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月夜と妖精と盗賊と

 この時間だけは、無味乾燥な人体実験生活の中で、価値があると断言できる。

 ライカのコクピットに乗りながら、俺はそんなことを考えていた。


 俺こと実験体管理番号28番は、このライカ・プロジェクト発足に伴い作成された、被験者候補リストの中の一人だった。

 本社から定められたテストパイロットの要件は一つだけ。

 騒ぐ遺族がいないこと。

 俺がそれに合致した、28人目の人間ということだ。

 生活の足しのために家族に売られた俺は、うってつけだっただろう。


 他の実験体の連中は皆、自分のこれからの人生に絶望したり、自分を売った者に呪詛を吐いたりと、まあまあよくあるであろう、ありきたりな言動をとっていたと思う。


 こんな風に話している俺も、実際のところ似たようなものだった。

 別に他のやつのように、自分の境遇にあれこれ言うことはないが、正直それは諦観によるところが大きい。


 絶望も呪詛も吐けるほどの価値は、俺の人生にはない。

 期待もしていなかった。

 売られようと売られまいと、死ぬまでは生きる。

 それを全うするだけだと考えていた。


 ライカに、初めて会うまでは。


 最初にライカに乗ったときは、正直驚いた。

 まるで最初からそうであったような。

 あるべき場所に戻ってきたような錯覚を感じた。

 俺はライカのパーツとして、最初から設計されていたのではないかとすら思えるほどだった。


 だからなのかはわからないが、それで、今後はライカのために行動しようと思った。

 そうしてなお有り余る価値が、彼女にはあるはずだから。


「桂木」


 俺が呼ぶと、桂木はハッとした。

 どこか苦い表情。

 何か考え事をしていたのだろうか。


 そういえば、俺が初めてライカに乗った直後も、こんな顔をしていたっけか。

 『まるで自分が、ライカの機械になったようだった』と感想を言うと、この顔をしてみせたのだ。


 『そんな悲しいことを言わないで、アナタは人間よ』と言われた。

 悲しくなることは言ったつもりもなかった。


 文句の言わない実験体で、それは桂木にとっても都合が良いはずなのだが、なぜこんな表情をするのか。

 俺にはわからなかった。


「ごめんなさい、始めましょう」


 気を取り直したらしい桂木は防音用ヘッドセットを装着した。俺もそれに倣う。

 ヘッドセットの無線を入れる。テスト開始の合図だ。

 先ほどの心情とは言って変わって、淡々と桂木は指示を出す。


「コールド・スタート。テスト内容によりコクピット・インテリア・チェックは省略」

「了解」

「ビフォア・スタートエンジン・チェック開始」

「了解、チェック開始」


 桂木に指示されたとおりに、チェック項目を確認する。


 メインパワー・スイッチ BATT(バッテリ)

 FCLSフライト・コントロール・システム ライト点灯 正常

 インジケータ ライト点灯 正常

 エトセトラ、エトセトラ


 数多あるチェック項目に問題がないことを確認し、埋めていく。

 同じ調子でスターティング・エンジン・チェック、アフタ・スタートエンジン・チェックと、もはやルーティンと化したそれを、矢継ぎ早に進めていく。


 この時間がお気に入りだった。

 コクピットに光が入り、エンジンの振動を感じるときだけが、自分の意識が覚醒しているとすら思えた。


 できれば、ライカと本当に、空を飛んでみたい。

 それが出来ればどれだけ良いか。

 そう思いながらも、実験体の自分には叶わないことだろうが。



 テストが進み、本命のアクチュエータ関連であるアビオニクス・チェックまで行った時だ。

 突如、実験場のゲートが、警告音と共に開き始めた。


 それは予定にないことだった。

 第5は今日のところは、私たちがスケジュールリストの最後にいたはずだ。

 一体誰が?


