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ならず者の迷宮  作者: 林集一
第4章 4日目
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第13話 初体験


 昨日が最後の夜となる事を伝えねばならぬ事が苦しい。荷物を置いている訳でもなし、長期滞在すると言っている訳でもなし、本来ならば昨日の夜でサヨナラで何も問題はないのだが……人情と言うか、どうしても直接会って伝えたいのだ。


 痘痕顔の醜女にそんな事を思う日が来るとは思っても見なかった。


 重い気持ちで川橋亭のドアを開ける。


 受付で編み物をしている痘痕の醜女と目が合うと、パッと笑顔になるのが分かった。


「おかえりなさい! ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も……?」


 彼女の顔からは相当の期待を感じた。「それとも」と言いながら捲りあげる裾からはツンと湿った香りがした。俺が“買う”とも限らないが、それを千秋の思いで待っていたのだろう。


「いや、実は今日は……その、別れを言いに来た」


「…………え?」


 一瞬で真顔となった顔。


 真顔となれば正に醜女だった。


 や、やっぱり直接言わんでも良かったか……?


 いや、まぁ。しかし、そういう訳にもいかんか。


「ああ、その……団長の宿に呼ばれてな。そんなに長い間一緒に泊まる訳ではないのだが、他の宿に一時的(・・・)に行かねばならんのだ。だからその……挨拶だ」


 醜女の唇が何かを言おうとしては辞め、キュッと結ばれるのを見た。


 胸が苦しくなるほど、理由が分かった。


「だが、その……泊まらぬだけでその、……飯は食いに来るぞ。それから……それとも……まぁそんな所だ」


「と言う事は?」


 彼女の顔はまだ厳しそうな、警戒してそうな顔をしている。


 ……この顔を笑顔にしてあげたい。


「銀貨しかないから、釣りとして銅貨3〜4枚ほど返してくれると助かる。向こうの宿代を払わぬ訳にはいかないからな」


 机の上に置いた銀貨はコツという音を立てて俺の手を離れ、鈍色の輝きを放った。


「これ……良いの?」


「足りぬか?」


「嬉しい……こんな値段で売れたのは初めてよ」


「それは僥倖」


 言い終わると同時に唇を塞がれ、呼吸を奪われる。


 これは……!?


 息が出来ない……!


 窒息……窒息する……?!


 なんと魔術的な体験だろうか。


 オオネズミが呼吸を奪われた姿を思い浮かんでくる。


 この、脳がとろける体験は……何なんだ!


 ズゾ……ゾ……ゾゾッ!


 上半身から血液が抜けていく音が聞こえる。


 生命維持に支障が発生する様な血液の大移動。


 ワニを見ても、即死の魔術を見ても動じなかった脚が……この脚が……震えて立てないだと……!


 ガクガクと震える膝が身体を床に近付ける。


 こんな、こんな事があってたまるか!


 ギリギリと腰に力を入れ、ちょうど彼女と顔の高さが合う位置で踏み止まる。


 気持ち良さそうに蕩けている潤んだ瞳。


 ……心臓が……跳ねた!


「……今日はお店閉めとこうね」


 一瞬開いた扉。くるりと返した「空室」の表札は表から見れば「満室」となっているに違いない。


 俺は……今日……。


 俺は今日、どうなってしまうのだ!


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ◇ ◇ ◇ ◇



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