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再醒のセブンロード  作者: 帯刀勝後
再醒のセブンロード ACT.03
9/24

ACT.03-50_Harpyia≒Tiphereth_Da'at?.[chapter.03~04]



赤色。

青色。

黄色。

いっそ毒々しくサイケデリックにも見える原色の渦中。本来は石畳に石の壁ばかりだったのだろうが、こうやって見渡してみると、まあどこも色鮮やかな布地だのファーだのが吊られているばかりだ。マンダリン=アナティス院長邸クナブラ=クォド=アモル殿も目が焼けそうな程のキンキラキンぶりだったが、そういうのとはまたベクトルが異なる感じだとでも言えば良いのだろうか。

一応何人か人ともすれ違ったのだが、そいつらは大体全身を包むような黒い服を着ていて全然顔が見えない。恐らく何ならかの精神的処置を施されているのだろう、エレメントの流れで感情を読み取ろうとしても掴み取れる情報は皆無だ。

「……うだるうだるー……マジで、一体何なのよここ。どっちに視線やっても機械チックに何かの作業してる連中ばっかりだし、壁も床もすげえサイケな色合いで埋め尽くされてるし……こんな所に長時間いたら絶対色覚が狂うと思う……」

「……ちなみにですけど、ここでは捕まえたハルピュイアから取った羽毛を選定してる、です。色合いとか羽の傷の有無とか、状態が良い物をここで選別して保管場所に移していくって聞いてるですよ。あまり大きな声では言えないのですけど」

(選定して別の場所で保管……それじゃやっぱり、さっきまで私がいた場所がそれってことなのか……? その割には何か部屋の環境は良くなかったように思えるけど)

 壁一面床一面を覆う羽の山に足を突っ込まないよう気を付けつつ、彼女はミシェリナとかいう少女に連れられて歩く。

 ミシェリナ自身からは敵意や悪意のようなものは感じられない。とすると現在進行形で両手首と足を縛っているこの拘束具は少女の意志とは無関係のものなのだろう。もしかすると、これも捕らえたハルピュイアを抑え込む術式の発展形なのかも知れない。

 いや。

 術式、と言えば。

(……『氾昂(アヴァランチレイジ)』……、だったかな。聞き間違いじゃなければ確かにそう言ってたはずだけど……あれが、マルティリャーナ教会立公園のハルピュイアをおかしくしていた原因? 何かの隠語とかじゃないなら、本当の理由は魔術による思考回路の攪乱だったりするのか……?)

 あの襲撃者の言うことがどこまで事実だったのかは彼女にも分からない。

むしろ敵が自分達の抱える力を公にさらけ出す事自体あり得ないだろう。

手の内を明かす、それはつまり自分達の生命線を相手に譲渡しているのと何ら変わらないからだ。そういう趣味……ああいった性格の奴だと『ついうっかり』情報を漏らす可能性も否定はできないが、

(……まあ相手を当てにしてちゃ、状況の好転なんて見込めないか。『ピネウス=アンテピティス』が私を敵視している以上、事実を伝える義理なんてどこにもないはず。この子は少しぐらい信用しても良いかもだけど、それもどの辺までなのか……仲間からも詳細を言われてないとなると、ひょっとしたらこの子自身が嘘を真実として教え込まれてる線だってあるんだから)

「……どうしたのです? わたしの方をずっと見てますけど、わたしの顔が何か変だったり?」

「あ、いや別に。ちょっと考え事をしていただけだから、気にしなくて良いよ。いやーそれにしてもここは目に悪いねーさっきから角膜がチカチカしていけない」

「???」

 首を傾げてこちらを覗き込むミシェリナ。純粋無垢な視線程誤魔化しが効かないものはないとアストレア閣下が口にしていた話を思い出したのは別に偶然でもないのだろうが、しかしまあ何とも心臓に突き刺さる瞳だ。うっかりキュン死しないように精一杯メンタルを平常に保っておくのも中々に困難である。

