08.慣れというのは恐ろしい その15
「そだ、クリンサン、スポンジだたと言てたアルな。アナタ入れないアルか?」
「そうですねぇ、私がぁ・・・・・・え、ええぇ!?私が入るんですかぁ!?」
紅娘の言葉に、ワンテンポ遅れてクリンが驚きを示す。
「ああ、それは試してみてもいいかもなぁ」
「あうううぅ、ヒビキさんまでぇ」
紅娘の言葉にヒビキも同調する。クリンは不利な状況に立たされてしまった。
ちらりと、その風通し穴を見る。振り向くと、ヒビキと紅娘がじっとこちらを見ている。
「うううぅ、わかりました、やってみますぅ」
断れないと観念したのか、一つため息をついてから、肩幅もなさそうなその穴をのぞきこむ。
「借り物の服が汚れるのでぇ、あまり気は進まないんですけどぉ」
前置きをして、まず四つん這いになった状態から左手を穴の中へ入れる。そしてそのまま体を前に進め、肘が入ったところで頭を左腕に押し付け、もぞもぞとねじ込むようにして体を押し込んでいく。そのまま、体をぐいぐいと押し込むようにしながら進んでいく。
そして、クリンはやはりスポンジだった。明らかにその穴より大きい胸のあたりや腰まわりも、もぞもぞと体が動くとまるでその穴の形に合わせたように縮み、そして穴の中へと入っていくのだ。
やがて足が抜け、クリンの体がすべて穴の向こうへと抜けた。
「ううぅぅ、やっぱり暗いしぃ、天井は低いしぃ、埃っぽいしぃ、長居したくないですねぇ」
そして、四つんばいになった状態で鼻をひくひくさせて、
「それに何か腐ったみたいな匂いがしますぅ」
そう言ってうなだれる。天井が低いので頭を上げたくても上がらないのだが。
「おーい、クリン、こっちだこっち、右のほうだ」
その後ろから、目を光らせたヒビキが指示を出す。その眼光、文字通りの眼の光が、クリンの右側にある「なにか」を、まるでサーチライトのように照らし出している。
ヒビキの声に従い、四つんばい、というよりほとんど這うような感じで、クリンが方向転換してずりずりとそちらに向かう。
ロングスカートに苦戦しつつも、クリンはその「なにか」のそばまでやってきた。
「うっ・・・・・・」
そして、そこにあったものを見て、思わず眉をひそめ顔を歪めて口元を押さえてしまった。
それは、2匹の動物の死体だった。一見犬のようにも見えるが、犬とは明らかに違う大きな尻尾が特徴的だ。親子なのだろうか、片方はもう片方に比べ、2回りほど小さい。そして、死んで日が経っているらしく、腐敗臭がするそのまわりにはハエがぶんぶんと不快な音を立てて飛んでいる。
「ひ、ひゃあああぁぁぁっ!し、死体です、動物さんの死体ですぅ!」
そして、悲鳴をあげ、床下の梁や柱に頭や顔や腕をぶつけながらも全力で穴のところまで戻り、にゅっと頭を突き出した。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・びっくりしましたぁ」
「死体って、なんのことでしょう?」
ぜいぜいと息を切らせている、クリンのその頭上から、さっきまでそこになかった声がする。
「あ、て、テルミさん」
そこには、掃除機を横に置いて仁王立ちし、見下ろす黒マントのメイド、テルミがいた。
「全く、いつまで経っても洗濯物を持ってこないから、何をしているかと思ったら」
「あぅ、こ、これはぁ」
「まあまあテルミ、そうクリンを責めないでやってくれよ。あたしらが頼んだんだ」
なんとか言い訳をしようとするクリンに、ヒビキが助け舟を出す。その後ろでは、同じく床下に入ることをクリンに要求した紅娘がこくこくと頷いている。
「実はアルね・・・・・・」
「・・・・・・そう、ですか、確かにそれは気になるでしょう」
紅娘から説明を受けて事情を把握したらしいテルミが、あごに手をやって考えるような仕草をする。
「うん、動物とはいえ、床下に死体があるのは気分がいいものではないでしょう」
そしてその場にしゃがむと、こう言った。
「ではその死体を床下から出しましょう。クリンさん、やってくれるのでしょう?」
「え、えええぇぇぇ!?」
「これに入れれば、触らなくても外に出せるでしょう。洗濯物のほうは私がしまいますから」
いつも半開きの目をむいて驚くクリンに、テルミが買い物用ポリ袋を差し出す。
そして、紅娘がどこからか持ってきた庭弄り用の移植ごてを差し出されるに至り、断れなくなったクリンは袋と移植ごてを手に、不満顔で穴の中に引っ込んでいった。
「うううぅぅぅ、なんで私がこんな泥だらけにならなければならないのでしょうぅ」
クリンは、ポリ袋と移植ごてを持ったまま、薄暗い中を四つんばいになって、床下の動物の死骸へと進んでいく。すでに彼女が着ているメイド服は埃まみれで汚れきっていた。
「あああぁぁぁ、こんなに汚れちゃいましたよぉ、私にとって、汚れと乾燥は天敵なのにぃ」
「おーい、見えるかー?」
「ああぁぁぁ、はいぃぃぃ・・・・・・」
力が入らないのか、目のスポットライトで奥を照らすヒビキの声への反応もいつも以上に鈍い。どうやら、クリンは汚れたり乾燥したりすると力が入らなくなるようだ。
「ほら、終わったらフロ直行していいから、がんばれ」
ヒビキの言葉に後押しされ、へろへろになりながらも、小さいほうの亡骸をポリ袋に入れる。さっきは気がつかなかったのだが、一方は中型犬ぐらいの大きさがあり、とても持ってきたポリ袋には入りきらなかったからだ。小さいほうですら、豆芝ぐらいの大きさがある。
姿は犬に似ているが、なんとなく犬とは違う動物だ。
「はぁ、ふぅ、はぁ、ふぅ・・・・・・・・・も、持ってきましたぁ〜・・・・・・」
クリンは、カタツムリかナメクジのようにぐんにゃりとなりながら、這うようにして自分が入った穴へたどりつくと、袋を両手で外に出し、バルコニーに置いた。
その袋を紅娘が持ち上げたのを確認すると、自由になった腕がじたばたともがくように動き、そして今度はクリンの頭が出てくる。なまじ色白で髪まで白いものだから、汚れがよけいに目立つ。
「ぷはぁ、苦しかったぁ・・・・・・」
なおももぞもぞと体を動かすと、徐々にクリンの体が穴から出てくる。普通の人間であれば頭ぐらいしか入れないその穴を、ありえないポーズで潜り抜ける様は、さすが元スポンジといったところか。
「うきゅう・・・・・・・・・」
だが、ウエストのあたりまで出たところで、クリンは力尽きたようにそこにのびてしまった。