ACT.03-25.5:{Now Saving… : [ACT.03-Background_Task.#02]}
直轄統治教会領の一つ、ルベル=カピルス州。
その北部に、枢機卿団保有行政地区群パリス=ユクスタ=プルガトリウムがある。
ただし都市とは言ってもここの扱いは他とは少々違い、納税の義務や生前洗礼の強制などが為されている訳ではない。元々教会との関係が深かったとある王家が、教会の支配化に入ることと引き換えにある種の免責特権、加えて多少の自治権を得たことで教会領として再編された州の首都たる場所だ。しかしながら実質的な管理は教会に一任されており、それでいて特定の枢機卿や教皇が自身の領地として所有している訳でもない。普通であれば、この手の大規模な都市の存在はしばしば枢機卿同士の奪い合いに発展することが多い、という常識があるにも拘らずだ。
その理由は、今いる場所の名前を見れば一目瞭然。
部屋の鉄格子越しに見える巨大な城門、その上にこう書かれたプレートが吊り下げられていた。
Bastille.Saint-Antoine.
つまり、バスティーユ牢獄。
「……しかしさあ、いくら教会の直轄地だからってヴァティカンからこんな離れた場所に罪人をかき集めておくとか、俺はマジでオメエ等の感性を疑いたくなるんだがなぁ……」
「むしろヴァティカンの近くにバスティーユ級の監獄を配置することに恐怖を覚えますね、私は。根本的にバスティーユは教会領の中でも屈指の防護性を誇る監獄です。つまりここに収監されるような奴は間違いなく教会に対して甚大な被害をもたらす可能性がある。万が一の事態を想定するのであれば、このルペル=カピルス州はうってつけなのですよ」
という訳で。
『円卓執長』フィナンジュ=F=フィナンシャル、司祭枢機卿にして『修道院長』アストレア=A=アストラーニュ、そしてパズィトール=クスティガトルの三人は、冷たい石が張られた無機質な廊下を歩いていた。
見渡せば四方八方が鉄格子だらけ。廊下の両側がそれぞれ壁で区切られた小部屋となっていて、そこに一人ずつ囚人服を着せられた人間が収まっているという寸法だ。部屋と部屋の間には隙間一つなく、鉄格子に関しては通常時は隙間どころか開閉用の蝶番さえ存在しない。食事用の小さなスリットも含めて、一切の可動部がだ。
一見、鉄格子が完全に壁にめり込んでいるように見えるが、恐らくこれ自体が出入りの時にのみ扉として機能するような聖術なのだろう。材質についても、鉄製と見せかけて実際は触れた瞬間に囚人の心臓に負担を与えるとかいう類のものに違いない。
クソおっかねえ、とはパズィトールの弁。
「しかし、それを言えばパズィトール殿もぞ。貴殿も我等アモル=クィア=クィスクが匿っているから堂々と表を歩けているが……トートタロットなぞ所有している時点で、実際は即刻アウトだからの」
「私としてはこのゲジジイを今すぐ収監したい所なのですが構いませんか閣下?」
「ただし、実際にそれをやったら我が黙ってはおらんぞ? 久しぶりじゃのおお主の尻を回数数えながら引っぱたくのは。幼き頃は女の子と見紛うかと思う程に可愛い喘ぎ声を上げおって」
「ぶふぉるっべっち!? そ、それを他人の前で言うのは止めて欲しいとあれ程嘆願したではないですか閣下!! あれはあまりに黒歴史です私にとっての恥辱です!!」
「……女みてえな喘ぎ声ねえ……ひひひ良い知らせを聞いたモンだぜ……じゅるり」
「貴方も頭から真っ二つにしてやりますよこのド変態!! そこまでして『円卓執長』の実力を肌で味わいたいですかええ分かりましたよなら今ここでバスティーユ行きにしてやりましょう!!」
がるがるっ、ぐるるる!! と何やらいがみ合う野良犬みたいな構図ができかかっていた所だが、ここで唯一の常識人ことアストレアが両者に鉄拳制裁。喧嘩両成敗は基本なのであった。
見た目抑え気味なのに頬骨が折れそうな威力だった、とは後々のパズィトールの感想である。
「二人とも、わざわざ我の作った奇跡陣を消費してここに来た理由は必要のないいがみ合いをすることではない。それを忘れたかの? 何なら今すぐ送り返しても良いのだぞ」
「……そもそも火種を作ったのは閣下ではなかったのですか……」
とまあ、こんな茶番は今はどうでも良い。
実態が全くと言っても過言ではない程に不明瞭な密猟系『ギルド』、『ピネウス=アンテピティス』。その本拠地を探り出して攻撃を仕掛けようにも、まずそれがどこかを明らかにする必要がある。
