異世界人、山森真人
真人様を待つ時間、私は真人様が初めて授業を行った日のことを思い出していた。
あれは3ヶ月程前。
「よお王子様! 俺は山森真人ってんだ! よろしくな!」
ノックも無しに威勢よく扉を開けて部屋に入ってきた真人様は、何の作法も無くフィリップ王子に声をかけてきた。
その言動にフィリップ王子は動じることなく、自席に座ったまま書類へのサインを続けていた。
「話は聞いてるよ。君、異世界人なんだってね。異世界の知識が何かの役に立つのか?」
フィリップ王子の表情は変わらず無表情のままだ。
初対面の相手に愛想のひとつも無いのはいつもの事だ。
「そうそう、それなんだよなぁ。特別講師ったって何を教えりゃいいんだか。どっちかってぇと俺の方が教わる側だからなぁ」
曖昧な態度をとる真人様にフィリップ王子はため息をつくとふいっと顔をそらした。
「何も教える事がないなら必要ない。父上には言っておくから、帰っていいよ」
フィリップ王子は机の上に積み重なった書類の束から一枚取ると、再び目を通し始めた。
しかし真人様はその場に残り、フィリップ王子をしばらくジッと見つめていた。
「……何だ?」
「お前、友達いないだろ」
「はあ?」
フィリップ王子は真人様の言葉に眉毛をピクリと動かし、その顔をギロリと睨みつけた。
確かに、フィリップ王子には友人と呼べる相手がいない。幼い頃から命を狙われている王子は、王城からほとんど出る事がなく、外部から人を招いても王子に合わせる事はほとんどなかった。
なので、外部との交流はせいぜい国王主催の夜会に参加する程度である。
「友人など必要ない。僕の命は常に狙われているんだ。気を許した所で寝首をかかれる可能性のある人物などと親しくなる気はない」
かつての護衛や従者の裏切り。それはフィリップ王子の心に深い傷を残している。
「ははーん。つまり今まで誰とも親しくしてこなかったから、極度のコミュ障って訳だな」
「……? コミュショ? なんだそれは?」
「つまり、お前みたいな奴のことだよ。あの王様が何で俺にお前の相手を頼んできたか分かった気がするぜ」
確かに、国王の行動はいつも先を見据えての事だ。
無意味に異世界人を王太子の特別講師になどさせるはずがない。
何か他に理由があるのかもしれない。
「仕方ないから俺がお前の最初のダチになってやるよ」
真人様の上からの物言いに、さすがのフィリップ王子の瞳も怒りの色を滲ませている。
「なんだと?お前、いくら父上のお墨付きだかって、あまりふざけた態度を取らない方がいい。不敬罪で罰する事も出来るんだぞ」
フィリップ王子は壁に並んで掛けられていた剣の1つを手に取り、鞘を抜いてその矛先を真人様の首元に突きつけた。
「はっはーん。俺とやり合おうってのか?」
「僕はそれでも構わない」
「後悔するぜ? 俺はこの異世界に来た時、とある特殊スキルを手に入れたんだ」
……な……!?
この男、特殊な能力を持った異世界人!?
ずっとその様子を傍観していた私もさすがに動揺したが、それはフィリップ王子も同じらしい。
「なんだと? お前、特殊な能力を隠していたのか? この世界では特殊な能力を持つ異世界人は速やかに処刑する決まりになっている」
「は!? まじで!?」
真人様はフィリップ王子の言葉に衝撃を受け、その表情に焦りの色が見られる。
次第にフィリップ王子の剣を握る手に力が籠り始めた。
その目から殺意が滲み出し、それは目の前の真人様に向けられている。
……どうする……?
私も魔法という特殊な能力を持つ異世界人としてかつては殺されるはずだった。
しかし、国王とソフィア王妃によりその命を救われた訳だが。
このままこの異世界人がフィリップ王子に殺されるのを見過ごしても良いのだろうか?
