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人形たちのサナトリウム -オーナレス・ドールズ-  作者: 片倉青一
第4章「シティ・アデレードの学友人形」
33/92

4-9「たったひとつのわがまま」

***


 僕、君に謝らなくっちゃ。

 ごめんね。ちょっぴり、嘘をついちゃった。

 僕、みえっぱりなところもある。

 でも友達には、本当のことを話さなきゃね。


 本当は僕、もうちょびっとは頑張れたんだ。あと、四年くらい。

 でも、さ。それって、中途半端なんだ。

 僕はきっと、嫌な奴になっちゃう。

 友達に、嫌な思いをさせちゃう。

 自分を無くすと、友達の心も分からなくなるから。

 それだけは、嫌なんだ。耐えられないんだ。だって僕、学友人形だもの。

 だから僕、早めに僕を無くそうと決めたんだ。


 君。僕の、最後の友達。君には、きっと辛い思い出になる。

 君は僕を直そうとして、工房に連れて行くかもしれない。

 でも、お断りなんだ。僕は直りたくない。

 ごめんよ。


 さよなら。僕の、最後の友達。

 読んでくれて、ありがとう。

 僕、良い子でいられたかしら。


***



 便せんに綴られた言葉は、それでおしまいでした。


 裏に何か端書きがあるのではないか。

 封筒のどこかに()()が記されてはいないか。

 わたしは浅ましくもそんな願望を抱いて、便せんと封筒を隅々まで検分しました。

 見つけたのは、シールにスタンプされた、今からおよそ三ヶ月前の消印だけでした。

 他には何もありませんでした。何も。


 介入共感機関は、わたしに嘘を見せません。

 人形は、介入共感機関を欺けません。


 この便せんに記されたことが全て。

 わたしが肌で感じている、トニーくんの心象風景が全て。


「そんな……そんなことって……」


 わたしは、薄い便せんを胸元でくしゃりと握り潰してしまいました。

 膝に力が入らず、土の道にへたり込んでしまいました。


 トニーくんは、自ら自我を手放さないと、耐えられなかった。

 自分を手放した結果の一部として、社会性の喪失が顕著に現れていた。

 わたしは、『治療』という行為を通してトニーくんの在り方を否定しようとしていたことになります。彼が不幸なのだと決めつけて。

 そんなことをしなくても、トニーくんは入所から現在に至るまでずっと幸せだったのに。



 ――わたしは常に人形の味方である。

 ――それが毒あるもの、害あるものであろうと、わたしはその全てを肯定する。



 いったいどの口が、そんなご大層な誓いを立てたのか。

 トニーくんのことを、何一つ理解していなかったくせに。


 わたしは、人形権利派ポスト・ヒューマンライツや、人間性復興派ヒューマニティ・リバイバリスト、主義主張な方々と同類です。

 わたしはわたしの主義主張で、トニーくんにとっての幸福を決めつけていました。


 思い返せば、兆候(サイン)はいくらでもありました。

 よく転んでいたのは、体の現実感を失っていたから。体性感覚のフィードバックもフィードフォワードもうまくいかないから、よく転んでいた。

 羞恥心を欠いていたのは、見られる自分を意識できなかったから。見られるものを持たないなら、見られて恥ずかしいことなどない。

 何かにつけて判断をわたしに委ねがちだったのは、自分という主体が薄れていたから。自分のやりたいことが分からないから、わたしに判断を委ねていた。

 誤信念課題を通過できなかったのは、他者の信念を投影するために必要な自分(スクリーン)がぼろぼろに破れつつあったから。他者と自己の区別は表裏一体であるがゆえに、自己が曖昧であればあるほど他者の信念も曖昧になる。


 顕著に現れていた不調だけを見て、わたしたちは『社会性の喪失』と判断してしまった。

 レーシュン先生は『暫定的に』と慎重だったのに、わたしは『社会性の喪失』にしか意識が向かなかった。

 だって、それなら、訓練すれば修復できるかもしれないから。

 直る見込みがあると思ったから。希望があったから。

 今こうして共感しているのも、直せるかもしれないと希望を持ったから。


 過去を追従する思考がそこへ至った瞬間、火花がわたしの前頭前野で弾けました。



 ――希望。誰の希望? わたしの希望。トニーくんの希望ではなく。



 レーシュン先生がわたしへ諭したことが、今になってようやく分かりました。



『アンソニーが社会性を取り戻すことが治療だと言ったな。それがアンソニーにとっての幸福だと考えてのことか』

()()()()ことでしか心が耐えられなかった。その可能性は常につきまとう』

『話したところでお前さんは認めることができない』



 認められるはずがありません。受け入れられるはずがありません。

 だって。だって……!

