11.そしてみんな動かなくなった その6
きんこーん。
今から1週間と1日前。鏡介が現れたばかりの、まだアパートにみんなが住んでいたころ。
将仁を送り出して、モノたちがわいわいと話をしていると、来客を示す呼び鈴がなった。
「はーい!」
ぴょんっと立ち上がったケイが、たたたっと玄関に向かって走っていく。
「こんにちは、ケイさん」
ドアをあけると、眼鏡をかけたスーツ姿の女性がそこに立っていた。
電話で前もって来ることを告げていた、常盤弁護士その人だ。
「こんにちはです、常盤さん」
「ずいぶん早かったねぇ、弁護士さん。もしかして弁護士ってヒマなのかい?」
ケイの後ろから、ヒビキが顔を出す。
「ええ、今の私は、西園寺の専属弁護士ですから」
常盤は平然とそれに答え、そして家の中に遠慮なく上がってくる。
そして、ダイニングの昨日腰掛けた席に静かに腰掛けた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。突然の訪問、驚かせてしまったかしら?」
ケイが差し出したお茶を受け取りながら、常盤が笑いかける。
「ど、どうも、こんちは、はじめまして」
「あ、はい、こんにち・・・・・・あら?」
だが、鏡介が顔を出すと、さすがに少し驚いたようだ。
「将仁さん、学校はいいんですか?先ほど、学校に向かわれたと」
「あ、すいません。俺、将仁さんじゃないんですよ。えーと、その、なんつったらいいんだろうな・・・・・・」
「常盤さん、違うの。鏡介お兄ちゃんは、鏡の擬人化さんなんだよ」
「・・・・・・鏡?なるほど、将仁さんの姿を模しているというわけなのですね」
ケイの言葉で全てを理解したように。常盤は顔をあげた。
「えっ、擬人化のこと、知ってんスか!?」
その事実に、鏡介は逆に驚かされた。無理もない。鏡介は、将仁の擬人化の力がこの弁護士によって覚醒させられたことを知らないのだ。
だが、その常盤をしても予想外だったことがある。
「・・・・・・鏡介さん。あなた、もしかして、男性ですか?」
「は?そ、そうですが」
「・・・・・・」
「な、何スか、俺のことじーっと見て。だから俺は本当に将仁さんじゃないんですって」
「あ、ごめんなさい。擬人化の男性なんて、ちょっと予想外だったものですから」
「予想外って、男が出ることがかい?」
「ええ、だって、真田、将仁さんは男性でしょう?」
ヒビキの問いかけに対し、常盤は簡単に説明をする。なんでも、西園寺の擬人化の力は、行使する人物と対になる性別をもつ、という法則があるのだそうだ。たとえば、男性が擬人化を発動させる場合、対象は、その対になる女性になるといった具合だ。
「さかしまに映し出す、鏡というものの特性によるのかしら」
「ま、まあ、何事にも例外はあるってことじゃないッスかね?」
鏡介の言葉で、その場は一応収まる。
「それにしても、テルミお姉ちゃんとクリンちゃん、遅いなぁ。何やってるんだろ?」
ちらりと、ケイが奥の扉に目を向ける。
「クリンさん、と、とりあえず。これを羽織るのがいいでしょう」
「あうぅ、でもこれぇ、だぶだぶですよぉ」
「その格好よりはましでしょう、お客様の前にそんな格好で出るなんてダメでしょう!」
「ふみゅうぅ、これ、なんだかごわごわしますぅ」
その扉の向こうから、テルミとクリンのそんなやり取りが聞こえる。どうやらクリンに何か服を着せようとしているらしい。
「ちっ」
その様子を聞いていたヒビキが舌打ちをする。
「まぁいいや、ほら、鏡介もケイもそんなところでぼけっとしてないで座った座った」
そして、と、鏡介とケイを空いた席に座らせると、常盤が座った向かいの席にちょっと乱暴に腰掛けた。
「なぁ、弁護士さんよ」
そして、テーブルに右ひじをついて、身を乗り出し、鋭い目をさらに鋭くし、どすを利かせた声を出す。
「あたしゃ、この前遭ったときから、気になっていることがあったんだ。聞いてもいいかい?」
「はい、私に答えられることであれば」
だが、常盤はまったく動じることなく平然と答える。
それを挑戦と取ったのか、ヒビキはにやっと笑った。だが、目は笑っていない。
「心配するこたぁないよ、あんただったら絶対に答えられる事だからさ」
そして、再び表情を厳しくすると、バイザーを指で押し上げてあみだにし、常盤を睨みつける。