私は意を決してフィリップ王子に話しかけた。
「フィリップ王子。まずは国王と王妃に、この事実をお伝えするべきです」
しかしフィリップ王子は私の方を見向きもしない。
「必要ない。どちらにしろ処刑に変わりはない。ここで殺すのも処刑台で殺すのも一緒な事だ。変な力を使われる前に一瞬で殺す」
「ちょ、ちょっと待て!」
必死に叫ぶ真人様を無視して、フィリップ王子は地を蹴った。
「駄目です! フィリップ王子!」
キイイィン!
私は瞬時に二人の間に入り、スカートの下の太ももに隠し持っていた小太刀でフィリップ王子の剣を止めた。
その剣の重みに、少しの迷いもなく本気で首を獲りに来ていた事が分かった。
その時だった。
「お前は根っからの巨乳好きだあああぁぁ‼」
私の背後から聞こえてきた真人様の叫び声に、シン……と沈黙の時が流れる。
……今、なんて?
フィリップ王子も私と剣を交えたまま、呆気に取られた表情で固まっている。
「な……だと……?」
「お前、女性の胸に興味津々なんだろ?」
「はっ! 何を言ってるんだ」
フィリップ王子は馬鹿にするように鼻で笑うと、ゆっくりと剣をおろし、床に落ちている鞘の方へと歩き出し、それを拾うと剣を収めた。
そして自席へと戻り、何事も無かったかの様に先程の書類に目を通し始めた。
……あれ? 真人様を殺す気は失せたという事だろうか?
「隠しても無駄だ。俺は特殊スキルで、相手の性的嗜好を読み取ることができるんだ」
…………んん?
え? 何そのふざけた特殊スキル。
それって何の役に立つの?
「俺はこの能力を手に入れた時、てっきりエロゲの世界に来たと思って舞い上がってたんだ。だが、どうやら違うみたいだ……」
ボソボソと話す真人様は切なそうな表情をしているが、ちょっと何を言っているか分からない。
なんだかとてつもなくどうでもいい事の様な気はする。
「なんだそのふざけた力は……しかし、それは不完全な様だな。僕は女に興味などない」
「嘘だな‼」
フィリップ王子の言葉に真人様は目を見開き、声を上げた。
「俺は知ってるんだぜ?先日の参加した夜会。お前、挨拶してくる令嬢の胸をまず見てから挨拶してたよな?」
「は? なにをでたらめな事を言ってるんだ」
え、何それ気持ち悪い。
フィリップ王子がそんな事をするはずがないだろう。
「で、胸がデカい子のを見る時は結構長い時間ガン見してたよな?」
「ふん。そんな奴いたとしたら、とんだ変態野郎だな」
本当にね。そんな奴いたらぶん殴るわ。
「ちなみに、お前が1番関心を示していた、あの紫色のドレスを着た巨乳の令嬢だけどな、あの胸パットで結構底上げしてたぜ」
「はっ……何を言って……なんだとぉ!?」
フィリップ王子はガタッと机を揺らしながら立ち上がり、積み上げられた書類がバサバサと床に崩れ落ちた。しかしそんなの気にしない様子で驚愕の表情のままワナワナと震えている。
……んんん? フィリップ王子……?
真人様はその様子を見てニンマリと笑い、自信満々に口を開く。
「ああ、間違いない。俺の目に狂いは無い。あれは間違いなく、作られた巨乳だ!」
その言葉に、フィリップ王子は更に怒りを滲ませ、机に拳を振り下ろして叩きつけた。
「なんてことだ‼ あの女……! 詐欺罪で罪状を突き出してやる!」
「あの……フィリップ王子……?」
この状況に付いていけず、とりあえずフィリップ王子に声を掛けてみたが、私の声は全く届いていない。
「いや、フィリップ。見抜けなかったお前の方が悪いんだぞ?」
「なんだと!? あんな本物そっくりな胸、見抜けるはずがないだろ!!」
「あのぉ……?」
必死に絞り出たした私の声は、やはり二人には届いていない。
「ふっふっふ。どうやら記念すべき第1回目の授業のテーマが決まったようだな。今日は、女性の胸が本物かどうかを見抜く方法をお前に伝授しよう‼」
は?