 わたしは、看護人形です!

 患者さんの不調に寄り添って、苦悩へ共感して、人形としての新しい生き方を、患者さんと一緒に探すのがわたしの使命です!

 それなのに、不調を抱えることそのものが、患者さんにとっての最適解だなんて!

 自分を苦しめることでしか、より大きな苦しみから逃れることができないだなんて!

 そんな理不尽な二者択一しか残されていなかったなんて。


 何体ものトニーくんたちは、相変わらず陽気に遊んでいます。彼らこそがトニーくんにとっての現実。和やかで、穏やかで、温かな、揺り籠のような事実上の現実ヴァーチャル・リアリティ

 涙は、流れませんでした。理解したくない現実を目の当たりにしたとき、それがどれほど悲しく絶望的であっても、涙は流れないものなのかもしれません。


「おや、おきゃくさまだ。こんにちは。あえてうれしいよ」


 再び、郵便人形の格好をしたトニーくんが現れていました。先ほどと全く同じ動きでメールバッグから封書を取り出し、へたりこんだわたしへ差し出しました。


「おきゃくさま。これを」

「いえ……先ほど、受け取りました」

「さようですか」


 封書はメールバッグへ戻りました。へたりこんだわたしの隣へ立ち、慰めるかのように肩をぽんぽんと叩いてくれました。


「およみになりましたか」

「はい……」

「ありがとうございます。ぼくをつくったかいがあったというものです」


 このトニーくんは、心を持たない『弱い人工知能(チャットボット)』です。あらかじめ用意されたルールに従って、あらかじめ用意された言葉を返すだけの録音装置です。

 それでも、会話が成立しないと知りながらも、わたしは言わずにはいられませんでした。


「……本当に、あなたはこれでよかったんですか」

「こまりました。どうこたえたものやら……」


 彼は、想定していない会話に対して当意即妙には応じられません。


「ぼくはぼくの、たったひとつのわがままです。てがみをよんでいただければ、ぼくはまんぞくなのです。おこたえになっていれば、いいのだけれど」

「お願いです。違うと、言ってください……! あなたはもっと、わがままを言っていいんです。直りたくないだなんて、そんな悲しいこと、言わないでください……」

「こまりました。どうこたえたものやら……ぼくはぼくの、たったひとつのわがままです。てがみをよんでいただければ、ぼくはまんぞくなのです。おこたえになっていれば、いいのだけれど」


 例外に対して用意された汎用的な応答の一つが、これ。

 耐えきれずに視線を背ければ、トニーくんの『好き』に満ちた世界が視界を埋め尽くします。幸せなのに、幸福に満ちているのに、どうしても納得できない世界が、わたしを圧倒します。


 どれほどの間、呆けていたでしょうか。

 精神世界の時間経過は不安定です。速かったり、遅かったり。

 いずれにせよ、確実に着実に時間は進みます。


 やがて。


「おきゃくさま。そろそろ、おかえりください」


 へたりこんだままのわたしより頭半分高い位置にあるトニーくんの視線、その先を追ったところ。

 緑の絨毯が、遠い地平線から急速に薄れ始めていました。みるみるうちにトニーくんたちの姿が薄れ、白い空間に同化していきます。

 漂白です。


「どう、して……」


 わたしは何もしていません。何もできていません。


「ぼくも、やっとおやくごめんです」


 たった一言。

 わたしが何を試みようとも、彼は決して喜ばないのだと、分からされました。なにせ、トニーくんは直りたくないのですから。彼は、ようやく解き放たれるのですから。


 傍らに立つトニーくんは背をかがめ、可憐に咲き誇る白い花をひとつ摘みました。

 フットボールで遊んだとき、彼が身を挺して守った花。


「これを、どうぞ」


 小さな手がわたしの右手を取り、摘んだ花をそっと置きました。

 漂白が迫ります。もう、彼のすぐ背後にまで。


「さよなら。ぼくの、さいごのともだち」


 言葉だけが残りました。

 わたしは、真っ白な世界に取り残されてしまいました。

 託された花まで漂白されないよう、わたしはぎゅっと右手を握り、左手で覆い、全身を縮めて、わたしは介入共感機関を再拘束しました。


 この花を持ち帰ることなど、できないと分かっていながら。



***


 おとなってこんなもんだ。うらんじゃいけない。おとなのひとに、子どもはひろい心をもたなくちゃ。



 Antoine de Saint-Exupery (1943). Le Petit Prince. Reynal & Hitchcock.

 (アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ. 大久保ゆう (訳) (2008). あのときの王子くん. 青空文庫)


***


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