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甲冑騎士とキズモノ令嬢  作者: あかこ
11/25

代償


 ノルド家の窓辺からピアノの旋律が聞こえてくる。ゆったりと流れる練習曲。時々間違えて止まる音に、少しして別の音階からお手本が流れる。それから連奏される主旋律。

 毎日聴いている屋敷の者は、演奏が日々上達していることが分かるだろう。時々練習室から聞こえてくる笑い声に屋敷の空気は明るくなった。

 今日もミモザはイルマのピアノを教えている。アップライトピアノの正面に座るイルマの隣で彼女の指先と楽譜を交互に見つめながら、少しずつ教えていく。

 イルマはとても素直で練習にも熱心だった。彼女の努力もあってイルマはみるみる成長をしていた。

 練習曲を通して弾き終えたイルマにミモザは小さく拍手を送る。


「この曲はもう大丈夫ね。とても綺麗なメロディだし、イルマも楽しそうに弾いていたわ。弾いていて楽しかったでしょう」

「うん。ほとんど譜面も覚えたから気持ちを乗せて弾けたかも」

「はい、とっても上手だった!」


 ミモザはいつだって本心から言葉を紡ぐ性格だと知っているからこそ、彼女が心の底からイルマの事を賞賛してくれるのだと分かる。イルマは照れくさく笑う。


「……そういえば、サシャ様からお返事はあったの?」


 少しだけ遠慮気味に尋ねたイルマの問いに、ミモザは少し表情を曇らせてからゆっくりと首を横に振る。

 沢山の贈り物と共にノルド家にサシャが訪れてから十日以上が経過していた。

 アレッシオと手紙を交わし合っていた間でも、これほど期間が開いたことはなかった。アレッシオが訪れてくれた翌日にミモザは御礼の手紙を送っていたのだが、その手紙に対する返事は無い。

 騎士団の務めが忙しいのだろうと、ミモザは思っている。

 だが、十日も経った頃。不安が芽生えてきた。


(アレッシオ様はご無事でしょうか)


 彼は騎士だ。任務で怪我を負うことだってあるのだ。手紙の返事が来ないのも、彼が負傷をしているためかもしれない。

 そう思うと、ミモザは思わず会いに行きたかった。

 だが、出来なかった。


(正式な婚約者ではない私が、アレッシオ様に会いに行って良いのでしょうか)


婚約が決定した場合、両家の間で取り交わしが行われる。正式な手続きを終えなければ婚約者とはならない。

 アレッシオには初めて出会った時、婚約の話を断られている。それを、ミモザがせめてお互いを知り合ってからにしないかと提案しただけだ。


(会いに行きたいけれど……)

 

身分が彼よりも下であり、そして何よりミモザは淑女としての振る舞いではないと己を叱咤した。約束もなく訪問することなどはしたない行為なのだ。 

 けれど、自分は嬉しかった。

 アレッシオが訪れたことを。祝いという理由から、何を贈ればよいか分からないからと沢山の贈り物を持って訪れてきてくれたアレッシオが。

 同じようにミモザも彼の屋敷を訪れたい気持ちはあったが、何のために?

 手紙の返事がないから……など理由にはならない。

 不安が募り、ドレイグに王都内でアレッシオが怪我などしていないか尋ねてみたものの、彼が街で聞く限りそのような噂は一切無いらしい。

 では、どうして返事をくれないのだろうか。

 ドレイグは「忙しい方だからそんなこともあるだろう」とミモザを慰めてくれた。ミモザもその意見に頷いた。

 それでも不安を抱いてしまうのは。


『愛しているよ、ミモザ』

『どうして俺を避けるんだ! ミモザッ!』


 思い出す豹変したかつての婚約者の姿がよぎった。その途端、身体が自然と震えた。


「ミモザ?」

「あ……ごめんなさい。何の話してましたっけ……?」

「…………ううん。何でもないよ。そうでした、次の練習曲は何にしよう?」


 イルマの声から現実に引き戻されたミモザは己の震えを拳で強く握り締めて止め、精一杯恐怖を堪えて微笑んだ。既に過ぎた事に恐怖する日々は終わったのだ。

 ああ、でも……と、心の奥底で不安に怯えるミモザがいた。

 そんなミモザに優しく声を掛ける。大丈夫だよ、と言い聞かせた。大丈夫、大丈夫だから。


「イルマの上達が早いから、次はワルツやメヌエットもいいですね」

「練習曲は少し飽きてきたから……そうだ! ミモザのお父様が教えてくれた歌があるでしょう? あの曲を弾けないかしら」

「お父様の……故郷の歌?」

「そう! 私が小さい頃にミモザがよく歌ってくれたでしょう? あの歌が大好きでね、よく歌ったり弾こうと思っていたのだけれどうろ覚えで分からなくて。出来れば教えてくれる?」


