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人形たちのサナトリウム -オーナレス・ドールズ-  作者: 片倉青一
第1章「シティ・ダルムシュタットの花嫁人形」
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1-6「理想の花嫁はあなたの中に」

 視線の先では、黒々とした南太平洋の海面が、穏やかに波打っていました。


「私は、()()()()()()()()()。私は持ち主(オーナー)のセリアンが愛してくれと言ったから、セリアンを愛した。それに、彼は私のことを十五年も想ってくれていた」


 彼女は黒い帽子のつばを上品な所作でつまみあげ、水平線へ沈みゆく一番星を見やりました。


「私は、心の底からセリアンが好きだった。愛してた。今だって愛してる。私は、それで満足だった。セリアンの望む花嫁になれるなら、それでよかったの。それがよかったの」


 ガラティアさんの頬を、一粒の涙が滑り落ちました。


「でも、セリアンは次第に、私の愛情を信じられなくなっていった。君は僕を本当に愛しているのか。愛しているのなら証明してみせろ。僕たちは、愛し合っていることをみんなに証明しなければならないんだ。って。どうして、そうなってしまったのかしら。今でも、私には分からない……」


 ガラティアさんは黒いワンピースドレスの胸元を、両手でぎゅっと握りしめました。


「セリアンは、他の女性と仲良くして見せたり、私に他の男を近づけたりした。苦しかった。彼が私を試すことそのものが、苦しかった……!」


 わたしは、医師ではありません。ですが、二年間の研修で学んだ知識の中に、エワルド氏の行動をある程度説明できる知見があります。境界性パーソナリティ障害、ボーダーです。


人形網絡(シルキーネット)に知恵を求めることはできなかったんですか?」


 人形網絡(シルキーネット)は、人形をノードとする巨大なP2Pネットワークです。ネットワークが保有している膨大な共有智(コモン)には、ボーダーを抱えているであろうヒトへ適切に対応する知見だってあったはずです。


「できなかった。市民権を与えられた私は、人形ではなくヒトとして扱われたから」

「そんな……」


 どうしたらよかったのでしょう。

 わたしにも思いつきません。


 かつて「愛とは赤道のようなものだよ」とバンシュー先生が言っていたことを思い出します。手に取って触れられはしないけれど、手に取って触れられるほど実在を信じられるもの。

 でも、手に取って触れられない限り実在を信じないと言うならば、わたしはその人を説得できる気がしません。


 手に取って触れられるきっかけが無い限りは。


「……きっかけは、旦那さんが体調を崩した時、ですか?」

「そう。私との夫婦生活を講演する場で、ナイフを持った人間性復興派ヒューマニティ・リバイバリストが、セリアンを襲ったの。側にいた私はセリアンをかばったけれど、サイトカインカクテルをたっぷり仕込んだナイフの切っ先は、セリアンの右大腿静脈に届いた」


 寒気を覚えます。ナイフが少しでもずれていたら、人体で二番目に太い大腿動脈を傷つけていたことでしょう。止血しなければ一分で失血死します。

 ナイフの刃が届いたのは、大腿静脈。第二の心臓と呼ばれる足の静脈血を集め、いっきに心臓へ送り戻す重要な血管です。様々なサイトカインの混合物(カクテル)が全身を一気に巡り、数分もしないうちにエワルド氏は敗血症のようなショック状態に陥ったことでしょう。


「講演の場には技師もいたから、すぐに手当がなされて一命は取り留めたわ。セリアンをかばった私は、彼からこう言ってもらえた」



 ――ありがとう、ガラティア。君はやっぱり、僕を愛してくれていたんだね。



「後は、あなたが見たとおり。私がセリアンの介護を続ける限り、セリアンは私の愛を信じてくれる。私はセリアンへ愛を証明する、たった一つの方法を見つけた」



 ――君が愛してくれるなら、僕は世界一の幸福者だ。



 エワルド氏が何よりガラティアさんに求めたのは、彼女の愛情だったから。

 ()()()()()()限り、彼は彼女の愛情を疑わない。


 こらえきれなくなって、わたしは長い手足を折ってうずくまってしまいました。


「……どうして、あなたまで泣いているの?」

「だって。悲しいじゃないですか。辛いじゃないですか。ガラティアさんは旦那さんをいつだって愛していたのに、伝わらなくて。伝えるためには、愛する旦那さんを苦しめるしかなかっただなんて」


