ACT.03-25_At the ″their″ Cliff.[chapter.01~02]
1
ヴァティカン市街地での戦闘行為。
民間人を巻き込んでの魔術行使。
再三に渡るエドワルド=レデンズ=ニーマンドとの接触。
そんな内容が書かれた報告書の羊皮紙が並ぶテーブルには、二人と一人が並んで座る。
「……早々に悪い方向へとポイントを溜めてきましたね。これでは無期懲役だとしても何世代かかるか……閣下、やはり疑問です。どうしてこのような者が『聖剣』を手にすることを許されたのか不思議でなりません」
「じゃがこの者は与えられた適性試験を(リディアスの手伝い込みで)期限までに完遂し、我に提出してきた。それにあの場所にレデンズ=ニーマンドがいたのはただの偶然、今回の戦闘もレデンズ=ニーマンドが起こしたそれに『勇者』が巻き込まれただけのこと。取り立てて騒ぐようなことでもあるまい」
「しかし……その『勇者』は以前にも自発的にレデンズ=ニーマンドと関わった上、自らを研究対象として扱うことを認めたと聞きます。いくら閣下のご裁量があっても……」
「ジュディチュムの連中のことなら心配いらぬぞ、フィルナンデル。今回の件、むしろ『勇者』の情報提供があったからこそ進展が認められている。件の『ギルド』……『ピネウス=アンティピティス』に関することがな。そうであろう?」
「は、はひ……そうでしゅ。その通りでございましゅ……」
……などとしょうもない会話が広がるアモル=クィア=クィスク修道会本拠のマンダリン=アナティス院長邸、さらにその本館に当たるクナブラ=クォド=アモル殿。玄関口を潜って少々歩いた場所にある大広間は、ごく一部を除いて非常に賑やかだった。
最初に入った時も思ったが、やはりこの建物自体アモル=クィア=クィスク修道会が保護した戦災孤児を養う孤児院のような役割を果たしているためか、非常に子供の数が多い。その辺の貧相な修道院よりも保護数が多いのだから当然だが、それにしてもここに務める聖術師より子供の数が多いというのは他にはない特徴だろう。前にも書いたように、ちょっとした清貧系修道会よりも遙かに母性に満ちた『閣下』の計らいによる部分が大きいようだが。
で、その広間で会話……というか尋問をしているのは『円卓執長』のフィナンジュ=F=フィナンシャルと弁護役のアストレア=A=アストラーニュ司祭枢機卿で、ひたすら恐怖に苛まれつつ尋問されている方が『勇者』。場所が場所なせいか緊張感はそこまでではないのだが、先程までの下りを思い返すとガクブルしない方が不自然だ。
ちなみにフィナンジュ=F=フィナンシャルというのは赤と白の法衣を着たアストレアとは対照的に、黒基調のローブの上から物々しい鎧を着込み、肩から金属製カバーに覆われた巨大な本を提げている姿だった。室内でも脱がないということはこれが『円卓執長』の正装なのだろうが……正直、あの服装に良い思い出はない。
なまじ本人が出てきたせいでもあるだろう。出会い頭に人を袈裟切りにするようなヤツがまともな『円卓執長』である訳などサラサラなく、とりあえず別次元の『僧院』に帰宅したエドワルドに言われたことを思い返しつつここに戻ってきたらフィナンジュと鉢合わせ。表で起きた騒ぎに『勇者』が関わっていたと知った直後、どう見ても馬上で使うものとしか思えない長大な両手剣で数十分お尻ペンペン(ガチ)をぶっ込んできたとなれば、これを地獄と呼ばずして何と呼ぶのか。
「『ピネウス=アンティピティス』……名前が広く知れ渡っている割には全容の解明が進まないという例の密猟系違法『ギルド』ですか」
テーブル上の羊皮紙に目をやりながら、フィナンジュが呟く。
「幅広く獲物を狩ってはいるが、その中でも特にハルピュイアを専門とする連中。市場価格が高く様々な人間から渇望されるハルピュイアの羽毛を安定して供給できるだけの人材、及び狩猟場を持つ一大違法『ギルド』。過去に何度か摘発が行われてはいるものの、確保に成功したのはわずか一名。それも本『ギルド』の所属であることが判明したのは偶然です。今回『勇者』が遭遇したという職人も『不導師』エドワルド=レデンズ=ニーマンドに押さえられてしまっていますね」
「だって仕方ないじゃない……あいつ人の言うことなんか聞いた試しがないんだよ? 私なんか研究対象としか思ってないような奴が私にスコアを残すと思ってんの?」
「そのレデンズ=ニーマンドと思われる人物による犯行声明には『勇者』は自分の生涯の愛人だという旨の発言が混ざっていましたが、これは?」
