09.幽霊って何ですか その7
そして他のモノたちは、魅尾の状態を診てもらうためと、飼育用の道具を購入するために、全員外出をしていた。
二手に分かれた一方は、そのころ大通りに設けられた歩道を歩いていた。
常盤弁護士と鏡介だ。そして、鏡介の手には、正面に扉がある、プラスチックで出来たペットケースが提げられている。その扉を透かして中を見ると、昨日床下から見つかった子狐、魅尾が、毛布に包まれて眠っているかのようにじっとしている。
二人は、動物病院から帰るところだった。
「まあなにはともあれ、命に別状が無くてよかったっすね」
鏡介が、並んで歩く常盤にそう声をかける。
医者に診て貰った結果だが、魅尾は結局病気などではなく単純に体力を消耗し切っていただけだった。そこで、今回は栄養剤の注射を1本打つだけにしておいて、各種必要な予防接種は後日元気になってからということになった。今は体力が無さ過ぎるので、ワクチンで病気になってしまう可能性もあるからだ。
事実、その栄養剤の注射をされても、魅尾はほとんど反応しなかった。
「でも、油断は禁物ですね。早く回復させないと、違う病気にかかるかもしれませんし」
常盤は、そう厳しい発言をする。
「それにしても、彼女たちは、ちゃんとやってくれているのでしょうか」
そして、メガネをくいっと上げてから、日の高い青空を見上げた。
そのころ、もう一方は。
「何アルか、コレ?」
「知らぬのか、これは油揚げというものだ」
「それぐらい判るアル、油豆腐は中華でも使うアルから。ワタシが聞きたいのは、どしてこなに沢山買うのカてことアル」
「ならば説明してやろう。狐がいるからだ。古来より油揚げは狐が好物とするものであるからして」
「だからて、棚がカラになるほど買う必要はないアル、生ものだから悪くなてしまうのコトね」
スーパーの中で、買い物籠を間に挟んで、まだ少女と呼んだほうがいい年頃の2人が言い争いをしていた。
言わずもがな、シデンと紅娘だ。そしてその2人の間にある籠には、袋に入った油揚げが山と積まれている。普通ひとりがまとめて買うものではないので、油揚げのコーナーは空になってしまっている。
「もう、二人とも何をしているの」
そこに、カートを押しながらもうひとり、レイカが現れる。そのカートはすでに食料品でいっぱいになっている。毎日のようにこれだけ買ってもすぐ無くなるのが今の真田家なのである。
「おお、レイカか。言ってやれ、狐はいかに油揚げを好むということを」
先に反応したのはシデンのほうだった。和装同士、意見が合うと思ったのだろう。
「シデンサン、話が違うアル。ワタシは、今日買わなくてもいいと言てるダケアル」
紅娘も負けじと反論する。
「何を言うか、備えあれば憂いなしだ。補給を断たれては戦線は立ち行かぬではないか」
「だからワタシは程度の問題と言てるアルよ、過剰な供給しても無駄増えるだけアル」
そしてまた口論をはじめる。
レイカは、まるで妹同士の口論を見守る姉のようなまなざしでそれを眺めていたが、しばらくして口を開いた。
「言いたいことは判ったわ。確かに、狐の好物は油揚げだって言われているわね」
「ほら、見ろ。我の言ったとおりだろう」
その言葉を受け、シデンが得意げに胸を張る。
「でもこれは明らかに多すぎね。買うのは三分の一以下にしましょう」
だが、次にレイカが発したこの言葉で、紅娘とシデンの立場は逆転してしまった。
「だーから言たアル。过木桶波及驾好象(過ぎたるは及ばざるがごとし)と言うアル」
「くっ、わ、判らん例えを出すなっ」
得意そうにふんぞり返る紅娘の前で、シデンは悔しそうにうつむき紅娘を睨みつける。
「レイカっ!貴様、紅娘の肩を持つのかっ!?」
かと思うと、今度は自分の意見を否定したレイカのほうに噛み付いた。
「シデン、その油揚げを沢山買っていったとして、誰が保管すると思っているのかしら?」
だが、レイカのその一言には反論できず、そのまま黙り込んでしまった。なにしろその「食料品の保存」をしているのが目の前にいる元冷蔵庫のレイカであり、また冷蔵庫の容量には限界がありその限界を最もよく判っているのもレイカなのだから、これには誰も文句が言えない。
「近々で使うのは、このぐらいかしらね。じゃあ私はお会計を済ませて来るから、残りの油揚げを棚に戻しておきなさいな」
レイカが、買い物篭いっぱいに入った油揚げから適量を取り上げてカートに乗せる。
「さ、シデンサン、棚に戻すヨ。ワタシも手伝うアル」
そして残った油揚げが入った籠を持ち上げ、紅娘が未だに悔しそうにうつむくシデンに声をかけながら籠の中身を棚にもどしはじめる。
「・・・・・・き・・・・・・」
そのシデンが、うつむいたまま、声を漏らした。見ると、拳を握りしめ、体が小刻みに震えている。
と、何事かと彼女を見つめる二人の前で、シデンはいきなり顔を上げた。泣くのを堪えているのか、両目に涙がたまっている。
泣かすようなことを言ったかしらん、と二人が顔を見合わせた、その瞬間。
「貴様らなんて、嫌いじゃーーーーーっ!!」
シデンは、突然半べその顔でそう叫ぶと、だだだだだだっ、と、もの凄い勢いでどこかへと走り去ってしまったのだ。
平日の昼前とはいえ、スーパーの中には買い物客が少なからず居る。店の中を泣きながら全速力で駆け抜けていくシデンの姿を、そのほとんどは何があったのかと怪訝な表情で見つめていた。
「・・・・・・ワタシ、何か悪いこと言たアルか?」
「まああの子は意地っ張りなところがあるから」
それだけ言うと、レイカはカートを押して違う方向へと歩き出した。
「あ、ちょ、追わなくてヨロシアルか?」
「私たちじゃ追っても無駄よ、どうせ追いつけないし、あの子には翼があるし。それに」
「それに?」
「あの子には他に行くところもないし、おなかがすいたら家に帰ってくるでしょ」
「・・・・・・それも、そアルな」
あっさりとレイカに迎合した紅娘は、空の買い物篭を手に下げて、レイカと一緒に歩き出した。