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進めば背中を押してくれる  作者: 羽田 智鷹
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 決断をするのに多くの勇気を必要とする。それを行動に起こして、意思表示するにはなおさら必要だ。

 人は他人との関わり無しでは生きていけない。集団であること、それ自体が大きな力を生み、人々を安堵させる。

 見知らぬ土地を訪れても、知り合いを見つけると他人が関われないような特殊な空間を人々は形成するするのは至極当たり前のことだ。それが人に染み付いた集団意識というものなのだろう。

 しかし集団の中にいるからと言って何も不満なことがないとは限らない。少数派、個人での行動は束縛される。

 そんな中で少年はまとわりつくものを払い除けようとした。しかし、良心からか、力に対して臆病なだけかは分からないが、人の予想を裏切らなければならないという罪悪感に似た感情が考えるうちに沸き起こる。恐らく好意を持たれた人をどうしようもなく、しかし振らざるを得ない気持ちに似ているだろう。何かを変えようとせず、いつも通り、ただ流されるように過ごしていく。そんな今までがどんなに楽なことであったか……

 

 未来は常に予測のつかないものだ。

 しかし人々は他人をも巻き込んだ未来の話を感慨深そうに話す。未来は現在の連続体である。人々は過去でも未来でもなく、今現在、この瞬間を生きている。季節のように循環する時間もまた然り。その季節ごとに差異がある。循環するといっても、現在の積み重なりである。

 それはまた、一つ違う選択をするだけで簡単に未来を変わってしまう、ということも意味する。

 だから、人々がさも確定しているかのように未来を話すことは、新たな行動を起こそうとしている他人想いな少年を苦しめていた。そんな事も知らずに……


 

 少年は決断した。春から忙しくも楽しそうに日々精進している先輩を見て……。

 中学から高校に上がっただけで自分が子供ではなくなってきていることに唐突に気づく。

 高校生になった瞬間、青春というものが想像していたほど長くないことがわかった。数字にして四、五年。そんな青春を部活一色に染めていいのだろうか。

 他にも、今の自分に土日返上練習までするこの忙しさを乗り越えることが果たしてできるのだろうか。そんな部活と学生の本職である勉学と両立が可能であろうか。僕にはもっと重圧が少なく、部内の人と楽しく和気あいあいと活動できる方が向いているのではないか。

 彼がそう思い始めたのは、夏のコンクールを終えた頃からだった。


 秋特有の少し肌寒く乾ききった風が、昇降口から出た途端少年のモヤモヤした心に鋭くびゅっと吹き込む。誰彼構わず吹き荒れる風が、特に少年には冷たく当たるように感じる。部活のあるものは小走りで活動場所へ急ぐ。

 風は留まるものを許さないかとように冷気を放つ。空は明るく晴れていると言えてはいたが、少なからず小なりの雲がどこまでも広がる碧天を所々覆っていた。


「行事で部活がなかったからって、お前が前の実力を早く取り戻さないとソッコーで追い抜かしちゃうぞ!! 何せ体育祭から俺のモテ期来てっからよ〜」

「やべー。俺、お前のモテ期が来週には終わりを告げるのが見えたわー。 それで北風が吹き荒れる中、気分転換に部活に打ち込むお前が…。」

「ちょっ、お前の心が嫉妬で吹き荒れてるのか知らんけど、ちょい真実味の帯びた未来の話しすんのやめてくれる。当たりそうで怖えから」

「おい、お前ら二年生が行事後も浮かれててどうするだよ。一年生の見本になれよ。それに、本気で実力を取り戻したいなら、今週の練習はスパルタでもいいぞ」

「こいつは浮かれてなくて、嫉妬心で……って痛、おい暴力はだめ、絶対反対。ってか、ぶちょーも笑ってないで止めてくださいな、あー、ぶちょー嫉妬ですか?」

「……お前だけ筋トレ、倍量だな」

 そんな本人達はとても楽しそうである。普段からこんな感じの会話をしているのだろうなと見ていて分かる。


 体育祭、文化祭と大きな学校行事を終え、再び活気の戻り始めた部活動の楽しげな様子を横目に見ながら、少年は別館の音楽室へ向かう以前の道の途中で足取りを緩める。

 部活というものはクラスメイトとは別の強い人間関係を築き、青春の大きな一ページとなる。楽しげな日々も、辛く汗水垂らした日々も。自分のどんな行動も自身を持ってさえいれば、それだけで輝いているように見える。