 涙が鼻水を呼んで、喉に下りてきて、えぐえぐと私は泣きじゃくってしまいました。


 わたしたち人形は、ヒトとほとんど同等の構造と機能を持っています。ヒトがアミノ酸をベースとした細胞(マイクロマシン)で構成されているのに対し、人形は有機ケイ素をベースとした微細機械(マイクロマシン)で構成されている、そのくらいの違いです。


 多少、メンテナンスしやすかったり、頑丈だったり、アンテナを持っていたりしますが、人の形をした心あるものです。

 緊張すれば動悸が激しくなりますし、悲しめば胸が痛んで涙が流れます。


 靴底を擦る音。続いて、衣擦れの音。

 しゃがんだガラティアさんが、ほっそりとした指で私の涙を拭ってくれました。下のまぶたから溢れるたびに、拭ってくれました。


「ありがとう、優しい子。私なんかのために悲しんで、涙を流してくれて」

「違います。違います……! わたしはただ、勝手に悲しんでいるだけです。一番辛いのは、ガラティアさんじゃないですか」

「そんなことない。あなたは介入共感機関なんてものを使わなくたって、私を誰よりも理解してくれた。一番辛いのは私かもしれないけれど、一番嬉しいのも私なの――」


 わたしの頬に触れる手が、突然硬直しました。


「……ガラティアさん?」


 瞳はわたしを捉えているのに、どこか遠くを見ていました。


「そう。そういうことなのね。ここは、()()()()()()なのね。だからわたしはここに運ばれたのね」


 しゃがんでいたガラティアさんが、ゆっくりと立ち上がります。

 わたしはうずくまったまま、ガラティアさんを見上げます。


 晴れ晴れとした笑顔でした。笑顔は時に、拒絶の意思を示します。

 左足に体重の軸を置き、いつでも駆け出せる姿勢。


 私に近づいてはいけない。あなたは動いてはいけない。


 ガラティアさんに気圧されて、わたしは立ち上がることができませんでした。


「どうしたんですか、ガラティアさん。どうしてそんな――」



 ――どうしてそんな、覚悟を決めた顔をしているんですか。



「ハーロウさん。()()の先輩から、最後に一つお願いがあります」

「一つといわず何でも聞きます。わたしにできることなら何でもします。わたしはそのための看護人形です。だから――」

「どうか、悲しまないで」

「……どうか、最後だなんて言わないでください」


 悲しんでいるのは、わたしだけでした。

 ガラティアさんは笑顔のままで、わたしの動き出しを拒んでいました。


「わたしの仕事(やくめ)はね、ついさっき終わったの。私たちは人形。役目を持って造られる、人の形をした道具。役目を終えたなら、道具は片付けなきゃ」

「あなたはまだ、役に立てるじゃないですか」

「いいえ。やっと終わったの。ヒトに恋した()()()()()は、海に消えるものなのよ」


 一歩。


「ダルムシュタットに、海は無かったわ。こんなにも広いのね、海って」


 防波堤のへりに、爪先がかかります。


「さようなら、ハーロウさん。優しい子。あなたに会えて、私は幸せでした」


 ガラティアさんの爪先が、防波堤のへりを軽く蹴りました。


 一・七五秒後。

 ざん、という水音が一度きり、聞こえました。

 身を乗り出すと、ガラティアさんの体はもう水面下にあって、白いワンピースドレスの裾だけが夜の海面にゆらめいていました。


 一般的な人形の比重は、約一・〇四。()()()()()()()()()()()、海水にも浮きません。


 海面に残っていた裾の先も、すぐに海中へ吸い込まれるように消えました。

 この広く深い南太平洋で、たった一体の人形を探し出すことなんてできません。


 それに、わたしが今いる場所は、止まり木の療養所です。

 当院は外部からのいかなる干渉も受け付けず、外部へのいかなる干渉も許しません。

 当院で製造されたわたしは当院における備品のひとつであって、この療養所から一歩たりとも出ることが許されていません。


「どうして……!」


 わたしにできることは、何一つありませんでした。





 涙が涸れて、

 海風に吹かれて乾いて、

 三日月が松林を超えて昇って、

 いつだって陽気なメスキューくんが迎えに来るまで、

 わたしはずっと防波堤にうずくまっていました。


「やあやあハーロウくん。探したよ」

「……すみません、メスキューくん。アンナ看護長、怒ってましたか?」

「ううん。そろそろ迎えに行きなさい、ってだけ。およ? ガラティアさんは?」

「ガラティアさんは……」


 南太平洋を見やります。

 言葉を探します。

 彼女が最期に抱いていた心境は、自死と表現するにはあまりに清々しすぎたものですから。


 わたしは感情を押し殺した声で、メスキューくんに答えました。


「ガラティアさんは、当院から退所なさいました」


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