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またね

作者: N.@猫の白昼夢

今年の夏が終わる。

夏の始まり


 汗が流れ落ちる真夏の今日。

 灼熱の地に生まれた蝉はその声を響かせ命を削る。

 この日に出会った蝉たちは直に別れがやって来て、翌年の出会いを渇望する。

 八月も二週間過ぎた一日。

 一年に一度の再会。今年も果たす日がやってきた。


 「久しぶり。」


 そう言って彼女は毎年俺の前に現れる。その無邪気な笑顔は何年経っても変わらない。付き合っていたあの頃の初々しさが今でも垣間見える。


 「また老けた?」


 これも毎年の決まり文句。段々と面倒になってきた髭剃りを怠り、伸びた俺の口周りの髭を見て彼女は笑った。


 「うるせぇよ。」


 綺麗なままの彼女に言われると、どうせ俺の苦労なんかわかりゃしないだろと反抗したくなってしまう。生活は何とか出来てはいるが、あの日から出来た心の穴は未だに埋まらない。


 「相変わらず口が悪いんだねえ。」


 口下手な俺は彼女と付き合っていた時もよく冷たい言葉を彼女に浴びせていた。彼女はそれを酷く嫌うでもなく、それが俺だと受け入れてくれた。今思えばあの頃、俺はそんな彼女に甘えていたんだと思う。だから俺の態度は最後まで変わらなかった。全部許してくれていると思っていた。

 この勘違いにもっと早く気づけていれば。

 あんなことにはならなかっただろう。


 「そう言えばあれから恋人は出来た?」


 ミンミンと蝉が鳴き、ジリジリと日が肌を刺す中、彼女お気に入りの真っ白な袖なしワンピースを着こなして、紫外線など気にもとめず爽快に歩きながら俺に聞いた。やっぱり俺の苦悩をわかっていない。彼女は何も知らないんだろう。


 「いねぇよ。」


 渦が巻く心を沈めながら答えると、彼女はふうんと鼻で答えた。


 「お前こそ、俺の事なんかさっさと忘れろよな。」


 小さく言ったその言葉は確実に彼女に届いた。彼女が小さく、そうだねと答えたのを聞いた。

 ああ、何故俺はそんなことしか言えないんだろうか。俺が言えたことではないのに。彼女は俺を忘れたくとも忘れられないだろう。きっと俺の事を恨んでるに違いないから。


 「私今でも覚えてるんだよ?君が私に言ったこと。」


 一瞬ドキッとする台詞に心臓がキュッと締まるも、彼女は懐かしの思い出話を語り始めた。


 「ほら、高校の時さ、付き合いたての頃。高校卒業したら働いて私を幸せにするからって、そう言ってくれたじゃない?まさか君からそんなこと言われると思ってなくてさ、私めちゃくちゃ笑っちゃったじゃん。」


 俺の予想とは違う話を彼女はしたが、これはこれで話して欲しくもなかった。と言うのも、その思い出は恥ずかしくて仕方がない。

 そうは言っても俺は本気だった。だから高三で就活をして、働き口を見つけ就職したのだ。確かに彼女には笑われてしまったが、あの頃は本気で上手くいく未来を見ていた。


 「笑っちゃってごめんね。でも本当に嬉しかったんだ。君なら一生私を大事にしてくれると思ってた。知らないだろうけど、君って結構優しいんだよ?」


 その言葉に俺の胸が締まる感覚を覚えた。

 優しいはずがない。優しければ、こんなことにはなっていないのだから。


 「だから次はきっと上手く行くよ。でも、変な人には捕まっちゃだめだよ?無愛想だけど君はすぐに人に優しくしちゃうから、ずっと心配なんだよねー。」


 脳天気な彼女はそうやって俺に気をかけてくれる。毎年そうだ。会う度彼女は俺の心配をする。ちゃんとご飯食べてる?など聞かれては、あの頃のように空返事を返してしまう。本当は気にかけてくれていることが嬉しいが、素直に喜べないのが俺の性格だろう。

