08.慣れというのは恐ろしい その7
「ちょっと行ってくる!」
そして、シデンのほうを向いてそう一言声をかけると、俺は教室を飛び出した。
「あっ、ちょ、待て待つのだ上官ーっ!」
シデンの叫びを背中に受けながら、俺は人がまばらな廊下を全力で疾走する。同級生のほとんどはすでにメシに取り掛かっており、廊下には邪魔になるほどの人はいない。
「うぉりゃーーっ!」
1階への階段を一気に飛び降り、一目散に玄関へ向かう。
シデンが来たことを利用し、ケイも来ていることにしてしまおう。今の時間なら、生徒用玄関には人がいないはずだから、ここで変身させて連れて行けば、シデンもケイも文句はないだろうしクラスの連中にも言い訳ができる。その時はそう考えていた。
「はぁ、はぁ、よ、よし、人の気配、なし」
後ろからどたどたと走ってくる足音が聞こえる。時間がない。
「ケイ、人になれ、早く!」
握り締めていたケータイを開き、まだ困惑気味な表情を浮かべるケイにそれだけ言うと、俺はそのケータイを放りなげた。
「え、わ、うわ!」
一瞬何のことだか判らないような声をあげるケイ。だが、そのケータイは床に触れる寸前、まばゆい光を放ち、そして姿を変えた。
「・・・・・・ったぁい・・・・・・」
そしてそこには、コンクリートの床に尻餅をついた、ケータイのキーパッドを意匠した服の子が現れた。
「んもう、お兄ちゃんったらもっと優しく扱ってよぉ、精密機械なんだからぁ」
その子、ケイが俺を見てぷくっとふくれる。
一呼吸置いて、うちのクラスの野次馬が到着する。そして、ケイの姿を見て一瞬だけ動きが止まった。一方でケイのほうもそいつらを見てびくっと体を硬直させる。
「こいつ、俺の、はとこなんだ、今さっき、来たって」
野次馬とケイの間に入り、まだ半分ぐらいぜいぜいする喉から声を出し、ケイを紹介する。もちろんでまかせだ、ケイがヘンに口ごたえしたらその時点で瓦解する。
だが、人見知りするケイは、どっと現れた野次馬を前にして口を閉ざしてしまった。
だから、これ幸いと俺はケイを「シデンと一緒に来たが、中には入らずここで待っていた」ということにした。
「おら、判ったらとっとと戻れ。ケイが怖がるだろ、こいつは人見知り激しいんだから」
後ろから俺の制服を掴んでしがみつくケイの感覚を覚えながら、俺は腕を振り回しその野次馬を追い返・・・・・・そうとしたが、誰も帰らない。というか逆に興味津々といった様子だ。
おかげでケイはもっと萎縮してひしっと俺にしがみついてくる。
困った。このままではメシ食う前に昼休みが終ってしまう。
しょうがないので、ケイにしがみつかれたまま、俺は野次馬どもと共に教室に戻った。その道すがら好奇の目で見られ、とても恥ずかしい思いをした。
だが教室に戻ると、その一角に妙な人だかりが出来ていた。
「ねえ君?名前、なんていうの?」
「中嶋紫電だ、ってそんなこと聞いてどうするのだ」
「真田君の親戚?じゃあもしかして真田君と一緒に住んでいるの?」
「それがどうしたっ!」
覗いてみると、その中心にいるのはシデンだった。クラスの連中が、いきなり現れた和装の少女シデンに興味津々らしく質問攻めにしているのだ。
特に、俺の弁当には無関心を決めていた女子に人気があるみたいだ。
「こら上官!こいつらをなんとかしろ!」
俺が教室に戻ったのに気付いたシデンは、助けを求めにこっちへ向かってくる。
「なんとかって言っても、あんな目立つ登場すりゃ注目されて当然だろ」
「う、だ、だがっ、我の援護があればこそ、貴様も助かったのであろう!だから我も助けろ!」
わがままな奴だな〜、と思いながらも、強がりながらも微妙に泣きそうになっている眼で睨まれると、やっぱり可愛そうになってきてしまう。
「ったく、しょうがない。おいシデン、昼飯はどうするんだ?」
声をかけると、シデンはぱあっと表情を明るくしながら、嬉々としてこっちに来る。
「う、うむ、備えてきたぞ」
その手には、さっき背負っていた赤いナップザック。教科書のほかに昼飯まで持ってくるとはずいぶんと用意がいい、というか多分最初からここで食うつもりだったんだろうな。
「そか。んじゃメシにするか。ほら、ケイ、そろそろ離してくれ」
「ううううぅぅぅぅ」
そして、未だに俺にしがみついて離れないケイにも声をかける。それでやっと俺から離れてくれたが、この人見知りはなんとかならんもんか。いかに個人識別機能があるからって、普通にしていれば普通の女の子なんだから。
「それから、てめーら。そこの野次馬!昼飯の邪魔だからとっとと散れぇ!」
そして、そのケイが怯える原因になっているクラスの野次馬を散らす。それに伴い、野次馬どもはぶーたれつつ散っていき、俺はようやく一安心する。