 ただミシェリナが何かに頓着しない子であるのが幸いしたようだ。半透明のドレスの少女は彼女の鎧下の裾を掴む格好で誘導しつつ、手に持った蝋燭を軽く振る。

「風は……今の所なさそうです。下手に換気口を開けてしまうと空気の流れが起きて、軽い羽が飛ばされたり保管場所に湿気が入ってきたりするので、きちんと確認しなきゃですね……」

「(手慣れてるな……この子って管理系のポジションなのか? 見た感じはそういう雰囲気でもない感じだけど、見かけはやっぱり当てにならないって感じか)」

「……それと、作業する人の顔と名前『じゅつしき』、それに人数と状態もきちんと確認する必要があるのです。外部から誰かが入ってきたってなると羽を盗られる危険もありますし、あと羽の価値にやられて勝手に羽を持ち出す人も出てくるかもです……この辺りはきちんと把握しておかないと、またりーだーに怒られて『お仕置き』されてしまうのです」

『ピネウス=アンテピティス』の内部事情を遠慮なく喋った上、ゾっとするような一言をしれっと口にする。

先程アルクタンなる人名を口にしていたが、そいつが恐らく監視役なのだろう。ミシェリナの行動をマークして逐一親方に報告し、何か問題があればその旨を伝える……『お仕置き』なるものの正体は、先程ある程度は想像できたが、やはり直接問いただすのも良心が痛む。

敵陣で何を甘ったれたことを、と思われたとしてもだ。

似たような境遇の子供達はクナブラ=クォド=アモル殿にもいる。

『勇者』を名乗るのであれば、そういった子達に対してと同じように接するのが最適解か。

「……ってか自分でも記憶がぶっ飛んで忘れかけてたんだけど、私の連れは? 私と一緒にもう一人、ここに連れてこられたって話は聞いてないかな」

「もう一人? わたしが見張りを任されたのは『勇者』さんだけなのです。もしかしたらいたかも知れないのですけど……ごめんなさい、わたしの方にはそういうのは回ってこないので」

「……やっぱり分からねえ。人数とか作業環境の確認をさせられてる割にはそういう情報を持ってないってどういうこと……」

「ひぐっ……ご、ごめんなさいなのです。わたし頭を使う仕事は得意なのですけど、最近は何だか仕事が上手く行かなくて……何回も『お仕置き』されて、何とか持ち直したばかりなのです。皆が知ってることを教えてもらえないのも、そういう『ぺなるてぃ』なのです……はぁ、またアルクタンさんの所に行って謝らないといけないですね……」

「……やっぱり思うんだけどそのアルクタンってどういう奴なのよ仕事でミスした健気で純情な幼女を全力で集団×××するようなゲスい腹黒ジジイとかだったりしたらマジでキレるかも知れないからね私は!!」

 迂闊に大声を出したせいで若干だが作業中の職人達の注目を浴びてしまったが、それはさて置き、だ。

 歩いている内、長々とした作業場という雰囲気が徐々に薄まっていくのを感じる。座り込んで選定に当たっている職人達の数も減っていき、その代わりに別の意味での職人が増えていた。

 つまり羽の選定ではなく、実際にハルピュイアを狩ることを専門とする人間達。

単に外見だけで判別している訳ではない。纏っている雰囲気そのもの、あるいは各々から感じられるエレメントの残滓がその実力を物語っているのだ。衣服や肌に付着した『風』の痕跡、持ち主から引き抜かれてなおそれらを操り続けている羽毛、そういった証拠が。

「(これだけの『風』の気配……狩られたハルピュイアの数に間違いはなさそうね。一週間で二〇以上だったっけ? 他の『ギルド』じゃ一匹仕留めるどころか真っ向から返り討ちに遭っていたっていうのに……こいつらが仕掛けた『トラップ』ってどこまで強力なものなんだろう……)」

 ミシェリナに連れられた彼女が来たのは、天井の高い円筒形の空間だった。

一番上までは少なくとも二〇メートルはあるだろう。全面石造りだった作業場とは打って変わって、豪奢なフレスコ画が描かれた天井に加え色鮮やかな飾り布まで吊るされているその場所は、恐らく上級の職人や親方といったランクの連中が使っている場所なのだろう。それにしてもこの成金趣味っぷりだと下級の職人や徒弟の不評を買ってしまいそうな感じがするが……こんな場所を使っているのには、何か理由でもあるのだろうか。

