アレッシオ・サシャ
「…………ミモザ。紹介するわね。アレッシオ・サシャ伯爵よ。ご挨拶を」
「ミモザ・エタンフィールと申します。初めまして、サシャ様」
丁寧なカーテシーを見せるミモザの顔は笑顔だ。
そして紹介したミモザの母、マーレアも表情を崩さない。
動じてはいけない、その思いで表情が引き攣っている母の表情を理解しながらもミモザはアレッシオを見つめた。
「ご丁寧にありがとうございます。アレッシオ・サシャと申します……その、よろしくお願いします」
とても物腰柔らかい口調だった。低い声色だが威圧感もなく、早口でも遅くもない聞きやすい声色だった。
ただ、多少くぐもって聞こえてしまうのは仕方ないことだろう。
何故なら彼は。
頭部に兜を付けていたからだ。
二人だけで会話を……なんて言いながらマーレアは席を外し、ミモザとアレッシオを二人小さな庭園へと誘導した。その表情に何処か安堵があったことをミモザは見逃さなかった。
ミモザは使用人が予め用意していた紅茶のセットを自ら用意すると伝えると、アレッシオが座ったことを確認すると茶葉の準備を始めた。
茶葉には様々な種類がある。今は厳選しているため数は用意していないが、三種類ほど瓶に詰められている。甘い風味が残るベリー系か、少し渋いアッサムか、あと一つはオーソドックスなものだ。
準備をしながら、そこでふと気づいた。
彼は甲冑を付けている。
(外して下さるのでしょうか?)
「あの……お茶はご用意してもよろしいのでしょうか?」
「え? ああ……その」
甲冑からでは表情は全く分からないのだが、声を掛けられたアレッシオの身体が少し驚いた拍子にビクリと肩を跳ねさせている。それでいて畏まった様子から、どうやら彼が緊張していることが分かった。
甲冑の男は少しだけ頭を下げる。
「お気遣い有難うございます。勿論、頂きます」
穏やかな声色の男性だと思った。
長身や甲冑から威圧感を抱かせる印象があるというのに、声を発する彼からその雰囲気は一切ない。
本当に彼が王国騎士団なのかと思うぐらい物腰も穏やかに感じた。
「いくつか種類があります。サシャ様は苦手な味はありますか?」
「何でも好きですよ」
甲冑が御礼を言う。多分、微笑んでいるのだろう。
ミモザは少しだけ安堵し、それから自身の好みに紅茶を淹れる。
自分にはベリー系の茶葉を、アレッシオにはアッサムを。
「どうぞ」
「有難うございます」
紅茶を彼の前に出せば、丁寧に礼を告げる。そしてミモザが着席をするのを待ってからカップに手を伸ばした。
一緒に飲もうということだ。
「頂きます」
アレッシオが告げると、口元に手を伸ばす。
外せるのかと見ていれば、唇から顎の部分だけ僅かに開く機能のようで甲冑から僅かに唇が見えた。
しかし全ては外さず、その僅かな隙間から器用に紅茶を飲んでいる。
「……とても飲みづらそうですね」
思わず口に出してしまった。
聞こえていたアレッシオはカップを口元から外す。その唇は少しだけ口角が上がっていた。もしかしたら見えない眉は下がっているかもしれない。
「慣れてしまいましたね」
「慣れ……」
慣れるほど彼は甲冑で飲食をしているのだろうか。
「失礼なご質問かもしれませんが、いつも甲冑でお食事をしているのですか?」
ミモザの問いにアレッシオの動きが止まったように思えた。
何せ表情は見えない。彼の挙動でしか判断がつかないのだ。
アレッシオは紅茶を丁寧にソーサーに置くと、甲冑の先から視線を合わせてきた。
「エタンフィール嬢は……」
「ミモザで構いません。エタンフィールは長いですから、ミモザと」
「あ、はい。ええと、ミモザ嬢は……」
何処か困ったような声色に思ったが、気にせず言葉の続きを待つ。
「……私が甲冑騎士と呼ばれていることをご存知ないですか?」
甲冑騎士。
「……そうなのですか?」
「ああ、そうか。こちらの領にまで噂は流れていないということですね……」
アレッシオの声色は物寂しそうにも安心したようにも聞こえる静かな声だった。
口元しか見えないアレッシオの様子から真意は分からず、ミモザは黙って彼の言葉を待つしかなかった。
「…………この兜。外すことができないのです」
口角は穏やかに笑みを浮かべていたけれども。
その声は、やはり寂しそうに聞こえた。
数年前、王都の近隣に竜が現れた。
伝説上の生き物が姿を現したことにより王都を恐怖に陥れた。この世ならざる者に対し、人間が何処まで立ち向かえるのか。
有識者が集まり過去の伝記や書物を読み漁り、どうにかして竜や魔物がかつて地に降り立ったことを記した過去を見つけた。それは、今までお伽話や空想上の話として認識していた生き物を実在する生き物として見方を変えたものであった。
鋼のように固い鱗。口内から吐き出される炎。鋭く切り裂く爪に大地を揺るがす巨大さ。
その全てが事実だったのだ。
神話にも近い物語の中からいくら退治する術を探したところで、具体的な答えなど無かった。
それでも竜は時を待たず王都へと牙を向ける。
王国の危機に騎士団は奮起した。幾人もの騎士が傷つき、命を落とそうともその場から逃げ出すことは出来なかった。引いたところで己の命は容易く蹂躙されるのだ。
立ち向かう他無かったのだ。
「私は王国騎士団の隊長を務めていることはご存知でしょうか」
「はい」