何を考えてるのよこの男は!?
「な!? そんなことが可能なのか!?」
おい乗っかるなよクソエロ王子が!
「はっはっは! 俺がバッチリ教えてやるよ!」
「ああ!よろしく頼む!」
ガシッと手を掴み合い、友情の証を交わす2人を私は表情を失ったまま眺めていた。
そうして始まった真人様の授業は卑猥な言葉が飛び交い、聞くに耐えないものであった。
しかし、その授業を終えた頃、フィリップ王子は真人様にすっかり心酔していた。
そして真人様の授業を楽しみにするようになり、色んな表情を見せてくれる様になった。
氷のように凍っていたフィリップ王子の心を瞬時にして溶かしてしまったこの男に、私は嫉妬のような複雑な感情を持った事もあった。
しかし、この男の奇想天外な発想にはいつも驚かされ、そんな所に少しだけ惹かれている事も確かであ。。
あの男な……もしかしたらこのピンチも何とかしてくれるのではないか?そんな淡い期待を持ってしまう。
……ってちょっと待てよ。
いや、このピンチ、どう考えても真人様のせいである。
ならば彼に全部責任を押し付けるべきだろう。
真人様……どうか……空気を読んでください。いや、やっぱり嫌な予感しかしないわ。
そしてその時はやってきた。
「真人様を連れてまいりました」
城の護衛に連れられてやって来た真人様は、なぜこんな所に自分が呼ばれたのか分からない様子だ。
「彼が異世界人なのか?普通の男だな」
ナイル国のヴィート王子は異世界人を見るのは初めての様で、興味津々の様子だ。
異世界人は非常に貴重な存在である。ナイル国の様な小国には異世界人はいないのかもしれない。
真人様はフィリップ王子を見つけると、ニッと笑いかけて手を振ったが、王子は助けを求める様に真人様をジッとみつめるだけだ。真人様はその様子を見て何かを察した様に、キリッと真面目な表情になると、意気揚々と口を開いた。
「よく分かんねえけど、どうやら俺のダチがいじめられてるみたいじゃねえか」
いや待って。全部あなたのせいだから。
あなたが王子に渡したエロ本のせいでこんな事になってるんだよ!
なのに何カッコつけてるんだこの男は!
「真人様、国王の許可があるまで発言はお慎みください」
一緒にやってきた護衛にそう注意され、真人様はムッとハムスターの様に口膨らませて噤んでいる。
その顔は「俺は怒ってるんだぞプンプン」と言いたそうだが、この男に緊張感というものはあるのだろうか。
そんなことよりも真人様。どうか……その本は真人様がこっそり自分の持ち込んだ物を隠していたと。
フィリップ王子のものでは無いと証言を……。
私は必死に真人様を見つめながら目で訴える。
真人様と目線が合い、しばらく見つめ合う形になると、不意に真人様の頬が緩み、その顔が赤くなった。
え? ちょっと、何照れてるの? なんの勘違いしてるの!?
「真人よ。この本に隠された物に心当たりはあるか?」
アレイシス国王の言葉に真人様は正気を取り戻し、その本に目を移す。
しばらくジィィッと見つめた後、何かに気付いたようにハッと顔を上げ、フィリップ王子の方を見た。
フィリップ王子はこくりと頷くと、何かを訴えかけるように真人様を見つめた。
真人様はそれに応えるかのように頷くと、アレイシス国王を見据えた。
「どうやら、俺とフィリップだけの秘密がバレちまったようだな!」
その発言で、私の中に芽生えた僅かな希望は見事に砕け散ってしまった。
これはもうフィリップ王子も共犯ですと発言した様な物だ。
いや、もう期待なんてこれっぽっちもしてなかったけども‼