「そいつはいつも通りの悪ふざけだ本気にするんじゃねえぞボッチャマ野郎。いくらオメエが閣下サマの部下だからってなあ、オメエに対する恨みがなくなった訳じゃねえんだぞ……」
で、こちらで愚痴を垂れ流すのはパズィトール。こっちはこっちで三人とは別のテーブルに腰掛けて優雅に昼のティータイム……ではなくてドリンクタイム。無論ここで言うドリンクとは酒の意味である。
その品名はブルーハーベスト。いかにもヤバそうな名前だが一応教会正式認可の合法酒だ。
「つかよ閣下サマ。一個聞きてえんだが、なんでこのボッチャマ野郎がここにいるんだよ?」
「今回の件もあって我が呼んだのだ、貴殿には言わなかったかの? それにフィルナンデルは我の甥で元々は妹の息子ぞ。まあ以前の粛正騒ぎでアルティスの奴は墓の下に行ってしもうたが」
「あれ、アストレア閣下って妹さんがいたんですか? アモル=クィア=クィスク修道会の公的書類には名前がなかったような……」
「当たり前じゃ、その粛正してきた奴等がジュディチュム=イノミエ=デイ修道会ではな。連中に消された者はほとんどの場合経歴や名前までもを抹消される運命にある。言うなれば生きていた証そのものを奪われてしまう訳であるからな。我もアルティスの堕落を引き止めなかったとして女の自由を一つ失っておる身であるし、つくづく連中は我の傷害にしかならぬ訳ぞ」
「……えと、済みません。何か軽々しく聞いちゃって……」
「気にするな。アルティスが死んだことは我にとっても受け入れがたいことではあったが、それ故に今のアモル=クィアがあるようなものじゃからの」
話がズレたな、とアストレアは一息付いて、
「話題を戻そう。エドワルド=レデンズ=ニーマンドが誘き出したという密猟系『ギルド』の『ピネウス=アンティピティス』についてじゃったな。フィルナンデル、説明を頼む」
「……この『勇者』にも、ですか? それとこの連れにも? それはつまり、今後の作戦行動に彼等を同行させるという意味ですか? ……正直、このような失態を犯した者と一緒に行動するのは腑に落ちませんが……」
今の質問に少々イラッと来たのは彼女だけではないだろう。パズィトールもまた手に持ったグラスからメキメキと嫌な音を鳴らし、それを後ろで不安げに眺める男の子……インキュバスのイェルクだったか? の姿が。
しかしそれが暴発する前に、アストレアが言葉を返す。
「それとこれとは話が別ぞフィルナンデル。今回の作戦には『勇者』は同行させぬ。『ギルド』の追撃であれば円卓騎士団とお主だけでも十分であろう?」
「……はい。閣下の命であれば、私は何なりと」
「じゃあ説明。『勇者』はまだ『ギルド』には疎い故、その点を忘れずにの。起承転結事実を詳細かつ簡潔に、じゃ。いつも部下の前でやっているようで構わん」
了解しました、とアストレアに一礼するフィナンジュ。
こうして見ると何だか実の親子のようだ。どこかアストレアに頼っているような部分も見受けられる辺り、外見は大人だがまだ精神的に依存している所もあるのかも知れない。人は外見では云々、という言葉で片付けられる程単純な話でもないのだろうけど。
そうこうしている内、フィナンジュがテーブルの上に何枚かの書類を並べていく。何枚か、というのは比喩とか目分量ではなく、本当に何枚かしかないという意味だ。ざっと羊皮紙が三枚、それと写し絵が二枚。片方は人物画、片方は何かのマークのようだが……どちらも派手にぶれていてよく分からない。
「『ピネウス=アンティピティス』。ハルピュイアの羽毛を専門的に扱う違法密猟系『ギルド』ですが……この通り、判明していることはあまり多くはありません。彼等の名前、獲物、英語を使った構成員の二つ名、そしてこの印。どれだけの規模を持ち、どれだけの範囲に拡大し、どれだけ教会の名を汚してきているのか……恥ずかしいことですがね」
「何でだ? 俺が知ってる限りじゃ『ピネウス=アンティピティス』は魔族の間でも結構名が通ってるらしいぜ。密猟系『ギルド』の中でも指折りの武闘派だって話だが」
「それは辺境での話でしょう。魔族に知れていてこちらに知れていないことは多いですし、今に始まったことでもありません」
「どえらい問題抱えたまま放置するんじゃねえよ円卓騎士団……つくづく問題児しかいねえな」
「……数少ない判明点である名前ですが、その意味は『ピネウスの逆襲』です。ハルピュイアに食卓を荒らされたというギリシアの賢人らしいですね。そのような賢者の名を密猟系『ギルド』が名乗るなど反吐が出ますが」
……さり気なくスルーされてしくしく泣きそうになっているいい歳したヒゲジジイが何か両手で顔を覆ってめそめそしているが、まあ気にしないでやった方が良いだろう。世の中フォローしたつもりが思わぬ追い打ちを掛けることと同義になるケースも多いからだ。
