甲冑騎士とキズモノ令嬢
アレッシオ・サシャには悩みがあった。
「お兄様。お父様とお母様からも承諾を頂きましたし、騎士団事務補佐官様からも出勤日の情報を賜りましたので、必ず! 行って頂きますからね」
絵姿を前に差し出された状態で前方から迫ってくる妹の勢いに後ずさりするしかなかったアレッシオは、声を発するよりも前に絵姿を無理やり渡される。
妹であるナディア・サシャは兄に絵姿を渡すと満足気に微笑み、更にその軽やかな声を弾ませながら続けた。
「お名前はミモザ・エタンフィール様で御歳は二十一になられるそうです。御父君に身分はなく母君がエタンフィール領の領主を務められているようですよ。お兄様はフィール領を知っていらっしゃいますよね。失礼ではありますけど、特にこれといって名産や観光や史跡があるわけでもないので、大分いなか……いえ、穏やかな環境にいらっしゃる方のようです。でも、お兄様の早馬なら恐らく一日と掛からずに行ける距離なので三日ほどお休みの取れる日でお願いをしました」
「お願い……とは」
捲し立てる勢いで喋る妹に対し、漸くあげられた一声がこれだった。
クリッとした釣り目にアレッシオと動揺赤銅色の髪を編みこんでまとめたナディアが兄を大きく見上げた。身長差が離れているため、見上げる角度がいつも大きい。
「お見合いの日程です」
さも当然とばかりに告げる妹の言葉に、兄であるアレッシオは言葉にはしなかったが「やっぱり」と思った。
実はこれで三度目の強制見合いなのだ。
過去二回は勿論縁もなく終わったのだが、どうやら妹と両親は未だ諦めてはいないらしい。
甲冑のせいで表情など分からないはずなのに、ナディアは見上げる兄の様子を察し眉を寄せる。
「そんな顔をしても、もう先方にはお伝え済みですから」
「……顔は見えないだろう」
「お兄様の顔なんて、見なくてもどういう顔をしているか分かりますから」
どこか拗ねたような態度だが、妹からの思いやりが伝わってくる。
ナディアは、アレッシオの顔がたとえ兜で隠れていようとも自身の表情や感情を汲み取っているのだということを、言葉にせずとも伝えてくれているのだ。
その不器用な気遣いに、甲冑の奥でアレッシオは微笑んだ。
だが。
「……きっと先方のご令嬢からお断りされるよ」
「あら、そんなこと分からないかもしれないですよ?」
「皆、僕のこの噂は知っているだろう?」
アレッシオの長い指が甲冑に触れる。
王都ではアレッシオを甲冑騎士と呼称する。竜退治以来甲冑を装着したままで過ごす彼に対し、最初こそ英雄譚として語られていたアレッシオであるが、今では揶揄や畏怖めいた呼び方をされているのだ。
彼は何処へ行くにも兜を付けている。兜だけでは不自然だからと、アレッシオは甲冑を着て出歩く機会が多い。その理由は貴族達にとって格好のネタだった。
『戦好きでいらっしゃるからじゃなくて?』
『そこまでして竜退治をご自慢したいのでしょうかねえ』
『竜退治で酷い怪我をされ、お顔を晒すことが出来ないのでしょう。お労しい』
真実を知らない者達は様々な噂でアレッシオを嘲笑う。
しかし、兜を身に付けた彼を前にすれば、彼等は上っ面の笑みを浮かべ賞賛を告げる。竜退治の奇跡を褒め囃す。そのような感情などもはや時と共に風化しただろうに。
アレッシオは黙って彼らの賞賛を受け入れていた。
裏で何を言われているかなど知っている。
それでもアレッシオは怒ることもなく、ただ穏やかに礼を述べるのだ。
「……フィール領はここから距離もあり、もしかしたらご存知ないかもしれませんよ」
「だとしたら、お会いした時に改めてお伝えしないといけないな。僕は甲冑騎士と呼ばれ笑い者にされるような人なのだから、お断りして頂きたいと」
「お兄様!」
非難にも似た叫びにアレッシオは甲冑の先で苦笑するしかなかった。
「知らずに承諾してくれたとして……僕の妻となる方も嘲笑の対象になってしまうだろう? それじゃあ、あまりにも可哀そうだ」
「あ……」
ナディアは思わず口を手で塞いだ。その姿にアレッシオは困ったように微笑む。勿論、彼女には見えていないが。
妹の猪突猛進な行動にはいつも驚かされる。彼女と両親の行動はいつだってアレッシオを考えてくれての事なのだ。
なのだが。
「相手の方が王都で辛い思いをされることになるぐらいなら、僕は誰とも結婚しないよ」
もし出会い、仮に結婚しサシャ家の伯爵夫人になったとして。
その女性に待ち受けているのはアレッシオと同じ揶揄われる声なのだ。
甲冑を付けた男性と結婚する女性など、きっといない。
誓いの口づけすら甲冑越しでは行えない。
口元を開くことは出来ても、甲冑が外れることがないアレッシオには誰にも口づけが出来ないのだから。
「……ありがとう、ナディア。僕からご令嬢にはちゃんと説明をして、そしてお断りしてくるよ」
「お兄様…………まだ、分からないじゃないですか」
俯く妹の頬を優しく撫でていれば、勢いよくナディアは顔を上げてそう告げた。
断られたわけではないのだから、諦めないでほしいのだ。
今までアレッシオに近付く女性といえば地位欲しさの女性ばかりだった。彼女達は口では好意を告げながら、瞳でアレッシオを拒絶してきた。
アレッシオとて結婚をしたくないわけではない。自身は伯爵家の嫡子だ。両親を安心させたいし、自身にとって迎えたいと思える女性が現れるならば、望みたい。
迎えたいと思える女性が、現れるなら。
「……と、言うわけで」
