11.そしてみんな動かなくなった その11
「どうだ?」
「少し黙っておれ」
魅尾が鼻をひくつかせながらそう答える。警察犬が犯人の匂いを追跡する様子を思わせるが、それを言ったら気分を害しそうなので黙っておく。
こいつは今、「界を結ぶもの」を探している、らしい。なんでも、そういうものは大抵目に付かないよう隠されているので、見つけるにはそこから出る気配というか波動を感じ取るしかないんだそうだ。
「む、ここがあやしい喃」
そして魅尾は、部屋の壁にぺったりと張り付いた状態で上を見てそう言った。
この部屋は、常盤さんが事務所として使っている部屋だ。言い換えると、昨日バレンシアが電撃をばら撒いた部屋であり、あの怪しい関西弁をしゃべる黄色い服の女が壁の中から出てきて、また壁の中に消えた部屋でもある。
そして、魅尾は壁際に立ち、なぜかその壁の上のほうへ手を伸ばそうとする。別に何も見当たらないんだが、何かあるんだろうか。
「・・・・・・何やってんだ?」
「とっ、届かぬのじゃっ、あと、少し上なんじゃがっ」
壁際でぴょんぴょんと飛びはね、上のほうを触ろうとする魅尾。その動きと、もふもふした白い尻尾が一緒に動く様は、小動物が何かにじゃれているようで目じりが下がりそうになるが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「ちょっとじっとしてろ、今持ち上げてやるから」
いくら飛び跳ねても、こいつの手は俺の胸ぐらいまでしか届いていない。
俺は、魅尾の後ろに回ると、両脇に手を入れて持ち上げた。顔の向いている方向こそ違うが、赤ん坊をあやす時に「高い高い」とやるような形だ。
「うひゃ!?」
すると、魅尾は変な声をあげる。
「なななななにをするのじゃいきなり!」
「だってこうでもしなきゃ届かないだろ、今はガマンしろ」
変なところでも触ってしまったのだろうか、よく判らないがとりあえず今はガマンしてもらおう。
「どうだ、このへんか?」
どのへんか判らないので、俺の頭と同じぐらいまで持ち上げる。
「う、もう少し上じゃ」
「こんな高いもふっ!?」
魅尾が上と言うので素直に持ち上げたところ、突然真っ白い毛玉が顔にぶつかってきた。
「ひゃ!?こ、こらぁっ、何をしておるんじゃあっ!く、くすぐったいっ!」
その直後、その毛玉が動き出して、俺の顔をてふてふてふという感じで叩く。全然痛くはないんだが、ちょっとうっとうしい。
「こ、こら、待て、しょうがないだろ、尻尾動かすな、ふぁ、ぶぇっきしっ!」
「ひゃあああああ、ゆ、ゆらすでないぃ!怖いではないかぁ!」
「わわっ、すまんっ!」
思わず謝ってしまったが、これは俺のせいだけじゃないぞ、魅尾。
最終的に、魅尾を天井近くまで持ち上げ、俺は顔を下に向けて、なんとかやり過ごした。
「ふぅ、ふぅ、うむ、ここじゃ。ここに何かあるぞよ」
魅尾の手がぺしぺしと壁を叩く音が、頭上から聞こえる。
魅尾を下ろして、改めて見てみると、そこは本当に天井ぎりぎりの所だった。
「将仁。あの壁のところに何かがあるのを感じた。壁をはがせ」
魅尾は、俺に向かってそう命令してくる。
「ったく、ガキのくせに偉そうに指示すんな」
「わらわはガキなどではない!少なくとも御主の30倍は生きておるわ!」
「長く生きてりゃいいってもんじゃないだろ、ったく少しはガキらしくしろって」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ魅尾を後に、俺は常盤さんのデスクの引き出しから肥後守(カッターナイフじゃないところが常盤さんらしい)を取り出し、部屋にあった適当な椅子を引っ張って持ってくる。
ちなみに、常盤さんの服は、みんなを下に連れて行った時に一緒に持って行ってある。
「よっと、このへんだよな」
椅子を壁際に置くと、俺はその上に立ち、肥後守の刃を出して、指示されたあたりに刃を当てて壁紙に切れ目を入れる。昨日の騒ぎで壁紙はすでにぼろぼろで、近いうちに張り替える予定なので、多少傷が増えても問題ないだろ。
そして、壁紙をはがす。当然ながら、コンクリートの下地が出てくる。しかし今回はそこにプラスアルファなものが現れた。
壁紙の下、コンクリートの壁に、漢字や漢字を組み合わせて新しい文字にしたような模様が、黄色の染料で書かれていたのだ。
なんだこれ。壁紙の下ってことは、この前壁紙を張った時に書かれたってことか?
