鬼婆の剣 村の噂
怒髪天をつく怒りとは、まさに今の千代の怒りだった。
唇がわなわなと震えた。
「この子は、この子は、ひとの気も知らないで・・・」
千代は、村の子らの輪の中に強引に踏み入った。じたばたする二郎のえり首をつかんで、尻をたたく。渾身の力を込めて、何度もげんこつでたたいた。
「――痛いよ、姉上!、痛い!痛い!」
女とはいえ、道場の師範として鍛えられた腕力で叩かれるのだ。生半可な痛さではなかった。
「――やめろ!鬼婆!」
源太が、どこから拾ってきたのか、細い木の枝で、二郎をつかんでいた千代の手首をたたいた。
「痛っ!」
千代は、思わず二郎を放した。うわあっといいながら、二郎が逃げる。千代は鬼の形相で源太にせまり、振り回す木の枝をつかんで折った。
うわあっと声を上げて、源太と、そのまわりの子らも逃げる。
「こらっ、待ちなさい!」
果てしなく頭に血が上った千代は、右に左に逃げる二郎や、源太たちを追いかけた。ひとりをつかまえては、頭をはたき、次のひとりをつかまえては、背中をたたく。
おもしろがった村の子らは、鬼婆じゃあ、鬼婆がきたあ、といって逃げ回る。
千代は、まわりに村の大人がいるのもかまわず、無心で追いかけまわした。こんなに、腹がたったことは、今までなかった。無心に、必死に子らを追いかけた。子らの悲鳴と笑い声が、天まで届いていた。
「申し訳ないが、飯田の家から、婚姻の約束は無かった事にしてくれ、といってきた」
母方の伯父は、金子をいれた紫の包みを、千代の祖父の前に、ゆっくりと差し出した。
「・・・理由はなんじゃ」
祖父は、包みを見つめながら、ぼそっという。
「いわねば、駄目かの?」
伯父は、困った顔で尋ねかえした。
「理由もなく、無かったことにしてくれといわれても納得がいかん」
祖父は、腕を組み、憮然としている。
「まあ、そうじゃの」
伯父は、深いため息をついた。
「飯田の小僧が、親に泣きついてきよったのじゃ。――鬼婆の嫁など貰いたくないといっての」
「なんと、意気地のないオトコじゃ・・・。千代ほど優しい子はおらぬというのに」
祖父は、憤懣やるかたない様子で、冷えてしまった茶を飲んだ。湯呑をたたきつけるように置いた。
「よかろう。・・・千代も気のりしてなかったようじゃし」
伯父は、紫の包みを、前に押した。
「先方からの気持ちじゃ」
祖父は、包みをじっと見た。ため息をつくと、包みを取りあげ、懐にいれた。
「千代にいえば、突っ返せ、と言うじゃろうが、あって困るものではないからの」
赤字続きの道場の助けに、ほんの少しだが、なるかもしれない。
千代にはいわず、金の要りようなときに、不足分をこっそり出してやればよいだろう。
折れた竹刀や木刀の修繕、道場着を仕入れたりするときに、弟子の誰かに頼めばよい。今までも、そうしてきたが、千代は意外に金銭の出入りにうとく、ばれたことはない。