彼女は二枚の写し絵の内、シンボルマークのような何かが書かれた方を手に取りながら、
「じゃあ、そのピネウスなんとかって連中は違法にハルピュイアを狩ってる連中ってことで良いんですよね? その実態は不明で、だけど名前は有名な『ギルド』ってことで」
「まあ要点は合っているしそう考えて差し支えないかの。見るからに矛盾だらけで胡散臭い連中ではあるが、こうしてヴァティカンに職人を送り込んできた以上は名前だけのペーパー『ギルド』ということもあるまい。あの実力、挙動、何より意図的に周囲を巻き込んでいくような戦い方……ハルピュイアを専門とするというのも頷ける話ぞ」
ハルピュイア、あるいはハーピーと呼ぶ方が馴染みがあるかも知れないが、彼等は教会領魔族占領区を問わず世界中に分布する『魔獣』だ。
人の体をベースにして、腕を羽に、足を猛禽類のものに差し替えたような姿が一般的だが、これはハルピュイアという分類中の一種であるプルーマ=ブラツィウムの姿に過ぎないのだ。中には巨大な鳥の首から上を人の上半身にすげ替えたようなパーヴォ=プリンケプス=クルス種、体は鳥で頭だけ人間というヴルトゥル=ソルディドゥム種、はたまた存在も由来も不明瞭なイビス=スィーネ=アラス種等もいるのだが、総じて共通した特徴は存在する。
それは即ち、獰猛さ。
俗物的なハーピーのイメージからはかけ離れているように思えるかも知れないが、ハルピュイアは仲間内の絆を何よりも大事にする一方、侵入者に対しては情け容赦というものが一切無い。特に最も一般的なプルーマ=ブラツィウム種の場合、不用意に群れに接近すると即座に爪で八つ裂き、死体は骨まで食らいつくされるという噂まで流布している程だ。
噂だと笑うこともできるかも知れないが、火のない所に煙は立たない。本当にハルピュイアが人畜無害な魔獣であるなら、こんな噂なんてそもそも発生しないのだから。
「魔族占領区にもハルピュイアの営巣地はあるんだが……繁殖期になるとあの辺はすげえぞ。足の一歩が入っただけでも見張りのオスが飛んできて次の瞬間には喉笛が掻き切られるんだ。やべえ奴等っていう表現でも足りねえな」
「そうじゃの。昨年度の調査によればハルピュイアの攻撃による負傷者は五六八人、死者は三四七人。死者の内半数以上は遺体が原型を留めておらぬし、負傷者も四肢切断から脳挫傷による植物状態まで幅広い。一度誕生した番は一生途切れることはなく、群れが崩壊するようなことも一度も起きておらん。そのせいか教会は彼等を『聖なる獣』として特別保護区まで設けておるが……馬鹿馬鹿しい。そんな上から目線の救済など誰も望んではおらぬのに」
「……まあ、閣下の仰るようなこともあって、ハルピュイアの密猟は非常に困難だとされています。というか実際、何の準備もなしに武器を向ければ数秒もしない内に肉塊と化すことは避けられません。いかに有効的な態度を取り繕うが通用はせず、その場で害意を見抜いて攻撃行動に出る……それも一匹二匹などという甘い話ではなく、群れが総出で襲い掛かってくるのですから、いかに歴戦の円卓騎士であろうと敵うことは有り得ません。これは冗談とか誇張ではなく事実です。……他でもない私の部下が殺されているのですから」
『円卓執長』らしくもない重々しい声色だったが、流石にこれを笑うことはできない。
ハルピュイアについては彼女も何度か目撃している。もちろん遠距離からチラリと見た程度だが、そんな彼女でもハルピュイアの恐ろしさは重々承知の上だ。
『鉄拳交渉人』としてキャリアを重ねていた少女期に見た、ハルピュイアによる集落の襲撃事件。金欲しさに密猟を考え、その報復として皆殺しの憂き目に合った連中も少なくないのだから。
だとすれば。
「……そんな危険な生き物を、『ピネウス=アンティピティス』は専門的に狩っている。それも一月に数羽なんてペースではない、一週間に二〇匹以上は余裕ぞ。推定ではあるが多い時は三〇匹を超えることもある。一体どういうテクニックを駆使しているかは分からぬがな」
「週に、二〇以上だって……?」
アストレアの一言に、図らずも彼女の喉元が干上がる。
獰猛な捕食者としてのハルピュイアの力は、しばしば黄金柏葉円卓騎士三人分に例えられるものだ。一流の密猟者でさえ五人がかりでも押さえ込むだけで精一杯、それが二〇ともなれば驚異度はどこまで跳ね上がるか分かったものではない。円卓騎士や聖術師が魔族よりも恐れるものとしてトップ5に挙げるぐらいには凄まじい魔獣なのだ。
そんな彼等を、『ピネウス=アンティピティス』は週に二〇匹以上?
