08.慣れというのは恐ろしい その20
一羽の鳥が、完全に日が暮れた中を飛んでいた。
その向かう先には、この地の鎮守の森、そしてその森をすべる神社がある。とはいえ、日が沈んだ今は、周囲に比べ明かりの点が少なく、削り取られたように暗い空間となっている。
神社というものは、初詣や行事の無い時は閑散としているものである。ここ、四賀茂神社も例外ではなく、訪れる者もない社は明かりもなく静まり返っている。
その右手のほうに、神社の社務所があり、そこは人がいることを証明するように煌煌と明かりが点っている。
鳩ぐらいの大きさがあるその鳥は、その社務所の明かりが点いている部屋の一つへと向かっているようだ。
やがて目指す窓の外へたどり着いた鳥は、窓枠につかまり、こつこつと窓ガラスを嘴で叩く。すると、それに応えるかのように窓が開かれた。
窓を開いたのは、くせのない黒髪が印象的な、まだ高校生ぐらいの若い女だった。
「おつかれはん、はようお入り」
女は、その鳥の姿を確認してから、そう声をかける。鳥は、その女に促されるように窓をくぐって部屋の中に入り、床に着地した。
部屋の照明に照らされたその鳥は、全身が真っ赤だった。その赤い鳥の前に女が座り、そしてその鳥に改めて向き直る。
すると、不思議なことが起きた。
その鳥が女を見上げ、一声鳴いた直後。その鳥の体が、何の前触れもなく真っ赤な炎に包まれたのだ。正しくは、鳥が、自分の体から炎を噴き出し、そして燃え上がった。
そしてその炎は、鳥一羽を燃やしたとは思えないほどに燃え上がり、一瞬のうちに天井まで届きそうなほどの火柱になった。しかも、女はそれを平然と見つめている。
その炎が、突然、幻のように消えた。それと一緒にあの鳥の姿も消え、代わりに、今までとは全く違うものが現れていた。
それは、ひとりの女性のようだった。炎をあしらった、赤い生地に金色の模様がきらきらと輝く振袖のような着物を着崩した、妙齢の女性。だがその髪はまるで染めたように赤く、そして複雑に束ねられた先が跳ねたり流されたりしているため、冠のようにさえ見える。
その女性は、黒髪の女の前に降り立つと、そのままひざまずき、よく通る声でこう言った。
「炎雀、唯今戻りましたわ」
「はい、お疲れはん」
黒い髪の女が労いの言葉を、その炎雀と名乗った女にかけた。その直後だ。
「ずいぶん時間がかかったじゃねぇか」
二人と全く違う、低めだが間違いなく女性の声がした。
声のほうを見ると、そこには床にあぐらをかいて座る、別の人影があった。
和装ではあるが炎雀のような着物ではなく、体にさらしを巻いて法被を羽織り、金属的な光沢を放つねじり襷をした、どちらかと言えばお祭りで神輿を担ぐような格好だ。そこから浮かび上がるボディラインは確かに女性のものだが、かなり筋肉質である。銀色の髪はまるでヤマアラシのように逆立ち、そこに所々黒いものが入り混じっている。
「あら、もう戻ってらしたの、虎鉄さん」
「そっちが遅ぇんだよ、こっちゃあ待ちくたびれたっての」
「仕方がないでしょう、あなたと違って、この炎雀は鳥目で暗いところはよく見えないのですからねッ!」
その物言いがカチンと来たのだろう、炎雀と呼ばれた女性はそこからすっくと立ち上がり、虎鉄と呼んだ女性のほうへと歩いていく。
「なんだよ、やる気かい?」
売り言葉に買い言葉、虎鉄もゆらりと立ち上がり、炎雀をにらみつけると右手を顔の辺りまで上げ、指を蹴爪のように曲げる。すると、その手が見る見るうちに金属的な光沢を帯びていき、同時に指先が刃物のように尖り、皮膚も金属片のようにごつごつしたものへと替わっていく。
「ふん、金気は火気に勝てないということ、一度はっきりさせておいたほうが良さそうですわね」
一方の炎雀も、両手を胸の前に持っていき、ボールを持つような形にする。するとその中にオレンジ色の火の玉が現れ。そして少しずつ膨らみ始める。
「はいはい、二人とも。そのへんにしとき」
だが、もうひとりの黒髪の女がパンパンと手を叩いてそう言うと、二人は我に返った。
「あ、も、申し訳ありません杏寿さま」
「こいつが挑発しやがっから、つい」
そう言いつつ、虎鉄は右手を普通の手へと戻し、炎雀は手の中で膨れつつあった火を両手で押しつぶし、そして黒髪の女の前に座った。
「まあ、別にかましまへんけど、炎雀はん。その前に報告をしてくれまへんか?」
