贈り物
アレッシオ・サシャは僅かに高鳴りを続ける鼓動を感じ、少しだけ深呼吸をした。
甲冑の中に隠れた頬はきっと赤く染まっていることだろう。
今日、ミモザ令嬢がフィール領からデュランタ王都にやってくる。しかも旅行ではなく長期滞在として。
手紙でその知らせを受けた時、アレッシオは激しく動揺した。傍にあった墨インクを落とし、使用人に叱られたぐらいには動揺していたのだ。
アレッシオの住むサシャ家は領地も別にあるが、基本王都内の屋敷で暮らしている。父とアレッシオ自身王城で勤めているため、生まれも育ちも王都だった。
(ミモザさんが……王都に……)
早鳴る胸の鼓動が煩い。
アレッシオは手紙で知らせてくれた到着日の翌日、休暇を申請していた。だから今日という日は自由なのだ。
そしてアレッシオが向かう場所は決まっている。
「アレッシオ様。馬車をお持ち致しました」
「ありがとう」
大型の馬車には馬が三頭。後ろの荷台はカーテンで閉ざされているが、馬の引っ張っていく様子から随分と荷が置かれているような様子が窺えた。
アレッシオは中央にいる馬の頭を優しく撫でると、鞍に手をかけ軽やかに騎乗した。馬も慣れた様子でアレッシオを受け入れる。
「それじゃあ、行ってきます」
「お気をつけて」
馬車を連れてきた使用人が頭を下げる。相変わらず兜の奥でどのような表情をしているのかは分からないが、長年彼に仕えている使用人には分かる。
(今日のアレッシオ様は嬉しそうですね……)
アレッシオの背中が小さく見えなくなるまで、使用人は主人を見送った。
そして迎えたノルド家の玄関先で、アレッシオは緊張した面持ちのまま名を告げる。
甲冑で現れた長身の男性に使用人は恐怖の表情を浮かべていたが、いつもの事なので仕方ないと少しだけ頭を下げる。
約束のない訪問は失礼にあたることは承知だったが、そもそもアレッシオはノルド家と縁もない。あるのは、ミモザという女性と知己の中であるということだけで。
アレッシオは屋敷を見上げる。
王都の喧騒から離れた静かな地にひっそりと建つ屋敷はとても居心地の良い雰囲気ある家屋だと思った。
ふと見上げていれば、二階の建物の窓が微かに開いた。
アレッシオは時が止まったかのように視線を釘付けにした。
窓辺にミモザが立っていたからだ。
目が合えば、ミモザは大きなブルーの瞳を更に大きくすると、驚いた顔をしたまま窓にくっついく勢いでアレッシオを見てきた。
彼女だ。
ミモザに会えた喜びで、アレッシオの心が満たされる気持ちに溢れていく。
アレッシオは少し控えめに手を挙げれば、ミモザは慌てた様子で頷くとカーテンを閉めて見えなくなった。
そしてほんの数分後、頬を赤く染め、息を切らしたミモザが玄関までやってきた。
「アレッシオ様!」
「おはようございます……ミモザさん」
驚いた彼女の頬は真っ赤で林檎のように愛らしい。
慌てて整えたらしい髪はまだ寝ぐせがついて跳ねている。
「どうしてアレッシオ様がこちらに?」
「えっと……」
改めて尋ねられると言葉に詰まる。
単刀直入に言えば「ミモザに会いたかったから」なのだが、アレッシオがそのように言葉に出せるはずもなく。
「えっと、手紙でこちらにお勤めされると聞いたので、その……お祝いを渡しに来ました」
「まあ……そんな、お勤めというほどしっかりしたことはしませんよ。私のはとこにピアノを教えるだけですよ」
「それでも十分素晴らしいと思いますから……」
照れくさそうな声色だと思った。きっと甲冑の先でアレッシオは顔を染めて笑っているのかもしれない。
「ありがとうございます、アレッシオ様……わざわざ会いに来てくださったこと、嬉しいです」
「いえ、そんな……そのお祝いに贈り物も持って来たんです」
「え?」
アレッシオは背後で待機している馬車の荷台に向かうとカーテンを開けた。
そこには、数々の箱が積み重ねられていた。
「こ……これは…………?」