 彼女が帰ってくる四日間、俺は彼女と時を共にする。彼女はその間俺の家に泊まって、あの頃のように日々を過ごす。付き合っていた頃はよくどちらかの家に泊まっていた。彼女も俺も一人っ子で、親は仕事で家を空けることが多いから、その時は夜更かしを楽しんでいた気がする。付き合いをやめてからも彼女が毎年遊びに来るようになって今年で六回目の夏だが、彼女は相変わらずよく話してくれる。その多くが昔話で、友達の多かった彼女はクラスメイトの話もよく思い出していた。俺は真逆で友達がいなかったが、彼女が絡む記憶の片隅に映るクラスメイトの話は何となく思い出せる。


 付き合っていたあの頃はよく彼女も俺に触れてくれた。手を繋いで、口付けをして、抱き合った。愛されるという感覚を知らなかった俺が人の温もりに触れた時、初めて感じた何とも言えぬ高揚感を今でも覚えている。

 ずっとこのまま一緒にいたい。

 彼女だけがいれば他には何もいらない。

 きっとクサいと言われるようなことを本気で思っていた。それまで恋愛経験で苦しい思いばかりしてきた彼女を、俺こそ大事にしようと、そう思っていた。

 だが、その関係も全て俺は壊してしまった。俺のせいで彼女は幸せにはなれなかった。俺は彼女のこれまでの恋人同様、いや、それよりも屑な人間なのだ。

 触れたくても触れられない。触れてはいけない。

 俺が壊してしまったものを思いながら、話す彼女の横顔を見つめていた。


 彼女は思い出が好きだ。過去を生きる彼女は俺との思い出の場所に毎年行きたがる。五年以上も前のことで、変わってしまった所も多いが、そこに足を運んでは思い出話を語り出す。


 「立ち入り禁止の場所って、何か入りたくなるよね。」


 そう言ってはよく高いフェンスを乗り越えて奥に入って行った。明らかに危険そうな場所でも何食わぬ顔で入って行く彼女を見てはいつもひやひやしていた。怖くないのかと聞くと、


 「だって君が助けてくれるんでしょ?」


と俺に絶大な信頼を置いていたものだ。

 今では数々の立ち入り禁止が頑丈に警備を固められ、入ることが出来ない場所も多くなっていた。


 「あーあ。せっかくの思い出なのに。」


 それを知って彼女はため息を吐く。


 「仕方ねぇだろ。早く行くぞ。」


 こんな場所をうろついていれば見つかったら怒られるのは俺なのに。だから俺は頬を膨らませる彼女を催促し、早々にそこから立ち去りたかった。


 「私は行けるんだけどな〜。」


 「でも俺は行けねぇから。ほら、行くぞ。誰か来る。」


 動こうとしない彼女に圧をかけると、君って臆病になったねと彼女は文句を言った。だから仕方ねぇだろと思ったのは飲み込んで俺が足を進めると、彼女の気配が後をついてきた。

 体力のない俺は日中歩き続けると、夜はすぐに睡魔がやってくる。ずっと元気な彼女はあの頃のように夜更かしを楽しみたいと、窓を開けて夏の夜の風を網戸越しに浴びていた。そんな彼女に付き合いたいと思うも、睡魔にだけは勝てない。俺が座りながらうとうとしているのに気がついた彼女は、俺を気遣って言った。


 「もう寝たら?」


 その声にハッとして俺は顔を上げる。


 「...まだ大丈夫。」


 「どこがよ。私のことはいいから。今日はもう充分楽しんだ。」


 本当は一晩中起きていたいだろう彼女は俺に合わせて窓辺から離れ、寝る準備とこちらに近づいてきた。彼女の優しさにはいつも甘えてしまう。俺は無言で立ち上がって、部屋の隅に畳んである布団を広げた。電気を消してからその左端に、俺の左側を下にして横になった。彼女は俺と反対側の、布団の右端に俺に背を向けて横になる。彼女のおやすみと言う声にうんと返して、部屋はシンと静まり返った。

