


 すると、数人の人間が、こちらへ来た。

 ラヴェルの人間だ。

 なにやら、桂木に用があるようだ。


「……私はそろそろ行くわ。ありがとう、ニッパー」


 そう言って、彼女はラヴェルの人間たちの元へと歩いて行った。


 時間もそこそこ経っただろうか。

 そろそろ、他のウルフ隊の事後処理も、終わっていい頃だろう。

 学園に戻ったら、シャワーを浴びて、寝る。

 それで今日は終わりだ。


「ニッパーさん」


 すると、そんな声が聞こえた。

 振り向くと、レイがいた。

 さっきと同様、どこか拗ねているような表情だ。

 なぜだろうか。


「桂木――あー、姉の方なら、さっき入れ違いで、連れていかれたぞ」

「知っていますよ、見ましたもん」

「なんだ、声かけなかったのか」


 長年離れていたようだし、話したいこともあるのではないかと思ったが、考え違いだったろうか。


「……あんな雰囲気で声なんてかけられませんよ」


 すると、彼女はそっぽを向きながら、小さくそんなことを呟いた。


「何を不機嫌になってるんだ、問題でも発生したか?」


 俺がそう言うと、彼女は今度は、バツが悪そうな顔をして、頬を人差し指で掻いた。


「いや、だって……いえ、そうですね、感じ悪かったかも。すいません……」


 レイはそう言いながら、壁にもたれかかって、俺のほうを見た。

 拗ねているような感じはなくなったが、それでも尚、納得していないような表情だ。

 そう思っていると、彼女は口を開いた。


「お姉ちゃんとは、仲が良いんですか?」

「藪から棒だな」

「どうなんですか?」

「仲が良いの定義によるが――よく一緒にいて、話はした」

「……好きだったり、するんですか? お姉ちゃん、美人だし」

「さっきから、質問の意図が把握しかねる。何が言いたい?」

「別に……」


 その言葉を最後に、レイとの会話は打ち切られた。

 姉同様、たまにわけのわからないことを聞いてきては、不機嫌になるやつだ。

 外見同様、中身も似たもの姉妹かもしれない。


「そういえば」


 代わりとばかりに、レイは別の話を切り出した。

 先ほどとは打って変わって、少しうれしそうな表情。

 顔のコロコロ変わる様は、見ていて少し面白いかもしれない。


「お姉ちゃん、ひょっとしたら、会社を辞めて、うち(ラヴェル)に来るかもしれません」

「なんだと、なぜだ?」

「うーん、私もそこまでは……他の人が話してるのを、横で聞いただけですし」

「そうか。なんにせよ、それはいいな」


 なぜそうなったのかはわからないが、レイの言葉が本当だとすると、それは好都合だ。俺にも、ライカにも。

 何のかんのと言って、ライカのことはもちろん、改造された俺の身体のことを一番よく知っている人間は、桂木だ。

 彼女がラヴェルに来るとなると、俺の身体もより精密なメンテナンスをしてもらえるだろう。

 ライカも、特にソフトウェア関連の点検が難しい状態だったから、より万全な状態で飛べるようになるはずだ。


「……嬉しそうですね、凄く」

「まあな。桂木は嬉しくないのか?」

「そりゃ、嬉しいですけど……」


 意外だ。

 あんなに気にかけていた姉が無事で、しかもラヴェルに来るというのだから、喜ぶと思っていたのだが。


 いや、正確に言えば、喜ぶには喜んでいるのだが、どうにもそれだけではないような感じだ。

 話を聞く限りは、姉のことそのもの、というよりも、それに付随する何かに複雑な感情を持っているようだ。

 しかしなぜだろう。それが皆目わからない。


「……仲良しみたいで何よりよ」


 と、不意にそんな声が聞こえた。

 天神だ。

 声のしたほうを見ると、どこかげんなりしたような顔の天神が、そこに立っていた。


「あ、ナナさん。お疲れ様です!」

「お疲れ様、レイ。本当にね、戦ってた方がまだ楽かも」


 ため息をしながら、遠い目をして天神はそう言った。

 どうやら、他の隊員以上に、事後処理に手間がかかったらしい。

 隊長というのも大変なものだ。


「ニッパー、ライカの補給は?」

「終わった、いつでも飛べる」

「よし」


 そう言って、天神は続ける。


「本時刻をもって作戦行動は全て終了、RTB。質問は?」


 どうやら俺たちがやるべきことは全て終わったようで、天神は基地への帰還宣言をした。

 つまり、ようやく家に帰れる、ということだ。


「ありません」

「同じく」


 レイと俺が質問がないことを示すと、天神は頷いて、踵を返した。


「気を抜かないように、帰るまでが作戦」


 それを最後に、天神はその場から去っていった。


「じゃあ、ニッパーさん。また後で」


 と、レイも同様に、天神について行った。


「……作戦終了か」


 ふとそんなことを呟いて、俺はライカのほうに振り向いた。

 思い出すのは、あの時見た、白いランバー。

 あいつはまた来る、そんな確信があった。

 それもあってか、俺は作戦が終わった、という感覚がなかった。


 むしろこれは、始まりだ。

 何か、そう、ライカを求める何かとの。

 彼女を奪われないようにするための、その戦争が。

 そう思えてならなかった。


 どうにしろ、今は休まなきゃいけない。

 桂木が来るなら、ちょうどいい。

 俺もライカも、今回の作戦のおかげで、オーバーホールが必要になった。


 帰って、休もう。

 次の戦いに備えるために。

 そう思いながら、俺はライカへと歩を進めていった。


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