第5話 片腕の男
都会の清潔さを支えているのは、下水に流れ込む糞便の流れである。
誰かが言っていた様な格言だ。
実際に各家々から出た糞便は地下ダンジョンの第一階層でもある地下下水道を通って、更に下部のダンジョンへと流れ込む事によって地上は清潔に保たれている。
地下には糞便を好物とする魔物がいると聞いた事があるので、その魔物が処理しているのだろう。
魔物の事は詳しくもないが、多少の噂くらいは聞き及んでいる。そこで推察する程度の説だが、まぁ大きく間違ってはいないだろう。
眼前に堆く盛られている皮を剥いだ後のネズミ肉も、流れ行く排泄物と混ざって魔物の糧となる筈だ。
勿体無いが、誰かの糧になるのであれば食物を捨てる罪悪も薄れよう。
ーーふと手元に意識を移すと、本日3回目の解体が終わり、血肉の海と化している下水からは鉄を想わせる生命の臭いが沸き立っていた。
今日は、はじめの解体から数えて四十のオオネズミの皮を剥いだ事になる。
割と稼げたのではないかと思った。全て獣皮紙にしたらちょっとした本が数冊作れる分の量だ。収めている麻袋からは血が滴っている。
「じゃあ、そろそろ帰るとしましょうか」
袋いっぱいに詰まった戦果に満足したのか、心なしかカレハ団長の声が弾んでいるように聞こえた。
しかし、本当に魔女のような人だ。長時間この“ネズミの巣”に滞在しているにも関わらず、全く汚れていない。
団長は左手を上に挙げて注目を集め、その手で出口を指差した。
これは撤退のハンドサインだ。
慌ててその隣に並び、帰路につく事となる。
無論、先頭はアンコロモチの戦士達だ。
「何か聞きたい事はある? 襤褸羽織のチング」
丁寧にも二つ名から呼んでくれるのは、襤褸羽織という二つ名を馬鹿にしているのか、それとも尊重してくれているのか……恐らく後者なのだろう。だが、人を疑う生活が長かった為に少し嫌な顔をしてしまったかも知れない。
許された質問くらいは団長を尊重した事を聞こう。
「伺いやす。その……“窒息”なんて凄い魔法持ちの団長が何故今更オオネズミを? アッシの腕をお試しになられたんで?」
「ああ、そうね。それもあるけど、今回は個人的な用事よ。魔法使いは触媒や、呪文の短縮に獣皮紙が沢山必要だから」
「左様にございやすか」
確かに魔法使いはよく本とにらめっこをしている印象がある。革の手帳に触媒を栞代わりにして挟んでいるのもよく見るし、紙の類はいくらあっても困らないだろう。
「魔法を使うってのは、触媒を集めたりして色々と大変なのよ。平時にはこうして水だけで済む“窒息”を使って触媒を節約して、上位の魔法に使う触媒を沢山集めておくの。そして、大仕事の時に大盤振る舞いして使うのよ」
「もっと凄い魔法があるんでやすね」
「……そうね。いずれ見せる機会があると思うけど、まぁ窒息と似たようなものよ」
似たようなものとは、……それも即死系の魔法だろうか。
「さ、今日の所はこれで解散としましょう」
ネズミの巣の出口に来た所で、解散の号令が掛かった。
皆が「ふぅ」と長い溜め息を吐き、めいめい伸びをしたり、首をゴキゴキ鳴らして帰り支度を始めた。
ネズミの巣とはいえ、そこは地下迷宮の一部。それなりの気を張っていたのだろう。
「さ、報酬の分配よ」
報酬は基本的にパーティ等分とする決まりらしく今回は6等分。皮40枚は団長買取で銅貨16枚。牙は組合の買取で銅貨2枚となり、1人頭銅貨3枚となった。
……だが、俺に於いてはそれだけではなく、カレハ団長から頼まれた追加の皮を木の枝等で突っ張って伸ばす処理を頼まれて、更に追加で銅貨2枚を得た。
