戻らない日々
自分に何が出来るのか、そんなことは何一つ分からなかった。
目の前の神官がどうしてそのようなことをいうのか、ミモザには全く分からなかった。
けれど、確かに彼は告げた。
『協力してもらえるか』と。
セイデン……かつて、ミモザの婚約者となる予定だった彼から宝石の事を聞いてほしいと。
その宝石が、アレッシオの着けている兜と同じものだから、解決策が見つかるかもしれないから、と。
(偶然なの……?)
ここ何年もセイデンの名前なんて聞いていなかった。
家族も友人もセイデンとミモザの事は腫れものを扱うように避けていたところがある。
ようやく癒えた傷、そうして勇気を出して訪れた王都で。
まさか彼の名を聞くとは思わなかった。
「…………」
「何故私がこんなことを言うか不思議に思っているかもしれないな」
レイギウスの言葉にミモザは顔を上げ、そして頷いた。
「フォックス卿……セイデンは、私の……婚約の約束を交わしていた方でした」
「そうだったのか」
レイギウスの表情は気を遣うというよりも、妙に納得したような様子だった。
「私には人に見えないモノが見える」
「……え?」
「オーラと称するべきか……神の加護と言えば良いだろうか。説明がうまくできないが、そういった不可思議な類のものだ。信じなくともよい」
「いえ…………」
確かに、いきなり告げられても分からないものだが、ミモザは否定しなかった。考えてみればアレッシオの兜だって不可思議な事象なのだ。
「私には人からそのオーラを見出すことが出来るのだが……エタンフィール嬢は他にはない色彩を宿しているのだよ」
「色彩……」
「通常の人が赤だとすれば、貴方の色は橙から黄色が混ざったようなもの、といえば良いかな」
「その色が……どうなるのでしょうか」
ミモザは分からず尋ねてみれば、レイギウスは少し考えた後、言葉を続ける。
「私と同じような神官と似かよった色合いをしていると言えば伝わるだろうか」
「…………レイギウス様と?」
「そう。神に仕える者と同じ色をしている。神官となり神殿に仕えれば多少なりとも色彩が変わることはあれど、大体の者の色はほとんど変わらない。だが、貴方は既に神官以上の色彩を持っている。それがどういう意味なのかは私にも分からない。しかも、私は貴方の色を見たことがない。今まで一度たりとも」
「そ、うなのですか……」
と言われはするものの。
ミモザには一体何がどう違うのか分かる筈もなく、眉を下げるばかりである。
「説明がうまくできないと言っただろう? 無理に理解しなくともよい。分かることは、其方には不思議な力が宿っている可能性がある。これは仮説ではあるが、もしフォックス卿と接触していたのであれば、貴方に宝石の影響があってもおかしくはないということだ」
「あの……その宝石というのは?」
「アレッシオ卿が装着している兜に宝石が付いていることは知っているか?」
言われてミモザはアレッシオの兜を思い出す。
確かに小さいながらも輝く宝石が付いていたような気がする。だが、それは装飾というには大きいものではなかった。
「兜はいわば神具と呼ばれ、古くから存在する不可思議なものだ。その不可思議なものについている宝石と同じものを持っていたフォックス卿。そして、そのフォックス卿は人が変わったように……事件を起こした……」
ああ。
レイギウスは知っているのだ。セイデンが婚約者となる女性に何をしたのかを。
ミモザは僅かに俯いたが、少し考えると顔をあげレイギウスを見つめた。
「つまり……セイデンが私を襲ったのは、その宝石が影響しているというのでしょうか?」
「話がはやい。そういうことだよ。兜の宝石を調べているうちにフォックス卿にまでたどり着いていた。フォックス卿の噂を調べれば、彼が宝石商と仕事をし始めてから様子がおかしくなったとされていた。辻褄があう。だからこそ真相を確かめたかったのだが……彼は口を割らない」
「何故でしょう?」