「あんた、一体、何者なんだい?」
「私は、弁護士の常盤花音代です」
常盤が答えた、その瞬間。ヒビキがテーブルをどんと叩いた。
「ふざけるなよ。あたしが聞きたいのはそんなことじゃない、あんたの本当の目的だよ。あんた、何が目的でうちの頭に近づいた?将仁を使って、何をしようってんだい?ええ?」
そして、問い詰める口調をさらにきつくする。それはまるで、刑事ドラマで容疑者を取り調べる刑事のようだ。
「ヒビキさん、それって一体どういう意味なんだ?」
その展開についていけない鏡介が、困惑した口調で問いかける。
「・・・・・・ヒビキさん、何か誤解をされているようですが・・・・・・」
常盤は、一瞬眉をひそめたが、あくまでも落ち着いた答えを返す。
「へぇ、誤解ねぇ、じゃあ、あんたが人間じゃないってことは、どうやって説明するんだい?」
すると、ヒビキは上体を起こし、さらに鋭い目つきで睨みつけながら、指先を目の前の弁護士に突きつけた。
その瞬間、常盤は明らかに動揺した。
しばらく、沈黙がその場を包む。
「・・・・・・いつから、気がついていました?」
やがて、常盤が、眼鏡をくいっと押し上げてヒビキに聞き返した。その目には今までにない鋭い光が宿っている。
「昨日、あんたの話を聞いているときに、なんとなくね。今日、改めて会って、確信したよ。ケイ、あんたも、なんとなくは気がついていたんじゃないのかい?」
言いながら、ヒビキはケイに目を向ける。
「う、うん・・・・・・」
すると、いままで押し黙っていたケイが、自信なさげに頷いた。
「どういうことだ?」
「あのね、なんとなく、だけど、常盤さんから受ける感じが、お兄ちゃんやりゅう兄ちゃんより、ヒビキお姉ちゃんとか、鏡介お兄ちゃんに、近い感じが、するの」
はっとして、鏡介が常盤弁護士の顔を見た。
「ううぅぅ、なんだかチクチクして歩きにくいですよぅ」
「まったくもう、お客様の前に裸で出ようなんて、失礼この上ないでしょうっ」
そのとき、見計らったように奥のドアが開き、メイド服の上からマントを羽織ったテルミと、将仁のものであろうだぶだぶのジャージを着たクリンが部屋から出てきた。
「よう、二人ともちょうどいいところに来た。弁護士さんが、あたしらに話したいことがあるってさ」
その二人に向かって、ヒビキがひらひらと手を振る。
「ヒビキさんっ、行儀が悪いでしょうっ!」
そこにつかつかつかっとテルミが歩み寄ろうとする。
「ちょっ、ちょっと、待ってくれ。よく分からないけど、大事な話らしいんだ」
だが、その前に鏡介が立ちふさがり、テルミの両肩を押さえると、テルミはうっと黙り込んだ。
「ね、クリンちゃんも、話を聞いて。ね?」
「う、うん」
ケイがクリンの顔を見上げると、クリンは素直に頷いた。
そして、鏡介が立った席にクリンが座ると、全員の視線が、常盤弁護士に向けられた。
「さあ、全部吐いてもらおうか。あんたの正体、あんたの目的、洗いざらい全部ね」
「・・・・・・俺、常盤さんとは会ったばかりですけど、疑いたくないんです。隠し事は無しにしてくれませんか?」
「ええ、分かっています。私も、あなたたちを敵にするつもりはありませんから」
鏡介の言葉に、常盤は静かに答え、そして再び眼鏡を直した。
「皆さん、付喪神というものをご存知ですか?」
「長い時間を経て、道具に命が宿り、変化してなると言われる、妖怪の一種でしょう」
「道具に命が宿る、ですかぁ?私たちみたいですねぇ」
「でも、テルミお姉ちゃん、長い時間を経てって言ったよね?ケイ、お兄ちゃんに丁寧に使われたことはあるけど、そんなに長い間使われた記憶はないよぅ?」
「そこが、付喪神ってやつとあたしらとの違い、ってところなんじゃない?」
「それが常盤さんとどんな関係が・・・・・・あ?」
そこまで口にした瞬間、気がついたように全員の視線が常盤に集中する。
「・・・・・・そのとおりです」
そう言いながら、常盤はゆっくりと立ち上がり、全員に背を向ける。そして、後頭部に手をやり、そこで髪をひっつめてまとめている、フリルつきのハンカチをほどいて見せた。
そのとき、そこにいた全員が、目を丸くした。
そこにあったのは、髪の毛ではなく、男性の握りこぶしぐらいの、丸い金属的な光沢を放つ物体だったのだ。球を押しつぶしたような形のそれには、ふちを囲むようにキザギザが並んでいる。
