12.忘れていた学校行事 その4
きーんこーんかーんこーん。
今日の授業の終わりを示すチャイムが鳴り響く。
ちゃーらーらららららっららー。
ほぼ同時に、携帯電話の呼び出し音が聞こえる。
「お兄ちゃ~ん、ごはんまだ~?」
耳に当てると、さっそくケイからの催促が聞こえてきた。
「心配すんなって、今から出るところだ」
まわりを見渡すが、今日はヤジローをはじめとしたモテナイ軍は大人しくしている。というか午後に備えてメシを食って英気を養うことにしたようだ。
そうそう。人の昼飯を邪魔するなんて非生産的なことより、もっと必要なことにエネルギーを使うべきだ。俺だって本当の意味でモテてるわけじゃないんだし。
そんなことを考えながら、教室を出るために、弁当の入ったバッグに手を掛けた。が、持ち上げようとした瞬間、俺の腕はそのバッグに引っ張られ、バッグを床に落としてしまった。
「どうしたの?」
「ん、いや、バッグがな」
なんか、バッグが異常に重い。そしてふと見下ろすと、弁当箱とジャージぐらいしか入っていないスカスカなはずのボストンバッグが、ファスナーが千切れそうなほどパンパンに膨らんでいる。
「悪い、一旦切るわ。重くてちょっと片手じゃ持てないから」
「えーっ、やだよーっ、切らなくていいじゃーん」
なんかいやな予感がするのでケイには引っ込んでいてほしかったんだが、ケイは素直に応じてくれない。ケイも似たようなことを思っているんだろうか。
仕方が無いので、ケイ帯を開いたままにして机に置くと、両手でバッグを持ち上げ、その隣に置く。バッグはそれでもなおパンパンにふくらんでいる。軽く押してみると押し返してくるが、それ以外になぜか微妙に動いているような気がする。
ぶっ。
その時、バッグのファスナーが、その圧力に負けたのか、少し開くほうに動いた。
それだけならまだいいんだが、その少し開いた隙間からあるモノが出てきたのを見たときは、俺は悪夢を見ているのかと思ってしまった。
なぜって、そこから出てきたのは。色白な人間の指だったのだ。まるで怪奇現象なその光景に、クラス中の注目が集まる。
はじめは指先だけだったのが、まるで踊るようにじたばたと動きながら、少しずつ手の平が出てきて、やがて右手の形になる。そしてその手は、ファスナーのつまみを見つける(手が見つけるという表現もちょっと変だが)と、それをつまみあげ、さらにバッグのファスナーを開いていく。
最初は不気味に思えたその手だったが、動きがなんとなくコミカルだったので思わずそのまま見守ってしまう。そして俺には、その手の正体がなんとなく判っていた。
やがてその手、いや開いていくのに伴って腕が出てきたからその腕が、ファスナーを全体の三分の一程度開いたときだ。
「ぷあぁ、苦しかったですぅ」
今度は、その開いた隙間から、ぽこっと頭が出てきた。その頭は、開口一番、そんなマヌケな言葉を吐き出した。
「あぁ、将仁さんですぅ。やほ~♪」
そして俺の姿を見つけると、緊張感の無い様子でバッグから出ている右手を小さく振ってみせる。
「くっ、クリン、お前、何やってんだ!?」
俺は、思わずそいつに声をかけてしまった。
「はいぃ、将仁さんが通われる学校というものがぁ、見たくなりましたのでぇ。もぐりこんじゃいましたぁ、てへっ♪」
そしてクリンは、バッグから出た右腕で頭を軽くこつんと叩く。って、てへっ♪じゃねぇだろ。
「あらぁ、そこにいるのはヤジローさんじゃないですかぁ。将仁さんがお世話になってますぅ」
かと思うと、ヤジローを見つけて、右手をついてぺこりと頭を下げる。
「え、あ、ども」
名指しで挨拶されたヤジローは、ちょっと面くらいながら頭を下げる。
俺は、別に世話になんかなってねぇぞと心の中でつっこむ。
「むぅーっ!なんでクリンちゃんが学校に来てるのぉ!」
その一方で、バイブレーション機能を使って向きを変え、クリンのそんな姿を見たケイが、明らかに不満そうな声で講義する。
「あらあらケイさん、もうお昼ですよぉ?」