 ゲートが開き、そこから入ってきた人物を、俺たちは視認する。

 誰かがわかったのだろう。途端、彼女の表情はしかめっ面へと変わった。


「テストは取りやめだ。エンジンを切りたまえ」


 ヘッドセットの無線越しに、そんな声を聞いた。

 高圧的な声、オールバックにまとめた髪に鋭い目。

 いかにもエリートの企業戦士と言った風貌のこの男を、俺も桂木も知っていた。


 キール・セルゲイ。

 確か、スプートニク本社の幹部の人間で、嫌いなものは会社に損失を出すもの。と一度桂木に言っていたのを覚えている。

 つまり言ってしまうと、彼は現状損失しか出していないライカを排除したくて仕方がない。ということなのだろう。


「どういうことですか? テストの申請は通っているはずですが」

「聞こえなかったのかね? エンジンを切れ」


 桂木の抗議を聞くことすらせず、キールは一方的な命令を下す。

 スプートニクは旧ソ連時代に設立された名残か、軍隊じみた上下関係の厳しさがある。

 これ以上は命令不履行となり、ともすれば厳罰を下される恐れがある。

 桂木はそう判断し、諦めたのだろう。

 俺にエンジンを切るよう、ハンドサインで指示した。


 各計器をチェックし、エンジンのシャットダウンを行った。

 すると広い実験場に、静寂が訪れる。

 俺を含めたその場にいる全員が、ヘッドセットを外した。


「……何か御用ですか? セルゲイ本部長」


 と、桂木。


「御用ですか、だと? よくもそんなことが言えたものだな、桂木くん。会社の金をこんなおもちゃにつぎ込んで遊び惚けて、御用ですか、とは」

「何度も説明した通り、これは将来、我が社の商品になるものです。おもちゃじゃない」

「これは驚いた。利益を出せる見込みがないものを、君の故郷では商品というのか」


 何も言い返せず、桂木は悔しそうに歯噛みした。

 キールは尚も続ける。


「いい加減くだらない研究はやめて、フェアリィ兵器の新製品開発でもしたまえ。そのほうがより確実に、妹さんの助けになる」


 その言葉に、桂木はただ押し黙る。

 こうは言っているものの、実際のところキールは、桂木の妹のことなどつゆほども気にかけていないのだろう。


 ただ現在、一番売れて利益になる商品は全てフェアリィ関係のものばかりだ。

 なのに桂木ほどの技術者が、それを放っておいて、時代遅れの戦闘機造りに尽力しているなど、キールから――ひいては企業の人間として、看過できないのは容易に予測できる。


 陰険な男だが、企業利益というものに対しては、愚直で真摯とすら言える。

 その点は評価できる。


「そこのモルモット!」


 そんなことを考えていると、キールが俺を呼びつける。

 こちらにお鉢が回ってきたらしい。


「何ですか?」

「テストは終わりだ。部屋に戻れ」

「終わり? アクチュエータの確認は完了したんですか?」

「聞く必要はない」

「……了解」


 俺は渋々、キールに了承の意を唱えた。

 ライカを目の敵にしている彼は、俺にとっても敵と言っていい。


 本当はこんな奴の指示など無視してテストを続行したいところなのだが、この古い体制の企業でそれをやってしまうと、反乱の意志ありとみなされペナルティをくらってしまう。

 罰を受けるのが俺だけなら構わないのだが、桂木と――なによりライカにまで累が及ぶことを考えると、とても逆らおうという気にはなれなかった。


 下手なことをしてキールが悪評不評を上にばらまき、ライカが廃棄されることになどなったら、それこそ目も当てられない。

 だからこそ、俺は『敵』の言葉に従うしかないのだ。


 そんなことを考えていると、キールはおもむろに咳ばらいをし、桂木に何かを耳打ちしていた。

 瞬間、何かを聞いたらしい彼女が、目を見開いた。


「それは本当ですか?」

「後で私のオフィスに来なさい。詳細はそこで」