 それとも、ここは『ミーシャ』の時のような……と考えていた折だった。

 頭上だった。

 あからさまな高圧的態度、上からの気配、加えて声が響き渡る。

 天井近くに備えられた、劇場のボックス席じみたテラスに立つ人物のものだ。

「貴公が例の件を言っているなら、それは正しい疑問だと言える。……いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、失敬」

「、……あ、アルクタンさん……」

「ようやく来たか。毎度毎度思うがお前の遅刻癖には苦労させられる。親方に悪態をつかれるのはこちらなんだ、少しは改善する努力を見せて欲しいものだな」

 たんっ、と思った以上に軽い靴の音がしたと思えば、そいつは直後、二〇メートルという高低差をものともせず彼女の目の前の床に足を付ける。あれだけの高さから落ちているにも拘らず受け身も取らないばかりか、根本的に落下速度がコントロールさえているかのような挙動だ。

 いっそ不自然な位緩やかに着地したのは、灰色のトレンチコートの上から白い修道服を羽織り、さらにそれを抑え込むようなプレートアーマーを着込んだ男。顔の老け具合からして年齢的にはパズィトールよりも年上なのだろう。その割には背丈がパズィトールよりもデカく、普通に二メートルを超しているようにも見えるが。

「そこまで警戒なさらずとも良いのではないか? 貴公は『勇者』、つまり『円卓執長(メンサムドゥクス)』をも超す実力を持った者だ。このような老いぼれ一人に対してその態度でどうする?」

「……『ピネウス=アンテピティス』なんてぶっ飛んだ連中の本陣に連れ込まれて、警戒しない奴がいると思う? アンタのそういう発想が逆に怖いわよ。レディ相手に名乗りもしないで勝手にベラベラベラベラ上から目線とかふざけてんの?」

「……おや、それも失敬。こちらは幼い頃より礼儀とは無縁の場所で生きてきた故、『勇者』のような常識は持ち合わせていない。むしろ、こちらに対して常識を語る貴公の方がよっぽどと言えるが?」

「馬鹿にしてんの?」

「そうでなければ他に何が、と返させてもらう。そのついでにこちらの名も知っておくと良い」

 男は彼女の脇を抜け、足先で床を軽く叩く。その途端、床を作っていた石のいくつかが宙に浮かび上がり、瞬く間に配置を変え、数秒もせずに別の形へと作り替えられていた。

床自体が形状変化したような印象の机と椅子……男はそこに腰掛け、机に肘を突く。

「『翔禁(ウインドハング)』のアルクタン=フェリペ=ダ=インテルノ=ポメーツィア。……聞いての通り『あの』インテルノ=ポメーツィアで生まれ育った者だ。『ミーシャ』の件では親戚が世話になったな。まあ、まさかあいつが貴公をインテルノ=ポメーツィアまで運んでいたとは思いもしなかったが」

「……まさか、あの時の御者の?」

「覚えているとは僥倖。だが奴は貴公と関係した人物となってしまった、それ故に一通りの情報を聞き出した上で墓の下に埋めてやることになったが」

 それより、とアルクタンなる人物は言葉を区切る。

 ミシェリナの方に向けたハンドサインだろうか。男は指先を少女の方に向け、くいくいと二回動かす。それに釣られるように、ミシェリナが彼女の両手両足の拘束具に指先を伸ばすと、今度はそれが溶けた砂糖菓子のごとく机の表面へと伸びて癒着していた。石と金属、どんな高温を利用しても溶接なんて不可能なはずのそれらが、だ。

 さらに指を鳴らせば、今度は拘束具自体が元の形へと戻ろうと縮み始める。結果出来上がったのは、『勇者』の体を膝立ちの恰好で縛り付ける、机と溶け合った金属製の十字架だ。

