16.新旧おやくだち合戦 その12
毛足の長い絨毯が敷かれた廊下を、クレアが歩いている。
SWATのような服装をして、厳しい表情をして歩く彼女のまわりには、近寄りがたい雰囲気が漂う。それは、「中のものを守る」ということを役目とする金庫故だろうか。
「お、おおおおおおおっ、お、おいっ!」
そのクレアの背後から、誰かが声をかける。
振り向くと、誰もいない。
「こらっ!どこ見ておるっ!わっ、わらわはここじゃっ!」
下のほうから声がしたので、視線を下に向けると、彼女の身長の三分の一程しかなさそうな子供がクレアを見上げていた。
魅尾だ。二度寝から起きたらしい。
「・・・・・・何か用?」
じろりと睨みつけ、あまり関心なさそうに、クレアはその狐耳の幼女に声をかける。
「おっ、おっおまえっ、さっきは、よくも、わらわに怖い思いをさせてくれたなぁっ!」
魅尾は、目を潤ませながらもクレアに向かってビシッと指を差す。
クレアは、そんな魅尾を興味なさそうな冷めた目で見下ろすと、興味なさそうにふいっと顔をそむけて背中を向ける。
「なっ、こ、こら何処へ行くんじゃ!待たんか!無視するな!」
魅尾がギャンギャンとわめくが、クレアは聞こえないようにすたすたとそこから去ろうとする。
「ううぅ~~~っ!」
軽くあしらわれた上に完全に無視され、プライドを傷つけられた魅尾は、目に涙を溜めながらも怒ったように顔を真っ赤にし、歯をむいて唸り声をあげる。
と、その魅尾がいきなり大きく息を吸い込むと。
「かぁっ!」
何を考えたのか、口から、こぶし大のオレンジ色の狐火を吐き出した。
火は、一直線にクレアめがけて飛んでいく。そしてクレアの背中に当たると、パシュッと花火が弾けるような音を立てて火花を撒き散らした。
そんなものをぶつけられたら、普通は熱いどころではない騒ぎになる。実際、クレアのジャケットの背中にはその跡が残り、うっすらと煙が上がっている。
「・・・・・・人に向けて、火を放つのは、良いこととは言えない」
だがクレアは、蚊にでも刺されたかといった様子で平然と、それどころかめんどくさそうに振り向く。彼女の元である金庫には高い耐火性があるため、彼女自身にもその特性があるのだ。それでも多少は熱かったのか。眉ひとつ動かしてはいないが、口調が微妙に怒っているように感じる。
「うるさいうるさいうるさいっ!気狐たるこのわらわを無視したお主が悪いのじゃ!」
だが、魅尾は、悪びれるどころか更に声を大きくする。傍から見たら、子供が我侭を言っているように見えなくもない。
「だいたいだな、お主はわらわの扱いが悪すぎるぞ!わらわを何じゃと思っておるんじゃ!」
「・・・・・・不審者」
「ちっがーう!わらわは気狐じゃ、白狐じゃ!稲荷神の御使いとして、はるか昔から敬われる存在なのじゃ!」
地団駄を踏んで悔しがる魅尾。2人の様子を横から見ていると、預かった手のかかる親戚を前にどうしたもんかと眺めるお姉さんのようにも見える。
「・・・・・・稲荷神?」
「そうじゃ、わらわは神の使いなのじゃ。じゃから、ちゃんとわらわを敬わなければバチがあたるんじゃぞ」
そして魅尾は、腰に手を当ててふんぞり返る。
だが、クレアは、肝心の稲荷神、というものを知らなかった。
「・・・・・・宗教なら、間に合っている」
「こっ、こらぁっ!古今東西この日の本の津々浦々で数限りなく奉られておる稲荷神を、怪しげな新興宗教と一緒にするでない!」
「・・・・・・それで?」
「じゃから、その使いたるこのわらわを、もっと敬えと言っておるんじゃああああっ!」
クレアの前で地団駄を踏みながら魅尾が声を張り上げる。彼女としては、無意識に尻尾まで逆立つぐらいに怒っているのだが、傍から見ると子供が地団駄踏んでいるようにしか見えない。
「・・・・・・わかった」
そして、周りが見えなかった魅尾には、ひとつため息をついたクレアがすっと腰を落としたことにも気がつかなかった。
「うひゃあ!?」
自分の目線に、クレアの無表情な顔があることにようやく気がついた魅尾は、その直後腰を抜かしてその場にぺたんと座り込んでしまった。
「な、ななな、なんじゃ」
偉そうなことを言ってしまった手前、強気でいようとは思うが、頭に銃口を突きつけられた恐怖は簡単には拭えない。
さらに言えば、クレアの顔は、感情が無いのではと思わせるほどに無表情なので余計に怖い。