確かにハルピュイアの市場価値は計り知れないものがある。鮮やかに輝く美しい羽毛ハルピュイア関連の品々の中でも特に高価なものだ。元々生息数が減少傾向にあることに加え、教会の保護政策により狩猟行為自体が違法になっているため、当然羽毛が表に出てくることはない。だがその裏では、密かに羽毛の取引をすることで莫大な利益を得ている連中がいるのも間違いない。
つまり『ピネウス=アンティピティス』はまさにその代表格であり、頂点。
「ひゅう……おっかねえ連中だぜオイ。そこまで至るために人員何人食い潰してんだ……?」
「魔族占領区でもその実態は分からないと、そういうことのようですね……リディアス=トゥベル=ボーンカッターを通じて得た情報との相違もなさそうです」
「向こうで広まってんのは名前だけだ。俺の生まれのファイデム=サルヴス公国は国境に接する小国だが流石に魔族との仲は良くねえ。いくら顔を合わせる機会が多いからってナカヨシコヨシでいられる訳じゃねえんだ、入ってくる情報だって限られんぞ。ってかそっちはあのガキを使ってんのかよ? 『円卓執長』として騎士団取り纏めてるやればできるフィルナンデルたんはどこ行った?」
「……とりあえず、これが現時点までの情報で説明できる範囲です。今まで限られた情報しか手に入れられなかったこともあり、その実態を知るには程遠かった訳ですね」
「さり気なく人の話をスルーしていくそのスタイル止めろよ俺はマジで泣く寸前だからな!! こういう屈辱を仕掛けても良いのは俺のカミさんだけだって決めてんだから!!」
本気で受け取られたのか、飲んだくれのパズィトールの近くにいたインキュバスの男の子イェルク君がタオルを差し出していた。
悪意なし他意なし、心から心配している無垢な顔を向けられたパズィトールの心境やいかに。是非とも教えて欲しい所だが、しかしその点に突っ込む前に別の台詞が重なる。
羊皮紙の資料を指でなぞり、重苦しいため息をついたアストレアだ。
「ただし、だからと言って無視もできぬ。現に連中はヴァティカンの市民を手に掛けこの街に赤色をぶちまけたのじゃからな。上層部は円卓騎士団の追撃出動を許可するかどうかで揉めているようだが……いちいち待ってもいられぬ、我等は独自に動かせてもらうつもりぞ」
「彼等の魔術使用痕、及び周辺の目撃情報と潜伏中の聖術師による偵察を元に本拠地を嗅ぎ当て、早急にこれを叩く。場合によってあの容疑者の再尋問が必要になるかも知れませんし、そのための作業は現在進行形でくまなく行っているのですが……ここで問題になるのが、『勇者』の存在です」
ぴくり、と。彼女のやや尖った耳が、フィナンジュの発言に違和感を覚える。
「私の? えと……それはどういう意味なの?」
「正直、貴方があそこにいなければこんな問題は起きなかったのですが……今更どうこう言っても意味はありません。私の監視不足が祟ったのもあります。それ故に私も義務を果たすつもりではありますが、事態がこうなると不足の問題も発生する可能性が大きくなりますし、そうした場合二次的ひg」
「オメエは少し人の話を聞くようにしようかオボッチャマ。一体コイツの何が問題だってんだよ? またしても『勇者』の適正云々とか調子こいた台詞を吐くつもりじゃあねえよなオイ?」
「こら話を聞かないのは双方であろう。貶し合うのは止しておくのが正解ぞ、いい歳した大人がみっともない……げふん、それはともかくだが」
……一回咳払いの音が聞こえた気がしたが、別にアストレアにも思い当たりがあったとかそういう話ではないと思いたい。
それにフィナンジュがあんな言い方をしたということは、その円卓騎士団の作戦行動にも良からぬ影響があるのだろう。でなければわざわざ別口で話を加える意味がないはずだ。そこでこの場を開きにしなかったということは、恐らくそこに『何か』がある。
アストレアはテーブルに置いた資料を……いや、そこに記載された一文を指差しながら、
「奴に気に入られたとかいう感じの理由はどうあれ、貴殿は希代の変態『不導師』エドワルド=レデンズ=ニーマンドとの協力関係を築いている。あれが幾度となく接触を図っているということは、つまり貴殿とエドワルド=レデンズ=ニーマンドとの繋がりも深い、ということで間違いないの?」