 折角彼女が気を遣ってくれたのに、横になると目が覚める。あれこれ考えてしまうのも悪いのだろう。いつまで経っても眠れない俺は、体を少し傾けて何となく彼女の方を見た。華奢な白い体がこちらに背を向けて横になっている。全く動かない彼女は眠っているのだろうか。

 そんな彼女を見ていると突然、彼女を抱きしめたくなってしまった。あの頃はよく彼女が背中越しに抱きついてくれたり、たまには恥ずかしさを耐え忍んで彼女に腕を回したりしていた。

 だが、今の俺にはそれが出来ない。きっと俺を恨んでいる彼女も当然、俺に触れてはくれない。そう思うと胸が痛くなり、いたたまれなくなった俺は頭を戻して目先にある壁を見た。


 彼女に触れたいなんて虫が良すぎる。

 彼女を傷つけたのは誰なんだよ。


 愚かにも欲求というもの感じてしまった俺はしっかり目を瞑り、静かに自分を罵り続けた。


 日に焼ける事を知らない彼女は夜の更け色にも染まらない。彼女が帰るその日は隣町で花火が上がると言うので、誰も知らない特別な場所で二人、闇に腰を下ろしていた。そこはコンクリートが作る山の車道を登りきって、道なりを外れ木々をくぐった先にある、街を一望できる場所だった。これだけ高い場所だから、隣町の花火もよく見える。この場所を見つけたのは彼女で、あの頃は手持ち無沙汰になればここに来て二人ぼうっとしていた。


 「まるで世界に私たちしかいないみたいだね。」


 街灯も少ないこんな山を車が頻繁に通るはずもなく、ここにいれば聞こえるのは虫の音と風で草木が擦れる音だけだ。人の気配のない暗い自然の中で、彼女は楽しそうにそう言った。

 元々人付き合いが苦手な俺だから、誰もいない場所で唯一愛した彼女と二人、夏風に吹かれながら座っているこの時間がどれ程幸せか。きっと彼女は知らないだろう。彼女を知ったその日から、あの事件後の今も尚、俺はずっと彼女を愛している。あの幸せを、全てを壊した俺自身を、俺はきっと一生許すことが出来ない。


 「ねえ、この間私に君のこと早く忘れろって言ったじゃん?」


 しばらく闇と沈黙が一体化いていた時、彼女のそんな声が突然響いた。三日前彼女に再会した日の事を言っているだろうと、俺は頭を縦に振った。


 「君は私が忘れないからこうして君の前に現れると思ってるんだろうけど、それは少し間違ってるよ。」


 彼女の言いたいことがわからず、俺は彼女の方を見る。彼女は横顔のまま続けた。


 「君が忘れないから、私は君の前に現れるんだよ。君の悲しそうな声がよく聞こえてくるの。」


 そして彼女は俺の方を見た。


 「もういいよ。自分を許してあげなよ。」


 彼女はまるで俺の心の声を聞いたように、哀しみが垣間見える微笑みを見せた。


 そんな顔すんなよ。


 言いたかった言葉が喉に詰まる。俺は彼女から目を逸らした。


 「君のせいじゃないよ。全部仕方のなかったこと。こうなる運命だったってことだよ。」


 彼女はそう俺に言い聞かせようとしている。だが俺はそう簡単に割り切ることが出来ない。あの日見た、最初で最後の彼女が涙を流した顔を俺は未だに忘れられずにいる。辛い経験も全部笑って水に流す程強い彼女が、俺の前で、俺のせいで、あの日目に涙を浮かべて家を飛び出した。

