12.忘れていた学校行事 その6
そのころ。
「ちょっと、話が違うやおまへんか」
校舎の屋上で、癖の無い黒い髪を靡かせた女が、フェンスに寄りかかりながら、まるで誰かに話しかけるように独り言を言っていた。
よく見ると、女の手の上には、白い紙を切り抜いて作った、人の形を極力簡略化したようなものが乗っていた。それもただ乗っているのではなく、ぺらぺらの紙なのに、まるで上から吊り下げられているかのように、女の手の上に立っているのだ。
その紙人形は、人間で言えば胸の辺りに、漢字を組み合わせて新しい漢字にしたような奇妙な模様が墨で描かれている。
「うちは、あんたはんらが“今回は砕呪の陣を張って、擬人を封じろ。あとはこちらがやる、余計な手出しはするな”なんて自信ありげに言うたから、手ぇださへんかったんどす。それ失敗したから言うて、うちにぐちぐち言われたらたまらんわぁ」
その女は、まるでその紙の人形に聞かせるように言葉を続ける。
すると、不意にその紙の人形の表面に、変化が現れた。黒い墨で描かれた文字がまるで生きているかのように人形の表面をすべり、そして人の顔を思わせるような形をとったのだ。
「言ってくれるのう。では、こちらの手の者が行ったときに擬人がいたのは、どう説明するのかね?」
そして、口に相当する模様の部分がまるで喋るように動くと、そこからしわがれた老人のような声が聞こえてきた。
「うちに聞かれても困ります、うちに判るんは、うちのせいやないちゅう事ぐらいどす。うっとこで調べた範囲じゃ、あの家にはうちの術に対抗するよな力は働いてへんかったし、真田将仁本人にしてもちゃんとした知識は持っとらんはず。それがなんで、うちがまるっと1日かけて準備したあの術を破らはったんか」
それに答える女の声も悔しげだ。
「敷地の外には人払いの術をかけたさかい、近所には助けにも行かれへんはずやし」
だが、女がそうつぶやくように言葉を続けたときだ。
「人払いだと?」
紙人形から聞こえる老人の口調が、厳しい物に変わった。
「なるほど、ではお前の責任も多少はあるようじゃな」
「はぁ?なんでどす?」
そう言われるとは思っていなかったようだ。女の口調も強いものに変わった。
「こちらから向かった者達が言っておったのよ。術が昼頃発動するというから、そのころを狙って行ったが、なぜかなかなかたどり着けんかったとな。そんなバカなとは思うたが、なるほど余計なことをしてくれたのう」
「余計や言わはります?あない住宅街のまん真ん中でほたえたら、警察沙汰になりますえ?」
「ふむ、確かにそれは困る。だが、結果として失敗には変わりあるまい。お前さんの人払いのせいで、あの者に考えて解決する時間を与えてしもうたのだから」
だが、そこを責められると返す言葉が無い。いくら否定しても、事実は消えないのだから。
この話を続けることは不利だと悟った女は、別の話題を振ることにした。
「ほんま、かなわんわ。ほな、次は何をすればよろしおす?」
「いや、お前さんにはしばらく大人しくしてもらう」
「・・・・・・まさかぁ、うちはクビどすか?」
突然の言葉に女は一瞬だけ言葉を失った。
彼女は、正直自分の技術には自信があった。それがクビになるなど、屈辱以外の何者でもない。しかも、丸1日かけて術をかけたのに、その手間賃すら貰っていない。なぜなら彼女は、今回の依頼を、“成功したら後払いで報酬を貰う”という契約を結んでしまったからだ。今から考えればはめられたようなところもあるが、ここでクビになったら大損なのだ。
「いや、そうではない。今回の件で、どうやらあちらもまじない的なことに警戒を持ったようじゃからな。続けて行っても高い効果は得られまい。次は、むこうの力量が測れるようなやり方をやってみるだけじゃ」
だから、老人のその言葉に、女は少しだけ安堵した。まだ挽回の猶予はあるのだ。
「・・・・・・はぁ、しゃあない。ほな、あんたはんらのやり方、じっくり見していただきましょか」
女は、捨て台詞のようにそう言うと、自分の手の平にもって立っていた紙の人形をくしゃっと握り潰した。
「ふぅ、ちょろこい話や思とったんやけどなぁ」
「何の話?」
「!?」
その時、突然声を掛けられ、女は息を呑んだ。
そのままフェンス伝いに数歩離れ、声の主に目を向ける。
