16.新旧おやくだち合戦 その20
「じゃ、この荷物はあたいが持ってっとくから、おめぇは先に教室に戻ってな」
「なんか、ありがとうな」
「いいってことよ」
校舎の入りロのところで、俺は、30kgの小麦粉を担いだ虎鉄と別れた。
身長2メートルあるマッチョな大女がでかい荷物担いで廊下をのっしのっし歩いていくのは、普通に考えれば騒ぎになってもおかしくないインパクトがあるはずなんだが、文化祭前日の今日は「生徒の関係者であれば誰がいてもいい」という暗黙の了解があるせいか、好奇の視線は注がれてもそれ以上の騒ぎにはなっていない。まあたぶん、あくまでもたぶんだが、賀茂さんがなんかやっているんだろう。
……ってことは。もしかしたらほかの式神の奴等も、いやがるんだろうか。そう思うと、なんか背中に戦慄が走る。虎鉄の言うことを信じるのであれば、俺を襲うことは無いんだろうが、死を間近に感じてしまったあの体験は、正直言ってトラウマに近い。
かっこ悪く警戒してしまう自分の姿を想像し、ちょっと悲しくなる。
「うぃーす……」
「あら、お帰りなさいまし」
そんな感じでがらっと教室のドアを開けたら、なんかあんまり覚えていたくない聞き覚えのある声が聞こえた。顔をあげると、やっぱり覚えていたくない、冠のようになった赤い髪に赤と金で彩られた着物を器用に着崩した色気過剰な女が居た。
がらがら、ぴしゃっ。
思わずドアを閉めてしまった。
「ね、ねえお兄ちゃん、今いたのって」
どうやらケイも同じものを見たらしい。ってことは、目の錯覚ではない。
「ちょっとっ!この炎雀がにこやかに挨拶しているというのに、いきなり戸を閉めるなんてどういう了見ですのっ!?」
さらにそれが幻でない証拠に、その相手ががらっとドアを開けるとほぼ同時に、金切り声が噛み付いてきた。おかげでケイは萎縮して俺の影に隠れてしまった。
「な、何でお前がここにいるんだ」
「そんなの、杏寿様に呼ばれたからに決まっていますでしょう」
何とか絞り出した俺の言葉に、その赤い女はえらそうにふんぞり返りながら答える。
「虎鉄さんにばかり良い格好はさせられませんものね」
その表情は、ドヤ顔と言うにふさわしいものだった。
「まさか、お前んとこのアレ、みんな居るのか?」
あらわになっている肩筋のラインがなんかエロいが、極力見ないようにしながら、肩越しに教室の中を覗く。
野郎どもの大半は、スケベと嫉妬が入り混じった良くわからない目でこっちをにらんでおり、対称的に女子はあまり関心なさそうに仕上げをしている。
「玄水は、お留守番ですわ。龍樹と麟土なら、今頃そちらのお宅にご挨拶しに伺っているところではないかしら?」
「俺んちだ?何しにだよ」
炎雀の言うように、そこにはぽさぽさ順に黒い膝丈ズボンのガキも、青いポニーテールに緑青色の鎧を着た女武将も、たてがみのような髪にだぶだぶの服を着た関西弁道士もいない。
「それはもちろん、ご挨拶に、ですわ。あなた方との関係はこれからも続きますものね」
炎雀は、まさにふふんと言いたげな態度でそう言い放つ。
なんか心配だが、賀茂さんとは和解したはずだし、龍樹はともかく麟土はうまくやってくれると思うからいいとしよう。もし何かやらかしたとしても、うちのモノたちとか常盤さんとかなら何とかできるだろうし。
と、ここで改めて、もうひとつ聞きたか、たことを聞くことにする。
「お前、ここで何やってんの」
するとその瞬間。炎雀がぴたっと固まった。
「あ、あなたには関係のないことじゃありません!?」
「いや、俺もこのクラスだから関係なくはないんだが。見たところ賀茂さんもいないみたいだし」