 キールはそう言って、実験場を後にした。

 桂木は彼に何かを言われてから、しばらく俯いて黙っていた。


 何を聞いたのかを聞こうとしたが、その寸前で、彼女は俺に顔を向けた。

 そして、少し間を開けて、口を開く。


「ニッパー」

「どうしたんだ、桂木?」

「……何でもないわ、ええ、なんでもない」


 彼女はどこかぎこちない笑顔を見せた。

 それが何を意味するかは、俺にはわからない。


「テストはどうする?」


 意味の分からないことを考えても仕方ないと思い、俺は目下の疑問を桂木に聞いた。


「ごめんなさい。テストは延期よ。次の日程は未定」

「未定?」


 思わず聞き返す。

 スケジュールの予定が未定となることは、今までなかったから。


「部屋に戻ってて、後で大事な話があるの」


 桂木はそれだけ伝えると、重い足取りで実験場を出て行った。

 残ったのは、俺とライカ。

 一人と一機だけ。

 どこか冷えた実験場の空気に、奇妙な心地よさを感じた。


「残念だったな、ライカ」


 返答がない。当たり前だ。

 わかってはいるが、俺はライカに話しかけた。


「いつか、本当に飛べたらいいな。そこにいるのは俺じゃないだろうけど」


 言いながらコクピットから出て、地面に降りる。

 ライカを見上げた。


 いつもと変わらない。

 人間たちのごたごたなどまるで関係ないと思わせるような、悠然とした佇まいだ。


「俺が死んでも、ライカは飛んでてくれよ。空がどんな場所か、見てきてくれ」


 そう言い残し、彼も実験場から出て行った。

 ゲートが閉まり、照明が落ちる。

 幕が下りるように、ライカは暗闇の中へ呑まれていった。





 *





 ――同時刻。

 高度1万メートル、日本領空。

 人の住んでいない無人エリア。

 スプートニク社の研究所から50Kmほど先。

 そこに4機――いや、銃器を持った4人の影があった。


 月光に照らされたそれらは、皆一様に羽のようなスラスターを身に纏っている。

 脚には、遠目から見れば腿まであるブーツに見えるものを履いている。しかしそれの用途は、ブーツとは程遠い。

 大出力のブースターによる超機動を可能とする脚部装備。

 SUシルフィード・ユニットだ。


 そして、制服なのだろうか。皆一様に、腰まである、コルセットと一体になったような黒いスカートと、白いブラウスを身に着けていた。

 少々メルヘンチックともいえるその服装は、SUの無機質的な見た目とも相まって、より彼女らを非現実的なもののように見せた。


 4人のフェアリィが、月光の中飛んでいた。


 正確には、さらに高高度3万メートルで飛んでいる者もいるので、5人だ。


「こちらウルフ1。ウルフ4、リリア、レーダーに反応は?」


 フェアリィの一人が、高高度にいる仲間に無線でそう聞いてみる。

 彼女の名は天神(あまがみ)ナナ。

 最近セラフ章という、誰より多くのランバーを破壊した者への勲章を与えられた。 その小柄な体躯とは裏腹に、フェアリィを代表すると言っても過言ではない少女だ。


「レーダーに感なし。今のところ、静かな夜だよ」


 高高度にいるフェアリィ、大羽(おおばね)リリアは今のところ攻撃態勢(エンゲージ)に入る必要がないことを伝えた。

 AWACS(早期警戒機)の役割を持つ彼女は、戦闘には直接参加しない。

 だが、空戦の主導権を握るためには、彼女のレーダーが必須だ。


「ていうか、本当にランバーなんかいるのか? 眉唾じゃない?」


 ナナの隣で並行して飛行している、ウルフ2、落花(おちばな)ミサはけげんな顔をしていた。

 ナナはそれを聞いて、そう思うのも無理もない、とは思った。


 今回ナナの隊――ウルフ隊が飛んでいるのは、ランバーの潜伏情報を手に入れたからだ。