「……ただの研究対象とか何とか言われてるだけの関係ですけどね……」
「だとしてもエドワルドは貴殿とコネクションを結んだことに代わりはあるまい。そして先程、貴殿はエドワルドの雑貨品にいた。誘い出された『ピネウス=アンティピティス』の襲撃を受けた段階でも、共に二名の職人を迎え撃っている。……さて、この後にエドワルド=レデンズ=ニーマンドや我等アモル=クィアし=クィスク修道会の行動を連中が摑んだら? 第一にその情報源を探し出し、未帰還の二名の最終確認地点に、そして……その場にいた標的の同行者に目を付ける。つまり、貴殿にの」
言い切っていた。
ここばかりは推測ではない。アストレアは今までの資料や報告、そして今日の騒ぎをまとめて総合的に判断した上でこの言葉を口にしている。
『ピネウス=アンティピティス』、違法密猟系『ギルド』の頂点。ハルピュイアの羽毛を安定供給できる程の実力集団の次の矛先は『勇者』であると、そう断言していた。
本来の目的からすれば決して優先すべき目標でもないにも拘らず行動を起こす、つまり連中はそれだけ彼女を脅威として見ているのだと。
そして極めつけの台詞、その場を締めくくる一節がこれだった。
「連中は本気だ。腕利きの職人を二人も送ってくる程には抑制が外れておる。だから貴殿を連れていくことはできぬという訳ぞ。自らを知ろうとする者を全力で叩き潰そうとしている時に貴殿を一緒に参加させれば……それこそ奴等の思う壷。舌の肥えた彼等に、こちらから特別料理のネタを持って行っていくようなものじゃからの」
2
早々にあんな話をされたせいか、昼食が喉を通らなかった。
「……最悪な日だな、今日」
早朝からあんな量の血を見ておいて普通に飯を食える方が異常なのは百も承知だが……それでも少々情けないとは思う。自分も『勇者』としていずれは『魔王』を討伐しなくてはならない身だ、人殺しにいちいち躊躇している暇はないのだろうが、だとしてもフィナンジュ程には割り切れないのだ。
あっちはあっちで信仰心が大きな土台になっているようだが、打って変わって彼女はアモル=クィア=クィスク修道会に属していながら教会の教えには懐疑的だ。修道会自体がそういう感じなので気にすべき点ではないだろうが、やはり精神的な支えの有る無しは大きい。
(……でもなあ……閣下も妹さんを粛正で殺されたみたいだし、あんまり頼り切りになるのも良くないか)
そうなると他にいるのはリディアスとパズィトール、後は……エドワルドだけは除外になるから、その二人ぐらいか。ただリディアスも修道会の雑務で決して暇ではないし、パズィトールも頼りにはなるがどこか抜けている感じがするし、タイプという訳でもないし、そもそもこの場にいないのだから話にするだけ無駄か。
(『追憶』が魔術使用痕の追跡に必要だから、っていうのは分かるんだけどなあ……あいつだけ一緒で私はここで待機。でも円卓騎士の動きと私の動きだったら、円卓騎士の方に注目が行きそうな気もするけどなあ……)
小さなため息を付きながら、彼女はソファに背中を沈める。
クナブラ=クォド=アモル殿の一角に用意された自室だった。『ミーシャ』の一件から『勇者』に対する教会の不信感が湧き出てきているため、下手に各州各国を渡り歩くのは危険だと判断したアストレアの計らいなのだと聞いているが、例に漏れずここも金銀豪奢に飾られたせれぶりちーな部屋だ。元々アストレア閣下の妹君のアルティスが使っていたとも聞かされている。どうもアルティスというのはアストレアより前にアモル=クィア=クィスク修道会の『修道院長』だった人のようだが、閣下の言った通り記録を漁っても名前は出てこない。
粛清により存在ごと抹消されていたという話だったが……わざわざこの部屋を与えた所を合わせて考えると、ある意味遠回しに彼女に警告を発しているのかも知れない。
目立ち過ぎるな、今は抑えていろ、と。
(……でも私が『ピネウス=アンティピティス』と顔を合わせたのは今日が最初だよね……それだけで、私が積極的にターゲット指定になるのか……?)