これだけなら当たり前の話のように思えるが、大前提として『ピネウス=アンテピティス』については足掛かりとなる情報が極端に少ないのだ。密猟時の一時的な拠点の残骸は見つかってもそこから追跡することはまず不可能だったし、実際に調査を敢行していた円卓騎士の一団も大多数は不可解な死を迎えてしまっている。
そういう意味では、教会側には証言者たる存在が誰一人存在しないと言えるだろう。
ただし、厳密に言えばそれは違う。
だからこそ、三人はこのバスティーユ牢獄にやって来たのだ。
「『円卓執長』フィナンジュ=F=フィナンシャル、以下同行者二名。いずれもアモル=クィア=クィスク修道会の者である。『円卓執長』権限により、これより囚人番号二四六〇二番の尋問を行う。……そちらに伝えた通りです、確認を」
「『円卓執長』以下二名のアモル=クィア=クィスク修道会所属者、囚人番号二四六〇二番の尋問……照合、確認しました。突然のご訪問ということであまり準備は整えられておりませんが……どうかご容赦下さい。奴を押さえておくのも簡単ではありません故」
「構いません。面倒なことはこちらで済ませますし、そちらに迷惑はお掛けしませんよ。……特にスレット=アンク=ディンドラル、貴方についてはここの看守の中では取り分けてまとものようですからね」
「……他の連中が取り分けておかしいだけです。自分は自分の責務を果たしているまでで」
そして三人は目的の部屋の前に来た。
バスティーユ牢獄最奥の特別監獄。高い城壁で囲まれ、無数の砲と対魔術結界『約束された地』で防御された強固な監獄、その最たる場所だった。見た目は城塞の中央に配置された小さな部屋に過ぎないが、はめられているのは聖術の鉄格子ではなく鉄扉。それも二重三重の錠前と閂で固定されている上、鍵穴自体も別の錠前で塞がれているという徹底っぷりだった。
元々この牢獄自体、教会により裁かれた犯罪者の中でも特に凶悪な罪を犯した者であったり、あるいは精神的に多大な欠陥を抱えた者が収監されているという話だった。先に挙げたマルキ=ド=サド然り、今回三人が尋問する予定の人物然り。そもそも教会による裁判で異端認定を受けること自体死刑宣告をされたも同然なのだが、それでも多少とも更生が見込まれる者もいない訳ではない、よってそのような犯罪者についてはこのバスティーユ牢獄に収監し精神を清める……などという建前が正しいかはさておいて、実際問題ここにいる連中のいくらかはそういう奴等なのだろう。
「一応申し上げておきますが今日は特に狂っています。かの六月新皇騒動を起こしたぐらいですから壊れっぷりに付いては察せる程ですが、流石に今日は……」
「まあ、構わぬよ。何せフィルナンデルは『円卓執長』、円卓騎士団の中でも常に一人しか存在できない栄光の冠ぞ。相手が誰だろうが得意の尋問スキルでどうにかしてくれるであろう。こちらでのランクは性格的問題から黄金書記上層止まりではあるが」
「……しれっと私を侮辱しませんでしたか閣下?」
「さあ気のせいではないのか? それはともあれ、今の問題はこちらではないかの」
アストレアが呟くのに合わせ、看守が錠前を保護する別の錠前に手を掛ける。途端に虚空から現れた銀色の鍵が錠前を開け……その錠前がまた別の鍵となり、さらに扉を守る錠前や閂を解除していくのだ。
ある種の生体認証を利用したセキュリティだな、とパズィトールが呟く。鍵を閉める鍵が、鍵を開ける鍵に。まるで言葉遊びのようなシステムではあるものの、恐らく強度としては他のどの房よりも強固なことだろう。
そして最後の鍵が外され、強固な黒金の扉がゆっくりと開かれる。
他の収監部屋も居心地はかなり悪そうだったが、こちらはそれ以上だ。
廊下の光が差し込んだ独房はそもそも床面積がこれっぽっちもない。どんなに多く見積もった所でせいぜい二メートル四方程度。他の房にあった机や椅子も明り取りの窓も存在せず、ただ壁と一体化した猿ぐつわや手枷足枷、それに肢体を厳重に固定する皮のベルトと錠前だけが存在感を放っていた。天井近くに漂う湿気は恐らく水分補給用の『水』なのだろうが……ここまで摂取を制限されると、これでは岩肌に縛り付けられたロキのようだ。
「囚人番号二四六〇二番!! これより『円卓執長』が貴様の尋問を行う!! これより口部の拘束具を解除するが、余計な真似はしようと思うな!! 抵抗せず無駄口も慎むように!!」
