08.慣れというのは恐ろしい その9
「失礼しまーす。ほら、シデン、ケイ、入るんだ」
自分は悪くないと主張するシデンをなんとか説き伏せ、俺らは徳大寺先生が待つ生徒指導室のドアをくぐった。
生徒指導室は、半ば物置と化しているため非常に狭い。この前に先生と2人で入ったときでさえ狭いと思ったぐらいなので、4人で入った今回は言わずもがなだ。
「とりあえず、座って」
先生は、俺たちに椅子を勧めると、自分はその向かいの椅子に腰掛けた。
・・・・・・なんか、様子が変だ。
先生と俺たちの間には長机が置かれているが、机の上には何も乗っていない。先生の表情も、感じる雰囲気も、なんか年下の親戚を見るみたいに穏やかだ。
「ふたりのお名前、教えてくれないかしら?」
そして先生は、椅子に腰掛けたケイとシデンの二人に、やさしく話しかける。
二人は、どうしよう、といった感じでこっちを見てくる。まあ名前ぐらいなら大丈夫だろう。俺は軽くうなずき、返事を促した。
「あ、あの、真田、蛍です」
「中嶋紫電だ」
「ケイちゃんに、シデンちゃんね。ふふっ、可愛い名前ね」
まだ警戒を解いていない二人の返事に、先生は保母さんのように微笑みながら頷いた。
ヘンな感じだ。説教されるのではないのだろうか。
「聞きたいことっていうのは、その子たちのことなのだけれど、本当に真田君の親戚?」
そして、俺に向けて切り出してきた先生の口調もとても穏やかだった。だから、その言葉が持つとんでもない意味が、すぐには判らなかった。
「えっ?」
「あ、違ったらごめんなさい。その子たちが、ただの人じゃないなって気がしたから」
「あー、まあ確かにただの人じゃないかも・・・・・・え?」
「やっぱり、そうだったのね!」
何の気なしに口走った言葉に、先生はこっちが驚くぐらいの反応を見せた。そして次の発言には、今度は俺のほうが驚かされた。
「その子たち、擬人化でしょ!?」
「ええっ!?ちょ、な、なんですか擬人化って!?」
そのへんの事情を知らないはずの先生から、いきなり擬人化と言われたのだ、驚くなというほうが無理だ。なんとか繕おうとするが、それ以上の言葉が出てこない。
「おいっ、上官っ、話したのか!?」
「お兄ちゃん口が軽いよぅっ!ケイたちには黙っていろって言ってたのにぃ!」
「お、お前ら落ち着け、俺だって言ってないっ!」
シデンとケイの二人も、半分パニックに陥っている。
「・・・・・・あ、ええっと、ごめんなさいね。脅かすつもりはなかったのだけれど」
一方で先生は、俺達の取り乱しようを見てちょっと戸惑ったように頬を掻いている。
じゃあ一体なんなんだ、昨日直接うちに来た連中ですら気付かない、というか知りもしなかったことを知っているなんて。
「真田君、私の実家の徳大寺家は、西園寺家と親交が深かったって、話したでしょ?」
先生の言葉に、少し落ち着きを取り戻してきた俺は、ここ数日の記憶を掘り起こしてなんとかそれを思い出す。確か、明治時代からのつきあいなんだっけ。
「その縁で、私がまだ学生だったときに、西園寺家当主だった静香様による擬人化の方々と、お会いすることがあったのよ。だから知っているの。西園寺家における擬人化は、概念とかなぞらえなんかではなく、人でないものを実際に人の姿にしてしまうことだって。話せば答えてくれる、意思の疎通が出来る、人にね」
「・・・・・・」
「ね、二人ともそうなんでしょう?」
そして、改めて真顔で俺に聞いてくる。
普通であればかなりデンパなやりとりに見えるだけの光景だが、今回の場合それが事実なのだからまたややこしい。
「・・・・・・先生、それを知って、どうするんですか」
考えた末、まずは先生にそうきいてみることにした。