窓際の机に目線を投げてみれば、そこに先程の羊皮紙。
『エドワルド=レデンズ=ニーマンド』に市場を荒らされたとか言う彼等が、そいつと縁のある『勇者』を標的にしているのであれば、待機中に『ピネウス=アンティピティス』が奇襲してこないとも考えられない。何せ朝っぱらのヴァティカンで嬉々として大量虐殺に走るような連中だ。ここがアモル=クィア=クィスク修道会本拠地マンダリン=アナティス院長邸だということなど、恐らくお構いなしに突撃してくることだって十分有り得る。
そこでだ。
一応、念のため、石橋を叩いて何とやら。リディアスが用意してくれた数少ない資料の写し、それとパズィトールのタロットカードを利用した追跡用魔術『追憶』をリンクさせ、リアルタイムで更新作業ができるように仕掛けている。『ピネウス=アンティピティス』の連中が来た段階・交戦時に少しでも情報が手に入るように……という所だろう。付け焼き刃ではあるが、ないよりかは幾分かマシになるはずだ。
(名前は売れてて、なのに協会側はその実態を把握できてない、か。『ギルド』って結構内部だけで完結してることが多いし、積極的に外と関わってる連中も多くないんだっけ。それにしても情報が少なすぎるような気はするけど……)
目撃者を片っ端から葬る『不断殺』なんてものがあるくらいだ、組織内部の粛正がないと考える方がよっぽど不自然か。教会も『ピネウス=アンティピティス』も、やっていることそれ自体は変わりないらしい。
そこにある唯一の違い、つまり教会の横暴が裁かれる事がないのは、そもそも教会を裁くことのできる存在がいないからか。
(閣下が聖書の教えを重視しない理由、分かる気がするなあ……聖書の時点で矛盾が腐る程あるのは目に見えてるんだし、それなら自分流に改変した教えでも良い気がする。プロテスタントとか言う人達はそうはしなかったみたいだけど、その辺は人それぞれって感じかな)
思う所は多いが、何にしても『ピネウス=アンティピティス』は自分を狙っている。
どういう理由があるにせよ、自分がその『ギルド』にとって好ましくない存在になっているのは事実なのだ。こちらは大人しくここで待っているのが正解だろう。
「……まあ、それにしてもやる事なんてないし、暇になっちゃうのはアレだけどなあ……」
心の中の本音が溢れ出たのは、ある意味余裕が出てきた証拠かも知れない。
今まではずっと自分が表に出てきたのだし、少しは後ろに下がっても良いはずだ。
そう思い、彼女はソファから腰を上げる。
昨日の夜から今日の朝に掛けて、例の適性検査とやらに時間を食われてろくに眠れていない&何より昼食を上手いこと食べられなかったせいで小腹も空いている。腹が減っては何とやらとも言うし、まずは軽く食事でもしておくことにした。
足を進めたのは自室の机、その一番下の引き出しだ。
通常の鍵を開けて引っ張り出し、底板を外すとさらにもう一つ錠前がある。秘密のロッカーという訳ではないがちょっとした隠し場所というヤツだ。
「……えっと……確か前にゲットしたやつはここに入れておいたはず……暗証番号はイチゴ屋タンツー六刻堂、で良かったよね……うん、オッケー」
こういう時にだけしか役に立たなそうな語呂合わせを思い出しつつ、錠前の番号を合わせて取り外す。
覚えている限りではアストレア閣下が宮大工に発注したという底板が三重になった隠し引き出しだ。閣下はこのスペースに魔族占領区由来の『ドウジンシ』なるものを収めていたと言うが、さてそれが何なのかは彼女には分からない。聞く限りでは老若男女の性欲処理のために様々なシチュエーションでの××××を描いている本だと言うが真相は不明である。唯一判明しているのは、それが教会から厳重な発禁処分を受けた異端書であることぐらいか。
