08.慣れというのは恐ろしい その6
きーんこーんかーんこーん。
長かった午前の授業が終わり、やっと昼休みになる。
ちゃーらーちゃららららっららー。
それと同時に、催促するようにケータイが鳴り出す。この音はケイからの呼び出しだ、多分腹が減ったから早くメシを食わせろという催促だろう。
「はい、今教室をでるからちょっと待ってろ」
話をするため、ケータイを取り出し通話にする。
「どこ行くの?」
「外だ外、昨日と同じところでいいか?」
「うんっ!」
だが、このほんの少しの時間が命取りだった。
いざ弁当が入ったバッグを手にして席を立とうとしたとき、そのバッグの下げ紐を誰かがむんずと掴みやがったからだ。
見ると案の定、弁当がないことを逆恨みしたヤジローの奴だった。
「どこへ行くのかな」
眼が怖いぞ、ヤジロー。弁当作って貰えなかったからってそんな眼で睨むな。
「昼休みに最初にすることって言ったら昼飯だろうが」
「だったら一緒に食おうぜ?」
そう言いながらも、ヤジローの眼はすでに獲物を見つけたハンターのそれになっている。すなわち、狙った獲物は逃がさないといった感じだ。
一方の俺は、ここでメシを食うわけにはいかない。何にも事情を知らないこいつらの前でケイを変身させるわけにはいかないし、かといってこのままにしておくとケイは昼飯抜きというあまりにかわいそうな(そして後で機嫌をとるのが大変な)結果を招いてしまう。
「はなせよっ」
「焦るこたぁないだろ、それとも見られたくないような弁当なのか?」
「そうじゃないけどちょっと問題なんだって!」
片手でケータイをかかげ、片手で弁当の入ったバッグの下げ紐を掴み、なんとかそこから離脱しようとするんだが、相手は毎日のように金属バットを握っている奴だ、簡単に振りほどけるような握力はしていない。
「うわうわうわうわ」
図らずも振り回すことになってしまったケイが、閉じたままスピーカーからヘンな声を出す。
男に逃げるなと言われても嬉しくないことこの上ないのだが、バッグの紐を掴むこいつともう一人、俺たちのことなどどこ吹く風で愛妻弁当をその愛妻とぱくついているアホが俺の家の事情を言いふらしてくれやがったせいで、特に男どもは誰一人として助けてくれない。それどころかヤジローの応援をする奴まで出る始末だ。
女子のほうは興味がはなからないみたいで、自分たちでおしゃべりするのに夢中だ。
「あわわわわ、た、たふけてぇ、がくがくすゆぅきぼぢわゆいぃ」
ケイは俺の手の中でケータイフォームのままこんなことを言い出すし。
くそー、誰でもいいから助けてくれー、と叫びそうになったその時。
想像すらしないところから、以外すぎる援護が飛び込んできた。
「チェストオオオオオオオォォォォォォォォォ!」
聞き覚えのある勇ましい女の子の掛け声とともに、何か濃い緑色のものが、視界の外からものすごいスピードで突っ込んできたのだ。
「ぶべらっ」
そいつは、どげしっという小気味良い危険な音とともにヤジローを教室の隅に蹴りとばし、そして空中でくるりと身を翻し、器用に俺の前に着地した。
そして、ゆっくり立ち上がると、顔を上げて俺を見た。
「待たせたな、上官」
深緑の着物に女袴。袖に描かれた日の丸。肩口で切りそろえた黒髪に、アクセントとなる頭頂部で束ねられた長い銀髪。そしてなによりこの不遜な物言いに偉そうな態度。
「誰かと思ったらシデンか、別に待っていないって言うか何しに来た?」
こんなやつは日本広しといえどもこいつぐらいだ。窓がある方向からかっ飛んできたから、窓の外から飛び込んできたのもほぼ間違いない。誰もそこにツッコミ入れないのは多分認めたくないからだろう。
だが、わざわざ学校まで何をしに来たんだ?
「何しにとは無礼な奴。家に置き忘れた数学2の教科書、わざわざ持ってきてやったのに礼のひとつも言えぬのか」
えっ?忘れ物?