 その時突然、視界が明るくなった。顔を上げると、遠くの空を彩る花火が音をたてながら上がっていくのが見えた。


 「綺麗」


 隣で彼女はその真っ黒なキャンバスを彩る鮮やかで煌びやかな花々に目を奪われている。彼女の真っ黒な目のガラス玉にもそれが反射し、同じように輝きがもたらされる。

 そう言えばあの日も、花火が上がっていた。

 街灯もない闇の中でその体を映し出したのは、同じ火の花だった。

 きっと彼女はその事を知らない。

 いや、もしかすれば見たかもしれない。

 あの時俺と同じように、その体を見たかもしれない。


 「御先祖様をこんなに派手に迎えて送り出すなんて、きっとあの街くらいだよね。」


 隣で彼女は笑った。

 しばらく続いた打ち上げ花火も終盤になり、花火師は締めとして大量の花を一斉に空に咲かせた。バチバチと激しく咲いては散ってゆく花々は空に淡い光を零して消えてゆく。


 「人って花火みたい。」


 その脆く散りゆく火花を見ながら突然彼女が言った。


 「花火って元気一杯空を騒がせても、数秒後には消えてなくなっちゃうじゃない?人も同じだねって。花火とは時間の流れ方が違うだけなんだろうな。」


 闇に引かれた最後の淡い花の涙が消えていくのを見ている彼女の横顔は、虚しさや哀しさを含んでいなかった。ただそう言うものだと、自分に言い聞かせているように見えた。

 そんな彼女の顔で、心が締め付けられたのは俺の方だった。俺があんな事を言わなければ、彼女はもっとずっと長く、彼女自身の人生を照らすことが出来ていた。こんな俺とはさっさと別れて、別の誰かと幸せになる事だって出来たはずだ。彼女の全てを奪ったのは俺以外の誰でもない。


 「ごめん。」


 彼女の顔も見れず謝った俺を、彼女は見た。


 「ずっと謝りたかった。謝っても仕方ねぇし、許される事じゃねぇのもわかってる。でも俺は...」


 「もうやめて。」


 それ以上言わせまいと彼女は俺を遮った。


 「私は前に進みたいのに、君が引きずるから私はどこにも行けないんだよ。ねえ、もういい加減忘れてよ。あの日のことは。」


 彼女はそう言って肩を震わせながら俯いた。

 全部俺のせい。

 彼女がこうして毎年俺の前に現れるのは、全部俺のせい。


 「...はぁ、涙も出せないんだね。目の奥がカラカラだよ。悔しいなあ。」


 そう言って再び見せた彼女の顔には疲れた笑みが浮かんでいた。

 こうやって俺に会いにくること自体、彼女は嫌になっているのだろうかとふと思った。確かにそうかもしれない。俺は所詮、彼女の何者でもないのだから。


 「じゃあ、ここで。」


 彼女の時間が迫る中これ以上ゆっくり話してられないと、山を降りあの場所に着いた。すっかり暗がりで目が慣れている俺は彼女の白い姿もよく見える。


 「もうあの日のこと悔いながら会いに来るのやめてね、本当に。」


 毎年のその日、俺は確かに一年で一番苦しくなる。そしてその気持ちのまま彼女の両親に会いに行き、笑った彼女に手を合わせる。どうやら彼女には全部お見通しらしい。


 「...わかった。」


 彼女がずっと俺に悩まされていたとは知らず、申し訳ない気持ちで一杯になる。どうやら俺は酷く勘違いをしていたらしい。どうしたって自分を許すことは難しいかもしれないが、俺もあの日のことを悔やまない努力をしなくてはならないようだ。

 俺が返事をすると、彼女は曇りのない笑顔を見せた。


 「ばいばい。」


 手を振る彼女に俺も手を上げた。彼女は段々と闇に溶け、その笑顔を最後に暗闇に消えた。


 「またな。」


 蝉の声もしない蒸し暑い真夏の夜、俺は最後にそう呟いた。




夏の終わり


 今年の彼女との別れを告げて一週間。着慣れないスーツを身にまとって俺は彼女の両親の家に向かっている。八月も後半だが世間の夏はまだ終わらない様子だ。すれ違う人は肌を出して小さい扇風機を顔に向けている。サウナにいる気分なのはきっと俺くらいだろう。

 彼女の母親は彼女に似てとても優しい。若い母親で今は三十代後半だろうが、垣間見える無邪気さで俺の方が老けて見える。彼女が死んだあの日、きっと母親は俺の事を殺したいくらい憎んだに違いない。だが、彼女が俺に言ったように、母親もまた「仕方なかったんだよ。」と言って俺の頬に手を当てた。まだ十代だった俺にもわかる程、その顔にはやるせなさや虚しさ、悔しさが浮かんでいたのを今でもはっきり覚えている。たった一人の娘が奪われたのだから、疑いはしない。

