002話 回復魔法
「ど、どこ・・・ここ・・・」
奏は見知らぬ川沿いに倒れていた。川にはそのまま飲み水に出来そうな澄んだ水が流れており、周りには生い茂った草花やそびえ立つ大きな木が何本か立っていた。心地よい自然の空気を感じられる場所である。
しかし、今の奏にはそのような場所を楽しめる余裕はない。なぜなら、ついさっきまで大自然とは無縁の自室でPCを使用していたのだ。それが目を覚ますとなぜか外で倒れていた・・・これで混乱しないはずがない。
「待て待て待て・・・状況を整理しなきゃ。確か、かなり激しい立ちくらみのような症状が出て、たぶんそのまま意識を失ってしまったんだよね」
「それで、目が覚めたらこの川沿いの草原に倒れていた、と・・・」
奏は数秒沈黙し・・・
「(いやいや何をどう整理しろと・・・!?)」
意識を失って目覚めたら草原で倒れていた。即落ち2コマのようななんの複雑性もない展開である。しかし、複雑ではないが理解は全く追いつかない展開である。
「夢にしては色々とリアルすぎるしなあ・・・」
陽光、草木の香り、川のせせらぎ・・・どれをとっても夢では体感し難い感覚だった
「あれ、こんなとこに地蔵が・・・」
奏が倒れていたすぐ近くには古びた地蔵のようなものが置かれていた。
「なんか書いてるな・・・再・・・の・・・ナ・・・イア・・・ロン・・・力・・・?うーん、読めないな」
風化によってか、文字が見えにくくなっているようだ。そもそも日本語なのかどうかも怪しい。奏は解読を諦めた。
「あ、スマホはポケットには・・・良かった、あるじゃん!」
多くの現代人はスマートフォンをポケットの中に入れたがるという半ば癖のような習慣があるが、それは奏にとっても例外ではなかった。
「位置情報はっと・・・あれ、ここ圏外だ」
積んでるなあ、という声が聞こえてくるようなため息を吐きつつ、下流側に向かって歩き始め、誰か人がいないか探すこととした。
10分、20分、30分と休むことなく歩を進めるが、人間を見つけることはおろか、人がいそうな家などの建物すら目にすることはなかった
「川沿いに沿って進めば誰か人が住んでそうな場所にでも着くと思ったのにな。日が落ちる前に家に帰れるかなあ・・・」
ここまで歩いても何も情報が掴めないことで、奏は言い知れぬ不安感に見舞われ始めた。そろそろ誰でもいいから会いたい・・・誰かに会って安心感を得たい・・・
そう思い始めたときだった
「はあ・・・はあ・・・早く傷を塞がないと・・・」
遠目では確認し難いが、高校生くらいの女の子がこちら側に背中を向け、地面に座り込んだまま腹部を抑えているように見えた。
「おーい、大丈夫かい?」
奏は心配な気持ち半分と遂に人を発見した喜び半分で女の子の元に駆け寄った。
「・・・?」
奏の声に反応し、女の子がこちら側を振り向く。
「(あら、かわいい子だな・・・)」
奏は素直にそう感じた。明るい茶髪・・・というよりもオレンジ系統の髪に大きな水色の目、高くはないが鼻筋はキリッとしており、全体的に丸っぽい輪郭からは幼さも感じ取れた。
日本人、しかも高校生としては派手といえる髪や目の色にも少し驚いたが、最も困惑したのは服装である。遠目から見たときはワンピースか何に見えたが、近づくにつれて、彼女の来ている服がドレスなどに近いものであることが判明した。
「(ロリータファッション・・・とも少し違うよなあ。言うなら・・・あれだ、ファンタジー世界のお話に出てくる村娘が着ているような・・・)」
彼女は中世ヨーロッパ等の民族衣装をモチーフとしたとされる、日本ではファンタジー衣装と呼ばれるような服を着ていた。しかし、彼女が着ている服は決して高貴さを感じるような豪華なものではなく、言い知れぬ安っぽさが漂っていた。
「あ、あなたは・・・?」
苦痛の表情を浮かべたまま、奏の素性を確認してくる。
「えっと、神崎奏っていうんだけど・・・体調は大丈夫かい?」
彼女の容姿と服装に目が寄ってしまったが、苦痛の表情と腹部を抑えている様子から、耐え難い腹痛か何かで動けない状況にあるものと察する。奏は腹痛の原因が何なのか調べるべく、彼女の前方に回り込んで目線を合わせようとする。すると、服装なんかよりもさらに驚くべき光景を目にした。
「そ、それが・・・」
「これは・・・血!?怪我をしてるの!?」
なんと、彼女が手で抑えている部分から下側の衣服は大量の血によって赤黒く変色していた。なぜこんな何もない場所で大怪我をしているのかを問いただしたかったが、それは一旦後回しにすることとした。