「疑うのか貴様、ならば証拠を見せてやるっ」
答えを詰まらせていると、シデンは背負ってきた赤いナップザックを俺の机の上にどっかと下ろし、ごそごそと中を探り始めた。
「あれ、え、ええと、たしかここに・・・・・・あ、あったあった!さあ、これを見るが良い!」
そして中から1冊の本を掴んで俺のほうに突きつける。
そして、飾り気が全くないその本の表紙には、“数学2”とはっきりと印刷されている。
「どうだ!コレが無ければ貴様は6時限目の授業で困窮したであろう!それを我がわざわざ届けに来てやったのだ!さあ感謝するがいい!」
シデンはまるで鬼の首でも獲ったかのように腰に手を当て偉そうにふんぞりかえる。俺としてはそんな珍しくない姿だが、しかしこいつはここがどこだか判っているんだろうか。
「・・・・・・えーと、感謝はするが、お前、ここがどこか判ってる?まわりを見たか?」
「・・・・・・えっ?」
俺の言葉に、シデンははっと我に返ってまわりを見る。そして、自分がクラス中の注目を浴びているのにやっと気が付いたようだ。
「な、なんだ貴様らっ!我は見世物ではないっ!そんな目で見るなっ!」
と、とたんに恥ずかしくなったらしく、顔を赤らめながら腕をぶんぶん振り回す。うん、こいつにも人並みの羞恥心はあるようだ。
と思っていたら、少し落ち着いていたケータイがまた某宇宙人のテーマを奏でた。
開けると、むくれたケイが画面越しにこっちを見ている。
「シデンちゃんに替わって」
通話にして聞こえた第一声がそれだった。
わけを聴いても「替わって」としか言わないので、しょうがないといまだに両腕をばたばたさせているシデンにケータイを差し出す。
「おい、シデン、ケイが話がしたいって」
軽く息の上がったシデンが、訝しげな表情でそのケータイを受け取り、耳に当てようとする。
「シデンちゃんずるい!」
その直後に聞こえたのが、ケイのこんな声だった。しかも横からでも聞こえる大音量でだ。
ケータイを耳に当てようとしていたシデンは、当たり前だが突き飛ばすようにそれを耳から離し、そしてそのケータイと向き合った。
「いきなり耳元で叫ぶな!耳がおかしくなるじゃないか!」
「だぁってシデンちゃんその姿でこんなところに来るなんてずるいんだもん!」
「ずるいって、貴様こそ何だ!さんざん役得を享受してきたではないか!」
「ケイはこれがお仕事だしお役目だからいいんだもん!」
「なんだとぉ!」
そして、シデンは教室の真ん中でケータイを片手に持ち、多分画面に顔が映っているケイと口げんかをはじめる。どうもケイにとっては、シデンが学校に現れたことが面白くないらしい。
・・・・・・しかし、どうやって収拾つけるんだ、これ。
「なあ、真田。あの子、お前の知り合いか?」
ケータイと口げんかをするシデンを横目にそんなことを考えていると、クラスの男子が俺に声をかけてきた。
「ん、あ、ああ、俺の、えーと、はとこの子だよ」
とりあえず、昨日決めた設定どおりに答える。
こいつら、あのシデンが元々ゼロ戦のラジコンだと知ったらどんな顔する・・・・・・なんて言えるわけがない。言ったらまず「バカか」と言われるだろうし、現実を見せたらひっくり返るか自分の物を擬人化しろと言ってくるだろうし。
まあやれと言われてやるのは構わないんだが、実は未だにやり方がわからない(なんとなくは判っているので意識してしないようにしてはいるが確証は無い)し、その擬人化で出てきた子がどんな扱いを受けるかも心配だ。乱暴に扱っていたら嫌われるかもしれんし。
そういう意味だとうちのは・・・・・・なんてことを考えつつシデンのほうを見ると。
「でええいこのぉ!」
シデンがケータイを振り上げ、今にも床に叩きつけようとしているところだった。
「だわーーーっ!何するつもりだーーーっ!」
思わず飛び出し、シデンの手からケータイをもぎ取った。一瞬シデンが「そっちを取るの」みたいな顔をするがこっちはそれどころではない。
「もしもしお前、シデンに何を言った!?」
「だって、だってだってだってぇ〜」
ケータイを耳に当て聞いてみると、案の定ケイがぐずりだす。こうされると俺も文句が言えなくなってしまう。
「ったく世話が焼けるな、それじゃ迎えに行くからそこで待ってろ」
「えっ?」
「いいから動くなよ!」
そうとだけ言って、俺はケイとの会話を打ち切りケータイを折りたたみ、しっかり握り締めた。