大声を出した所で、どうせ本人は聞いてもいない。
口調の威勢こそ良い。だが看守の顔は、遠回しにそう告げていた。
上半身裸の状態で全身を拘束具とベルトで戒められ、さらに各部に暴走防止用と思わしき護符が無造作に貼り付けられた姿。流れるようなオールバックの赤毛と紳士的な顔だけ見れば印象はまた別物になるかも知れないが、果たして彼の言動はそれをどう崩してくれるのか。
「……天に召しま、sす我が主、お応えください……どうか我がミに一層の艱難辛苦を与えたまエ……このミこのチこのタマシ、その全ては主のカテとなるべきものにしs、っしっして我が主のn教えのイシズエとならんものなり。エリ、え、リ……レマ、サバク、タったニ……」
……結果はこの通り、猿ぐつわを外した途端のこの有様だった。
上っ面だけ聞いてみれば実に信仰心豊かな男にも見えるだろう。それでも、こいつは曲がりなりにもバスティーユ牢獄の最奥の特別監獄に収容されている人物なのだ。よほどの冤罪でも吹っ掛けられていない限りその辺の常識人である訳がない。
「……初っ端からぶっ壊れてるけど大丈夫なのかよコイツ」
「安心することぞパズィトール殿。フィルナンデルはその道については俗に言うえきすぱーと☆ であるからの。余計な心配事は無用、きっと必要な情報を聞き出せるはずぞ」
「そういうのを根拠のない期待って言うんじゃねえのかよ閣下サマ……」
「ルイ=サン=ゴダード」
そのフィナンジュがパズィトールを遮るように口を開いた。
彼はアイマスクで覆われた男の両眼を見据えながら、
「主の下からは最も外れた地位である『借名無神者』でありながら、かつて先任の教皇であったエットゥワール猊下を殺めようとした愚者……同時に違法密猟系『ギルド』の頂点たる『ピネウス=アンテピティス』の職人だった者。その貴方に、いくつか質問がある。言うだけなら自由ですが質問に対する拒否権は、ない。まずはそれを理解しておくことです……宜しいですね?」
「……ああ、我が主よ、どうかコの者達に最後の審判を下したマエ……見捨てられるべきは我ではなく我の他スベての者とセカヒなり、その英知をもって今一度このセカィに永遠の楽園を築き給え……エリ、エリ……」
「……格好付けるのは構わねえんだがよ、根本的にこの野郎ボッチャマの台詞全く聞いてなくねえか? 何かさっきから主がどうとか良く分かんねえ話ばっかりしてやがるし」
「こればっかりは安心しろとは言えんのだが……ルイ=サン=ゴダードはこういう男ぞ。自分が世界の中心であり、主の教えを完全に理解できるのは自分を除いて他には一人たりとも存在しないと本気で思っている。その上根本的な行動原理が『自分だけの主への奉仕』で完全に固まり切っているせいで教会の存在自体を疎ましく思っていた訳でな、ほれ先代の教皇のエットゥワール三七世の暗殺未遂事件が起きた話は知っているであろう? その首謀者兼主犯というのがこのルイ=サン=ゴダードの正体ぞ」
「確か『自分こそが唯一無二の教皇に相応しい』とか何とかいう宣言を教会領中に聞こえるように『胸中対話』までフル活用して発信したってヤツだったか? 俺が見た限りじゃ、後に出てきた教会からの正式発表には名前までは記載されてなかったが……」
「それはこいつの名前が原因ぞ。サン=ゴダード……これはブリタニア地方の委任統治教会領を束ねる名門サン=ゴダード家と全く同じラストネームであろう? 偽名である可能性の方が高いが、かと言って下手に名前を流布してサン=ゴダード家の怒りを買うのも面白くはないし、その上実際に極刑に処した後、本当にサン=ゴダード家の人間だったと判明した暁にはかなり面倒になるのじゃ」
「……たかが名前でそこまで話がこじれるって、マジで教会って無能の極みじゃねえのか……」
赤と白の法衣……ではなく現在は白基調のローブを来たアストレア、対していつもと服装が変わっていないパズィトールの会話の外で、フィナンジュは目の前の囚人を睨み付ける。
ルイ=サン=ゴダードはこちらの言葉を聞いていないなんてレベルではない。
そもそも視線さえ両目で合っていない。片方が上を向いていれば片方は下、片方が左ならもう一方は右という具合だ。というか首元も『窒息死しない程度に』金属の輪で締め付けられている状態だというのに、どうしたら自分専用の懺悔の台詞を垂れ流しにできるのだろうか。どう考えたって呼吸と発声のバランスが崩れているとしか思えない。