「近くに病院は!?」
「病院・・・??」
彼女の返答の仕方から病院が近くにはないことを察し、質問を変える
「この怪我を治療できそうな場所はどこかある!?」
「私の住む村まではここから徒歩1時間といったところですが・・・」
「(1時間!?それじゃあ出血多量でショック状態になるぞ!?このままだと命が危ないな・・・!!)」
ショック状態とは何らかの原因によって脳や心臓といった臓器に送られる血液量が減少し、生命活動に危機を及ぼす状態のことである。彼女の場合、原因は出血多量によるものとされるため、出血性ショックに陥ることが予想される。
「(どうすればいいんだ・・・!?傷を塞がないことには何ともできない・・・)」
思っていた以上に深刻な状態であることから焦りを隠しきれなかった。ともかく、これ以上の出血を避けるため、自らが着ている服を使用して傷口を圧迫止血しようと決めた。そんななか、彼女がゆっくりと言葉を続ける。
「一時間以上かかりますが、幸いにも傷口を塞ぐこと自体は私一人の力で何とか出来たのです・・・」
「そ、そうか!止血は出来ているのか!それなら・・・って、」
心の中で「どゆこと?」と、呟く。彼女の話から察するに、大量に出血はしたが傷口を塞がれたため、ここから必要なことは輸血などによって血液循環を正常な状態に戻すことであると考えられた。しかし、傷口を塞ぐことができた、という意味がよくわからなかった。
「え、傷口塞がってるの?」
「はい、なんとか・・・」
「????」
看護学校での講義の最中、目の前で死にかけている人がいたら頭が真っ白になって何もできないのではないか、という不安に駆られたことは何度もあった。しかし、同じく頭が真っ白になるという状況でも、その原因は何というかとんちんかんなものだったなあという考えが頭に浮かぶ。
「よ、よく分からんけどちょっと傷口見せてね・・・」
外で歳頃の少女の衣服を脱がせるのには抵抗を感じたが、今は状況把握のため心の中で「申し訳ない」と思いながらも衣服に手をかける。
かちゃかちゃ・・・かちゃ・・・かちゃちゃ
かちゃかちゃかちゃちゃ・・・
かちゃちゃかちゃかちゃかちゃちゃかちゃかちゃかちゃちゃかちゃちゃかちゃかちゃかちゃちゃかちゃかちゃかちゃちゃかちゃちゃかちゃかちゃ
「(いやこれどうやって脱がすんだ!?)」
着たことはもちろん、見たこともない服で脱がせ方がよく分からず、どうでもいいところで苦戦してしまう。
「あ、あの・・・服は切っても大丈夫です。どうせ血で汚れてしまったので・・・」
彼女はそう言いながら道具袋からナイフを取り出す。なんでナイフを持っているのかと聞いてみたかったが、それは後回しにした。
「ごめんね、切るよ・・・」
奏は彼女が手で押さえていた衣服を横長の楕円形状に切っていく。心の中でメスでも握っているみたいだな、と思いながらも余計な考えは一旦置いておくこととした。
「傷口は・・・」
肌を露出させ、傷口を確認する。彼女の白い肌は血によって大きく汚れているが、その血が吹き出していたとされる傷口は確認出来なかった。どうやら何かしらの方法で傷は塞いだようである。
緊急事態は脱していることを確認し、ふう・・・という安堵の吐息とともに奏の頭にはやはり1つの疑問が浮かんだ。
彼女はどうやってこれほどの傷を塞いだのだろうか、と・・・その答えはこちらから質問するよりも先に彼女の方から聞くことが出来た。
「私、回復魔法が得意分野なので・・・」
突拍子もないその答えはさらに奏の頭を混乱させるのであった。
「・・・どゆこと?」
(今回出てきた出血性ショックはこの先何度も使いそうだなあ)
・ショック
何らかの原因によって脳や心臓といった臓器に送られる血液量が減少し、生命活動に危機を及ぼす状態のことである。
ショックの兆候として、顔面蒼白、徐脈、冷汗、肉体的・精神的虚脱、頻呼吸があげられ、これらはショックの5Pといわれている。
循環血液量減少性ショック、心原性ショック、血液分布異常性ショック、心外閉塞・拘束性シャックの4つに大別され、今回奏が予想した出血性ショックは循環血液量減少性ショックのうちの1つである。最も有名かつ発生リスクが高いと思われるアナフィラキシーショックは血液分布異常性ショックに分類される。
同じショック状態でも原因によって対応方法は異なるため、瞬時に何が原因で発生しているのかを突き止める必要がある。