「それは直接聞いてみないと分からないだろう。だからこそ、貴方に協力を願った」
レイギウスは全て分かっていたのではないだろうか。
オーラの話がどこまで真実なのかは分からない。
ただ、彼は恐らく情報として全て知っていたのだ。ミモザとセイデンのことも、ミモザとアレッシオの事も。
他の誰もが頼めないようなことを、彼は真実を知るためにミモザへと告げているのだ。
なら、ミモザの答えは一つだ。
「分かりました。セイデンに……会います」
確かめたいことがあった。
知りたいことがあった。
どうして、いつも優しかった兄のようなセイデンが、人が変わったかのようにミモザを襲い、脅迫したのかを。
地下牢への道は細く、寒々しかった。かび臭く決して長居したいような場所ではない。薄暗い地下の階段をレイギウスと共に歩く。カツンカツンと、靴音だけが耳に響いた。
到着した先の牢は比較的清潔に保たれていた。それでも、物はほとんど無く、人が生きていくには心を病むような薄暗さだった。
その片隅に置かれた寝台に座る男性がいた。
薄暗くとも分かる。
セイデンだ。
「……………………」
ミモザは声を掛けられなかった。
ミモザの覚えているセイデンはミモザを見れば笑顔で迎え入れてくれた。太陽の日差しのような優しさで包んでくれていた。
けれど、今の彼は闇を一身に背負い、一片の光すらない様子だった。
ミモザがやってきたことにも気付いていないのか、その視線は茫然と壁を見つめていた。その先には何もなく、虚空を黙って見つめていたのだ。
その姿に、恐怖や畏怖よりも悲しみが生まれた。
ミモザの知るセイデンは、こんな風に絶望に染まったような人ではなかった。
優しくて、頼りになる……大切な兄のような人だった。
知らず、ミモザの頬を涙が伝った。
ミモザを傷つけた当事者だと知っている。裏切ったのは彼なのだと、数多くの人に囁かれた。肩を切られた傷は未だに疼き、当時の痛みは鮮明に思い出すことが出来た。
それでも、尚。
お人よしだと、偽善者だと言われようと。
ミモザの知るセイデンは、いつだって優しかった彼なのだ。
「セイデン…………」
思わず、名を呼んでいた。
しかしセイデンは振り返らない。ミモザの事など見えていないかのように、ただ真っ直ぐに虚空を見つめていた。
「セイデン」
あの頃の彼に会いたいと思った。
ミモザに微笑んでくれた、太陽のような明るさと優しさで接してくれたセイデンに。
ただ、それだけを願った。
格子に触れる。
レイギウスは一瞬警戒する表情を浮かべたが、何かに気が付くと黙ってミモザを見守った。
ミモザは、格子を掴み中に居るセイデンの名を呼び続けた。
幼い頃から呼び続けていた名を、当時のように何度も。
「セイデン」
ふと、セイデンの虚空を見つめていた視線が揺れた。
そうしてゆっくりと……声の先を見つめた。
目が合った。
暗闇の中でも分かる。セイデンがミモザをはっきりと視界に映したということを。
「……………………ミモザ……?」
その声は、少しだけ震えていた。
久し振りに声を発したのか、擦れた声だったが確かにセイデンの声だった。記憶の中にある、彼の声だった。
レイギウスが息を呑んだ音が聞こえた。
「ミモザ……幻ではないのか……?」
「お久しぶり……です……セイデン」
うまく笑えただろうか。
ミモザが言葉を交わした途端。
セイデンの眼から涙が流れ落ちた。幾重にも零れ、それは床にもポタポタと落ちる。
寝台から降りて膝をつくと、頭を下げて泣き続けた。
「ごめん…………っ……ごめんよ…………」
そして、何度も何度もミモザに謝罪する。
地に頭を押し付け、肩を震わせ泣きながら謝罪するセイデンの姿にミモザも耐え切れず涙が落ちる。
「…………っ」
いいよ、なんて言葉に出来なかった。
許すと言えなかった。
許したい、でも。
許すというものでは、ないのだ。
ただ、彼と出会い、兄妹のように過ごしたあの優しい日々は。
もう二度と、帰ってこないのだ。