そこにいたのは、白衣を着た女性だった。第2養護教員としてやってきた人で、名前は確か水野由利。茶色い瞳に野暮ったい眼鏡をかけ、黒い髪を適当に束ねたその姿は、相変わらず歳のわりに地味だ。しかし、目の前にいるのに、まるでそれが幻にように、そこにいる気配がない。
「賀茂杏寿、2年B組、出席番号28番。9月19日づけで本校に転入。しかしその前にも数度の転校暦あり」
白衣の女は、手にしたファイルを読みあげ、最後にそのファイルをぱたんと片手で閉じる。
「養護のセンセが、うちに何の用どす?」
女、賀茂杏寿は、平静を装いながら、制服の襟の裏に指を差し入れ、そこにあるものを確認する。それは、真ん中に五角星が描かれた掌大の長方形の紙だった。
「少し聞きたいことがある。何をするつもりかは知らないけれど、今のところ敵になるつもりはない」
そう言って、水野はフェンスに寄りかかった。
「あなたは、真田将仁に対して、何をしようとしている?」
「・・・・・・はて、何のことどす?」
「とぼける必要はない。あなたたちの狙いも彼だということは、調べがついている」
そして、腕組みをしながら、眼鏡ごしにちらりと杏寿を見やる。
「真田将仁。西園寺の血を引く最後の人物。そして、その資産の相続権と、その家に伝わる力を継承する唯一の人物。それを付けねらう輩はまだ少ないが、確実にいる」
「ふうん」
杏寿は、関心が無さそうな返事を返す。
「私たちは、彼が持っている、彼とは分離できない“力”を手に入れるために動いている。そしてあなたは、それとは別の思惑で動いている。その思惑が何か、私は知る必要がある」
水野の言葉が、だんだんと硬直化してくる。杏寿は、その裏に圧力を感じた。
「そない言うたかて、うちは雇われの身やさかい、雇い主はんがしまいにどないしたいんかは知りまへんえ?」
「ならば、あなたは何をしようとしている」
牽制のつもりでそう口にしたが、水野にはそれが通じていない。見破られているのか、気付いていないのかは、完全に表情を殺した水野からは読み取れない。
このままでは話が進まない。そう思った杏寿は、ひとつ息を吐くと、改めて口を開いた。
「うちは露払いみたいなもんどす。真田はんのまわりは、あんたはんがさっきっから言うてはる“力”が生んだもんで護られてますさかい、それを退かすんがうちの役目どす」
杏寿の言葉に、水野は反応しない。
「“それ”は、言うなればあやかしみたいもんやさかい、モノによっちゃ普通の人にゃ手に負えまへん。せやから、うちが雇われたんどす」
そこに、杏寿は言葉を連ねる。
「少なくとも、うちは真田はん本人に何ぞするつもりはあらしまへんから、あんさんらの邪魔にはならへんのとちゃいます?まあ、おんなしクラスに居て、席が隣になってしもたんに何もせえへん言うのも不自然やと思いますけどなぁ」
「なるほど、確かに、あなたは私たちの邪魔はしないようだ」
そこまで話して、水野はようやく理解したように腕組みを解いた。
だが、まだ警戒を解いていないのか、水野は杏寿から視線を外さない。
「だが、その役割を負っているわりには、“それ”がいるのを見過ごしているみたいだけれど?」
「そら、学校にゃ人目がありますさかいなぁ。下手ぁこいて警戒されてしもたら、やり辛うなってしまいます」
少々大げさなジェスチャーを交え、杏寿が答える。もっとも彼女の場合、彼女らに直接会って、そのあまりに人間くささを知ってしまったことも、やりづらさのひとつとなっているのだが。
「そういや、センセは何が狙いなんどす?」
不意に、今度は杏寿が切り込んできた。
「えっ?」
「うちばっかり話すんも、平等やおまへんやろ。センセは、何をしたはるんどす?」
突然の申し出に多少動揺したのか、水野はちょっと眼鏡を直した。
「私の役目は、彼の情報を集めること」
「ほんまどす?」
「この場で嘘は言わない。その情報を収集している段階で引っかかったのが、賀茂杏寿、あなた」
名指しされて、杏寿はちょっと苦笑する。
「なるべく怪しまれんようしてきたつもりどしたのになぁ」
「私たちの情報収集能力を、甘く見ないでほしい」
「ほんま、あんさんらは敵にしとうありまへんなぁ」
「それは私たちも同じ。敵は少ないほうが望ましい」
そして、二人の視線が絡み合う。
「お互い、苦労しますなぁ」
「間違いない」
ふと、そんな言葉が口から出てきて、二人は思わず苦笑してしまった。