第8話 痘痕の醜女
裏通りに入って1軒目。若干陽の当たる宿ではあるが、屋内に動く人の気配はない。受付に座って編み物をしている痘痕の醜女のみだ。
クレハ団長から貰った銅貨3枚は宿代としてくれた物だから、キチンと使わねばならぬ。
そうなれば、泊まる所は1つだ。
昨日の夜を思い出し、逸る胸音をして宿のドアを叩いた。
「やぁ、今晩も空いてやすかい?」
「今はお客さんしか泊まってないよ」
人が居ないのは持ち前の斥候技能である“足読み”から分かるのだが、こう聞くのは礼儀だろう。笑顔で返す痘痕の醜女。まぁ、慣れれば愛嬌はある。
「昨日も俺一人だったが、今は暇な時期なのか?」
「いや、冬の終わりから春先は新規の客が増える。今年は……たまたま鈍いだけさ」
「そうかい。客が少ないってのは、俺は助かるが宿の主にとっては大事だな」
「はは、そう思うならアタシを買っておくれよ。儲けたらで良いから」
「……うむ。まぁ、儲けたらだな」
「期待しないで待ってるよ。死ななきゃ次があるから、無理しないで頑張って」
見た目に寄らず、気の利く女子だ。
案内されるまま昨日の寝床へと連れ込まれ、「今日も無料」と多少の歓待を受けた。
まぁ、アンコロモチの言う銀貨の店とやらに比べれば……多少ではあるが。
今日は天井を眺めず、彼女の顔を見る事にした。
目を合わせながらというのも乙なものだ。
水仕事で荒れた手のひらも愛おしく感じる。
……ふぅ。
都会生活のなんと乱れている事か。田舎も大概だが、都会は見ず知らずの人同士でもこういった事を為すのか。
いやはやけしからん。
……そして、悪いとは思いながらも今日は金はないので飯を食わずに就寝を選ばせて貰った。
昼にカレハ団長の奢りで飯を食ったので、腹は減っていないのが幸いだったが、なし崩しではあるが歓待を受けた身で食事を断るのは気が引けた。
戸を閉める時の悲しさを秘めた作り笑顔は……胸に刺さった。
◇ ◇ ◇ ◇
……深夜。鼻の奥にツンとくる鉄の匂いと、遠くから聞こえる怒声罵声に目を覚ました。
「…………!」
「……!」
どうやら、4つほど部屋を挟んだ場所で痘痕の醜女が折檻を受けているらしい。相手はこの宿の主人か。内容は売上が悪い事……の様だ。
……。
「…………! ……!」
「……! ……! ……!」
尖った斥候技能のせいで知りたくもない情報がドンドンと耳に入ってくる。
俺は昔からそうだった。
産まれは被差別部落。仕事は動物の汚れを受ける賤業。殴られてばかりの少年時代を送っていた俺は、息を潜めてやり過ごす事を覚えた。
遠くに聞こえる機嫌の悪い足音を避けて、気配を消して危機を逃れた。その経験から足読みや足消しの技能を覚えた。
それが特別な技能だと気付いたのは十になる頃だったか、同輩に「お前は卑怯だ」と言われた時だ。
何が卑怯なのか、俺には理解出来なかった。聞けば、「お前はいつも殴られる時に居ない」との事だった。それならば何のことはない、「お前も不機嫌な足音を聴き分けて避ければ良いではないか」と返すと、「常人にそんな事は出来ない」との返事だ。
それから、様々な人の足音に気を配るようになった。
「ーーコイツは人の気配に気付いていない」
「コイツは不機嫌な足音に気が付いて引き返した」
やがて、その足音を聴き分けられる範囲は増し、人よりも遥かに音を出さない獣の気配すらも感じ取れる様になった。
これは……もしや唯一無二の“技能”なのでは?
そう考える迄は早かった。
村の中で最も足読みが上手いのは俺だった。獣の跋扈する森で狩りをする猟師ですら俺の足元にも及ばない。
ならば、一旗揚げねば才能の持ち腐れだろう。場所は……古来より英傑の消費地として有名な迷宮都市ヨギタケシント。そこで冒険者となるのは天命とも言える。
元々被差別部落の中では自尊感情が強い方だったが、他の連中に比べて他の村人に殴られる事が少なく、気持ちを折られる事なく育ったのも冒険者を目指した理由として大きい。
他の連中が「何も出来ない」と白髪だらけの眉毛を哀れそうに皺くちゃにしている頃、俺は粛々と身体を鍛えて牙を研いだ。
結果、腕力では常人にすら敵わぬ事を知り、斥候技能と解体能力のみを鍛える事となったのだが、それは現時点で正解だったと言えよう。
さて、醜女も殴られ飽きたのか、さめざめと泣き始め、主人も罵倒に飽いたか、唾を吐いて隣の部屋へと引き下がった。
……。
醜女は悪い女ではない。
愛嬌もまぁない訳では無い。
稼げさえすれば……多少損な気もするが、買ってやっても良いだろう。
金さえ払えばあれ以上の事が出来るのか、値段は銅貨か銀貨か。
あの見てくれで銀貨はないだろう。となれば銅貨。……何枚が相場なのだろうか。
眠れない夜だ。
金を払った宿で眠れぬのは損だと言うのに……。