10.なにがお嬢様だ その16
「真田君?・・・・・・真田君じゃないの?」
六角さんと別れ、しばらく手持ち無沙汰にしていると、後ろから不意に声をかけられた。
振り向くと、20代半ばぐらいの、紺色のカクテルドレスを着た上品な感じの人が立っていた。
「やっぱり真田君だ。こんな所で会うなんて、珍しいこともあるのね」
その人は、互いによく知る間柄であるかのように、親しげに話しかけてくる。
だが、俺のほうは全く心当たりがない。もしかしたら将仁さんの知り合いなのかも。クラスメイトってことは・・・・・・年齢的にないだろうし、このパーティーに来る様な知り合いが将仁さんにいるとも思えないけど。
「あ、いや、そうですか、珍しいですか」
「そうね、でもネクタイはもう少しちゃんと締めたほうがいいわよ?」
そしてその人は俺のネクタイをキュっと締めてくる。ずいぶんと親しい人みたいだが、それで余計に判らなくなる。そんな知り合い、将仁さんにいたのか。
「あ、す、すいません」
「学校だったら多少曲がっていてもいいけれど、こういう場はもう少し身だしなみに気を使ったほうがいいわね」
え?学校?ってことは?
「・・・・・・え、もしかして、先生ですか!?」
すると、その女の人の顔がぱぁっと明るくなった。
「んもう、今頃気がついたの?」
「・・・・・・あ、ああ、って、ええっ!?す、すいません、気がつきませんでした。その、なんか見違えたもんで」
そうか、学校の先生だったのか。人のつながりって、意外なところにあるんだなぁ。
「んもう、褒めたって点数はあげないわよ?」
「いやぁそんなこと考えていないっすよ」
こんなふうに調子を合わせていた、その時。
ちゃーちゃーちゃららら、ちゃっちゃちゃー。
不意に、手に持ったままだった携帯電話が鳴り出した。
「すいません、また電話が」
一言謝ってから、携帯を開く。この呼び出し音はケイちゃんからだな。
「はい、真田です」
「もしもし、鏡介お兄ちゃん?」
将仁さんになりきりながら挨拶すると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、案の定ケイちゃんの声だった。
「ん?何かあったのか?」
「あのね、鏡介お兄ちゃんにね、ちょっとアドバイスしてあげよっかなって思ったの」
アドバイス?なんのアドバイスだろう?
「あのね、その人、徳大寺伊織さんって言ってね、お兄ちゃんのクラス担任なの」
「へぇ、そうなんだ」
「うん。それからね」
そして、ここでケイちゃんは俺にとってすごく大切なことを教えてくれた。
「徳大寺さんね、ケイたち擬人化のこと、よぉっく知っている人なの」
「ええっ!?」
思わず声を上げてしまった。将仁さん、クラスメイトがうちに来たときには、俺達にあれだけ口止めしたのに、実は本人は話しちゃっていたってことか?
「もう、鏡介お兄ちゃん、声がおおきいよっ!」
電話のむこうから、ケイちゃんがぷんすかむくれた声を上げる。そこで我に返って辺りを見回すと、着飾った人たちが、何事かとこっちを迷惑そうな顔で見ている。
「それってホントかい?」
体をちぢこませ、さっきの言葉を念のため聞きなおす。ケイちゃんが言うことだからウソってことはないと思うけど、念のためだ。もし本当だったら、そういうふりをしなきゃならない。
「ホントだよ。徳大寺さんのおうちって、西園寺のおうちと仲が良かったんだって」
というのはケイちゃんの言葉だ。どうやら、将仁さんがバラしたんじゃなくて、それ以前から知っていたってことらしい。
考えてみれば、西園寺の血筋は、名前こそ変わったけど1500年以上前から続いているわけだし、それに秘密の存在ってわけでもないんだから、関係者の10人や20人がいたっておかしくない。
「じゃあさ鏡介お兄ちゃん、徳大寺さんに代わってくれないかな?」
突然、ケイちゃんがそんなことを言い出した。
「ケイから、先生にお話してみる」
「大丈夫かい?」
「大丈夫だよ。ケイ、この前シデンちゃんが学校に来たときに、先生とお話したことあるもん」
人見知りのケイちゃんにしてはずいぶんと自信があるような感じがあったみたいなので、言うとおりに徳大寺さんに渡してみることにした。
「え、あ、ええとその、先生、なんか、先生に話があるって」
「え?私に?」
携帯を開いたままで差し出すと、先生は少し面食らった顔をした。そりゃそうだ、いきなり他人の電話に出ろっていうんだから。
「はい、もしもし、徳大寺ですが」
そして、訝しげな表情のまま携帯電話を耳にあてる。だが、その表情はすぐに明るくなった。
「もしもーし、お兄ちゃんがいつもお世話になってまーす」
「あら、この声はケイちゃん?」
「そうでーす」
徳大寺さんは、まるで友人と楽しい会話でもするかのように、携帯電話のケイちゃんと話をしている。会ったことがあるっていうのは、まんざら嘘でもなさそうだ。
「ええっ!?そうなの?」
と、突然、先生が驚いたようにこっちを向いた。そしてじーっと俺を見つめてくる。ケイちゃん、何を言ったんだろう。
「あなた・・・・・・真田君じゃないって、本当?」
すると、先生は小声でそんなことを聞いてきた。なるほど。あのことを話したのか。でもさすがににわかには信じがたいらしく、混乱しているのが見て取れる。
「ケイちゃん、話しちゃったんですね」
「・・・じゃあ、やっぱり」
「ええ。俺もケイちゃんと同じです。まあこんなふうになったのは、色々とワケがあるんスけど」
一応、徳大寺さん以外にも人がいるので、“擬人化”という言葉は隠しておく。
「本当の、真田君は?」
「ええ、ちょっと具合が悪くなりましてですね。でも将仁さんって義理堅いスから、呼ばれた以上は這ってでも行かなきゃって言ってたもんで、それじゃあってことで俺が身代わりになったんです」
「・・・・・・そう、だったの」
俺は役割がら、色々な人の顔を見てきた(忘れているかも知れないが、俺は元々アパートの洗面所に備え付けの鏡だったから、将仁さん以外の顔も見ているのだ)から、人の表情を読むのは結構得意だったりする。で、先生は、見たところまだ納得できていないらしい。
だが、ここで「俺がモノである」ということを証明するのも、難しいんだよな。いちばん簡単なのは目の前で変身することなんだが、なにしろ人目があるのでそれはまずい。
そんなふうに考え事をしていると、先生がまたケイちゃんを耳に当てる。そういえばまだ返してもらってなかったんだっけ。
・・・・・・はて、何を話してんだろう。ずいぶんと長話だなぁ。
それからたっぷり10分ほど、俺のことをほったらかしにして、先生はケイちゃんと楽しそうに何やら喋った後、俺に携帯を丁寧に差し出した。
「あなた、鏡なの?」
受け取ったとき、先生はそんなことを言ってきた。どうやら、さっきのおしゃべりの中で俺のことも喋ったようだ。
ここでなければ色々見せることが出来る、と言ってみたら、先生は疑り深いような驚いたような、それでいて興味津々みたいな顔をしていた。