昔の腕時計や懐中時計などについている、ゼンマイを巻いたり時間を合わせたりするのに使う、リューズと呼ばれる部分をそのまま大きくしたような感じだ。
「私は、その付喪神なのです。皆さんが知りたがっていた私の正体、それは、今から108年と5ヶ月12日前に作られ、それから3ヶ月と3日後に西園寺家当主の手に渡り、そして使われていた、懐中時計なのです」
言いながら、常盤は再び皆に向き直り、後頭部のリューズを右手で回し始める。すると、ちょうどゼンマイが巻かれるような、かちかちかちっという音がした。
「・・・・・・私は、先代、先先代、その先代、と、西園寺家に来てからずっと、大事に扱われて来ました。それは私が命を得てからも変わることはありませんでした。私は、その恩を忘れたことは一瞬たりともありません。
今、その西園寺の家系が、先代の死により途絶えかかっています。私の望みは、先代の意思を将仁さんに伝え、そして西園寺家を存続させること。それだけです」
椅子に座りなおした常盤は、真剣な表情で言葉を連ねる。
「皆さんには、将仁さんが西園寺の後継者となれるよう、応援してほしいのです」
「それだけじゃないだろ、弁護士さん。まだ言っておくことが、あるんじゃないかい?」
だが、そこにヒビキが声を投げる。彼女はまだ、腕を組んで険しい表情を崩していない。
「あんたは、将仁の手首にある刺青のことを、その経緯から知っていた。将仁がその西園寺家の人間だってことを示すだけなら、あんたがうちに来てそのことを話すだけで十分、あたしらを呼び出さす必要はなかったはずだ」
「そうか、俺たちが現れるってことは、裏を返せば、いないはずの人が突然現れたのと同じこと。そういう意味では俺たちはみんな不審者、俺たちの存在自体が、色々な意味で危険なんだ」
そして、鏡介も同じ目を向ける。
「そういえば常盤様は弁護士、法律の専門家である以上、その程度のことは気づいて当然でしょう。私たちは将仁さんのお役に立つために居るのですから、迷惑をかけては本末転倒でしょう」
「じゃあ、常盤さんは、危険だって知っていたのに、あえてお兄ちゃんの力を覚醒させて、ケイたちを呼び出させたってこと?」
「はうぅ、どういうことなんでしょうぅ、私、頭が悪いので良くわからないですぅ」
そして、結局は全員の視線が常盤に注がれることになる。それはどことなく、この家にもとからあった物たちが、常盤という外から来た物を見定めているようにも見える。
常盤が、ふぅとため息を吐いた。
「わかりました。できれば、必要になるまで黙っていようと思っていたのですが・・・・・・仕方ありません」
ふっと、常盤は今まで見せたことがないほど険しい顔を見せる。
そして、これから話すことは、まだしばらくは将仁さんには黙っていてください、そう前置きしてから、話し始めた。
「西園寺家の断絶、それは、とある人物と、その人物を頂点とする組織によって、人為的に行われたのです。彼らの望みは、西園寺家の遺産」
「それって、昨日、将仁が言っていたシナリオそのまんまじゃないか。冗談はやめとくれ」
「そう思われるのも無理はありません。ですが、これは紛れもない事実。昨日、将仁さんがそのことを口にされたときには、不審に思われないようふるまうのに気を使いました」
ヒビキの横槍も、常盤は今までにない口調でぴしゃりとはねつけた。
「彼らは、もう20年近く前から、西園寺家を潰し、財産を奪うために動いていました。そして今から10ヶ月と20日前、西園寺家の最後の頭首を亡き者にしたところで、遺産は彼らのものとなり、彼らの計画は達成されてしまうはずでした。
西園寺家の方々も、それに気づいていないわけではありませんでした。ですが、気がついたときにはすでに彼らはその組織の者に監視されており、手も足も出なくなっていたのです。
そこで、先代は、せめて自分の子だけでも彼らの目の届かないところに、と思い、策を労したのです。それは、生まれてくる子供を、無事だったとしても死産であったとし、そして、その子を西園寺とは関係の無い子供として生きさせるというものでした」
無謀な話ではあったが、幸運にも将仁が生まれた時に同じ病院で実際に死産があり、結果、その計画はうまく行ったのだそうだ。
