デュランタ王国
デュランタ王国騎士団第一部隊員トーマス・ドルセーはアレッシオと付き合いがまあまあ長い。
それこそアレッシオが甲冑騎士と呼ばれるより以前から彼に従ってきた部下であった。
だからこそ分かるのだ。
(アレッシオ隊長……何か機嫌がいいな)
ある日、アレッシオの機嫌が妙に良いと感じたのはアレッシオ自身から感じさせる空気からだ。
長身で体格の良いアレッシオは黙っていると甲冑や兜のせいで威圧的に思われてしまう。アレッシオの素顔を知らず甲冑騎士になってからの彼を知る配下達は、そんなアレッシオの空気から畏怖して話しかける事を躊躇するほどだった。
しかし話しかけてみれば、アレッシオは誰よりも穏やかで優しい上司だとすぐに分かる。分かっていても尚、黙っていれば神具たる兜のせいで遠ざけられてしまうのだが。
だが、今は違う。
アレッシオから漂う空気が、なんというか柔らかいのだ。
普段の彼から発せられる空気が重苦しい高山脈のような雰囲気だとすれば、今はまるで野原の花畑のような雰囲気だ。
あまりにも違う空気感なのだが、それでもその事実に気付いている隊員は少ない。
「…………」
トーマスは日課となった剣を磨きながらアレッシオを見つめていた。
甲冑を被る彼の表情は相変わらず分からないし、アレッシオもまた普段通り隊員に指示をしたり任務の確認を行っている姿が見られた。
(う~~~~~~ん…………)
やはり何処か違う。
思いきって聞いてみることにする。
アレッシオが他の隊員との打ち合わせを終えたところで彼の前に立った。
「アレッシオ隊長」
「トーマス。どうしたんです?」
部下にすら敬語で話す穏やかな声色は、いつもに増して穏やかさを帯びていた。
うん、違うな。
「何か良いことでもありました?」
「……………………」
甲冑の男が無言となった。
兜の先から表情は見えないが、トーマスは確信した。
(良いこと、あったんだな……)
アレッシオは嘘をつくことが苦手だ。
誠実な人柄であるため、恐らくトーマスの言葉に対し否定することも出来なかったのだろう。
沈黙こそ肯定である。
トーマスは思わず頬が緩んだ。敬愛する騎士団長の機嫌が良いことが純粋に嬉しかったのだ。
そして湧き出る好奇心に勝てなかった。
「何があったかは教えて頂けないんですか?」
「…………そんなに分かりやすいか?」
ほんの少しだけ困ったような口調の返答にトーマスは少し考えてから答える。
「いや、気付いている奴なんて一握りですよ。自分みたいに長く付き合っているからこそ分かるってところでしたから」
「そうか…………」
「で。何があったんですか?」
「……………………」
返事は無い。
ただ、トーマスが想像するに、きっと甲冑の中のアレッシオは顔を赤く染めていることだろう。誠実であり強く頼りになる我らが騎士団隊長だが、仕事外の事に関してはとことん弱いのだ。
それでも、大体は彼の妹であるナディア嬢に関しての話が多いのだが。反応から察するにどうもそういうわけではないらしい。
「無理に聞きませんが、もし何か協力出来ることがあったら仰ってくださいね」
無理強いするのも良くはないと判断し、せめて協力の姿勢を見せたところでトーマスは仕事に戻ろうとアレッシオに背を向け。
「トーマス」
背後から、名を呼ばれた。
振り返れば先ほどまでの雰囲気と違う甲冑騎士の姿があった。
「な…………何でしょう」
急にひりつく空気にトーマスは冷や汗が滲む。何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。普段こそ温厚なアレッシオを怒らせるようなことを自分はしただろうか。
自問自答を繰り返している間にアレッシオが一歩近づき、そしてトーマスの肩に手を置いた。
「トーマス」
「は、はい!」
「ご令嬢に贈り物をするとしたら…………何が良いんだ?」
「は……………………はい?」