 情報提供元は『マーティネス・コーポレーション』。

 ごく最近フェアリィ兵器業界に参入したばかりながら、その先進的かつ高性能な商品の数々で、数年で業界のトップシェアにまで躍り出た、一大企業である。


 昨日早朝、そのマーティネス社から打診が来た。

 曰く、日本内にランバーが潜んでおり、極秘裏に兵器開発を行っていると。


 ランバーに関しては、今現在でもわかっていることはほとんどない。

 だがそれでも、人間に扮して活動しているなど、ナナは今まで聞いたこともなかった。

 怪しいのは間違いない。


「けれど、だからと言って無視はできない。でたらめなら、正直それが一番」


 それがナナの考えだった。

 表情を一切変えず、諭すようにナナはミサにそのまま言う。

 それにミサは何も言わず、ただ肩をすくめた。


「ヨーコはどう思う?」

「関係ない」


 ミサの問いにウルフ3、駆藤(くどう)ヨーコはにべもなかった。

 腰まである長い髪と相まって、ナナ以上に小柄に見える。

 その薄い色素の肌と黒い髪は、日本人形を彷彿とさせた。

 彼女だけ持っている得物は銃ではなく、高出力のエネルギーを一定部分に宿し続ける、斬撃兵器。

 俗にいう、レーザーブレードだ。


「いたら斬る、いないなら斬らない。それだけ」

「ま、アンタはそうだろうね」


 ナナはため息をするミサをしり目に、後ろにいるウルフ5を見た。

 ウルフ5は、今回の偵察任務から、新たにウルフ隊に加えられた新人だ。

 ラヴェルでの研修が一通り終わったばかりの新人であり、未熟な点が目立つ。

 だが努力家な点があり、ナナはそこを評価して、入隊を許可した。


「ウルフ5、航行に問題はない?」

「は、はい! 問題ありません!」


 ウルフ5、桂木(かつらぎ)レイはなるべく威勢よく応える。

 レイにとって、自身の憧れであるナナの隊に入れたことは、これ以上ない幸福だった。


 いつか天神さんのような立派なフェアリィになるんだ。

 彼女はそう息巻いて、そしていつも姉と衝突していた。


 ずっとフェアリィになりたかった。

 人類を、そしてたった一人の大切な家族を守るために。

 なのになんで、シズク姉さんは認めてくれないんだろう。


「レイ、どうしたの?」


 ナナの声に、レイはハッとした。

 頭を左右に振って、陥った思考を振り払う。


「ぼうっとしないで」

「す、すみません!」


 ナナの注意を聞いて、レイはやってしまったと思った。


 その時だ。

 スプートニク研究所まで約15Kmの地点。



「バンディット2、インバウンド」



 リリアから、敵機が領域内に入ってきたことを告げられる。

 敵機、つまりランバーだ。

 ナナは機銃を構える。


「タイプは?」

「両機ともバルチャー、6時方向」


 バルチャー。

 速度と攻撃力に優れる、強襲タイプのランバーだ。


 後ろから、しかもこんな場所にバルチャー型が?

 どういうことかとナナは一瞬思う。

 しかし今は、そんな暇は無い。

 一刻も早く迎撃態勢を取らなければ。

 ウルフ隊は6時方向に振り向く。


「速い、20秒後に接触!」

「ウルフ・リーダーより各機」


 焦らず、しかし迅速にナナは指示を出す。


「ウルフ2、ウルフ3はエレメントを組んで一機を迎撃、私とウルフ5でもう片方をたたく」

「「了解(ウィルコ)」」

「ウ、ウィルコ!」


 指示伝達が終わるともうすでにランバーが目視できる距離まで迫っていた。

 月光で反射する金属光沢は、忌々しくも宝石のように美しい。

 2機、同時に来た。


「左をやる」

了解(コピー)




「エンゲージ」




 ヘッドオン。

 ドッグファイトが始まった。


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