歌って頂けますか?
更新した内容が重複していたところがあったので、前話を修正しています!
内容に齟齬を感じたら申し訳ありません……!前話を加筆していますので、そちらをご覧頂けると助かります!
「今日の練習はこれでお終いにしましょうか」
「そうね!」
繰り返し奏でた旋律を楽譜に書き記し終えたミモザが顔を上げてイルマに伝えたところで、扉を軽く叩く音がした。
イルマが振り返り「どうぞ」と伝えれば、扉がゆっくりと開く。現れたのは執事の一人だった。男はミモザを見ると口を開く。
「アレッシオ・サシャ様がミモザ様にお会いしたいといらっしゃってます」
「アレッシオ様が?」
彼の名にミモザの頬が赤らんだのは、驚きと同時に喜びが身体中から溢れたからだろう。
「はい。お約束ではいらっしゃらないようなのですが……」
「すぐに行きますっ」
ミモザは先急ぐように答えた後、イルマを見る。イルマは笑って「行ってらっしゃい」とだけ告げてくれる。その言葉に呼応するようにミモザは部屋から出ると、アレッシオが待っているであろう玄関先へと向かった。
鼓動が早く高鳴るのを感じながら玄関の外に出てみれば、そこには長身の甲冑騎士が立っていた。嬉しさから表情を綻ばせたミモザだったが、暫くしてその表情が消える。
アレッシオの様子がいつもと違うと感じたからだ。
彼は兜を装着しており表情など何一つ見えるわけではないのだが、ミモザにはどうしてか、彼の様子がおかしいと思った。
まず、ミモザが現れたことに一切の反応をせず、視線を何処かに向けたまま動かない。心ここに非ずといった様子で立っていたのだ。
身動き一つないアレッシオは、まるで壁に飾られた甲冑の飾りのように見える。人としての生気を感じられないと途端に不安に感じてしまうのは、彼の表情が一切見えない上に、動かないでいると人間味が失われてしまうからなのだ。
「アレッシオ様」
ミモザは思わず声を掛けた。いつもより少し大きな声で彼の名を呼ぶと、アレッシオは我に返ったかのように顔を上げて声の主を見た。
ミモザはホッとした。
先ほどまで浮かべていた笑みを取り戻してアレッシオの元に駆け寄った。
「お久しぶりですね」
「あ…………ええ。どうも……突然お邪魔してすみません」
アレッシオの言葉の濁し方から、やはり何処か様子がおかしいのだと分かる。
ああ、もどかしい。
彼がどのような表情をしているのか分かれば、アレッシオの悩みに寄り添えるかもしれないのに。
そんな、どうしようもない欲がミモザから生まれ……気持ちを払拭した。
表情が見えていなくても、言葉の強弱から、彼の体温から、言葉の端々から分かることもあるのだ。
「……どうされたのですか?」
「…………」
兜の騎士は俯いて言葉を詰まらせた。
ミモザは少しだけ遠慮がちにアレッシオの手にそっと触れ、その手を両手で優しく引っ張った。
「お散歩しませんか? ノルドの庭師はとても腕が良くって、綺麗なお庭があるんです。一緒にお散歩しましょう」
「あ…………そうですね」
少しだけアレッシオの言葉に柔らかみが増した。
ミモザは少しだけ安心したように微笑み、その手を優しく掴んだまま小さな庭園へと歩を進めた。
ノルドの家にある小さな庭園は二人掛けのテーブルと椅子を中央に置いた円形状の庭園になっている。幼い頃はイルマと二人でよくお茶会ごっこをしていた場所だ。少しだけ古くなった椅子にアレッシオを座らせる。
周囲には季節の花が点々と咲いている。多くの花を育てるよりはハーブの種類が多い庭園は少しだけ他の庭園と違って香りが強い。だが、その香りすらも心地良く二人の心を和ませてくれる。
「良い香りですね」
「ペパーミントです。ほんの少し植えてあるんですよ。あの辺りですね。この時期に吹く風の流れまで考えて植えているそうですよ」
「そこまで気を遣って植えているんですか……とても腕の良い方だ」
感嘆した声色にミモザは安心をしながら、近くにいた使用人にお茶をお願いする。合わせて、庭園を借りていることをイルマに伝言を頼んでから、改めてアレッシオを見つめた。
少しだけ緊張が走った。
「えっと…………お会いできて嬉しいです」
「…………ありがとうございます」
「最近はお忙しかったのですか?」
「ええ……そんなところですね」
「…………何処か具合が悪かったのでしょうか?」