こほん、と咳ばらいをした後アレッシオは改めてミモザを見つめた。
彼女に対し、改めて自身が王都でどのように呼ばれているか。嘲笑の対象となっており、自分と結婚をすればきっと噂のネタになるであろうこと。
そして、この甲冑を外すことが出来ないことを改めて伝えた。
「聖具である兜は、誰でも被ることが出来るものではありません。ただ、分かったことは一度選ばれた者から外れることが無いということでした」
「それは……一生……?」
ミモザの問いにアレッシオは答えない。
困ったように笑みを浮かべているのだろう。
「……ですから、こんな自分が妻を迎えるということが難しいことも理解しています。どうやら貴女は自分の噂を何一つ知らなかったようなので、お伝えすることが出来て良かったです」
アレッシオは紅茶をひと息で飲み干すと口元の甲冑を元に戻した。すると一切の表情が見えなくなる。口角の上下だけで得ていた感情の情報が失われると、途端に何を考えているのか分からなくなる。
唇一つで分かることがあるのだと、彼の唇を見つめていたミモザはぼんやりと思った。
「ご馳走様でした」と兜を被った男は丁寧に礼を告げる。そうして立ち上がり、その場を去ろうとしていることに気付き、ミモザは慌てて立ち上がった。
「サシャ様」
名を呼ばれたアレッシオは止まり、じっと甲冑越しにミモザを見つめている。甲冑の向こうに見える微かな隙間からどのように自身が見えているのだろう。甲冑からは何一つ読み取れない。
「お話できてとても楽しかったです。今日はありがとうございました」
「…………サシャ様」
甲冑の騎士は背が高く、黙って立ち尽くしていれば周囲に威圧感が生まれる。けれどミモザには、アレッシオという男性が穏やかで優しい人なのだと、この短い時間で知った。
(私のためにお断りをしに来たのですね)
爵位も下であるミモザに対し、無下に断るのではなく説明をするために遠い地まで来た彼の優しさ。
自身が甲冑であれば威圧感があることも知っているのだろう。一定の距離を保ち僅かに腰を屈めてくれている。
その優しさは、顔を見なくたって分かる。
「…………私も、サシャ様にお伝えしなければいけないことがあります」
「……何でしょう?」
「私、キズモノの令嬢って呼ばれていることはご存知でしょうか?」
ミモザは首元のリボンを僅かに解き、ほんの少しだけ首元を見せた。
不意に見せてきた令嬢の行動にアレッシオは一瞬動揺した様子を見せたものの、その首筋を見て動きを止めた。
ミモザの首には刃の傷跡があった。
歪というほど大きな傷ではないが縦に刻まれたそれは、古い刃傷だということを騎士であるアレッシオには分かった。
「……それは」
「四年前に受けた傷です。傷を受けてから、私はキズモノ令嬢って呼ばれています」
晒していた首元から手を離し、改めてリボンを結び直す。見上げる甲冑から感情は読み取れないが、ミモザは微笑んだ。
「サシャ様は優しいです。私、もしサシャ様がこの傷や噂を知らなかったら、そのままお話を進めてたかもしれませんから」
「そんなことは……」
「はい。サシャ様はきちんと説明してくださいました。だからこそ、私もちゃんとお伝えしないといけません」
ミモザの傷にまつわる噂は王都でも口伝えに広がっていった。ただ、ミモザ自身が王都に出向く機会も少なく、爵位を継いだ母も滅多に王都へ赴くことはなかったため、噂は早々に飽きられたことも知っている。
それでも知る人は知っている事実から、ミモザに良い縁談の話が来ることはなかった。あったとしても「キズモノだからいいだろう」という見下した態度から来る縁談ばかりであった。更に父は平民出ということもあり、良縁など訪れることすらなかったのだ。
「私はキズモノ令嬢です。私こそ、サシャ様に相応しい女性では……本当はないのです」
「そんなことはありません」
はっきりとした低い声が告げる。
「ミモザ嬢が相応しくない女性だなんて、自分は思いません」
「サシャ様」
「その……初めてお会いした自分が言うのも烏滸がましいかもしれないけれど。貴女はとても優しい方です。噂も知らず甲冑をつけてやってきた自分と……こうしてゆっくりお茶を飲んでくれた。実は、同僚や家族以外の方とお茶会なんて、本当に久しぶりです」
アレッシオの言葉を聞いて、ミモザの頬は次第にほんのりと赤らんだ。
「とても楽しかったです。だから……ええっと。何て言うのかな」
「…………サシャ様。よろしければ、また会いに来て頂けませんか?」
「え?」
無機質な甲冑だというのに不思議そうにこちらを見ているように感じるから不思議だ。
ミモザは思わず小さく笑った。
「婚約のお話。すぐに決めなくてもいいと思いました。私はもう少しサシャ様の事が知りたいです。兜の事は分かりました。けれど……それで、お断りしたいとは思いませんでしたよ?」
「……そうなんですか?」
「はい。そうなんです」
ミモザは笑う。
顔が見えなくとも、たとえ結婚したとして、生涯顔を見ることが出来なくなったとしても。
少なくとも今のミモザは、断る理由がなかった。
アレッシオは暫くミモザを見つめていたが、暫くして俯いた後。ほんの少しだけ小さく頷いた。
「分かりました。また……お会いする約束を頂いても?」
「……はい。喜んで!」
見上げる先に見えるのは白銀の甲冑。
けれどその兜の先に見える眼差しは。
きっと優しいものなのだろうと。
たった僅かなお茶会で芽生えた想いは。
きっと確かなものなのだと、ミモザはそう感じた。