 「これからの自分の青春の、急に白紙に戻った部分がどのように色づいていくのだろうか?」

 と考えながら、横道へ逸れた。

 

 部活を辞めたにも関わらず、真っ直ぐ校門を目指していることが何か犯罪を犯しているようでどこか落ち着かない。そう感じていながらも向かうところは一つしかなく、再び重い足をゆっくりを動かし始める。

 「僕は本当に正しいことをしているのだろうか?」

 何か大仕事をした後には達成感があるように、その達成感を得るために今多くの勇気を持って決断し、行動を起こす。そしてケジメをつけた後には、…………どこかスッキリとした、清々しい気持ちになるだろうと考えていた。

 取り付くものを一斉に取り払うと身軽になるように。取り憑く考えを一斉に振り払ったはずだった。

…………しかし、実際は違った。



 ゆっくり歩いていると、音楽室から乾ききった無機質な空気に温かみや躍動を与えるかのような澄み切り、溶け合ったハーモニーが耳に入った。高音のトランペットと低音のトロンボーンだ。

 少年は以前はトロンボーン担当だった。音を聞くだけで図らずとも、どの楽器でどの高さの音か聞き分けることができた。また吹奏楽部は音、一音一音のためにどれだけの時間を費やして練習し、磨き上げてきているかを知っている。

 「こんなところまで音が響いてくるのか。外で活動している部活は、今までこんな風に聞こえていたんだろうなあ。」

 独り言のようにつぶやく。

 しかし聞こえてくる金管楽器の音が少年が吹奏楽部に所属していたときとそれほど変わっていないように感じた。


 周りや時間を常に気にしなければならないという観念がなくなると、途端に今まで、気に留めなかった鳥の囁きや草木の擦れ合う音が、楽しげな学生の声や忙しない楽器の音に混ざりつつも澄んで聞こえてくる。


 顔を上げると壮大なスケールの作品に書き上げた雲が意思を持って、自ら完成へと向かうかのような。こと細かな不規則の動きまで見ることができた。

 膨大な時間を注ぎ込み、終わりが見えなくとも、気分変わらず行動し続ける雲に尊敬の念を込めて……。


 自分以外にも部活に所属していない生徒は、三割ほどいた。部活がないながらも、友人たちと楽しげに帰宅やら各々の目的の場所への途についていた。

 少年は部長や顧問に話をつけにいっていたので、一緒に帰る人がいなかった。別に親しい友人がいなかった訳ではない。ただ、多くの生徒は部活に勤しんでいたし、部活をやっていない生徒も半数ほど塾通いだった。

 今少年が目指している校門を表わしている白石の柱は開校当初から変わらず、所々茶や緑がかり、校門周辺に荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 「居心地が悪い。僕はどこにいるべきなんだ? 自分でもわからないな」

 


 その石柱が目に入った瞬間、校門まで走って、この場から早く去りたいという衝動に駆られた。

 ゆったりと穏やかな豊かな時間の流れるこの新鮮な世界とケジメをつけたことを気にするべきではないという自尊心が、少年を制した。

 向かい風のせいであったかもしれないが、校門までが普段より長く感じる。越えてはならない線、この時間でそこを通り過ぎることが、自分はもう部活に所属していないことを自分にはっきり気づかせるようだった。

 「僕はもう決めたんだ。」

 決意を固めて、門から一歩踏み出すと途端に解放感がじわりじわりと心を満たし始めたが、心の芯は相変わらずモヤモヤしていた。


ーーーーーーーーーーーーーーー


 小森 玲矢が通っている高校は県で一、二を争うトップ公立高校であり、六割ほどが隣市から通う学生である。彼は自転車通学だったが、雨の日は電車を利用していた。

 電車通学の多くの生徒の通学路は小高い丘の上に建っている学校へ通じる長い坂であり、学校を過ぎると下り坂になる。その先は少し東へカーブし隣市へ繋がる。また、車の往来も激しかった。

 自転車通学の日は市街地とは反対側の隣市へ通じている坂から上り、通っていた。

 丘の頂上に位置する校舎の屋上からは市街地の一部とそれを横切る川を見ることができた。また市街地と真反対にはそこまで存在感はないが、丘の四倍ほどの高さがある山があり、ちょうどこの季節には色とりどりな葉を美しく着飾っていた。