ただ、彼女が隠し引き出しに入れているのはその手のものではない。
錠前を開けて持ち上げた底板の下にあったのは、合成樹脂製の容器に入った『かっぷらーめん』とかいう保存食だ。魔族占領区の中枢部~中縁で広く流通しているらしく、出所故に大っぴらにはできないのだが、彼女も何度かお世話になっている一級品である。
「蓋を半分剥がして……お湯で三分間か。火を焚くのも面倒だし、自分で水を温めれば調達できるかな」
とぽぽぽぽ……と、エレメント操作で温めたマグカップ入りのお湯を注いで、後は待つ。この時点でもう良い匂いがめっちゃ漂ってくるのはもう飯テロにも近い暴挙だ。
そのままかぶり付きたい衝動を抑え、容器を机の上に置いておく。分厚い聖書が蓋の代わりなのはまあ目を瞑ってもらうとして、グルメタイムはあと少し。
「ふんふふんふふーん、ふんふん。ふふんふふんふ……あれ、これで良かったっけ。賛美歌なんて二年前に少しやったぐらいだからなあ……まあいっか」
そんなこんなで昼は過ぎ、午後に差し掛かる時間帯。
壁掛け時計に目をやりつつ、鼻歌を歌いながら待つこと三分……の、途中の一分半だった。
ガタガタンッ!! と、彼女の部屋のすぐ近くで物音が鳴り響いたのは。
「?」
まずは音だけが耳に入った。
それだけに自分の部屋の外だ、とは判断できたのだが、具体的な場所までは分からない。しかし大きさからしてそう遠くではないだろう。ちょうど一部屋二部屋挟んだか、あるいは上下一階分ぐらいの距離感ではあった。
(何だろ……子供達が遊んでるだけだったり、かな。この部屋の周りには倉庫もないからbどこかで崩れ落ちたとかじゃなさそうだし……大体ここ個室ばっかりの建物だし……)
くどいようだが、このクナブラ=クォド=アモル殿はアストレアが引き取った子供達が暮らす孤児院としての面がある。年端もいかない小さな子達から青年まで歳も様々だが、中でもこの部屋周辺は幼児が多い。当然ロクな教育を受ける機会もなかったのだ、遊びの度が外れて事故が起きては大変……とまで考えていた矢先だった。
ガシャガチャン!! ゴンゴンガン!!
さらに二回程、連続した音が鳴り響いた。
……遊びが高じたにしても奇妙だ。前に子供達の部屋を見た時には、『そういう』類いの玩具はなかった気がする。そもそもこの近くの子供部屋と言えば五歳~七歳くらいの年長組のものだったはず。集団が一気に……とかいう事態になれば別だろうが、喧嘩で取っ組み合いに発展したとしても、ここまで大きな音として聞こえてくるとは考えにくい。それこそ円卓騎士団の駐屯地から片手剣を持ち出したとかでなけてば……アストレア閣下の教育の元でそういうことを考える子がいるのかどうかはさておいても。
本気の本気で片手剣をぶつけ合っているとか、よほどの非常時でもない限りは。
クナブラ=クォド=アモル殿の執事メイド達に任せて自分は一級グルメに没頭、という風にしたかったのだが、
(……ちょと、待った)
いいや。
クナブラ=クォド=アモル殿の本来の役割は、六大修道会の一角アモル=クィア=クィスク修道会の本拠地。当然ながら平時はアストレア閣下の身の安全を確保すべく常駐の円卓騎士、あるいは聖術師もいる。この建物だって彼等の防護があるからこんな平和を保ってこられているのだし、敵対状態にあるジュディチュム=イノミエ=デイ修道会の襲撃だって回避してこられたのだ。
では、もしもそれが破られたとすれば。
今まさに自分を、即ち『勇者』を狙っている者達の奇襲があったとして、防御態勢を真っ向から突き崩した『ピネウス=アンティピティス』の連中が、誤って(もしくは故意に)子供達の部屋に侵入したならば。
この轟音は、何が原因で起こっているのだ?
