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甲冑騎士とキズモノ令嬢  作者: あかこ
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小さな恋の芽吹き


「ミモザ、その林檎はまだ熟していないから切らなくていいよ」

「分かりました」


 枝切り鋏を持って切ろうとしていたミモザに父、グレイルが声を掛けた。彼の格好は貴族らしくなく農夫のような恰好だった。

 ミモザは台の上で手を伸ばし林檎を収穫していた。

 二人が居る場所はエタンフィールの屋敷にある林檎畑だ。

 畑といっても手入れをする者がグレイル一人であるためさほど大きくはないが、それでも立派に実る林檎は頬のように赤く甘い香りが畑の中から微かに零れている。

 数本植えられた林檎の木は、グレイルが使用人の頃から育ててきた林檎の木だった。季節が涼やかな時期になると収穫できるため、グレイル自らの手でいつも収穫していた。

 ミモザはその手伝いを買って出た。

 

「このぐらいでいいかな」


 籠一杯に収穫された林檎を眺めながら満足げにグレイルが呟く。


「パイを焼きたいですね」

「いいねぇ。ミモザが作ってくれるのかい?」

「勿論です」


 貴族令嬢は料理を嗜むものではないが、ミモザは幼少の頃に父から教わり菓子作りが得意だった。

 林檎を運ぼうとしたグレイルの傍にいた庭師が慌てて駆けつけて林檎を運び出す。その様子を二人で黙って見つめていた。


「ひと休みしようか」

「はい」


 ミモザは頭に掛けていた頭巾を外し微笑んだ。




 エタンフィール家の庭園は美しかった。

 派手な花々で飾るのではなく、穏やかな色合いの草花で彩っている。雑草のようだと非難する者もいるだろうが、自然の姿に沿った庭園は自然の美しさに寄り添った雅さがあった。

 給仕に紅茶を作って貰い、庭園の椅子で向かい合いながらお茶を飲む。適度な温度が気持ちまで暖かくさせた。


「サシャ殿とはうまくいっているみたいだね」


 ふと、グレイルがそのような言葉を語る。

 ミモザの頬が僅かに赤らんだが、小さく微笑んで頷いた。


「とても優しい方です」

「そうかそうか。それは良かった」


 少しの間、沈黙が訪れる。

 グレイルの表情はとても穏やかにミモザを見つめていた。親子で似た蜂蜜色の髪が風によって優しく揺れていた。


「甲冑の噂は聞いてはいたけれど、まさか本当だとは思わなかったなぁ」

「そうなんですか」

「いや~噂ってそういうものだろう? まさか四六時中兜を被っている貴族がいるなんてまさかいないだろうってね」


 随分と呑気な父らしい発言だ。そして、噂という言葉にミモザは苦笑するしかない。

 彼女もまた噂でキズモノ令嬢と呼ばれているのだ。父はその事もあって、噂というものを信じていない。

 

「私は知りませんでした。知っていたのは竜を退治された方ということしか」

「ああ、それは事実だね。当時とても話題になっていたし、彼は言わばデュランタ王国の英雄だ。誰もが彼の事を口にしていた。聖具を纏った甲冑騎士とね」


 まさか本当に甲冑を付けていたなんて、とぼやく父の言葉にミモザは顔を上げる。


「聖具……」

「うん。サシャ殿が被っている兜のことだよ。あれは聖具と呼ばれるデュランタ王国に古くより伝わる神器と言われるものらしいよ。でも、噂話だと思っていたから……本当に兜を着けられていることは知らなかったんだ」

「そう、ですか……」


 アレッシオが話してくれた兜の話は、父も噂では聞いていたらしい。王都の話が滅多に入ってこないミモザにとってはアレッシオと出会うまで全て初耳だった。考えてみれば王都からも離れたエタンフィールの土地ではデュランタ王国に関する情報は多く入ってこない。勿論王が定める法令が変わることがあれば王国からの使者が訪れ勅令を通達してくれるが、それ以外に関しては旅商人等から伝え聞くことの方が多い。


「聖具について気になるかい?」

「はい、とても」


 ミモザには確かめたい事があった。

 彼の顔を覆い隠す兜は、外れることが無いのだろうか。

 恐らく外すことを望んでいるのであればアレッシオが既に調べ尽くしているかもしれない。何より彼の被る兜は王国の所有する物だ。ミモザのような片田舎の令嬢が調べたところで分かることが無いかもしれない。

 それでも、自分の手で調べたいと思った。


「そうか……なあ、ミモザ。一つ頼みたいことがあるんだがいいかな?」

「え? はい、何でしょうか」

「デュランタ王国の郊外にマーレアの従妹が暮らしていることは知っているだろう?」

「はい。エスメラルダおば様ですね」


 マーレアの母には従妹がいる。エタンフィールに嫁いだミモザの祖母でありマーレアの母には妹弟が何人かいた。その一人がデュランタ王国の郊外で暮らすノルド男爵家に嫁ぎ、ミモザも幼い頃に数度遊びに行ったことがある。

