鬼婆の剣 道場の危機
「伯父上から、話があった」
珍しく、布団から起き上がった、病床の祖父が、千代にかすれた声でいった。
「来月、道場の先を決める試合がある」
千代は、縁側につづく障子を閉じながら、眉を寄せた。
先月も、試合の話が出ていた。しかし、まだ寒い時期だし、祖父の容態が良くないので、延期になったはずだった。
「甲田のやつらが、早くしてくれと、訴えて出たらしい」
祖父は、腹に据えかねたように、声をふるわせた。
怒りの感情が病を持つ身体に響いたのか、咳をしはじめ、千代の差しだす湯のみの水を飲もうとして、激しくむせた。
甲田源七郎たちは、藩内でもう一軒の道場を開く、千代たちの道場の仇敵だった。十年ほど前に同じ藩内に一刀流の道場を開き、最近腕の立つ師範代が入ったこともあって、人気があり、年々そちらに通う者が増えていた。それとは反対に、千代たちの道場は、年々弟子を減らしていた。
弟子の取り合いになったとき、道場の高弟たちは、気をつけるようにと祖父に言った。
が、その頃、頑健だった祖父は少しも気にしなかった。
藩で一番に道場を開き、古くからの弟子や、藩で働く者たちの息子などが、大勢、通っていた。よそから来た新参者に負けるなど、思いもしなかったのだ。
千代の道場は、藩ができてすぐ、仙台から移ってきた曽祖父が開いたものだった。
藩家に代々伝わる鐘巻流を、藩の若い武士、町民や百姓たちに教えている。
藩が開かれた当時は、藩の外から山を越えて、何度も、野盗が襲ってきた。町民たちは、自衛のために固めの木刀を持ち、それをあやつる術を学びに、ここに通うようになった。
曽祖父は、懇切丁寧に、町民たちに剣術を教えた。
そのおかげで、幾度もあった野盗の襲撃を、撃退できたのだという。曽祖父は、町民、百姓たちに慕われ、その頃からの弟子の家族たちが、収穫期には、とれたてのミカンや芋を差し入れてくれる。
千代も、かすかに曽祖父のことを覚えていた。小柄な、道場の主とは思えないくらい、痩せてひょろひょろとした体格の人だったと思う。
曽祖父は千代が三歳のときに、はやり病で亡くなり、ほかに思いだせるのは、ときどき父をしかる厳しい声と、千代の頭をなでる、ごわごわした手のひらの感触だけだった。
「……わたしが、出るよ」
千代は、怒った顔で答えた。
弟の二郎は、十歳になったばかり。熱心に練習はしているけれど、とうてい、香田の代表者との試合に勝てる体格、技量ではなかった。腕のある弟子たちは、みな町民で、武士同士の試合に出すわけにはいかない。
千代以外、誰もいないのだった。
千代は、二郎が生まれるまでは、婿をとって道場を継いでほしいと、曽祖父と同じ病で数年前に亡くなった父上から、いわれていた。婿をとるのなら、何も剣を覚える必要はなかったのに、父上は、なぜか女である千代にも剣を教えた。
先年亡くなった祖母も剣が達者で、父上と代わる代わる教えてくれた。
二郎を産んですぐに亡くなってしまった母のことは、うっすらとしか覚えていないけれど、母も剣をとらせたら、並みの男ではかなわぬくらいの腕前だったという。
祖母は、家に代々伝わるひな人形を箱から出しながら、
「雅江さんはね、そりゃあもう、強かったのですよ」
いいながら、両手に一体ずつ持った女びなと男びなを向かい合わせ、刀も持っていないのに、丁々発止と戦わせた。
小さかった千代は、手をたたいて喜んだものだった。
家に伝わるひな人形は、女びなと男びな、たった二体しかなく、古いせいか、色もあせて全体に黒ずんでいた。衣装は赤と群青だったけれど、遠目で見ると、二体ともずんぐりした体形ということもあって、どちらが女で、どちらが男なのか、見分けがつかなかった。
それでも、祖母は、桃の節句の時節になると箱から取りだし、丁寧にほこりをはらい、甘酒と桃や桜の花をかざり、千代と二郎を呼んで、暖かい季節の訪れを祝った。
「それしかないかの。わしが、こうでなかったら……」
祖父が、無念さを声ににじませた。押し殺すような震える声が、かかえている不安を、いっそう感じさせた。
千代は、わざと大きな声を出した。
「負けないから。あんな輩には」
高価な流派のお手本書きを売ったり、付け届けをしてくる者に、優先して免許皆伝を与えたりする、あんな輩には。
香田道場は、護身法や野盗を撃退するのに役立つ剣術を教えているといっているけれど、その実は、商売として道場をやっているだけだ。藩の有力者にも大枚を包み、有力者の子弟たちが、大勢、道場に通うように仕向けている。千代には、そんなやり方は、剣の道にあってはならない邪道としか思えなかった。
この小さな藩に、ふたつも道場はいらないのではないか。