クラスの連中と違い、徳大寺先生は少なくとも擬人化の力のことを知っているようだ。しかしそれだけでは同時に、それを狙っている可能性にも繋がる。だからまずは軽いジャブで相手の出方を見ることにした。
見方によっては先生の問いを肯定することにもなるが、まあ元々見抜かれているようだしな。
「え、どうって言われても・・・・・・私にはどうもできないでしょ?それは真田君の特権みたいなものなのだから」
だが、返ってきた返事はこんな間の抜けた、欲のないものだった。
「そりゃあ私だって、愛用の万年筆とか急須とかがこんなかわいい子になって、おしゃべりとかができたら、楽しいだろうなあって思うけれどね」
なんかもう、先生はこの二人がモノであることを、すでに確証しているみたいだ。
「ねえ、ケイちゃんにシデンちゃん。二人は、何の擬人化なのかしら?」
「あ、ええと、ケイは、お兄ちゃんの携帯電話なの」
「我は、零式艦上戦闘機二一型、通称ゼロ戦、の模型だ」
そしてとうとう、二人の口から、彼女らの正体がバラされてしまった。まあすでに先生にはばれていたらしいから、今更な感もあるが。
案の定、先生はそんなに驚いていなかった。
「ふふっ、真田君、二人ともいい子じゃない。毎日が楽しいでしょ?」
「え、あ、まあ」
「歯切れが悪い返事だな、上官。せっかく師団長殿が誉めて下さったのだ、もっと喜ばんか」
喜ばんかって、俺は誉められてないんだが。だいたい、師団長ってなんだ、うちの学校は軍隊じゃないんだぞ。
「でも、真田君が西園寺家由来のこの力を受け継いだってことは、西園寺家の継承に前向きに考えてくれているってことよね。先生は嬉しいわ」
先生は先生で無責任なことを言っているし。先生は、元々親交があったらしい徳大寺家の人だし、俺が知らない俺の生みの母に相当世話になったらしいから、西園寺家に思い入れがあるんだろう。でもこの力、俺が西園寺との関わりを知る前に手に入れたんだけど。
それはともかくとして、だ。
「先生、擬人化のことは、口外しないでもらいたいんですが」
なにはともあれ、このことだけははっきりさせておかないといけない。
なにしろ、擬人化したものが現実に存在するだけで充分非常識なのだ。正体が知れ渡ったら騒ぎどころではない。俺が槍玉にあがるだけならまだいいが、うちのモノたちが大変な目に逢うのだけはどうしても避けなければならない。
「ふふっ、心配性ね、真田君は。大丈夫よ、私だって先生だもの、生徒を陥れるようなことはしたくないわ。このことは、ここにいる人だけの秘密にしましょう」
にこやかな先生の言葉を聞いて、俺はやっと安心できた。そして、安心すると同時に、どっと疲労感が押し寄せ、俺はそのまま椅子にもたれかかった。
そして、何とはなしに外を見ると、そこにいた奴と目があった。と言っても、人ではない。
窓の外には暖房用の灯油が入ったドラム缶などが置いてあるのだが、そのドラム缶の上にちょこんと座っていた白いネコとだ。
正確に言うと、白地に黒い虎縞という、白いトラを縮めたような感じのネコだ。そのネコが、ドラムカンの上に座り、時々顔を洗ったり毛づくろいをしたりしている。
「あ、ネコだ」
ケイも気づいたらしく、その窓に近づいて声を上げる。
「ネコ?」
「うん。ほら窓の外」
「まあ、こんな所に入ってくるなんて珍しいわね」
シデンと先生も窓の外を見て声を上げている。3人はそろってネコ好きのようだ。
だが、こっちが騒いだせいか、その虎縞白ネコはドラム缶から飛び降り姿を消してしまった。
「あっ、逃げちゃった・・・・・・」
「あらら、残念だったね」
「仕方あるまい、飼いならされていない動物は人を警戒するものよ」
しょんぼりしたケイをシデンと先生がなぐさめる。
その光景を見ながら、俺は、ペットとかがうちにいたら、うちのモノたちは喜ぶかも、なんてことをぼんやりと考えていた。