「お祝いです。自分でこういった贈り物をする機会がほとんど無いので、どのような品をお贈りすれば分からなくて、とにかくミモザさんに似合いそうかなって品を用意していたんです。そしたら、このような量になってしまって…………」
ぎゅうぎゅうに敷き詰められた箱。贈り物のような可愛らしい箱もあれば、家具のようにしっかりとした物まである。大小様々な荷物を茫然と眺めているミモザの隣で、申し訳なさそうにアレッシオが並んでいる。
「これは……すごい量ですね」
「ですよね……自分でも、何を贈れば分からなくて。同僚に相談を持ちかけたんですが、その者の意見を聞いていくうちにこうして……」
数が増えたらしい。
「全てをお渡しするには場所を取ってしまいますから、よろしければミモザさんがお好きな物だけ受け取って頂けますか? 引き取れない分については妹に頼もうかなと」
「いえ、そんな……ありがとうございます、アレッシオ様」
驚いたけれど、何より嬉しかったことは、それだけ自分の事を考えて贈り物を選んでくれたということだ。ミモザには、真面目な彼が真剣に一つ一つ選んでくれたのだろうことを理解している。だからこそ、その気持ちが嬉しかった。
ミモザは荷台に近付き、近くにあったコサージュを手に取った。
この間、ミモザが作った花束に似たコサージュはミモザの両手に納まる大きさで、とても可愛らしく一目見て気に入った。
「可愛いです」
「ああ……それは……」
アレッシオが驚いた様子を見せた。表情は勿論見えないのだが、明らかに声色が途切れ、言いづらそうにしている。
気に障ることでもあっただろうかとミモザは首を傾げる。顔が見えないと、彼がどのような考えをしているのか分からない。だから、言葉の続きを待つのだ。
「…………そのコサージュだけ、僕がお店で選んで買いました。その……この間頂いた花に似ているなって思ったので」
「まあ……私も今同じ事を考えていました」
表情を綻ばせ嬉しそうに笑うミモザの表情を見て、甲冑の男はじっとその笑顔を見つめた。ひと時たりとも彼女の笑顔を見落とさないように、じっと固まったように。
「今、着けてもいいですか?」
「勿論です。これは全て、ミモザさんへの贈り物ですから……」
照れくさそうに笑いつつ、ミモザは手に持っていたコサージュを自身の胸元に取り付けた。急いで着た私服のワンピースをより華やかに彩らせるコサージュは、ミモザによく似合った。
「どうでしょう?」
胸元に開花した花を見せるように顔を上げ、コサージュの前に手を添えた。
「よく、似合っています」
「ありがとうございます」
嬉しそうに長身の騎士を見上げるミモザと、そんな彼女を甲冑の騎士が見下ろしている。
その様子は第三者が見れば確かに不思議な様子だっただろう。
突然の訪問者に驚いたノルド家の令嬢イルマは、支度を終えて来客を迎え入れようと出てきた玄関先で見つめ合っている二人の姿を黙って眺めていた。
笑い、語るミモザの姿を見て。
(良かった……)
嬉しくなった。
イルマは四年ほど前、ミモザに降りかかった不幸を知っている。まだ子供だからと詳しい話まで伝えられなかったが、心配で様子を見るために会いに行ったミモザが、薄暗い部屋に閉じこもり泣いていた姿を今でも覚えている。
イルマはミモザが兄妹のように仲の良かった婚約者に襲われた過去を知っている。
兄のような婚約者との未来に仄かな恋心を芽生えさせていたミモザに憧れていたのだ。
それが、一瞬にして崩れ落ちたことを知っている。
けれど今のミモザは、あの頃のミモザではない。アレッシオを見上げる瞳と表情は柔らかく、頬を微かに赤らめている。
その光景を見ているだけなのに、イルマは涙腺が緩んで瞳が涙で滲んだ。
イルマはミモザが大好きなのだ。
だからこそ、ミモザの新しい恋の芽吹きが、嬉しくて仕方なかったのだ。
暫く会話をした後、改めて訪問者を迎えにドレイグがやってきた。彼は噂の甲冑騎士の訪問にひどく驚いていたが、それでもイルマと同じようにミモザの様子を見れば、喜んで彼を屋敷に迎え入れた。