トーマスは未だかつてないほど情けない声を上司の前で漏らしたのだった。
デュランタ王国の郊外まで馬車で丸一日掛かる。
大通りの馬車道を使い、半日ほどした頃に宿泊できる街に留まり一泊する。王国に向かう令嬢に向けた宿泊施設が整った街をミモザも何度か使用したことがあったため特に不自由はなく一日を終える。
翌日、少し早めに馬車で出発すれば昼過ぎにデュランタ王国へ到着した。
辺境なエタンフィール領と異なり人の出入りも多い王都は賑わいを常に見せている。何処かしこから声や馬車の走る音が響く王都。
(懐かしい……)
ミモザが王都に訪れたのは数年以上前のことだ。それこそ、今から会いに行くイルマの兄、ドレイクが男爵位を継いだことによるお披露目会に誘われた時以来かもしれない。
それより以前はもっと頻繁に王都に出入りしていたが、その時は常に婚約者であるセイデンの姿があった。
「…………」
僅かに胸が痛んだが、気を取り直して郊外へ向かう。イルマの住むノルド家は王都の中央から少し離れた場所にあるのだ。
馬車で更に揺られること数刻。
日が夕暮れに差し掛かる前にミモザはノルド家に到着した。
「ありがとうございました」
馬車の御者に感謝の言葉と礼金を渡し、ミモザは改めてノルド家の門戸に立つ。
一軒だけ建てられてた屋敷は古く伝統ある建物だ。小さい頃はお化け屋敷のようで怖かったそれも、今改めて見れば趣のある素晴らしい屋敷だと思う。
門前に立つ使用人に自身の名を告げれば暫く待つよう指示された後、すぐに中へと通された。
屋敷前の玄関扉の前に立つより前に、その扉が開き一人の少女が現れた。
「ミモザ!」
「イルマ」
茶髪の髪を可愛らしく纏めた少女が満面の笑みを浮かべミモザへと駆けより抱き締めてきた。ミモザもまた彼女を強く抱き返す。
「大きくなりましたね、イルマ」
「ミモザも綺麗になったわ。本当にミモザなのね……嬉しい。来てくれてありがとう!」
暫くぎゅうと抱き締められた後、イルマが顔を上げて微笑んだ。心からミモザの訪問を歓迎してくれていることが分かるその笑顔が、ミモザにとっても癒しであった。
「こちらこそ私を思い出してくれてありがとう。ピアノ、がんばりましょうね」
「うん」
嬉しそうに抱き締め合っていれば、先ほどイルマが出てきた扉からもう一人姿を現した。
「ドレイク」
「久しぶりだな、ミモザ」
イルマの歳の離れた兄であるドレイク・ノルドだった。彼の男爵位就任以来の再会となる。
「お元気そうで何よりです」
「妹のために苦労を掛ける。中で話をしよう。そんなところで抱き合ってないでよ」
改めてミモザとイルマが抱擁しあっている姿を見せていたことに気付きミモザは僅かに頬を染めた。
「それじゃあ改めて。ようこそ、デュランタ王国の辺鄙な地へ」
その後、ノルド一家に歓迎を受けたミモザは共に食事をし、それから少しだけイルマにピアノを教えた。といっても共に歌を歌う程度のものだったが。
それから就寝の流れやミモザ専用の侍女を紹介してもらったりして一日が終わった。
既に就寝の挨拶も終え、寝巻きに着替えたミモザは堪えきれず欠伸をする。
(流石に長時間の馬車は疲れる……)
先ほどまではイルマとの再会に喜んだり屋敷の中を案内されていたこともあって疲れを感じさせなかったが、改めて一人になったところでどっと疲れが出てきた。
慣れない寝台にばたりと倒れ込めば、身体を動かし天井を見上げる。
自室と違う天井。
本当に王都にやってきたのだ。
(…………アレッシオ様に手紙を書かないと)
無事に到着したのだと報せを書きたいと思った。
けれど今日はもうおしまい。
ふわぁと大きな欠伸をすると、ミモザはそのまま睡魔に負けて夢の世界へと誘われたのだった。
翌日。
寝ぐせのついたままのミモザの元にアレッシオが訪れるといった、とんでもない展開を迎える事になることを。
夢の世界のミモザは、知る由もない。