今回の道場同士の試合は、藩の財政を預かる勘定方のひと言が発端だった。
先年、藩内にふたつあった藩校が、ひとつに統合された。藩の財政の厳しいおり、ふたつもの藩校を維持できないためだった。千代の道場も、藩から、額は少ないながらも幾分かのお助け金をいただいている。香田道場も、同様に、数年前から、藩より、道場維持のための金銭的なお助けを受けている。
藩の勘定方は、お助け金を、同時にふたつの道場に支出するのは、無駄遣いにあたると考えたのだ。試合をさせ、ふたつある道場のうち、勝ったほうにのみ、お助け金を出すようにするという。
そんな金は要らぬ、といえればよかった。が、先年よりの飢饉で、道場生たちの稽古代の支払いが、とどこおっている。千代の道場も、お助け金には、かなり頼っていた。
心配することはない。試合に勝てばよいだけのことだ、向こうの道場の師範も、年をとっている。師範以外に、こちらと互角以上に戦えるものなど居ないはずだ。
うちの道場に通っていて、向こうの道場に行き、肌が合わず戻ってきた者に聞いた話では、向こうの道場の師範は、商売の面では遣り手で、いつも儲けることばかり考えている。が、剣の腕のほうは、からっきしだということだった。
名ばかりの師範代が数人いて教えているというが、うちの道場から移っていった者たちのなかには、まともな教えが受けられず、それを不満に思って戻ってきた者も多かった。
「姫先生。あそこ、ろくなやつ、おらんで」
農民の栄吉が、手の甲で、日焼けした大きな鼻をこすりながら、告げ口した。
「こっちで、入門のときやった鍛錬を碌にやらずに、型どりばかりやってる」
「身体ができていれば、初めの鍛錬は要らないでしょ」
そのときには、栄吉をたしなめたが、剣の型を行うためには、そのための身体の筋の力が要る。最初の鍛錬をおこたれば、結局のところ、本当の剣の型は身につかない。
その頃は、まだ、香田の道場にそれほど反感を持っていなかったけれども、どこか、うさんくさく感じたものだった。
先月、その香田の道場に、新しい師範代が入ったらしい。その師範代は、そうとうに腕が立つという。
千代は、歯ぎしりした。道場同士の試合の話が出たとき、香田側は、最初は、あまり乗り気ではなかったのだ。試合の時期を、できるだけ、引き伸ばそうとしていた。
試合に勝てる自信がなかったからにちがいない。けれど、今度は、試合の時期を早くしてくれと言ってきた。新しくやってきた師範代は、よほど腕の立つ者らしい。
「姉上、飯田殿が……」
二郎が、来客を告げにきた。
飯田源次郎は、千代のいいなずけだった。父が亡くなった時に、千代の行く末を案じた伯父が、話をもってきたのだ。父が亡くなり、動揺していた祖父母が、千代には何の相談もなく話をまとめてしまった。
千代が迎えに行く前に、源次郎は客間に勝手にあがりこんでいた。
家の格は確かに源次郎の方が上だけれど、いつも、自分の家のように我が物顔でふるまっている。とがったあごと、何を考えているかわからない細い目が、千代はあまり好きではなかった。
「千代殿。城内で聞いたのだが……」
源次郎は、あごを親指と人差し指ではさみ、揉むようにしながら、
「香田の道場と仕合をされるとか」
たぶん、城内の噂で聞きつけたのだろう。源次郎は、以前から女の千代が、剣をふるうことを快く思っていなかった。
「します。わたくししかいませんから」
源次郎は腕組みをし、顔をしかめた。
「噂は本当でしたか。やめられませんか」
「やめられるわけ、ないじゃないですか」
千代は、あきれていった。
この道場の命運がかかっているのだ。千代以外、相手に勝てそうな者がいない以上、千代がやるしかなかった。
「道場など、やめればいいじゃないですか。二郎殿の士官の世話ぐらいは、うちでできますぞ」
千代は、きっと源次郎をにらんだ。
「わたしの代で、道場をつぶすわけにはまいりません」
源次郎にとっては、道場など、どうでもよいのだ。只々、面倒事を避けたいだけなのだろう。
「負けると、外聞が悪い」
源次郎は、不満げなうなるような声でいうと、千代をにらんでくる。
この男は、自分の家の格が下がることしか気にしていない。このような男に嫁がねばならないのかと、ため息がでた。
「負けません。ご心配なく……」
「傲慢は、あなたには似合いませんな」
源次郎は、ななめに口角を下げ、ゆがんだ笑いを浮かべた。
「負けて、泣きついてきても、どうにもなりませんぞ」
脅しのような言葉を続けると、障子を乱暴に閉め、そのまま帰ってしまった。
千代は見送りながら、剣のことなど何も知らないくせに、と腹がたってしかたがなかった。