「……ここに来てゴルゴダの再現とか、アンタそういう趣味持ちなの?」

「随分と発想が貧相だな。貴公の連れがあのような状況に陥ってしまったのは、貴公がそのように抜けた思考しか持てなかったからではないのか?」

「……何だって?」

「加えて目の前に吊り下げられた餌に貪欲に食い付く癖がある。それが自分の身だけでなく、他者に対してまで極大の不幸をもたらすものだという自覚さえなしに、だ」

 こいつは、ルーシーの居場所を知っている。

 こいつからなら、恐らくあの魔術師少女の今の場所を聞き出すことができる。

 彼女の直感がそう訴えていた。あるいはそれをダシにしてこちらを揺さぶるつもりなのかも知れないが、だとしてもまずは連れの安否の確認が第一だ。彼女の後ろに立ったままのミシェリナの視線を肌で感じつつ、彼女は縛られた腕に力を込める。

「……まあ、この際態度は構わん。わざわざクナブラ=クォド=アモル殿から吊り上げて捕まえた獲物はブラフだった、などという失態は避けておきたい。貴公の、器を図らせてもらうよ」

 本人確認、という意味合いで正解なのか。

 それとも『勇者』としての力を備えているかどうか、という面からなのか。

 アルクタンの思惑は分からない。だが目の前でわざとらしく息を吐き、どこからともなく取り出したそれは……指揮棒、だろうか? 部屋の豪奢さに対して装飾もほとんどと言って良い程になく、むしろ外見的には長年使い古したかのようにボロボロだ。

「幼い頃、自分は音楽家を目指していたフシがあった。両親が自前の音楽『ギルド』を作っていたせいでもあるんだろうが、最初に『ギルド』の定期公演を聞いたのが始まりでね。あれ以来両親が寝静まった頃、人知れず楽器を持ち出して我流の楽譜を綴ったものだ」

「……何でいきなり昔語りしてるの? 生憎ジジイの懐古趣味に付き合うつもりはないわよ」

「ほう? これから行うことに関係しているという説明では不足かな? まあ聞きたまえ」

 指揮棒の先に指を当てつつ、アルクタンは続ける。

「一時は両親の音楽『ギルド』に加入した。自分が参加した程度で『ギルド』の知名度に何か影響が出たなどということはなかったが……問題はそこから先だ。人数、楽器の種類、旋律、リリック……そういった要因が偶然にも『風』のエレメントに干渉する魔術的記号を生み出したらしくてな。俺が指揮棒を振り、自分が作った楽譜を奏でた途端の阿鼻叫喚という訳だ。たかが音楽があのような惨劇を生むとは、当時は全くもって考えていなかったがな。その結果が『裂禍(オーヴァーディザスター)』による例の件に繋がったとも言えなくはないが……」

「……、惨劇?」

 意味深な単語が耳に引っ掛かる。

 彼女は『聖女昇華』という術式を使ったことがある。これは枢機卿クラスの権限ないしそれに準ずるもの、あるいはそういった階級に位置する者からの許可が下りて初めて使用可能となる聖術だ。

 簡単に言えば、処女を保った若い女性を核として莫大な聖力を流し込み、強引にエレメント適合率を跳ね上げて疑似的な『聖母』を生み出すというもの。これの行使のための聖力を得る手段として、聖歌隊規模の聖力保有者が必要とされるのだが……思えば本来の使用手順には讃美歌の斉唱も含まれていた。聖書の詠唱に加えて音楽という記号を組み合わせ、聖力の増幅を図るという意味では、アルクタンの発言にも頷ける部分はある。

 ただ、

「正しく言うなら、こちらは巻き込まれただけの被害者だ。両親の『ギルド』の定期公演会場、密猟系『ギルド』によるハルピュイアへの奇襲……全ては不幸な偶然の一致だったとしか言いようがない。音楽を媒介とした偶発的な魔術により乱された『風』は、どうもハルピュイアの精神面において強い影響力を持っていたようだからな。だが、これはマルティリャーナに仕掛けた『氾昂』とは似て非なるものだよ」

「どう、いう……?」

「そうだな。言葉を並べて説明に拘るより、実際に見せた方が貴公の理解も進むことだろう」

 まるで屈託のない子供のような声色だった。

 どんなに若く見積もった所で七〇代には届いていそうな外見なのに、最後の一言だけはやたらと口調が軽い。いっそ近所の友達を遊びに誘っているような印象さえ醸し出す台詞と共に、アルクタンは指揮棒を構え、ゆっくりと振り始める。