ただ、ただの狂人とか精神破綻者で片付けるのも速足過ぎると言える。
こんな言動を見せてこそいるが、忘れてはならない。ルイ=サン=ゴダードは『六月新皇騒動』の主犯であり、実際に先代教皇エットゥワール三七世を死の淵にまで追い込んだ男。教会領で最も強固である教皇の身辺警護をあっさりと突破し、その喉元に直接ナイフを突き付けるという所までこぎ着けた者なのだ。ただ頭がトチ狂っているだけならば、膨大な事前準備を要する教皇の暗殺未遂なんてしてのけられるはずがない。
だからこそ、フィナンジュは折れなかった。
訳の分からない独り言に熱中しているルイ=サン=ゴダードの額を掴み上げ、壁に後頭部を叩き付けるようにして告げる。
「……あの時のようになりたくなければ、貴方だけの主に縋るのを止めてこちらの話に耳を傾けた方が良いでしょう。残念ながら、私は決して我慢強くありませんので」
「主ヨ、我が主よ、どうかこの者に天の怒りを下したまえ……アナタ様の栄光に泥を塗り、世界の統制者タルアナタの存在ヲ認めようとしないこの愚者に審判を与えたま……」
「あと、そろそろ狂人のフリをするのを止めてみてはいかがですか? どれだけ取り繕った所で、貴方がエットゥワール陛下を殺めようとした事実は変わりませんよ」
ゴキンッ!! という鈍い音。いっそショックで舌でも噛んでいるか脳挫傷でも起こしているのではないかと錯覚する程の大音響だが、フィナンジュに気にする素振りはない。
それどころか、さらにもう五回程繰り返す。額を赤い髪を乱暴に握り、いっそ執拗ささえ醸し出すような連撃だった。
その度に小さな部屋が揺れ、鎖がジャラジャラと音を鳴らし、ルイ=サン=ゴダードの口元から赤黒い液体が染み出す。このフィナンジュの本気が伝わったのか、流石にうわ言のような懺悔の言葉も少なくなっていき……最後の五回目で、真っ赤になった唇からこんな言葉が染み出してきた。
「……Haっ……やっぱ『円卓執長』サマには通用しないみたいだなぁ、イカレ野郎の演技ってのはよお。この辺は六月新皇騒動の英雄様のテクニックかぁ?」
「私自身の実力だと申し上げておきましょう、『新皇』ルイ=サン=ゴダード。貴方の能力の方向性からしても面倒と自身の傷害を極力避けるその引け腰っぷりはもはや称賛の域ですが……通用するのは今日までです」
「『氾昂』のルイ=サン=ゴダードだ、間違えんなクソッタレお坊ちゃまよ……で、用件は? こんな時にわざわざ主の代理人たる『俺』を拝みに来たんだ、どうせ『ピネウス=アンテピティス』絡みの面倒な件でも溜まってんだろ」
「……私に答える義務があると?」
「義務も何も、いつも通りの質疑応答だろーYo。もう何回繰り返したか分かんねEなァこのやり取り。『俺』は懺悔の途中なんだ、手っ取り早く済ませてくれると有難いNaア……」
全身を鎖と拘束具で固められたまま、ルイ=サン=ゴダードはフィナンジュの足元に向かって血反吐を吐く。カラン、という軽い音は折れた前歯のようだが、よく見れば部屋の隅の方に白い砂山ができていた。恐らくあの態度から改めるまで延々と先程のアレを行っては再生術式で治療していたのだろう。それにしても少々多過ぎるような気もするが……。
「それで、『俺』に何を聞きたい? 生憎だが『主』は『俺』にしか言葉を下さらねえぜ」
「……『ピネウス=アンテピティス』が本拠地を構えるとすればどこか。それは貴方の言う『主』が知っていることですか?」
一瞬だがルイ=サン=ゴダードの表情が固まった。
天井から一定時間ごとに落ちてくる『水』が、彼の鼻先を掠めて地面に落ちる。その空白を挟んだ後、男は小さく息を吐いていた。
まるで、聞くまでもない世の中の常識について質問されたかのように。
「……『お前』、自分で言った言葉の意味が分かってんだろうNa?」
「自分自身で噛み砕けていなければこのような聞き方はしません。貴方の前で口にするのも忌々しいですが、連中の拠点たる場所は未だに掴めていない。だからこそ問いただしている訳ですが?」
「そういう意味じゃねえNaァ、『俺』が言ってんのは。じゃあこう聞きゃ良いのKa? 『お前』、自分で言ったセリフがどういう結果を招くのか理解してんだろゥNa?」