計、銅貨5枚。
新人の冒険者の収入としては上々だ。それだけあれば、ぶら下がり宿と呼ばれるタダ同然の宿に泊まらずに済むからだ。
ぶら下がり宿とは、部屋に縄が張ってあるだけの素泊まりの宿だ。その縄に持たれて朝まで気を失うのが基本的な利用方法なのだが、まぁ疲れは取れない。暖房として小枝が燻ってる程度の暖炉があるので、凍死はしないというのが利点である。
銅貨2枚あれば布が敷かれた高寝床のある箱部屋に泊まる事が出来る。
箱部屋とは、寝起きするだけの2畳程の空間のある部屋が借りられる宿だ。暖房器具は無いが、部屋が狭いので、持ち込んだ藁に埋もれる様にして寝れば充分に暖かい。
また、防犯面も優れており、閂を掛ければ泥棒に遭う可能性も低い。
今日は贅沢に銅貨で食える飯を食い、箱部屋に泊まる事としよう。
それには、先ず宿屋の情報を得ねばならない。
俺は場を辞してトラッキンの酒場へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
ヨギタケシントの街の東部地区。トラッキンの酒場。
半日振りの帰還。されど、第2の故郷として決めた本拠地に戻る事が出来たという事に安心を感じた。
ただ生きて帰りさえすれば、新人冒険者の上位5割。そして更に成果を持って帰ったとなれば、初回の振る舞いとしては満点以上のものがあるだろう。
先程の席は既に知らぬ人々が座っており、見れば店に空席はなかった。朝よりも盛況なのは冒険から帰ってきた連中が騒いでいるからだろう。
「おっ、襤褸羽織のチングじゃねえか。もう捨てられたのか?」
ゲヘゲヘと品のない笑い声が響く。
振り返ると、朝にも見た顔の酔っぱらいがこちらを指さしていた。
「初仕事終えて次に繋げて御座んす」
「おお? ああ、まぁ頑張んな」
俺が逃げて帰って来ていたか、毒空団に見限られて捨てられていた方が彼の酒は美味かったのだろう。
酔っぱらいは話が膨らまなかった事が残念と言った様子で席の話題に戻っていった。
「おっ、活躍出来たのか、……襤褸羽織のチング」
名付けの親ともとれる男の声に振り返ると、強烈な酒の臭いのする牙の杯を持った片腕の男が立っていた。
受付には別な男が座っているので、就業時間外なのかも知れない。
「へぇ、何とか生きて帰りやした」
「そりゃ上等だ。1日生き延びりゃ2日目があるからな」
「「うはははは!」」
先程の酔っぱらいも混ざっての大笑いだ。
「2日目だの3日目だのを乗り切れても、5年目を乗り切れても、1回のミスでコレさ」
片腕の男は袖の余った部分を振り回してペチペチと酒杯に叩き付ける。
「しかし、5年生き延びただけあって、経験だけはある。何かあったら相談しな、話だけなら安く聞いてやるぜ」
「「うはははは!!」」
よっぽど酔っぱらいと仲が良いのだろう。笑い始める時期がよく重なる。
「で、だ。早速だが宿が無ぇんだろ? 格安で泊まれる所を紹介してやるぜ」
心を見透かされた気がしてギクリとするも、考えてみたら何年も新人冒険者を見てきたのだから、ある程度の事は分かって当然かと合点がいった。
「ありがとう御座んす。それを聞きたくて此方に来やした」
「はっはっは、そうだろうそうだろう。教えてやるよ」
肩を組まれ、満員の机へとグイと引き込まれる。
「初日を生き延びた襤褸羽織のチングさんだぞ! 席を譲らねぇか! うはははは!」
「「おおー!」」
喧騒なのか歓声なのか分からないダミ声だが、故郷の村にはない生命の輝きを感じた。何となくこの集団に認められた気がして、嬉しくなった。