沢山ある贈り物は一つずつ確認をして、屋敷に置ける物やミモザが所持出来そうな物を選び、後は自邸に戻すとアレッシオが告げる。
ノルド家はアレッシオの身分を考えれば失礼のないようにと緊張していたのだが、アレッシオ自身の控えめで穏やかな性格を知ると打ち解けていった。甲冑を外せない事実には驚いていたが、それ以上に彼の功績やドラゴン退治の話を興味深く聞いていた。
ミモザは彼から騎士としての働きについて聞いたことが無かったので、彼女もまた興味津々に聞いていた。
質問攻め状態になったアレッシオは困惑しつつもゆっくりと応えてくれる。
そんなひと時は、あっという間に過ぎていく。
四人で語らう不思議な時間は、日が落ちるまで続いたのだった。
「長居してすみませんでした」
「いえ、英雄のお話を聞きたさにむしろお邪魔してしまいました。今度はぜひミモザを誘って街を案内して頂けますか」
ドレイグとアレッシオが握手を交わす別れ際に、そんなことを言い出した。
「……よろしいのですか?」
真面目に聞き返してくるアレッシオの様子にドレイグは苦笑する。
「勿論です。ミモザも喜びます」
「…………そうだと嬉しいですね」
「また、いつでもお越しください」
ドレイグとの挨拶を終えたアレッシオが、少し離れた場所で待っていたミモザの前に立つ。
彼女はいつもと変わらない優しく笑みを浮かべながらアレッシオを見上げていた。けれど夕暮れの光で照らされる彼女の表情は少しだけ寂しそうだった。
「ドレイグ殿からミモザさんに街を案内してほしいと言われました……その、お誘いしてもいいですか?」
「はい……! 嬉しいです。けど、お忙しいと思いますので無理だけはなさらないでくださいね。私、いつでもお待ちしていますので」
嬉しいが、アレッシオはデュランタ王国の騎士団隊長なのだ。ミモザの素直な気持ちとしては、一緒に街へ行きたい。無理をして欲しくない気持ちを素直に伝えてみれば、どうやら素直過ぎたらしくアレッシオが小さく笑う。
「はい。待っていてください」
後ろ髪引かれる気持ちを抱きながら、アレッシオは帰路へと向かう。
久し振りになんと有意義な時間だっただろう。一瞬にして楽しい時間が通り過ぎてしまった感覚だ。
思い出すお茶会の時間。ミモザとの会話。コサージュを身に着けた時の、彼女の嬉しそうな笑顔。
そのどれもが愛おしいと感じた。
(そうだ。この贈り物を屋敷に戻さないとな)
屋敷に戻して、それで…………
それで?
「…………?」
アレッシオは、乗馬していた馬を止めた。
急な停止に馬が怪訝そうに声を出すが、アレッシオは何も反応せず硬直したままだった。
アレッシオは微動だにせず立ち止まっていた。
思い出せないのだ。
何かを思い出せない。それだけが分かる。
人の記憶は曖昧で虚ろなものだが、アレッシオのソレは、そういった類のものではない。
(自分は、誰にこの贈り物を引き取ってもらおうとしていた……?)
誰かの面影が脳裏に映る。しかし、顔が黒く塗りつぶされて思い出すことが出来ない。
赤髪の、明るい女性だった気がする。
けれど分からない。
この記憶の女性は、誰だ?
チリッと脳が痛みを覚える。必死に思い出そうとすればするほど、兜が重く感じた。
体が脱力するような感覚があった。
また、だ。
また起きたのだ。
それは、深い絶望と共に虚しさをアレッシオに与えた。
項垂れたままの主に馬が心配そうに顔を覗かせる。
アレッシオは顔を上げ、心配させまいと馬の頭を撫でた。
「行こうか」
手綱で命じれば、馬はゆっくりと歩き出す。
アレッシオは何かを失った。
何かを忘れてしまった。
何度目か分からない、記憶の喪失が訪れた。
「…………」
脳裏に今日見たミモザの笑顔が映し出された。
(ああ、大丈夫だ)
ミモザの笑顔は、忘れていない。
掴んでいた手綱を強く握り締める。
忘れるものか。忘れたくない。
アレッシオは何度も何度もミモザの笑顔を思い出す。それでも尚纏わりついてくる虚ろな感覚に身を蝕まれながら。
夕刻の空の中、ゆっくりと歩を進ませた。