「うぅぅ、お、怒っておるのか!?狐火をぶつけたことを怒っておるのか!?それとも、ままままさか、このわらわを、いじめるつもりなのかっ!?いたいけな子供を、いじめるつもりなんじゃなっ!?」
何も言わないクレアの目の前で、魅尾はだんだんと泣きそうな表情へと変わっていく。さっきから軽く涙目ではあったが、今では完全に泣き顔になっている。
すると。
「・・・・・・敬ってあげる」
クレアが、魅尾の目をじっと見つめ、ぼそりとそう言った。
「・・・・・・ふぇ?」
「・・・・・・もう一度言う・・・・・・あなたを、神の使いとして、敬ってあげる」
「ど、どういう風の吹き回しじゃ?はっ、まさか、わらわの気持ちを持ち上げて落とすフリなのかっ!?」
「・・・・・・そうじゃない」
何かと騒がしい魅尾を、その一言と眼力で黙らせると、クレアは淡々と話し始めた。
「・・・・・・あなたは、自分を、国中で奉られる神の使いだと言った。・・・・・・稲荷神がどんな神かは知らないが・・・・・・それだけ奉られるのには、相応の理由があると考えた」
そして改めて魅尾を見やり、こう続けた。
「・・・・・・だから、敬ってあげる」
「あげるって、お主・・・・・・」
上から目線で敬うというのは、裏を返せば自分達を見下している。本来は信仰の対象のはずの魅尾にとっては屈辱なのだが。
「・・・・・・そうじゃな」
だが、魅尾は、ちょっと考えた後、ちょっとだけ悪い笑みを浮かべた。
「ひとつ聞くが、神を奉るときに付き物なのは、なんじゃと思う?」
「・・・・・・・・・判らない」
「答えは、御供え物じゃ。神が好むものを捧げ、見返りとして祝福を得る。つまり、お主が敬おうとするなら、お主が働きかけねばいかんということじゃ」
そして、しらじらしくそっぽを向いてから言葉を続ける。
「あー、くちさみしいのー。うまいものは別腹と昔から言うからのー」
これは明らかに、何かを食べたいと言っている。
「・・・・・・お菓子の持ち合わせはない」
だが、稲荷神を知らないクレアには、それが何なのかも判らない。
「こ、こら、わらわを子ども扱いするでない。誰が菓子など欲しがっておる」
「・・・・・・じゃあ、何が欲しい」
「醍醐が食べたい!」
魅尾が、謎の食材を即答する。
「・・・・・・それは、何」
「知らんのか、醍醐味と言う言葉もあるであろ。乳を精製したものじゃ」
「・・・・・・知らない」
「むぅ、お主は何も知らんのじゃな。以前、レイカから貰うたぞ」
「・・・・・・そう、それなら」
そう言ってクレアは立ち上がると、魅尾に背を向け、胸元で何やらごそごそとやりだした。
そして、再び魅尾に向きなおる。だが、なぜかクレアは自分のジャケットについているレバーに両方の手をかけていた。
「・・・・・・レイカのところに、連れて行く」
そして、腰を下ろすと、レバーをひねった。
がちゃ、という重い金属音の後、ジャケットの前が開く。するとそこには、クレアの体の代わりに、真っ暗な空間が口を開けていた。
「・・・・・・な、なんじゃこれは!?」
「・・・・・・入って」
驚くと同時にびびりまくる魅尾に向かって、クレアはずいっとその黒い空間を近づける。外からの光が入らないのか、そこに何があるのかはほとんど見えない。
「は、入るって、ここにか!?」
「・・・・・・担いで行くより、私が楽」
クレアがそういった瞬間、何かを感じたのか魅尾がびくんっと体を震わせ、くるりと背を向ける。
だがその直後、逃げようとした魅尾の襟首を、クレアがむんずと掴んで取り押さえた。
「・・・・・・逃げないでほしい」
「いやじゃーーーー!普通逃げるわーーーー!離せ、離すのじゃーーーーっ!」
クレアの手から逃げようと、魅尾は手足に頭に尻尾まで総動員して全力でじたばたと暴れる。
だが、体が小さく、今は体力も幼女並みしかない魅尾にとって、自分を軽々と持ち上げるクレアの腕力には到底かなわない。
「・・・・・・大人しくして欲しい」
「うぎゃーーーーーー!」
悲鳴にもわめき声にも聞こえる声をあげながら、魅尾の体がクレアの体に開いた空間に放り込まれる。
そしてクレアがジャケットの前を閉じると、その悲鳴も聞こえなくなった。
「・・・・・・レイカ、冷蔵庫の擬人化」
レバーから手を離したクレアが、魅尾が口にした名前を、確認するように口にする。
「・・・・・・行ってみれば、判る」
そして、廊下の先を見つめると、すたすたと歩き出した。