 マーレアには姉妹がいなかったため、年の近い従妹であるエスメラルダと仲が良いのだ。エスメラルダには長男と少し歳の離れた妹イルマがいる。


「彼女の娘のイルマがね、ピアノを習いたいらしいんだ。けれど、イルマは人見知りだろう?」

「そう、ですね……」


 母から聞いた話だが、幼い頃にイルマはとても厳しい家庭教師に叱られることがあった。

以来教師という存在を怖がるようになってしまったのだ。

 当時の家庭教師はイルマの状態に気付きすぐに解雇したが、その頃には既に遅くイルマは大人の人間に対し恐怖心を抱くようになってしまった。

 今は両親や兄から教わる形で学んでいるらしい。


「そこで、もしよければミモザからピアノを習えないかって相談が来ていたんだ」

「私にですか?」


 ミモザはアイスブルーの瞳を大きく開いた。

 ミモザ自身、ピアノは好きで趣味として長く続けてきていたため、それなりに弾くことはできる。

 何より王都に行けば、アレッシオの甲冑について調べる機会があるかもしれない。


「……………………えっと……」


 しかしミモザは即答できなかった。言葉を詰まらせ普段花を咲かせたように笑う彼女が表情を曇らせ俯いた。

 アイスブルーの瞳が不安に揺らいでいることは明らかだった。


「…………返事はしていないよ。エスメラルダもミモザの気持ちを優先してほしいと仰っていたよ。ただ、イルマはミモザにとても懐いていたからね」

「ええ。分かります」


 イルマが大人の女性に恐怖心を抱く気持ちを、ミモザだけは痛いほど分かる。分かってしまうのだ。

 夢の中に時折悪夢として訪れ、ふとした日常の合間に恐怖心で身を震わせる時を。

 似た声を聞いただけで、その人がいるのではないかと振り向き探してしまう怖さを。

 誰かに噂されているのではないかと考えだし、人前に出たくなる不安さを。

 

「……郊外だから街に下りなければ人と顔を合わせる機会もそう多くないよ。何か頼み事があるならいつでもドレイクを使って欲しいってさ」

「まあ」


 ようやくミモザが笑った。

 ドレイクとはイルマの兄で、男爵家爵位を継いだばかりの青年だ。年の離れた妹に甘いことを覚えている。

 恐らくミモザの父が言うように、イルマのためにピアノ教師として行くことになれば言葉通り何でも頼みを聞いてくれそうだ。


「…………少しだけお時間を頂けますか?」

「勿論だよ。私としては可愛いミモザにはこのままエタンフィールに居て欲しいと思ってるんだからね?」

「まあ」


 愛嬌あるウインクを贈られ声を出して笑う。

 父の言葉を聞いていると、心に抱いていた不安が少しずつ消えていくような気がした。

 グレイルには人の心を癒す力があると、ミモザは本気で思っている。それほどに不思議な雰囲気を持っているのだ。


「それじゃあ、お茶会はおしまいとしよう。楽しいひと時は過ぎるのがあっという間だ」

「そうですねえ」


 カップに入った紅茶は既に飲み干し、庭園から覗く空の色が少しだけ青さを濃くしだした。

 ミモザは父と別れた後、書き物机の前にある椅子に座り込んだ。

 机には先日アレッシオと出掛けた先で作ったマーガレットの花が活けられている。

 少しだけ枯れてきている花を見つめれば、不意に花に関わる思い出が蘇る。


『すごいや、満開じゃないか! ミモザ、連れてきてくれてありがとう!』

『君の作るマフィンは美味しいなぁ……いくらでも食べれるよ』


 マーガレットの花畑に訪れた思い出は、アレッシオや家族以外にもいる。

 セイデン。ミモザのかつての婚約者。

 ミモザは活けられたマーガレットの花びらを優しく指でなぞった。

 窓辺から差し込んでくる日差しは夕暮れに近付いてくる。


『また君とここに来たいな。一緒に来てくれるかい?』


 はにかむ笑顔は人当たりが良さそうで、彼の髪にはマーガレットの花びらが付いていた。


(あの時、私は何て答えたんだろう)


 どうしてだろうか。

 その時の記憶だけ思い出せなかった。

 ぼんやりと花びらを撫でていたミモザだったが、その隣に積まれた便箋を見て意識を止めた。

 花びらに触れていた指で手紙を手に取る。

 少しだけ控えめな、それでいて丁寧に書かれたミモザ自身の名前。差出人はアレッシオ・サシャ。

 彼の署名だけは慣れた書かれ方をしている。大きくもなく小さくもない筆跡がそのまま彼の性格を表しているようだった。

 気付けば手紙のやり取りが増えた。

 他愛のない話題まで少し返してくれるようにもなった。

 この詩が好きです、とか。何か好きな食べ物はありますか、など。

 必要な用事の後に、ほんの少しだけそんな話題に花を咲かせるのだ。

 ミモザは穏やかな気持ちで手紙に触れていた手を離し、引き出しから新しい便箋と封筒を取り出した。

 机に置かれたインク瓶にペンを浸し、書き始める。


 サシャ・アレッシオ様……と名を書いてから、本文を書き始める。

 先日は会えて嬉しかったこと。体調は大丈夫かということ。

 そして。


「…………」


 肘をつき掌で顎を支えながら、ミモザは微笑み文を綴る。

 近々、王都の近くにピアノ教師として行くかもしれません。

 そうしたら、また会って頂けますか?


 確かに芽吹いていく小さな恋の芽を。

 ミモザはゆっくりと育て始めたのだ。




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