その後、一度だけ西園寺の人間がその子に手を出したことがあった。それが、将仁の左手首に目印の「左三つ巴」の刺青をしたときだ。間に人を介して行われたため、だれがどうやって行ったのかは花音代本も知らず、ただ「やった」という報告だけがあったのだそうだ。
「本当は、その後永遠に、その子には関わりを持たないはずでした。ですが、最後の最後になって、先代、西園寺静香様の心が、ついに挫けてしまわれたのです。
そして、どこにいるのかも分からない、本当に生きているのかも判らない自分の息子に、西園寺の遺産を継がせるという、遺言を残されました」
そう言いながら、常盤は自分の懐から白い封筒を引っ張り出す。先代の残した遺言書だ。
「組織の者たちにとって、この遺言書と、まだ西園寺の血が断絶していないという事実は、大きな誤算でした。その二つが残っている限り、西園寺の遺産は再び手が届かぬものとなってしまう、そのため、彼らは、遺言書と、後継者のどちらかを消してしまおうと動き出したのです」
遺言書を預かる花音代も、何度も命を狙われた。そして、遺言書を奪うことが難しいと見るや、むこうは時間切れを待つような構えを見せたが、つい最近になってその組織が、今度は後継者である将仁をターゲットにして動き始めたらしい。
「遺言書だけであれば、私の力で守りきることもできます。でも、将仁さんは懐に入れて持ち歩くわけにはいきません。ボディーガードを雇おうか、とも考えましたが、将仁さんの存在を知ったのはつい先日で、雇う人の身元を完全に調べるだけの時間がありません。
迷った結果、将仁さんの体に眠る西園寺家の、物部神道の力を呼び覚まし、その力で自身を守っていただくことにしたのです。将仁さんは西園寺の、物部の血を直接引く最後の一人。その資格は十分にあると思い。行動を起こしました」
「・・・・・・物部神道の力、ということは・・・・・・常盤様は、私たちを、最初から兵隊として使うつもりだった、ということでしょうか?」
今度は、テルミの目が鋭くなる。物部の名は、自らは動かない「モノ」の魂を、活力を与えて行使したことによる。さすがに、チェスの駒のように思われていたのは気に入らなかったようだ。
「仰るとおりです」
その瞬間、真田家のモノたちの目が鋭くなった。明らかに怒気を帯びている。
「正直に言います。私は、将仁さんの力、物部神道の力を、将仁さん自身を守る「兵隊」を作らせるつもりで、目覚めさせました。でも、将仁さんの力は、私の想像をはるかに超えていたのです」
「どういうことだい」
怒気を帯びた声で、ヒビキが聞き返す。
「私は、擬人化、と言っても、主の命に従うだけの、いわばロボット的なものしか出来ないと、思っていました。先代、先々代にも同様の力はありましたが、顕現した存在はその程度のものに留まっていたからです。
もしその擬人化で現れたのがその程度の存在であったら、私がすぐに伺い、指示を出して動かすつもりでした。
でも、皆さんは、「意思」というものを持ち合わせていました。私が100年かけてようやく手に入れた「意思」を、です。
だから私は、貴方達を「駒」としてではなく、「人」として扱い、「協力」してもらわなければならない、と考えなおしたのです」
お分かりいただけましたか?と、常盤は最後に付け加え、真田家モノ軍団のほうを見た。
しばらく、重い空気が流れる。
「なるほど、そういうことスか」
最初に口を開いたのは、腕を組んで考え込んでいた、鏡介だった。
「やっと、俺がするべきことが分かりましたよ。俺は将仁さんを守らなきゃならない。そのために俺は存在しているんだってことに」
「なんかあんたの手の上で転がされているだけのような気もするけど、将仁を守るってのはあたしも賛成だね」
「私もです。この姿を与えられたのは偶然なのでしょうけれども、この家にいる以上、将仁さんを幸せにする事は私もやぶさかではないでしょう」
「お兄ちゃんのためだもん。ケイもがんばるね。
でも、みんな。無茶とか悪いことはしちゃ駄目だよ?そんなことしたら、たとえお兄ちゃんのためだったとしても、お兄ちゃん、絶対に喜ばないから」
「はいぃ、将仁さん、優しいですからねぇ」
鏡介の言葉を皮切りに、真田家モノ軍団の結束は一気に強くなったようだった。その様子、自分の提案に皆が理解を示してくれたことに、常盤は嬉しくなった。