 少年が自転車で市街地と反対側の坂から通学するときはその姿をまじまじと見ることができた。


 彼は15才であり、背はあまり高くない。肌には艶があって、瑞々しく、年齢以上に若々しく見える原因の一つだった。清潔感がある服装に程よい短髪の黒髪、時々見せる無邪気な笑顔、裏のない言動や行動から誰が見ても少年と言えるほどだった。とはいっても、成人女性の平均身長は越えていたが。滅多に怒ることもなく、人の考えや見方を何でも自分も一旦取り込んでみようとしていた。

 だからか、一度考え込むと自分の中であれこれ解決するまで悩んでしまう性格だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 昨日の帰り道で、

 「部活を辞める時になんて言って伝えたら良いのだろうか、どう行動を起こしたら、穏便に辞められるだろうか」

 と考えて自転車で漕いでいたからか、運悪く道に落ちていた釘を踏んで自転車がパンクしさせてしまった。

 そんな訳で今日は市街地へ向かう坂を人混みに紛れながら下る。

 ケジメをつけたはずなのに罪悪感を感じる自分の心が嫌いだった。

 吹奏楽というものは演奏者全員で曲を作り上げる。ゆえに自然と仲間意識ができる。


 しかし当然小学校から始めていた者もいれば、高校からの者もいる。クオリティーの高い演奏集団を作り上げようとすればするほど、経験の浅いものは地獄を見る。

 皆より遥かに多い練習量。肺活量や演奏に必要な筋肉の違いによって出る音の音色も変わる。身体から経験者と差がついていた。

 だから、帰り道はいつも日が暮れて暗かった。

 「中学のときより空が綺麗だな」

 久しぶりの青い空の中で解放感に浸りながら歩いていた。学校にいたほど風は吹き荒れてはいなかった。

 ゆったりと歩く。少年はこれからの部活について考えつつも、夏休みの中頃のクラスメイトに言われたことを思い出していた。


「吹奏楽部って練習量が尋常じゃないよな。高校の部活ってもっと自由にのひのびと活動するものだと思っていたから、俺は中学の時から考えていたから今のお前を尊敬するよ。でもやっぱり運動部と違って、部屋に引きこもって長時間練習は苦痛にならないかなって思う。まあ楽しければそんなことはないと思うけど……」

 「僕も中学のときは、高校の部活は解放的だと思っていたさ」

 「スポーツって体が勝手に覚えてくれるって言うか。状況によっての行動だから、あんまり難しく考える必要ないじゃん。それに比べると吹奏楽部って集中力やばいよな」


 僕は彼の言った苦痛という言葉を否定しようとしたのだが、心のどこかで肯定している自分もいてそれがどうしても出来なかった。

 〈苦痛〉という言葉を聞くまでは部活でそんなことあるわけがない。と思っていたからか、考えたことがなかった。早く上達したいという心で周りをよく見えていなかったのかもしれない。

 部活内でも立場の優劣が存在する。上位の者は、下位の者に音色も表現も違う、と怒鳴り散らし、エゴイズムな行動をする。しかし顧問からは熱意があると思われ、肯定される。

 友人の言葉を聞いてからは少し周りを見ることにした。


 音楽室は戦場のように音が飛び回り、熱風が吹き荒れている。音楽に囚われていない者は、何時間もこの場で活動することはとても苦痛に思える。


 特に金管楽器は息の入れ方、指の使い方で簡単に音程が変わる。それを各パートでブレの無い、まるで一人が演奏しているような音を出すために何度も同じ部分を練習する。曲を細部までとてつもない時間をかけている。

 そんな中、冷めている先輩がいることに気づいた。以前に、帰り道で

「高校は、勉強も高度で復習予習で毎日夜遅くまで起きてやらないと終わらないからキツイわ」

と、嘆息を漏らしているのを聞いたことがある。


 大多数の何人かは何かに急かされているように、ため息をつきながら練習している。初めは良くても、何度も同じフレーズを練習していると集中が散ってくる。個人の技量を高めるためには、個人がどれほど自分と向き合えるか、というスポーツとは違うキツさがじわりじわりと時間が立つほど浸透していく。