「舞降、第七楽章。……楽しみたまえ『勇者』、邪なる(Concerto)旋律の奏でる(Solista)独壇場(di Tiranno)を」

 そこから一秒と掛からなかった。

 

 ずッ、という生生しい音が響く。

 あまりにも唐突に、黄色い鱗に覆われた二本の脚が、彼女の両肩にめり込んでいたのだ。

 

 激痛なんて言葉で形容して良いものか。

 そんな範疇に収めて、果たして何人が納得できるのだろうか。

 神経を丸ごと引きずり出されたような……という表現でもまだ足りるかどうか分からない。

「……ば、っぁ、」

 両腕両足を縛る拘束具が軋む。

 ただの腕輪足輪だけでなく、恐らくだが『勇者』の筋力をもってしても対抗できない程強力な魔術的補強さえ加わったそれらが、こうした前提を無視して悲鳴を上げる。

「がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「おや、想定していたよりも根が折れるのが早いな。『勇者』を名乗る割には痛覚系の出来は良いらしい」

 前に三本、後ろに一本。

 いずれも強靭な筋肉に加え、鋭く尖った鉤爪を備える捕食者の指だ。黄色い鱗に覆われたそれは一見すれば猛禽類のものにも捉えられるが、それにしてはサイズが大き過ぎる。仮にそうだとしても、本来猛禽類は『風』のエレメントなどに頼らなくても十分自立飛行を可能としているはずだ。鉤爪を中心に彼女の背中側に集まるこの流れの発生源は、どう考えても一つしかあり得ない。

 ハルピュイア。

 そのプルーマ=ブラツィウム種。両腕両足が鳥、頭と胴体は人間。つい先程まで彼女が見ていたシルエットと全く変わりない。ただ今回はマルティリャーナ教会立公園の個体とは違い、柔肌を除いた鳥の部分の色が、鷲や鷹に似た茶色ベースのものになっているが……最大の相違点、いや生物としてのハルピュイアと比較した場合の違いはそれではない。

「どうだ? 文献ばかり目にしている『勇者』はこれが初体験(はじめて)かも知れんが、その程度では本来のハルピュイアの三分の一にも至っていない。エレメントによる強化を受けたハルピュイアの持つ筋力は人間の比ではないからな。逆に言えば、その三倍の握力でもって俺の両親は首をへし折られた。……死ねないだけ苦痛が長引く、というのがある種の違いとも言えるだろうが」

「、ぁ、っば、っぐぃあああ……ッ!!!???」

 光がないのだ。

 人間と、全くといって良い程同じ顔。その目に生気が感じられないのだ。

『風』のエレメントの操作痕がある以上、それはこのハルピュイアが動かしているもの。実際問題目の前のアルクタンには『風』の反応は見受けられないことからもそれは明らかだ。

しかし、このハルピュイアからは意志を感じられない。その辺で売っている人形よりも遥かに機械的で無機的な無表情さえ浮かべるそいつは、まるで……、

「……ちが、う。操っ、てるわけじゃ、ない」

 鎧を剥ぎ取られ、『聖剣』も手元から離された彼女の唯一の防具である鎧下。ハルピュイアの爪がめり込んだ肩口から瞬く間に赤色が溢れ、彼女が突っ伏す石造りの机や床へと滴る。石と石の隙間、網目を縫うかのような鮮血が、まるで魔族が好む装飾じみた幾何学模様さえ映し出していく。

 ショックで舌を噛み切っていなかっただけまだマシなのかも知れない。

だからと言って、この事態を素直に受け止められるものか。

「指揮棒、の動きをき、号化して、……ハル、ピゅイアのにン識を改へんしているだけ。獲もノを小動物から私に、移し替えているだけ、だって、こと」

「初手で見破ったか。まあ大筋は正解だな。単に連中の理性を奪って殺し合いに追い込むだけなら『(アヴァランチ)(レイジ)』でも十分だが、こちらはそもそも目的が違う。『(アヴァランチ)(レイジ)』は金属製の十字架に縛り付けた標的をターゲットに据え、そいつの周辺にいる個体の『怒り』『排斥心』を一極集中させた上で暴走に導く術式だからな。ターゲットが死亡すれば怒りの矛先はお互いに向けられ、周辺の個体が全滅するまで収まることはない。……その欠点があったからこそ『氾昂(アヴァランチレイジ)』は途上作止まりだったんだが……()()()()()