そりゃいるわけねぇやな。賀茂さんは調理班だし。
「もしかしてお前、なんにもやってなかったのか?ただのにぎやかし?」
すると、炎雀はわざとらしくがっくりとうなだれた。
「………仕方が無いではありませんの。下手にこの炎雀の力を行使したら大惨事になりかねませんもの」
「つか、お前こそ賀茂さんについて調理班の応援に行ったほうがいいと思うんだが」
「この炎雀、その程度は心得ておりますわ。ですが、本来なら虎鉄さんが戻ったら入れ讐わりに向かうはずですのに、一向に戻って来ないものですから、この炎雀もこの場を離れることが出来ずに難儀しているのですわ」
なんとも融通の利かない。この前うちに押しかけて来た時はかなり勝手に暴れていたような気がするが。
「まあそれはそれとしてだ。悪いがそこ通してくんねぇか?」
とりあえず、真正面に立って出入りロを塞がれては中に入れない。
「あ、あら、ごめんあそぱせ」
それは炎雀も判ったらしく、すなおに通してくれた。
「おーっ、ケイちゃんじゃん!」
「持ってたよー!」
ケイを見た瞬間、野郎どもが野太い歓声をあげる。案の定、ケイはこそっと俺の後ろに隠れる。こいつらには一応だが害意はないと思う(あったら男女間わず速攻でぶっ飛ばしてる)から、少しは慣れてほしいんだが。
「やめなさいよ、ケイちゃんが怖がってるじゃないの」
「ほーら、ケイちゃんこっちおいでー。怖くないよー」
その一方で、何日か前にケイと一緒に衣装作りをしていた女子たちは、すっかりおねえちゃんの気分でいるみたいだし。
でも、野郎どもよりは抵抗がないようで、ケイはそっちにとててっと向かった、と恩ったら、いきなりびくっと立ち止まってこっちに戻ってきた。
「お兄ちゃん耳かして?」
そして俺のすぐそばまで来ると、くいくいと袖を引っ張る。
ひざを曲げ、腰をかがめてケイと同じ高さになると、ケイが小声でこそこそと耳打ちしてきた。
「バレンシアちゃんからメールが来てるよ」
と。
何をしているのかと恩うかもしれないが、ふたを開ければ何のことはない、マナーモードなだけだ。なにしろケイは、何かを着信するたびにいきなり歌いだすし、しかもその中でメールが来ただの電話がかかってきただの言うから、まわりから変な顔をされて、俺もケイも恥ずかしい思いをするからだ。
「そうか、なんて言ってる?」
「えっと、今日、お兄ちゃんのパパとママが来るはずだったけど、かわりにりゅう兄ちゃんが来たって」
「りゅう兄が?」
だがその内容には、一瞬耳を疑ってしまった。なんでりゅう兄が来るんだ。息子との一ケ月ぶりの再会だってのにそれをおっぽり出してまで何してんだって問いただしてやりたくなる。
まず思いついて、これはないと否定したのは、貸し部屋の家賃の取立てだ。うちの本業は鍼灸院だが、実は親父が稼ぐ以上にお袋が貸家の賃貸料で稼いでいる。しかも家を間貸ししているのではなく、一軒家をそのまま貸している。なんかよく判らないが、競売ってやつですごく安くゲットしたんだと言っていた。
ちなみに、うちのお袋は変なところで運が強く、身近なところで言えばテルミの元となったテレピもくじ引きで引き当てたりもしている。話が脱線したが、今日は金曜日の月末なので、振込みでないところに家賃を取りに行くのもありうるのだ。
だが、家主側なら取り立ての日程はどうにでもなると思うし、何より常盤さんが話をつけたんだから、取り立ては理由にならないだろう。そうなると、何か他の理由でドタキャンしたとしか思えない。
で、さすがに無視するのはアレだから、まだ慣れているりゅう兄を差し向けたというところか。
呆れられたりしないだろうな?と少し心配になってしまった。