 彼女がいなくなってから六度目の夏。彼女に言われた通り、思い詰めることを止めて歩くその道はいつもと少し違って見えた。相変わらず通りを騒がせる蝉の声も、生温く人に吹く夏風も、それに揺らされて擦れ合う木の葉も、彼女と過ごした夏のそれと違わない。その懐かしさは同時に彼女がいない寂しさを思い出させるが、そう言えばきっと彼女は早く恋人をつくれなど説教をするだろう。この先彼女の他に愛せる人が現れるかなど知る由もないのに。

 彼女の命日、俺は彼女が大好きなコンビニのシュークリームを買って彼女の母親の元に行く。そこでしばらくたわいもない話や思い出話をしてからお暇し、彼女の眠る墓に向かう。それから彼女が思い出される場所をぶらぶらとし、辺りが暗くなった頃俺は彼女が死んだあの場所に向かった。

 初めて社会に出て気が立っていたのは言い訳だが、あの日俺は彼女と喧嘩した拍子に「大嫌い」と言ってしまった。思ってもいない言葉だがそれは彼女の心に深く刺さり、彼女は初めて涙を見せて家を飛び出した。我に返ってすぐ後を追ったが手遅れだった。ようやく見つけた時、彼女はそこで鮮血を流して息絶えていた。事故だった。

 彼女が死んだあの日、花火が上がっていた。その花火は毎年空に上げられる。今日もそうだという噂を聞いて、コンビニで二人分の飲み物を買って俺はその場所に向かった。

 街は祭り騒ぎで煌びやかに対し、街の外れはシンとして鈴虫の音が響いている。暗い車道は鹿が飛び出してきても気づかないだろう。

 車もほとんど通らないその場所に、俺は座り込んであぐらをかいた。丁度この場所で彼女は横たわっていた。今ではすっかり値のついたコンビニのプラスチック袋から二本飲み物を取り出し、缶ビールを手前に、カフェオレを向かいに置いた。本当は彼女にも酒を買ってやりたいが、十九から歳をとらないものだから仕方がない。

 人気(ひとけ)のないこの地はまるで人の世から隔離されているようだ。手の届かない星屑の天井が頭上を覆い、闇を虫の音が彩っている。今ならあの世と繋がって、再び彼女に会えるのではという妄想さえ頭を巡る程、非日常を思わせる世界がそこには広がっている。

 すると突然、蒼い世界に大きな光が灯ったと思うと体の芯を震わせる程の音が鳴り響いた。

 花火だ。

 空一面を埋め尽くす鮮やかな花はこの地上を照らし出す。俺はようやく缶ビールのタブを引き、飲み口を開けた。既にストローを刺してあるカフェオレに缶の端を弾くように当て、俺はビールに口をつけた。すっかり飲みなれて美味いとさえ感じる麦の苦さはあの頃から経過した俺の時間を思わせる。甘党の彼女はきっと歳を重ねても苦っと顔をしかめただろう。


 「もうこれで最後にしようぜ。」


 俺は空を騒がせる火の花を見ながらそう呟いた。


 「今まで悪かったな。面倒かけて。これからは俺も前を向くから。」


 きっと過去に生きていたのは彼女だけではなかった。俺自身も、あの日の後悔を引きずって過去に縛られていたのだろう。この間彼女が俺に言った言葉を思い出して俺は一人そう呟いた。


 「またいつか、生まれ変わったりしたらさ、そん時はまた会いに来てくれよな。俺、待ってるから。」


 この先どんな出会いがあったとしても、俺は彼女への愛を忘れることはないだろう。彼女と過ごした時間は全て、俺の人生において最初で最後のこの上ない幸せだったのだから。


 「また逢う日まで。」


 役目を終えて空に散る火の花びらに向けて俺はビールを掲げ、きっと火の花よりも高い場所から地上を見下ろす彼女に向けてそう言った。


 またね。


 静まり返った夜、虫の音に紛れてそう聞こえた気がした。今年も夏が終わる。


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