 再びアルクタンが指揮棒を振る。

『風』の流れが変化する……という現象は、ハルピュイアが起こしているものだったか。

 バギン!! という甲高い音と共に、机に癒着していた拘束具自体が破断していた。彼女の両肩を掴み上げたまま、そのハルピュイアが宙へと浮かび上がっていたのだ。そのまま天井近くへと急上昇し、激突する寸前で体の上下を入れ替える。天井に対して彼女が下になるような位置取りでは、さてこの衝撃を全身で受ける羽目になるのは果たしてどちらだ?

「……っ、うっ、っぶう……!?」

『風』を利用した上昇気流の生成により本来の限界重量を超えた質量を持ち上げることができる、そんな情報が彼女の頭の中で暴れ回る。それだけではない、急上昇に伴うGと天井に激突させられたことに伴う衝撃は彼女の中を滅茶苦茶に引っ掻き回していた。胃袋の奥から酸っぱい味がこみ上げてくるものの、口の外へと押し出される前にハルピュイアの脚が、再三彼女の頭を天井に叩き付ける。吐き出す前に押さえ付けられた。

「自分の得物は何だ、自分はどうやって狩りをする、自分はどのように餌を食べる……ハルピュイアの習性の多くは本能から来るものだが、その認識が向かう先をすり替えるだけなら造作もない。かつて偶然にも俺が組み上げてしまった『翔禁(ウインドハング)』とはそのような術式だ」

 二〇メートルという高低差があるにも拘らず、まるで耳元で囁かれているかのような感覚さえ染み出してくるようだった。

 偶然の産物、それが引き起こした事態。ハルピュイアにのみ通用する認識改変術式。彼女に分かる所だけを抜き出して並べるならこんな所だろう。音楽……それを奏でるという行為から生じた術式はハルピュイアの根幹を成す本能に干渉し、その行く先を変えてしまう。とすれば今の彼女はハルピュイアにとっては敵ではなく餌。今の行動は獲物を弱らせるためのものだということか。

 アルクタンの言葉を信用するのであれば、これはまだ本来の力の三〇%。

 同じことを三回以上繰り返してようやく本来の一撃。それでいてこの威力を叩き付けられるハルピュイアを、いとも簡単に狩ることのできる違法密猟系『ギルド』。それがこの男を含めた『ピネウス=アンテピティス』。

 頭で理解して受け止めるだけでも相当な労力なのに、そこから起点を見つけ出すとなれば……一体どれだけ思考回路を酷使すれば良いのか。そんなことを考えている暇さえ与えられず、アルクタンの台詞だけが淡々と続く。

「終日、第二楽章。……とりあえず今回は次で最後にしておこう。貴公の耐久性については『ミーシャ』戦のデータが語ってくれている部分も多いが、この一回でズタボロにしてしまっては後味が悪いからな。悪いが回復次第もう二、三回付き合ってもらうぞ」

「……、ッ」

「随分と不機嫌そうな顔だ。それとも何だ、今の若者はインテンシティは嫌いなのか?」

 指揮棒が宙を撫でる。

 直後、落成のごとき衝撃が彼女の頭に直撃する。

 ハルピュイアに掴まれたまま二〇メートルの急降下を味わい、後頭部を打ち付けられた。

この男の悪趣味は、そんな状況理解さえ進めさせてくれないらしい。


 4

 

『ピネウス=アンテピティス』の職人らしき集団に気絶させられ、ここまで連れてこられた。

 その途中で『弥撒(ミサ)』を使い、自分を監視していた連中を利用して収容場所から抜け出した。

 そこから現在に至るまでの経緯は至ってシンプルだ。ここまでの時間内で『勇者』の位置を特定できず、そうこうしている内に見回りと思わしき職人まで現れたため、やむなく手近な物陰に身を隠していたその最中だった。

