告白
空を飛ぶ夢を見たことはあった。
いつか空を飛んでみたいと、夢見たことはあった。
しかし現実はあまりにも残酷で、ミモザの身体は重力に逆らうことなく地上に向けて落下していく。
声を出すことも出来ず、離れていく空を見つめるしかない。
アレッシオの姿が遠ざかる。
何も、考えられなかった。
あるのは死への恐怖。そして別れ。
訪れる衝撃に怯え目を閉じた。
だが、訪れたのは衝撃ではなく狂おしいまでに抱き締められる腕の力だった。
何が起きたのか、と目を開く。
「アレッシオ様……!」
目の前にアレッシオがいたのだ。
兜を被った、先ほどまでミモザが語り掛けていた彼が、どうしてかミモザを抱き締めていた。
アレッシオは何も語らずミモザを強く抱きしめると、己の身体を盾に地上にぶつかる衝撃を受け止める姿勢に入る。ミモザに一切傷がつかないよう、強く抱き締めながら。
地上に生えた木々を通過し地に当たる直前、アレッシオの身体から強い光が放たれた。
それは、先ほど禍々しいまでに輝きを放っていた甲冑の宝石から放たれていたように感じた。だが、その輝きは先ほどと異なり白い光に近く、眩しいほどであった。
まるで光に包まれるようにして、二人は地上へと衝突した。
激しい衝撃音、そして吹き上がる衝撃風に周囲が悲鳴をあげる。
暫くの沈黙が訪れた。
「ん……」
衝突した衝撃に一瞬意識を失っていたミモザだったが、ふらつく意識のままに顔をあげる。
自身を抱き締める腕は変わらずミモザを護るように離さない。
痛みは一切ない。衝撃から意識を失いかけたが、それでも想像していたような衝撃でもなければ痛みもなかった。
「アレッシオ様……!」
慌ててアレッシオを見つめ、ミモザは息を呑んだ。
兜に収まっていた宝石が、輝きを曇らせ……割れていたのだ。
綺麗に真っ二つに割れた宝石がカラン、と落ちた時。
兜に亀裂が走る。
「う…………」
アレッシオから声が漏れる。
意識を取り戻したらしい彼が、身体を動かした拍子に兜はさらに亀裂が伸びて。
そうして、割れる。
地に落ちる割れた兜。
現れたのは、鮮明なほどに赤銅色の髪だった。ナディアと似た赤い髪。
薄い唇と、少しだけ下がった眉。
そして綺麗な紺色の瞳と目が合った。
「…………大丈夫ですか? ミモザさん」
唇が開き、言葉を紡ぐ。
己の身体のことよりもミモザの身を真っ先に案じる表情。
ミモザは頬を伝い落ちる涙を止めることが出来なかった。
「思い出して……下さったのですね……」
名前を呼ばれた。
いつものアレッシオのように。
「ええ…………思い出しました…………」
濡れる涙を拭うように、大きな掌がミモザの頬に触れる。
少し伸びた赤銅色の前髪が風に揺れながら、それでも真っ直ぐに瞳はミモザだけを見つめていた。
「私の事も……」
「はい」
「ナディア様や、ご両親のことは……?」
「覚えていますよ。全部……思い出しました」
ミモザの涙は落ち着くどころか、より溢れ出す。
「良かった…………!」
「ミモザさん……」
「本当に、良かった…………」
泣き出したミモザをアレッシオは優しく抱き締める。
身を起こし、泣いているミモザを支えながら二人で立ち上がった。
周囲の声が近づいてくる。
アレッシオは少しだけ困った様子を見せながら、ミモザの耳元に唇を近づける。
「時間がないので、これだけ言わせてください。僕も貴女が好きです」
ミモザは驚いて顔をあげた。
そこには、頬を僅かに赤く染めながら微笑むアレッシオがいる。
「さっきの言葉……嬉しかった」
「聞こえて……」
次の言葉を伝えるより前に、二人は駆けつけた人々の声によって会話を続けることは無かった。
命を失ったかと思った二人の姿に周囲は歓声をあげる。
