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こだま憑き  作者: ブルージャム
第二部 江戸時代編
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鬼婆の剣  戦いの前に

 試合の日が決まり、連日、研鑽を続けていると、栄吉が呼びに来た。

「姫先生、弟子にしてくれって奴が……」

 あわてて、道場に向かった。

 いまは、ひとりでも、道場生が増えてくれると、ありがたい。


 待っていたのは、小柄で真面目そうな、太く長い眉毛を持つ藩士だった。千代より、ふたつみっつ、年上だろうか。

「よろしく、お願い申す……」

 その藩士は、顔をくしゃくしゃにして、笑いながら、頭をさげた。

 森幸四郎というその藩士は、三男坊で、ながらく実家でくすぶっていたらしいが、先月めでたく、代々藩の勘定方をつとめている良家に、婿入りが決まったのだという。


「いやあ。ごろごろしているうちに、身体がすっかりなまってしまいましてな」 

 首をぽんぽんと叩きながら、さらに大きくにやけた顔が、人の良さをさらけ出している。

 このような人物なら、町民、百姓と並んで稽古をおこなっても、文句を言うまい。


 道場をやめていった者たちには、町民と違う特別あつかいを求める者が多かった。

 千代の道場では、曽祖父の代から、武士と町民、百姓たちは、肩をならべて稽古をさせている。

 技量のある弟子は、百姓・町民に多い。

 日頃、身体を動かさない藩士だけで稽古させていては、各々の剣の技量が、なかなか向上しない。

 たとえ町民、百姓であっても剣の素質があるのなら、仕合を何度もおこない、互いの技量を高めあう。

 剣の修行においては、身分など考えなくともよい、というのが、曽祖父に始まる、千代たちの道場の教えだった。


 立ち合ってみると、なかなかの腕前で、怠けていたというが、日頃から、身体の鍛錬だけは、行っていたようだった。足腰がしっかりしているので、速さはないものの、打ち合わせた竹刀に、こちらに押し込もうとするような圧する力があった。

 立ち合いのあと、幸四郎は、大粒の汗を額に浮かべながら、

「いやあ、疲れましたな」

といって、竹刀を慎重に床に置き、勢いよく床に座り込んだ。


 千代の方は、ほとんど汗をかいていなかった。良いひとが、入ってくれた、これで、少しは道場の儲けが増えてくれればと、卑しいことを考えてしまい、あわてて反省した。

 千代が思ったとおり、幸四郎は、道場のほかの弟子たちとも、すぐになじめたようだった。養子先が裕福らしく、支度金をもらったとかで、栄吉をはじめとする道場の古参の弟子たちを連れて、よく飲みに行っている。なかなか手に入らぬ高価な菓子類も、稽古をつけてもらった礼だといって、道場の皆にふるまってくれる。


 あの如才の無さなら、養子先に行っても、うまくやっていけるにちがいない。

 千代は、自分が幸四郎の姉でもあるかのような気持ちになっていた。  


 いよいよ、香田道場との試合が明日にせまったとき、千代は、勝利祈願のため、曾祖父の墓参りに出かけた。曾祖父の墓は、藩の領地の北、そこを越えると国境に出る、大神山の中腹にあった。墓までの道は意外に急峻で、のぼっていくと、冬でもじっとりと汗をかく。

 いつもは、二郎を連れてくるのだけれど、今日はひとりでお参りをしたかった。


 墓の前に立ち、目をつむり、手を合わせた。

 試合のことは、なるようにしかならぬ。臆することなど、少しもない。

 曾祖父が生きていたら、そういってくれたのではないか。


 千代は、長い間、祈っていた。

 いつも墓参りをすると、息をするのが、心もち楽になったような気がするのに、今日は、なぜかそんな気持ちにはなれなかった。


 試合がせまり、動揺しているのだ。

 道場では門人たちと何度も何度も試合をし、おのれの剣の力量がどれほどかは、誰にいわれなくとも、わかっているつもりだった。

 よほどの手練れが相手でないかぎり、負けるはずはない。

 そう、思い込んでいたのに。

 外から技量の高い者が来て、相手方についたというだけで、こんなに動揺するとは。 

 ……修業がたりない。

 そう、思わざるをえなかった。


 千代は大きく息を吸い、空を見あげた。突き抜けるような青空だった。糸のような雲が数本、天空の端に追いやられている。


 なるようにしかならぬ。負けるにしても、試合はしなければならぬ。

 ……何事も、そうなのだ。


 曾祖父なら、そう言いはなつだろう。

 千代のおじけづいた心持ちを、叱ってくれるだろう。

 が、その曾祖父は、もういない。目の前の墓の下で、千代の苦境も知らず、眠っている。

 千代は、墓の前の砂利をつかんで、投げるふりをした。

 墓に砂利を投げつければ、曾祖父は、怒って化けてでるかもしれない。そうなれば、曾祖父に会うことができる。


 千代は砂利を落とし、何度も何度も手を振って、手のひらに残った砂粒を払い落した。

 墓に一礼してから、大神山をおりた。

 もう夕方だった。

 人気のない道を避けて、藩で一番人通りの多い、商家の立ちならぶ通りにでた。ついでに、明日の朝の食材を手に入れるつもりだった。


 あっと、声をあげる。

 森幸四郎がいたのだ。

 千代は、声をかけようとして、ためらった。

 幸四郎には、連れがいた。


 あれは……。連れの顔には、見覚えがあった。

 以前、千代たちの道場にいて、その後甲田道場に移っていった、確か、柳なにがし……、という名の中年の藩士だった。

 百姓たちと稽古をすることに、常に文句をいっていた覚えがある。まるで座布団のように四角い顔で、遠くから見ても、よくわかる。


 幸四郎は、柳なにがしと談笑しながら、茶屋に入っていった。

 別に幸四郎が、誰を友人にしようと、千代には関係ない。幸四郎には幸四郎なりの、知人とのつきあい方があるのだろう。

 道場生のことを、あまり詮索するものではない、人には、いろいろな事情がある、そういっていた祖母の顔が思い浮かぶ。


 よけいな事を考えているひまはない。

 今は、明日の試合の事にのみ集中すべきだ。

 千代は、決然と自分に言い聞かせ、歩き始めた。


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