尋ねてきたミモザに対し、アレッシオは少しだけ間を置く。回答に詰まっているように見えた。
ミモザはそれ以上追求することも出来ず、気まずい様子で給仕が淹れてくれた茶を口に含む。少しだけ緊張をしているらしく指先が冷えていたらしい。茶器が随分と熱く感じた。
多忙で具合が悪くなっても会いに来てくれたのであれば、それは嬉しさもありながら申し訳ない気持ちにもなる。本心は会いたい。嬉しい。けれど、無理をして欲しいわけではない。
そんな葛藤に思考を巡らせていれば、「あの」と、アレッシオから声を掛けてくる。
「先ほど歌っていたのは……先日も歌っていらした曲ですよね」
「はい。父の故郷の歌です」
「故郷……確か、フォレクスでしたよね」
「はい。私は行ったことありませんがとても綺麗な場所らしいですよ」
アレッシオは何処か考えている様子を見せると、もう一度ミモザに向けて「あの」と尋ねた。
「よろしければ……歌って頂けますか?」
「えっと……今?」
アレッシオは頷く。
「ここ、で?」
頷く。
改めて歌って欲しいと言われると気恥ずかしさが出てくるのだが、アレッシオの声色は至って真面目であり揶揄うような様子は一切無い。であれば、彼は真剣にミモザに歌って欲しいのだろう。
ミモザは少しだけ深呼吸をしてから歌いだす。
先ほどは旋律だけで歌詞を歌わなかったが、今は歌詞を入れて歌う。
改めて兜のアレッシオに真剣に見つめられながら歌うことに気恥ずかしさはあったものの、いつものように歌う。三番目まで続く歌詞を歌い終えたところでふう、と息を吐いた。
歌の最中は意識しないようアレッシオの顔をなるべく見ないよう歌っていたため、彼がどのような様子で聞いていたかミモザははっきりと見ていなかった。
「…………ありがとうございました」
「はい……えっと……」
それで、一体何のために歌ったのだろうか。
歌った喉を潤すために茶を飲む。少し冷めた茶を飲み干せば、待機していた給仕が追加のお茶を淹れるためにカップに茶を注ぐ。
そっと見つめた先のアレッシオは、どこか思考を巡らせているような印象を受けた。そして、聞こえるか分からないほどの小さな声で「変わらない……」とだけ囁いた。
「アレッシオ様?」
「……急に無理を言ってすみませんでした。どうしても確かめたいことがあって」
確かめたいこと。
ミモザは黙りアレッシオの言葉の続きを待つ。彼が、その続きを答えてくれるかは分からないが、知りたいと思った。それでも、言葉にして問うことはせず、ただ黙って彼の言葉を待った。
アレッシオには伝わったのだろう。
何処か思いつめたように考えを巡らせている様子を見せた後、改まって顔を上げた。
「ミモザさん。これから話すことは、嘘ではありません。にわかには信じがたいことかもしれませんが……」
「はい」
膝に置いた手のひらをギュッと握り締める。
ミモザの目線は真っ直ぐ甲冑騎士へと向けられていた。
「…………実は」
その時だ。
激しい地鳴りと共に、大地が揺れた。
テーブルに置いていたカップがカタカタと大きく揺れ、本棚からは書物が盛大に落ちてくる。
「ミモザさん!」
アレッシオは揺れを感じたと同時にミモザに駆け寄り強く抱き締めた。頭を守るように抑え、身体が転倒しないようしっかりと抱き締める。
ミモザは何が起きたのか分からず、緊張する体を縮こませながらアレッシオの服にしがみ付いた。
揺れは幾分か続いたが、少しした後に小さく収まっていく。
どうやら随分と長い間揺れていたらしく、部屋の中は荒れていた。
「もう大丈夫みたいです」
「はい…………ありがとうございました」
急な地震に心臓がバクバクと高鳴る。
話の続きを聞ける雰囲気ではなくなってしまったなとお互い思ったのだろう。顔を合わせて少しだけ苦笑した。
「怪我はありませんか?」
「アレッシオ様が護ってくださったから平気です。アレッシオ様は大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません」
彼の答えに安堵をしたのも束の間。
二人を凍らせる叫び声が外から聞こえた。
「伝令! 王都にて竜が現れた! 繰り返す! 王都にて、竜が現れた!」
―――竜。
それは、三年前。
嫌というほど周囲を恐怖に陥れた、その伝説の名前であった。