 会話の声が幾重にも連なる。

 その一言一言を聞き取って頭の中で整理し、組み直し、一つの文としてまとめ直す。得られた情報をそうやって噛み砕いていく間、とある事実が浮上した。

 ……その事実を受け入れられるかどうか、そこについては別問題だが。

「一体どういうこと……何で、こんな場所が……」

 第一声がそうなった。

 そのこと自体、ルーシー=ギブスンには認められない事実になってしまいそうになる。

『ピネウス=アンテピティス』の本拠地の捜索については『円卓執長(メンサムドゥクス)』フィナンジュ=F=フィナンシャル含めたアモル=クィア=クィスク修道会が独自に行っている。ただその間にクナブラ=クォド=アモル殿に一匹のハルピュイアが墜落、しかも生息地であるマルティリャーナ教会立公園ではある種の食糧危機が発生しており、さらにその原因として『ピネウス=アンテピティス』の関与が疑われる。そういう話だったからこそ、ルーシー=ギブスンはリディアスの要請を受けた魔術師として『勇者』に同行していたのだ。

 だが、これでは。

 こんなことが事実であるなら、そもそも『円卓執長(メンサムドゥクス)』はヴァティカンの外に出る必要がなかったのではないか。

 わざわざ証拠を求めてバスティーユ牢獄になぞ行かずとも良かったはずではないか。

 先に結果を知ってしまったからこその思考パターンだが、それでも受け止めるためだけに数分は費やしただろう。それこそ懐中時計でも持っていれば精神的ストレスはまた違ったかも知れないが、とにかくルーシーが聞き取ったのはこんな情報だった。

 

「……ここが、ヴァティカンの中? ジュディチュム=イノミエ=デイ修道会の持つ聖堂の一つ、って……?」

 

 唇の潤いが薄れつつあるのも忘れ、ルーシーは呆然と呟いていた。

 マルティリャーナ教会立公園はヴァティカンのすぐ隣、感覚的には裏山のようなものだった。普通ならそういう場所が違法密猟系『ギルド』の狩場になるケースは全くと言って良い程存在しないものであり、まして名前だけが知れ渡りその規模も実情も一切不明な『ピネウス=アンテピティス』がそこを利用すること自体、まず考えられない話なのに。

 その本拠地が、よりにもよって……ヴァティカンの城壁の中にあるなどと誰が考え付く。

 これまで違法密猟系『ギルド』の多くは魔族占領区ないし辺境の委任統治教会領を根城としているか、そもそも表立った本部を持たないというパターンが多い。特定の場所に根を張ってしまえば目撃情報の偏りから場所を特定されやすくなり、情報が教会側に伝わる危険性も大きくなる、というのが理由だったはずだ。

 その前提が真っ向から覆される。

 灯台下暗しなんてレベルの話ではない。これでは、まるで教会が『ピネウス=アンテピティス』の本拠の所在を知っていながら意図的に黙殺しているようなものでは……

(というか、そもそも『ピネウス=アンテピティス』自体教会と……いえ、ジュディチュム=イノミェ=デイ修道会と癒着している?)

「……それにしても、今回のプランは普段以上にカッツカツだな。親方の脳ミソが狂ってるのは前々から知ってたことだがよ、今回はいつにも増してヤベえんじゃね?」

「そういうこともある、とだけ言っておくヨ。だがこんな条件下でも成果を上げてこその『ピネウス=アンテピティス』ってものサ。一見して達成不可能に見えるタスクでも、そこには必ず必勝の抜け道ってヤツがある。勝者と敗者の違いってのはその裏ルートを見つけられたか否かに掛かってるらしいヨ。ちなみにこれ親方の請売り」

「だからってジュディチュム=イノミェの連中と関わってたらマズイんじゃね? 奴さん共教会の敵は一匹残らず叩き潰さなきゃ気が済まない系のトチ狂い修道会じゃん」

「けど教会に対して献身的な寄進を行おうとする者に対しては比較的温厚でもある。親方はそこを突いて『ピネウス=アンテピティス』の足元を確固たるモノにしたって訳さヨ。特に、今回に関しては……案外アタリっぽい感じがするしなァ」

