003話 ボーエル村
「回復魔法っていうのは一体・・・」
「・・・?」
こんな時に何の冗談を、と言いたくなってしまうような突拍子もない言葉だった。回復魔法・・・意味は何となく理解できる。ゲームなどではお馴染みの言葉なのではないだろうか。しかし、それはフィクションでしか存在し得ない能力であり、現実の人間が魔法など使えるはずがない。
「(状況的にもこの子の表情からしても、冗談を言っているとは思えない・・・)」
彼女の表情を見ると、きょとんとした顔をしていた。大量出血により意識が曖昧であるなか、冗談を言う余裕があるとも思えない。
「とにかく、今はあなたが住んでいるという村まで移動しよう」
「はい、ご迷惑をおかけします・・・」
移動を開始しようとするが、その前に奏ははっとした表情で彼女に話しかける。
「そうだ、出血で体内の水分量が減少していることが考えられる・・・水分補給をしようか」
そういうと、側を流れている清流に向かって歩き出し、水を手ですくって彼女に差し出した。
「飲めるかい?」
彼女はこくりと頷き、差し出された水を吸い込むようにして飲んだ。
「もっと飲ませてあげたいけど、大量出血直後にただの水を一気に飲ませるのは良いことなのか・・・?電解質バランスが崩れる可能性なんかもあるんだろうか・・・完全に知識不足だな
村に着くまでもこまめに水分摂取をしてもらうけど、ほんとにちょっとずつしか飲ませてあげれそうにはないな、ごめんだけど辛抱してね」
「・・・??」
奏が水分摂取による電解質バランスの崩壊を危惧して一人で話していると、彼女は再びきょとんした表情を浮かべてしまった。意識がまだはっきりとしない相手に対して急に難しい話をしてしまったか、と思い素早く説明を加える。
「えっと、中学の時にナトリウムとかの電解質について勉強をしたと思うんだけど、体内でそのバランスが崩れると危険な状況になってしまうんだ。だから、一気に水を飲むのもまずいのかなと思ってね」
「・・・中学?」
説明を加えたが、きょとんとした表情は消えず、新しく出てきた「中学」という単語の意味について聞き返してくるのであった。
「(まさか・・・中学って言葉の意味が分からない・・・!?そんなことが・・・?)」
奏はこのとき、頭の中で現実的にはあり得ないような考えが頭に浮かんだ。
目が覚めると急に家の中から外に移動していたこと、見慣れない風景、回復魔法で傷を塞ぎ、誰もが知っているような単語の意味を知らない少女・・・
ここはまさか、自分が知っている世界ではないのではないか、と・・・
しかし、今はここで時間を過剰に使っている場合ではないと思い直し、早速彼女を村まで運ぶ準備に取りかかった。
おんぶをして運ぼうかと考えたが、彼女は大量出血の直後で脳まで血が届きにくくなって意識が曖昧な状態である。少しでも身体を地面と並行にさせることで重力による抵抗を減少させ、頭部まで流れる血液量を回復させてあげたい・・・そう思った奏は、まず彼女をうつ伏せの状態にする。
「どうしてうつ伏せに・・・?」
「いや、最良の方法で運ぼうかと思って・・・いくよ」
「え・・・きゃっ」
奏はうつ伏せの状態にした彼女が膝立ちするように抱き上げた。突然のことに少し驚いた彼女は小さな悲鳴をあげる。
「えっと、これは・・・?」
「次は左腕をあげるよ」
若干困惑している彼女の左腕をあげると、左側の脇の下に自らの首を差し入れる。
「よし、担ぎあげるよ」
「は、はいっ・・・」
そのまま奏はゆっくりと上体を起こすと、彼女の身体は奏の両肩と首のラインによって支えられるような形となって担ぎ上げられた。
「すごい・・・こんな運び方があるんですね・・・」
「消防夫搬送とかって言うらしいよ。やってみたのは初めてだったから上手くできて良かったよ」
本来は火災現場などで意識不明の状態の人を運ぶ際に用いられる運び方である。彼女を運ぶため、ストレッチャーのような身体を横向きにしたまま移動させる道具が手近にないため、奏は自分の身体を駆使して寝せるような体制のまま運べる方法は何かないかと考えた結果、この消防夫搬送を思いついたのである。
「よし、行こうか」
「こ、この体制のままですか・・・なんだか恥ずかしいような気もしますが村までよろしくお願いします・・・」
こうして二人は目的地の村まで移動を開始した。
たびたび休憩をとったり、彼女からの情報収集を挟みつつ、歩を進めた。彼女は華奢な体格であったため、休憩をとりさえすれば担いでいてもそれほどの負担はなかった。
右肩に彼女の胸が当たっているような感触があるが、そこについてわざわざ言及するのも失礼かと思い、あえて言及することは避けた。
30分、1時間と歩を進めていくと、ようやく様々な建物が見えてくるのであった。恐らく彼女の住むという村であろう。
「見えてきました。あれが私の住む村です。」
運ぶ最中で少しずつ体力も回復し、初めて会ったときよりも少し顔色も良くなっているようだった。
「ようやくここまで着きましたか・・・あなたのお陰ですね、感謝してもしきれません・・・!」
「いやいや、当然のことをしただけだよ。体調も少し良くなってきたようで安心したよ」
意識が曖昧としていたために棒読みに近かった彼女の話し方が少しばかり感情が入るようになっていた。運びかたの工夫とこまめな水分摂取だけでここまで急激に回復するものなのか、という違和感を覚えつつも、今は生命の危機を脱したと思われるこの状況に安堵することにした。
「本当に、ここまで運んでいただきありがとうございました・・・!あ、そうだ」
「ん、どうかしたの?」
何かを思い出したような表情をすると、少し微笑みながら奏に対して、こう口にするのだった。
「ようこそ、ボーエル村へ・・・歓迎します!」
察しの悪い系主人公にしようかと思ったけど、テンポが悪くなりそうなので割と物分かりのいい感じな人にしたい、、←
・水・電解質代謝異常
ナトリウムやカリウム、クロールといった様々な電解質が神経伝達や筋肉の動き、細胞の維持などに必要不可欠とされている。そのため、生命活動の維持のためには水と電解質のバランスを一定に保ち続ける必要がある。
症状としては高・低ナトリウム/カリウム/カルシウム/マグネシウム血症と、原因別によって若干の違いがあるが、意識障害、血圧低下などがあげられる。
特に高カリウム血症では急性心不全が発生するリスクがあるため、注意が必要である。
大量出血時に大量の水を飲むことで電解質バランスが崩壊するかにはついては不明。通常は大量出血した場合、補液または輸血が必要となる。
今回のケースでは、既に傷口が塞がれ出血性ショックのリスクは回避しており、顔面蒼白・冷汗・過度な頻脈などはなく、曖昧ではあるが意識も保てていることから、輸血が必要なほどの出血ではないことが考えられる。(輸血が必要だったとしてもそれを行える状況ではないが)
そのため、通常であれば補液を開始することになるが、補液が出来ない今の状況では脱水予防のためにこまめな水分摂取を促したことは妥当な対応であったと考えられる。