 スポーツは相手がいて成立する。それが芸術という、どこまでも追求できるものとの違いだった。それ故に上手くなければ、

「そこの部分は吹かなくていい」

と、言われかねない。

 そんな焦りからか、皆は練習し続ける。そんな様子を部長や上位の人は皆が熱心に練習しているように見えているのか感心し満足しているようだった。


 僕は三度、コンクールや発表会、文化祭での演奏を経験した。会場の時間と空間を音の響きやテンポが支配する。聞く人に様々な情景を顕す。

 自分は拙い演奏だったかもしれないが、皆が得ようとしている舞台演奏の高揚感、達成感、自己主張の存在感を味わうことができた。

 集団で舞台上にいるのも関わらず、自分が主役であり、曲の中心であり、注目の的であるかのような錯覚を……。

 やはり演奏時間はとても短く感じる。あれほど練習した部分が上手く吹こうが吹けまいが、音はさらっと通り過ぎていく。練習風景を思い浮かべている時間などない。

 さらっとして実感のない演奏をしっかり思い出の一ページに刻み込もうとがむしゃらになる。

 僕にとってはハイリスク、ローリターンだった気がする。

 練習と本番の比率が割に合わない。束縛されるような圧力。欠席者に対する敵対心。まあ、吹奏楽はそういうものなのだろうけど……。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 せっかく時間ができたからと、お気に入りの場所に向かおうかと考える。

 校舎よりは標高が低いがうんといい景色が眺められる、と自負するその場所は何か辛いことがあったり、息苦しさを感じたときに決まって訪れていた場所だ。

 初めは自分の弱点を直すためや弱い心を奮い立たせるために見つけたのだが、しだいにその場所が現す魅力に惹かれていった。

 行く道の途中まではコンクリートで覆われているが、その先はまるで人から忘れ去られたかのように草木が生い茂っている。そこを抜けると小さな公園に行き着く。周囲は急なコンクリートの階段があり、建物五階分くらいに相当する高さの差がある。しかし公園の入り口は階段の先にあるのではなく、草木の道一本しかなく恐らくは人々から忘れ去られた公園なのだろう。遊具はさび付いて動きそうもない。眼下には澄んだ川があり、そこにかかる赤い歩道橋が静けさを象徴していた。

 橋の奥には都会でビル群建ち並びが昼には太陽を反射して、忙しなく行きかう車や人々の波とマッチする。夜は闇の中を無数の蒼白き光が反射して、規則があるかのように揺れ動く幻想的な風景を創っていた。

 あの橋を境にはそんな二つの世界が共存している。そんな対極的な二面を持つ風景を眺められる場所に

「誰かを連れてきたい」と最近思い始めていた。


 自転車の時は少し遠回りだったが、歩きで駅へ向かう時はそこから草木の道を少し戻って、寂れつつある階段で河のほとりまで降りる。赤い橋を渡って、別の世界へ溶け込むような感覚で市街地の中心へ向かうだけだった。

 

 久しぶりに昼間の顔のそのお気に入りの場所へ向かうため、坂を下る生徒の列から抜けた。今まで下ってきた高さを少しだけ上るような道を一歩一歩進んでいく。

 

 次第に木々が生い茂始めた頃、不意に猫が一匹飛び出し、玲矢を後ろから飛び越えた。凄い跳躍力だった。


 目の前を茶色いものが通り過ぎ、

 「何だ?」

と彼はとっさに身構えた。猫はそのまま数歩歩き、立ち止まって彼の方へ振り返ったときにやっと、猫だと分かった。こっちを見てかすかに笑ったように感じた。

 木々が騒ぎ、やんでいた風がまた吹き始めた。

 「柔軟性と瞬発力のきわめて高い体の持ち主だなあ」

 と感心しつつも、その横を事も無げに通り過ぎようと歩き始める。

 すると今度は彼の方へ体を完全に向け、高跳びの選手の助走のように初めはゆったりとした足取りで歩き、次第にスピードに乗っていった。

 「今度は何をするんだ?」 

 と問いかけた瞬間、猫は体をかがめ、シュッと、再び彼を今度は正面から跳び越えた。

 流石に今度は彼も驚き、考え込まざるを得なかった。まるで追いかけられた獲物のようだった。普段から背の高いやつらの視線には慣れてはいたが、こんな軽々と飛び越えられたことなんて無い。自分の考え事がちっぽけなものだと言われているようで、そんなふうに蔑んでくるような猫に苛立ちを覚え始めた。


 風のせいなのか青空に浮かぶ雲は先程より早く動いている。


 やられっぱなしはしゃくだと思い、捕まえてやろうかと走って追いかける。すると猫はそんなこともお見通しだと言うかのように、走り始め、スピードを緩めない。猫の引き締まった体を見れば分かるように走るのが得意なようだった。

 そんな彼にとってはその猫を捕まえることと目的の場所へ行くことのどちらを優先すべきか、ということを逡巡することも無く猫を追いかけた。



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