二人に対し、杏寿と呼ばれた黒い髪の女は、慣れた感じで炎雀にそう促した。
「は、はい」
炎雀は改めて座りなおすと、頭を下げてから口を開いた。
「では、本日の報告をいたします。まず、最重要人物である常盤ですが、1日のほとんどを外出で過ごしており、日が沈むまで戻りませんでしたわ。あとは、昼ごろ、中嶋紫電が外出をし、真田蛍をつれて帰宅しましたが、それ以外は昨日の行動から推測されるものばかりで特に目立った動きは・・・・・・あ」
そこまで言ったところで、炎雀は何かを思い出したように声をあげた。
「そういえば、午後にちょっとした騒ぎがありましたわね。家の床下に何かが巣を作っていたようで、捕まえてみたところ、それが狐であったということですわ」
「キツネぇ?こんな街中にかい?」
それに対して声を上げたのは、虎鉄のほうだった。
「えぇ。この私、炎雀の名に掛けましても、偽りは申しませんわ。あれは確かに狐です。もっとも、今日捕らえられたのは子供のほうで、しかもかなり衰弱しているように見受けられましたけれど」
すると、杏寿は顎に人差し指を当てて考えるような仕草をした。
「なんか引っかかりますなぁ」
「引っかかるって、何がだ?」
「ん、お狐はんゆうたら、お稲荷はんどすからなぁ。この四賀茂神社にもお稲荷はんがあるし」
「あ、でもその心配はないと思いますわ」
そこに、炎雀が口を挟む。
「稲荷神に祭られている狐は基本的に白狐ですけれど、あれはそうではありませんでしたわ」
「やっぱ、狐は狐色だったってことかい?」
「そうですわねぇ、狐色と言うにはずいぶんと綺麗な毛並みでしたけれど。いずこかで飼われていたのが野良にでもなったのではないかと」
「床下にいたのに綺麗な毛並みねぇ、鳥目で見えなかったんじゃねぇの?」
「あら、言っていませんでしたかしら?床下から出した後、お風呂に入れていましたのよ」
「なんだ、そうかい」
炎雀の答えに気が殺がれたのか、虎鉄はあぐらをかいた状態で頭を掻く。そしてふと頭を上げると、黒髪の女、杏寿に向かって口を開いた。
「なんか風呂なんて言葉が出てきたもんだから、久しぶりに風呂に入りたくなったな。なぁ杏寿、風呂出来てるかい?」
そう言いながらよっこらさと立ち上がる様は、女と言うよりおっさんくさい。
「ちょっと虎鉄さん、お待ちなさいな。あなた、式神の分際で主にため口ですのッ!?」
その馴れ馴れしさがかちんと来たのだろうか、すっくと立ち上がった炎雀がつかつかと虎鉄に詰め寄り、指差しをしながらいささかきつめな口調で問い詰める。
「いいじゃねえか、あたいらは元々そういう立場じゃねえんだし、杏寿だって気にしてねぇんだからよ」
すると虎鉄はめんどくさそうに答える。が、そこで何かを思い出したように、にやっと満面の笑顔を浮かべると炎雀のほうへと顔を向けた。
「あ、そうか。お前、水には入れねえんだっけな」
「なっ」
「そりゃあそうだよなぁ、火が水に入ったら消えちまうもんなぁ。」
「だ、だれがその話をしていると言うんですのっ!」
「いやーかわいそうだねえ、風呂上りの一杯が死んでも体験できないんだもんな」
そして虎鉄は勝ち誇ったように笑う。それに対し、炎雀は真っ赤になりながら悔しそうに拳を震わせている。
「・・・・・・言いたい事は、それだけですかしら?」
その炎雀が、搾り出すような声を吐き出した。
ふと我に返った虎鉄がそっちを見る。そして、今度は引きつった顔になる。
無理もない。怒りに身を硬直させた炎雀のまわりには、さっき彼女の手の中で光っていた炎と同じものがいくつも浮かんでいるのだ。
「それほどまでにお風呂がお好きなのでしたらっ!貴方のことも水のごとく溶かして差し上げてよぉっ!」
炎雀が叫ぶと同時に、その炎が一斉に虎鉄へと向かって飛んでいった。
虎鉄もとっさに両手を硬質化し、襲い来る火の玉、というより炎の槍をなぎ払うが、これはどう見ても分が悪い。
「あばよっ!」
不利を悟った瞬間、虎鉄は、くるりと背を向けて部屋を飛び出した。
「お待ちなさい虎鉄さんっ!逃げるなんて卑怯ですわよっ!」
その後ろを炎雀が追いかける。まわりに浮かんでいる火の玉も一緒にだ。のみならず、あれだけ放っても炎は消えるどころかさらにその数を増やしている。
どたどたどたと走る音にごうっという炎が飛ぶ音が廊下から聞こえてくる。
「呼ぶ式神はん、間違えてしもたかなぁ」
それを聞きながら、杏寿は軽く頭を押さえた。