そして、数年振りとなるアレッシオの素顔に城内は騒然となったのだった。
無事が分かるや否や、国は英雄アレッシオの凱旋パレードが開くと報せを出し、街の人々は喜び勇んで祭りを開こうと騒ぎ出す。
姿を見せることが無かった英雄のお披露目に民も納得したらしく、城門に押し掛けていた民はパレードの報せを瞬く間に街へと広げていく。
ただ一人、アレッシオだけがパレードに対し難色を示しているのだが。
「あれは兜の力で出来たことですから……僕の力ではありません」
「兜の魔力を制して戦えたのだ。十分英雄たる力だと思うが」
割れた兜を検証するレイギウスはアレッシオに見向きもせず兜を眺めていた。
塔の下で発見されたミモザとアレッシオは、すぐさま医師に診てもらったが何一つ怪我はなかった。だが、アレッシオが着けていた兜が外れたことを知ったレイギウスにより、強制的に取り調べられることになり、今に至る。
ミモザは無事だろうか……なんて思って言える間に、城内の者から凱旋パレードが開かれることが決定したと聞いてアレッシオは深く溜息を吐いていた。
「仕方ないだろう。二度に渡り竜を退けた英雄を国は兜を理由に放っておいていたのだから民の不満も募るだろう。ようやく披露できる状態になったのだからさっさと片を付けるのも当然だ」
「それはそうですが…………」
「やはりこの兜からはもう何も感じられない。何故兜の石が割れたのか。兜は其方を『守護者』と呼んだのだろう?」
「はい」
覚えている声は、人の声とは思えなかったがそれでも意味を理解することは出来た。
「エタンフィール嬢には魔石を浄化する適性のようなものを持っていたのかもしれないな。それが、どうあって功を成しているのかまでは未知ではあるが」
「…………彼女を巻き込まないで下さい」
僅かに声を低くしたアレッシオに、レイギウスはやっと顔を彼に向けた。アレッシオの表情は警戒に包まれていた。
「釘を刺されたか。分かっている。彼女はただの令嬢だ。話は聞かせてもらうだろうが、それ以外に手を出すことはないよ」
「ありがとうございます……」
「それにしても、随分と端正な顔立ちだったんだな、君は」
改まって言われてもアレッシオは苦笑するしかない。
自身も数年振りに見る顔に未だ馴染めない。そういえばこんな顔だったな……と、思い出すぐらいだ。
心配な点があるとすれば。
(ミモザさんの好みだろうか……)
兜を着けていた頃からアレッシオを好きだと言ってくれた彼女が、顔の美醜で心変わりするとは思っていないのだが……それでも好きな相手に好まれたいという欲はある。
「先ほどの話の続きだが、『守護者』というのは神に仕える兵、戦士のことで間違いはないだろうな。神と呼べる存在が地上にいた頃は、宝石の力を使い使役していたのかもしれない。それを、総じて守護者と呼んでいた。神の守護者だ。おそらく君もその守護者になりかけていたのだろう」
「そうですか……」
それは大変迷惑な話である。
アレッシオが護りたい者は神ではない。家族、仲間、そしてミモザだ。
「…………話は以上でよろしいですか? そろそろ戻りたいのですが」
「ああ、すまなかったね。兜はこちらで預かっておく」
「よろしくお願いします」
アレッシオは立ち上がり、最後に割れた兜を見つめた。
何年もの間、己の姿を姿見で見れば必ず映っていたのは兜を着けた自身であった。もはや自身の顔よりも見慣れているかもしれない。
アレッシオは黙って見つめていたが、暫くして目線を外し部屋から出ていく。
これからは、己の手で全てを護りたい。
代償もなく、力も及ばないかもしれない。
それでも。
アレッシオは長い廊下を歩み始めた。