 ミモザは驚いたと同時に、嬉しかった。父から教わった歌を好んでくれる人がいることが純粋に嬉しいのだ。

 楽譜があるわけではないし、ミモザ自身、父から教わっただけで伴奏などしたこともないが、イルマの提案はとても魅力的だった。


「とても素敵です! 一緒に弾いていきましょう」


 決めると二人で譜面とペンを用意し、旋律を書き記す。ミモザが歌い、少しずつ譜面に落とし込んでいく。時々違うなと書き直してはもう一度歌う。歌に合わせてイルマが旋律を奏でる。

 新しく奏でられる聞いたことのない曲に屋敷の者が顔を上げる。

 その旋律と歌声は、ひどく人びとの心を安らかにさせるものであった。




 刻は、そんな二人のやりとりから少しだけ遡る。

 アレッシオは愛馬に跨りゆっくりとノルドの屋敷に向けて歩を進めていた。

 その表情は白銀の兜によって見えない。ただ、彼を知る者がいれば明らかに沈んでいることは明白だった。

 アレッシオは今、ミモザに別れを告げるためにノルド家へと向かっていた。


「……………………」


 訪れの連絡はしていない。また、失礼なことをしている自覚はある。

 だが、何度文にしたためようと思っても、己の腕が、指先が書き記すことを拒んだのだ。

 だから意を決し、失礼な態度を承知で彼女の住む屋敷に向かうことを決めた。


(これでいいんだ……)


 アレッシオは何度となく自身に言い聞かせた。

 これでいい。元々そのつもりだったのだ。

 ミモザの事を考えれば、己は正しい選択をしている。

 これ以上続けてしまえば、彼女が苦しむことは目に見えているのだ。


(分かっているだろう、アレッシオ・サシャ)


 そう。己に問わずとも分かっているのだ。

 分かっていたのに、考えないよう思考に蓋をしていたのもまた、自身であった。

 だが、その考えを忘れさせない出来事が、アレッシオを襲ったのだった。




 ミモザと別れたあの日の帰路で、アレッシオは一人の女性を忘れた。

 忘れた女性は、アレッシオと同じ赤髪の女性だった。

 誰なのだろうと思いながら自身の屋敷に戻ると、微かに顔だけ覚えていた女性がアレッシオを出迎えてくれたのだ。


「お帰りなさい、お兄様! エタンフィール嬢は喜んで下さいました?」


 彼女はクリッとした大きな瞳を期待に膨らませながらアレッシオの前にやってきた。アレッシオの回答を嬉しそうに待ちわびる姿を見れば、彼女がアレッシオにとって近しい存在であることは明白だった。

 けれど、彼女の名前が出てこない。


「…………お兄様?」


 馬上から茫然と見下ろされていることを不思議に思った赤髪の女性が首を傾げる。

 アレッシオは我に返り、慌てて馬から降りた。

 馬車を近くの使用人が運んでくれる間も、アレッシオは黙って女性を見つめていた。女性にはアレッシオの表情が見えない筈だ。だけれども、彼女の表情はみるみる不安に染まっていく。

 お互いどれくらい見つめ合っていたのだろうか。

 アレッシオは、どう声を掛ければ良いのか躊躇していた。これから投げかける言葉が、確実に目の前の女性を傷つけてしまうことを理解しているからだ。

 しかし、先手を打ったのは彼女からだった。


「…………お兄様。私の名前、分かりますか?」

「……………………いいえ」


 ゆっくりと首を横に振った。

 アレッシオには、赤髪の女性が何という名前なのか、本当に分からなかった。

 彼女が「お兄様」と自身を呼ぶのだから、恐らく彼女は妹なのかもしれない。妹ではなかったとしても、長い付き合いのある親しい間柄であることは確かなのだ。

 それでもアレッシオには彼女の名前が分からなかった。


「…………ナディアです。ナディア・サシャ…………お兄様の……妹です」


 震える唇がどうにか笑みを浮かべながら答えたが、それが限界だったのか。

 ナディアの瞳からポロポロと涙が零れ落ちて行った。幾重にも雫は頬を伝い零れ、地に水滴が落ちていく。

 ナディアの表情は崩れ、両手で顔を覆い泣き出した。小さな嗚咽を零しながら、泣き出したのだ。

 周囲の使用人はナディアの様子に驚き、給仕の女性が困ったようにナディアの涙をハンカチで拭い、優しく背中を撫でていた。

 アレッシオは何も出来ずに茫然とナディアの様子を見下ろしていた。

 慰めることも優しい声を掛けることも出来なかった。

 資格すらないと思った。

 彼女を、妹であるナディアを傷つけたのは、アレッシオ自身なのだから。



 神器、聖具と呼ばれる白銀の兜は、その類まれなる力を身に着けた者に与えると同時に、代償を求める。

 それが、身に着けた者の『記憶』であると知った時から。


 アレッシオの記憶は少しずつ、失われているのだ。


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