「そんなの判ってるもぉん!クリンちゃんが邪魔してるんだもぉん!」
ケイがだだをこねる。傍から見ると、通話状態で放置された携帯電話がじたばたしているように見える。携帯のバイブレーション機能にしては激しすぎるのだが、その横でもっと激しすぎる光景が展開されているので誰もそれに気付かない。
「おいマサ、誰だあの美人は」
「知り合いか?」
そしてさらに、クラスのもてないメンズは“バッグから出た”ということよりも“美人が出た”というほうに興味があるようで、俺にそんなことを聞いてくる。こいつらは以前ケイやシデンが学校に来たときも目の色を変えていたが、お前らクラスの半分は女なのに新しい女のほうに目が行くのか。
「あれはだな、俺が今居候してる家の住み込みメイドだよ」
そう一言説明してから、今度はクリンのほうに声をかける。だって、いつまでもこのままにしておくわけにはいかないだろうが。
「全く、お前も。とにかく一旦出て来い」
バッグの中身がどうなっているのかも気になるが、顔と右腕だけしか出ていないのは傍から見ていても窮屈なことこの上ない。
「あのぉ、出ちゃまずいと思うんですけどぉ」
すると、クリンはあんまり困ったような表情はしていないのにそんなことを言った。
そして理由を聞いてみると、納得すると同時に「何を考えてんだ」と思ってしまった。
「だって今ぁ、メイド服、着てないんですよぅ。ほらぁ、メイド服ってがさばるじゃないですかぁ」
「メイド服着て・・・・・・っ!?」
こ、こいつはっ。
その発言で、集まってきた男連中が色めき立つ。メイドがメイド服を脱いだってことで、私服か下着姿でも連想したんだろう。
だが俺はそれで絶句したのではない。もっとヤバイものを連想した。
今朝、ここまで持ってきたときは全然重くなかった。だから多分、クリンはもとのモノ、つまり浴用スポンジになってバッグの中に入っていたんだろう。そしてクリンが擬人化したときの姿は・・・・・・何も着ていなかった。つまりは裸だ。
そして、うちのモノたちは鏡介以外、モノからヒトの姿になるとき、いつもその“初めて出てきたとき”の格好になる。(鏡介は、俺の鏡像のように、戻る前に俺が着ていたのと同じ服装になる)
そう考えると、確かに今出てこられたらまずい。
「な、中に俺のジャージとか、入ってるだろ、そ、それでも着てろ」
とっさにそのことを思い出して指示する。素っ裸で出てくるなんて公序良俗に反した行為を学校でさせるわけにはいかないし、それに他の連中に見せてやる義理も無いし。
「わっかりましたぁ♪」
すると、クリンは妙に嬉しそうな声で返事すると、右手をバッグの中に引っ込めていった。
そしてクリンの頭だけがバッグから出ているような形になる。なんかこれ、どこかのパフォーマーがやってたなぁ。
「むぅーっ!お兄ちゃんクリンちゃんにばっかりずるーいっ!」
その横でケイが騒ぎたて、ガタガタと身を震わせる。
「そう言うなよ、この際しょうがねぇだろ」
こっちからバッグに触れるような状況じゃなかったので、手持ち無沙汰になって再びケイに手を伸ばす。どうやらかなりお冠のようだ。
どうやってケイをなだめようか、そんなことを考えた、その時だ。
「んっ・・・・・・くぅっ・・・・・・んっ・・・・・・」
いきなり、クリンがあえぎ声を上げはじめたのだ。のみならず、表情までなまめかしくなっている。
「わーっ!わーっ!お前なにやってんだあああああ!」
思わず、口を塞いでしまう。
「わーっ!わーっ!わぁーーーーーーーっ!」
だがそのせいで、今度は携帯を、つまりはケイを放り投げてしまった。
我に返って振り返ると、その携帯が放物線を描いて教室のすみへと飛んでいくのが見えた。
「どけえええええええ!」
今度は全力でそっちに飛び出す。途中にはクラスメイトの机があるがそんなのは構っていられないので強引に飛び越えていく。
そしてケータイをキャッチした直後。
どんがらがっしゃーんっという音と共に、俺は部屋の隅にあるゴミ箱に突っ込んでしまった。