「……『ピネウス=アンテピティス』が円卓騎士団や教会に手を下すつもりなら無駄なことです。連中が貴方を介して私達の動向を掴んでいたとしてもそれは変わらない。向こうもこちらの戦力を知っているはずですが、それなら自分達の全容を晒してしまう上に全滅の危険性を孕んだ正面衝突などは画策しないでしょう。……これでも何か、問題があると?」
淡々と述べるフィナンジュと軽く受け流すルイ=サン=ゴダード。
一見して前者が論破しているように見えるが、実際には後者がのらりくらりと話題をすり替えて話を別方向へと流そうとしている、というのが傍目のパズィトールの意見だった。
自分が『主』の代弁者だと言って憚らない異常者、それでいて交渉人じみた狡猾な話術さえ駆使する奇才。矛盾した二つの要素を同時に保有しているかのような印象さえ与える男は、フィナンジュの言葉を耳にして再三ため息をつく。
しかし、次に出てきた台詞はこの場の三人の予想を外れたものだった。
「……オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥス」
「?」
「『ピネウス=アンテピティス』の親方のポジションに立ってる男だ。もし『お前』が本気で『ピネウス=アンテピティス』を潰そうと考えてるなら覚えておいてMO損はねえ……いいや、むしろ覚えておかねえと逆にヤベえかも知れねえなァ」
「それはどういう意味かの? 親方の名前だけ教えても質問に答えたことにはならんぞ、我等はルイ=サン=ゴダード。『ピネウス=アンテピティス』が本拠を構える場所を聞いているのだ。もう一度問うのも面倒だし、素直に吐いた方が身のためだと思うが……」
「そいつはクレームとしちゃ的外れだよ、クソッタレの『修道院長』サマ様。『俺』の言ったことはなァ、この名前が全てを物語っているって意味だ。それ以上も以下もクソもねヱ」
意味深だとも気紛れの産物だとも言い表せる言葉だ。この男に対する第一印象が最悪なパズィトールとしては正直信用に足るものだとは思えないが、しかしルイ=サン=ゴダードはあくまでブレない。
口の中で折れた前歯を転がしつつ、さらに続ける。
「『俺』が『ピネウス=アンテピティス』に入ったのは『主』を自由に崇められる場と供物を与えられたからだが、忠誠心の欠片もねE訳じゃあないんだよNaァ。だから全部は話してやらねえしその義理も欠片だってありゃしねえ。O坊ちゃまは気に入ってるから多少はサービスしといてやるが」
「普段通りの話題すり替えは結構です。質問に答えろと、私は先程から申し上げているのですが」
「……奴が関わった事件はいくつかあるが、その中に一つだけハルピュイアが関係しているものがある。イマの『俺』にとっちゃこれだけ教えてやるのが関の山だァガ……それ以上に、奴のことは調べない方が良いと思うんだがNaァ。その方が『お前』にとっても幸せだよ」
「生憎と『円卓執長』には職務怠慢は許されていません。手を引くというのはできない相談ですね、ルイ=サン=ゴダード」
そうかよ、と無造作に吐き捨て男は項垂れる。フィナンジュが扉の外に立っている看守に目を向けると、右の指三本を立ててこちらに示していた。
どうも残り時間は多くないらしい。それも当然と言えば当然だ。『円卓執長』に加え、書類上は聖術師として処理されているとはいえアモル=クィア=クィスク修道会の『修道院長』がバスティーユにいること自体がかなりのイレギュラーなのだから、この尋問の場を設けてくれただけでも有難いと思うべきなのだろう。
そう思考をまとめ、フィナンジュは踵を返す。
頼みの綱は頼りにならなかった。これでは『ピネウス=アンテピティス』を追うことなど……。
「……警告はしてやったZeお坊ちゃま。後は好きにしても良いんだがよ、マジでこれだけは念を押しとく。……オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥス、あの野郎には触れない方が良い」
「……、」
「これは教会のスキャンダルなんてレベルの話じゃあねえYo。世間知らずのお坊ちゃま、『知ってしまう』ってのがどれだけ怖いかってのは『俺』がよく分かってる。だから忠告してやってるってことは忘れない方が身のためだNaァ」
扉が閉じられる。
無数の錠前と閂で封じられたその部屋から、再び『懺悔』の呟きが流れ始める。
その言葉の羅列でもって、思い出したくない悪い記憶に蓋でもしようとしているように。