「いや、違うの。これはごく最近書かれたものじゃ。将仁、喜べ。この術者が如何なる方式で陣を張っておるのか、掴めてきたぞ」
だが、それを目にした魅尾は、はっきりとそう言ってくれた。さすが俺の30倍生きた妖怪だとちょっと感心してしまった。
「あれは、黄麟の名を借りた土気の祭文じゃ。あれから察するに、この家屋内に、強制的に五気の力が安定した空間を作ろうとしておるようじゃ」
だが、その後の説明はまた良く判らない言葉が並んだ。
「その五気が安定してると、どうなるんだ?」
「全てのものが最も安定した状態となる。すなわち、あやかしの力が入り込む余地がなくなるということじゃ」
「だったらさっさと片付けようぜ。どうすりゃいい?」
「む、ならば、木で出来たものを持参するのじゃ。なるべく白木のものが良い」
すると、魅尾は腕を組んでちょっと考えるそぶりを見せ(むくれているようにも見えるが)、こう言った。
「木?なんでだ?」
「木剋土と言って喃、土気は木気によって打ち滅ぼされるのじゃ。木の根は土より養分を吸い上げ土を弱らせるであろ」
魅尾はそんなことを言っている。五行説という思想に基づいた考え方らしいが、本当にそんなもんで解除できるのだろうか。
いまいち納得できないまま、俺は1階に降りると、台所からすりこぎを持っていった。
「随分とつまらんものを持って来た喃」
「白木のものなんて今時このぐらいしかないって」
「まあ良い。ちと貸せ」
すると、魅尾がちっちゃい手を差し出してくる。何をするのかと思いながらもそのすりこぎを渡すと、魅尾は何かぶつぶつとつぶやきながら(声が小さくて聞き取れなかった)その表面を手でぺたぺたとさわりはじめた。何のまじないだろう。
「こんなもんでよかろ。ほれ、御主の出番じゃ。これであの祭文を叩くのじゃ」
暫くしてから、魅尾はそう言いながらすりこぎを俺に差し出した。
「お前が何とかするんじゃなかったのか?」
「わらわでは背が届かんのじゃ。あとは誰がやっても同じじゃ、さっさとせい」
魅尾に促され、半信半疑ながら、椅子の上に乗ると、すりこぎでその黄色い文字のあたりを軽く叩いてみる。すると、見たところ剥き出しのコンクリートなのに、ゴムか低反発シートの上から叩いているような、妙な感触があった。
「なんだこれ?」
「相剋の関係にある故反発しておるのじゃ。軽くではその反発を越えられん、思いっきりやれ」
というので、俺はすりこぎを振りかぶると、思いっきりその壁に書かれた文字目掛け叩きつけた。
すると。硬い手ごたえがあった、と思った瞬間。ボゴッという音とホコリを立てて、コンクリートで出来た壁が向こうへ凹んだのだ。
「な、な!?」
そのホコリが俺の顔めがけて噴き出して来たので思わず顔を背ける。
ホコリが散ったところで改めてそこを見てみると、さっき黄色い模様が書かれていた部分を中心に、直径1メートルぐらいの範囲で壁のみならず天井までがすり鉢状に凹んでいた。いくら使ったのがすりこぎだからって、こんな形になることはないだろうに。
そして、黄色い模様は、跡形もなく消えていた。
「うむ、成功のようじゃな。陣の力が弱まった」
自分の体をきょろきょろと見回しながら、魅尾がそんなことを言う。しかし、その割にはなんの変化も見られない。
「本当に成功なのか?何か変わった様子がないんだが」
「御主は、あやかしで無いから判らぬのじゃ」
「本当かねぇ?」
俺にも一応、擬人化の力が、魅尾の言葉を借りればあやかしを作る力があるんだから、多少は何か感じても良さそうなものなんだが。
「さて、それでは次へ参るぞ」
そんなことを考える俺の前で、腰に手を当て仁王立ちした魅尾が、何やら不穏な言葉を発する。
「へ、次?」
「そうじゃ。まだ五気のうち土気を解き放っただけじゃ、あと火、水、木、金の気を解き放たねば全ては終らん」
いまいち状況が把握できない俺に、魅尾はそう言い放った。つまり、あと4つ、こういうのがあるってことらしい。
「お前、そういうことは最初に言えよ」
なんか、疲れてため息が出てしまった。