食堂や中庭でメシを食う奴もいるため、昼休みの教室にはいくつか空席がある。手近なところから椅子を二脚ほど拝借して俺の席のまわりに二人を座らせると、バッグから弁当を取り出し、その中のひとつをケイに渡すと自分のぶんを前におき、手を合わせる。
「じゃ、いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
俺に倣い、ケイとシデンも合掌する。まだちょっと怯えているのか、昨日にくらべてケイの声のトーンが低い。
そこまで怖がらなくてもいいだろう、そんなことを考えながら弁当箱を開けると、また今日も凝ったおかずが一杯に詰まっていた。やはり野菜多めで和食テイストにまとめられているが、昨日に比べ彩りがカラフルになっていて胃袋を刺激する。
さすがレイカ、いい仕事をする。
そんなことを考えながら卵焼きに箸を伸ばしたとき、ふとシデンが食べているものが目に入った。
それは俺が持ってきた弁当ではなく、海苔を巻いた握り飯だった。シデンの前を見ると、広げられたアルミホイルから顔を出す黒い塊がもうひとつ。女の子が食べるにしてはちょっと大きめだが、それだけしかない。
「シデン、お前、おかずは持ってきてないのか?」
「む?」
俺の質問に対し、シデンは口の中のものを飲み込んでから口を開いた。
「持ってきていない。握り飯ぐらいしか作る時間がなかった」
「そうか」
どうやら、握り飯はシデンが自分で作ったようだ。そう言われて見れば三角の形状が微妙に歪んでいるような気がする。
わざわざ学校に教科書を届けるために、自分で昼飯を用意して来た。そんなシデンが、その時は妙に殊勝に見えた。
「あー、シデン。おにぎりだけじゃつまんないだろ?」
「ん?いや、別に我は気にせぬが」
「俺が気になるんだ。ほら、好きなのとって良いぞ」
言いながらおかず箱をシデンのほうに動かすと、シデンは一瞬顔をぱっと明るくさせたが、すぐにそれを引き締める。
「あ、いや、武士は食わねど高楊枝」
そんなことを言いつつも目は俺のおかず箱に注がれている。全く素直じゃない奴だ。
「シデンちゃんっ、これ、あげる!」
だが、こんどはシデンより先にケイが動いた。自分の弁当箱から厚焼き玉子をつまむと、シデンが半分ぐらい食べて具が見える(色からして多分梅干だろう)握り飯の上に置いたのだ。
「シデンちゃん、おにぎりしか無いってことは、お箸無いんでしょ?」
そしてそうたたみかける。言われてみれば確かにシデンの箸が見当たらない。
なるほど。握り飯の上に置けばおかずを手づかみする必要はないか。気が利くじゃないか、と思ったんだが、なんかケイの表情が微妙に険しい。本当はあげたくなかったのに、シデンがもの欲しそうにしているからあげた、そんな感じだ。
「ほら、俺の卵焼きやるからそういう顔すんなって」
「わ、ありがとー♪」
「・・・・・・むぅ・・・・・・」
俺の弁当箱から卵焼きをつまみ上げ、ケイの弁当箱のフタに載せると、ケイは嬉々としてそれを自分の口に入れ、シデンはケイから貰った卵焼きを握り飯ごと口に入れ、面白くなさそうな顔をしながらもぐもぐとする。
マズいということはありえない。シデンの握り飯は食ったことがないから判らんが、レイカの料理の腕は天下一品だし、実際にこの弁当のどのおかずをとっても絶品に旨い。それにシデンもうちで飯を食うときはきれいにたいらげていくもんな。
「ほらシデン、お前揚げ物が好きだろ、かき揚げやるから機嫌直せ」
シデンの機嫌をとるために、今度は自分の弁当から桜海老のかき揚げをつまんで握り飯の上に乗せ、ようとした瞬間。
ぱくっ。
シデンの奴はかき揚げを俺の箸から直接食いやがった。
そして口のなかげもぐもぐしながら、ふふんと勝ち誇ったような表情でケイを見る。
「うぅ〜〜〜っ」
今度はケイが、自分の箸の先をかじりながら悔しそうにした、かと思うと俺のほうを向いてこんなことを言った。
「お兄ちゃん、ケイにもっ!あーんっ!」
そして口をあける。わざわざ学校にまで押しかけてきて何を張り合っているんだこいつらは。
「あのなぁ、お前ら自分のぶんがあるだろ、これじゃ俺のぶんがなくなっちまう」
そうやってなんとか二人をなだめすかし、昼飯を再開する。
ふと、背中に無数の視線を感じる。
「くそぉ見せ付けやがってロリ○ド野郎」
「あんにゃろ、朴念仁のくせにあんなかわいい子独占しやがって」
「ううぅ俺にもあんなふうになついてくれる妹がほしい」
今日もまた心静かに弁当を食べることは出来ないようだ。
いつになったら安心して弁当が食えるようになるんだろう。そんなことを思いながら俺は大根の煮付けを口に運んだ。