「マジで? じゃあ今後はもう狩りはないってのか?」

「マルティリャーナについてはって条件付きだがネ。そもそも『氾昂(アヴァランチレイジ)』であそこに生息している群れを同士討ちさせて、そこから脱出した個体をクナブラ=クォド=アモル殿に誘導して収穫……なんてプランを立ててるぐらいだヨ? ……まあ、親方が何を目的としてあのハルピュイアを回収しようとしてるのかはボクも見当が付かないんだが」

 フードを被り、物陰から耳を澄まして聞いてみればこの調子だ。

 クナブラ=クォド=アモル殿に襲撃を仕掛ける……この言葉だけだとルーシーにとってはとんでもない非常事態なのだが、どうやらそれは既に終了しているらしい。

 要するに、ルーシーが行動を起こすにしても手遅れということ。ここがヴァティカン内である以上は一人ででもクナブラ=クォド=アモル殿に逃げ込むことも可能かも知れないが、あそこが防護結界に穴が開いている上に『ピネウス=アンテピティス』の奇襲を防げなかったとすれば……正直頼りにするのは難しい。

ただそれ以前の問題は、同行していた『勇者』の所在が分かっていないことか。

(結局『勇者』さんの居場所は不明なまま……さっきは偶然にも『弥撒(ミサ)』が通じたから、私をここまで引っ張ってきたのはジュディチュム=イノミェ=デイ修道会の人達だったのかも知れませんね……やっぱり本命とそれ以外で収容場所や担当をきっちり分けている感じでしょうか)

 ……その、自分をここまで連れてきたのが『あの』ジュディチュム=イノミェ=デイ修道会の連中だとすると色々嫌な妄想が浮かんできてしまうが……確認した限りそれは大丈夫だったらしい。流石にルーシー渾身の魔術で作った(想い人一筋の)貞操帯は壊されなかったようだ。というかこの程度で破損とかだったら色々と困る。

(ともあれ、早く『勇者』さんを見つけて合流して……あと別の手も考えないと。探すのが長引くようなら、最悪は……うぅ、これなるべくヴィクトル以外には使いたくないんだけどなぁ……)

 見た限りではこれ以上話の進展はなさそうだ。このままここで足止めを食っていても状況に変化はないのだし、ひとまずルーシーはフードの端を引っ張って顔を隠しつつその場を離れる。

 ジュディチュム=イノミェ=デイ修道会の持つ聖堂。

このキーワードが出てきた以上、次に取るべき行動は自ずと決まる。ただ当然ながら内部告発なんて常套手段を使う選択肢はない。現在の枢機卿団の半数以上がこの修道会の所属であるという話もあるくらいだし、わざわざ教会に進言しようとしても門前払いを受けるか……ルーシーの素性がバレればそれ以上に厄介なことになる。

 だから重要なのは、ここがヴァティカンであるという点。

 旧ローマ領を統合して作られた教会領の中枢。そこに適用されるルールからすれば……あるいは『あのような』手も使え得るかも知れない。

(……でも、これをやるには適用しなきゃならない対象が多過ぎる。どうしたって『勇者』さんの協力は不可欠になるはず……いっぺんに二つの目標ができてしまうと、今後の苦慮が考えられますね……)

 フードを被り、気配を消しているルーシーの姿は、恐らく話し込んでいる二人の職人の目には映らなかったことだろう。

 しかし、それはルーシーのスニーキングスキルが高かったとかいう理由、だけではない。

「そう言えばよ、あのハルピュイアってどういうヤツだったっけ? 見た目の特徴はコーデックスに挙げられてるから俺も知ってるんだが……その、何だ、何つー種類だったっけな?」

 石造りの壁伝いに足を進める少女の背中側で、こんな言葉が飛ぶ。

 それに対する返しの台詞は、このように。

 

「イビス=スィーネ=アラス種のことかイ? 以前の掃討作戦のせいで今じゃほとんど絶滅してるに等しいって話だったが……意外や意外って感じかナ。まさか最後に確認された幼い雌が、未だにしぶとく生き残ってたとはネ」


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