「……竜退治に任命されたのは私が率いる隊でした。王国騎士団には第三まで騎士部隊があります。その中で一陣として選ばれたのです」
アレッシオの隊は王国騎士団の中でも主戦力と謳われるほどの実力を誇っていた。だからこそ、彼らに対し真っ先に命じられたのだ。
「出陣の折、国王からこの兜を渡されました」
アレッシオの大きく細長い指が彼の被る兜の頬に触れた。
白銀の兜を改めて見れば、それは新品のように美しく傷一つないものだと分かる。更によく見てみれば、白色に模様と僅かにだが宝石のようなものが小さく額の箇所に施されていた。その大きさは僅かなもので、間近で見ないと気付かないほどに小さなものだった。
「古より王国に伝わる聖具であると伝えられたこの甲冑を身に着け竜に挑みました。結果、奇跡的に竜を退治することが出来たのです」
「まあ……」
まるで物語のような出来事にミモザは感嘆の息を漏らす。
アレッシオの口から出る話は、まさしくお伽話のようだった。しかし彼の口調は決して語り部ではない。事実のみを伝えているのだ。
「退治までは良かったのですが……その……それ以来、この甲冑が脱げなくなりまして」
「まあ……!」
先ほどと全く同じ答えだが、明らかに声色が驚いた様子のミモザにアレッシオの口角が上がる。
「全く取れないのですか?」
「ええ、全く」
「あの……少しよろしいですか?」
ミモザは立ち上がるとアレッシオの傍に立った。甲冑の騎士はといえば、突然近付いてきた令嬢の行動に幾ばくか驚いた様子を見せてはいるものの拒絶することは無かった。
「私、力には自信があります。外してみてもよろしいでしょうか?」
「え……?」
「ああ、無理にしたら痛みますか? それでしたら諦めますが」
「いえ、そんな事は」
明らかにアレッシオの声色が動揺していた。
ミモザは大人しくアレッシオの言葉を待った。まるで、待機を命じられた小型犬のように。
甲冑によって表情が見えないアレッシオは暫く黙り首を僅かに俯かせた後、「はい。どうぞ」と頭をミモザに向けて差し出してきた。
「失礼しますね」
首筋が僅かに見える甲冑の後ろに手を添える。僅かに見える後ろ毛からアレッシオが赤髪なのだと分かった。
前側にも手を添えてから全身を使って引く。
「ん…………!」
力いっぱい引っ張る。それこそ全身の力を振り絞って。
しかし、甲冑はびくともしない。
「ん~……!」
「あ、あの……大丈夫ですか?」
心配そうな声色を落とすアレッシオからは甲冑は全く外れない。それどころかミモザが全身の力を使い引っ張っているというのに、その気配すらアレッシオから感じられないのだ。まるで甲冑に全ての力を吸い込まれているような。水中で力を押しているような無力感さえ感じた。
そうしている間に自身の指先だけが痛みだす。
「はぁ……駄目、ですね……」
指先の痛みに耐えきれず手を離し大きく息を吐いた。僅かに汗すら垂れている。
ミモザの様子を茫然と眺めていたアレッシオだったが。
ほんの少しだけ笑いを零す声が聞こえた。
急に笑われたことに、ミモザは顔を上げてみれば。堪えきれないといった様子で唇を指で押さえる甲冑の騎士が笑っていたのだ。
「は……すみません。その……女性の方でここまでして外そうと試みた方は初めてで……」
「そう、なのですか?」
「はい。まあ……王都では自分の甲冑については皆知っていることなので、こうして実際に外そうとするまでもないのかもしれませんね」
王都とミモザの住むフィール領とでは馬車移動を使っても丸一日は掛かるほどの僻地にある。そもそもフィール領は見る物も得る物もあまりなく、領主であるエタンフィールの者以外、貴族は滅多に訪れない。
情報が遅れて届くには充分の環境だった。
「そういえば、サシャ様は本日お泊まりになりますか?」
「え……?」
「フィール領から王都に移動するにも一日掛かってしまいますから。あまり使ってはいないですが別邸に来客用の寝室もあります。よろしければ夕食もご一緒しましょう!」
久し振りの客人だと、嬉しそうに微笑むミモザの様子を見つめていたアレッシオの表情は勿論見えない。見えないが、内心困っていた。
何故なら、馬車ではなく早馬で来た彼にとって、夕刻であろうと夜であろうと移動に苦はなく、今日もこの見合いが終わり次第早馬で帰ろうと思っていたのだ。
騎士団所属であるアレッシオにとって夜通し馬で駆けることは当たり前の認識なのだ。だが、嬉しそうにアレッシオが宿泊することを想像して語るミモザにその事を告げるのは……良心が痛んだ。
「……あの、エタンフィー……いえ、ミモザ嬢」
改まった声に呼ばれミモザは弾ませていた会話を止める。
浮足立ちすぎていただろうか。少しだけ我に返り頬を染めた。
「大変有難いご提案なのですが……まず、今日来た理由をお伝えしなくてはなりません」
「理由……ですか? あの、間違いではなければ……」
お見合いではないのだろうか。
疑問が表情に映し出されていたのだろう。アレッシオは甲冑の先からミモザを見据えていたかと思うと、改めて姿勢を正す。ミモザもまたそれに釣られて姿勢を正した。
「今日、お伺いしたのは……このお話を無かったことにして頂きたいからなのです」
「…………え?」
思ってもみなかった言葉に、ミモザの声は僅かに擦れていた。
二人のカップからは未だ熱を覚まさず、僅かに湯気を立たせている。
そんな、お茶会の時間に告げられた一言だった。