「……冗談じゃ、ない。いきなり人のホームグラウンドに土足で踏み込んだ上に何をしてくれてんのよ、あの気の狂った密猟系『ギルド』は!! そこまでして私をぶっ殺したいのアイツ等!? っていうかそれ本末転倒でしょうが『ギルド』は『ギルド』らしく密猟に集中してるんじゃなかったの!?」
彼女が叫んでなおも爆音は続いている。その頻度もどんどん上がってきているが、これは戦闘行動の激しさを物語るものか、それとも……『虐殺』の頻度を示すものなのか。直接見ることができず、音で推測することしかできなくても、彼女になんとなく掴める。
だから、そこから先は超速ダッシュだった。
(このまま放置なんてできるかっての!! 閣下は雑務でいない、フィナンジュとパズィトールは本拠地探しで留守、リディも閣下の代わりの書類仕事で手が塞がってる!! アイツらが来たってんなら、私以外に出られる人なんていないじゃない!!)
これでは吞気にカップラーメンなど啜っている場合ではない。
今すべきこと、それは一刻も速く子供達の場所へ向かい、『ピネウス=アンティピティス』の職人を排除することだけだ。
そうしなければ、あの『不断殺』のように不必要な赤色が流れる。
好んで周囲を巻き込んでいくあの戦い方。朝から胃袋を刺激される光景を見せられた身としては、あんなのはもう二度と御免なのだから。
(『聖剣』はここに、その他はいらない!! 最低でもコレ一本があれば何とかなる、はず!!)
机の傍に立て掛けておいた片手剣を摑み、そのまま自室の扉を蹴破るようにして廊下へ飛び出る。バガッ!! と鍵が破断する鈍い音がした気もするが今は緊急時、背に腹は変えられない。
絶え間なく響く物音を頼りに階段を駆け上がりつつ、同時に『聖剣』を鞘から引き抜いた。柄の根元を覆う透明な宝石の色は黄色。これが何を意味するのか、彼女もそこまでは掴めないが、決して良い状態ではないのは明らかだ。
先程から耳に響く音が激しくなっているのも、甲高いソプラノの絶叫が混ざっているような音になっているのも、絶対に。
(『ピネウス=アンティピティス』……私が狙いってだけでここまでやるのか!? 子供の叫び声なんて私が絶対に見逃さないようなものばっかり用意してもくれちゃって……!!)
とにもかくにも目的のフロアへ急行するが、この断続的な爆音に異常を感じたのか、自分と同じように子供達の部屋へと走るメイドや執事も多い。執務中なのだからクナブラ=クォド=アモル殿の非常時に駆け付けるのは当たり前なのだろう。
それが逆に、連中に餌をまいているようなことになるのを知らないまま。
自分の任務を全うするのは良い。だがそれがかえって犠牲を増やすことになる。なのでそっちに関しては執事長っぽい奴の肩を摑んで急停止させてから、
「待ったアンタそっちには行くんじゃないッ!! 死にたくなかったら下がってて!!」
「ヴァッ!? ちょ、『勇者』様!? 何故にここへ……ではなくて危険ですからお下がり下さい!! この先に驚異度不確定の侵入者がいるとの報告があります、まず私共が現場を確認しm」
「そんな間抜けな台詞を吐いてる場合じゃないでしょ馬鹿野郎!! 侵入者なんて『ピネウス=アンティピティス』の連中に決まってんでしょーが!! 良いから仲間を連れてさっさと退避、周りの子供達も避難させなさい!!」
「ふぁっ!? な、い、ちょっと、『ピネウス=アンティピティス』と仰いましたか!? 何故あの密猟系『ギルド』がここに来るのですか!? このクナブラ=クォド=アモル殿にはハルピュイアに関係した物品なんてありませんよ!?」
「説明は後!! とにかく、さっさと言った通りにしなさい!! 良い!?」
半ば背中を蹴飛ばすように執事長っぽい奴を下がらせて全力疾走。
クナブラ=クォド=アモル殿は巨大な建物だが、彼女の走力なら数分も掛からない。さほど時間を費やさずに問題の部屋の目の前に到着だ。取っ手に手を掛けて力を込め……扉の鍵が破損しているのか、それでも回せないことを確認した彼女はまたしても例の手を使うハメに。
損害賠償は請求されるにしても人命救助優先、このぐらいは許容範囲だろう。
という訳で、
「ポケットマネーから頂きます閣下ゴメンナサイッ!!」
ドガァン!! と戸板をぶん殴る格好で強制解放。うっかり蝶番ごとねじ切りそうになってギリギリで抑え込むが、すぐ向こう側に子供がいて扉でホームランしちまったらその時は腹を括ろう……と思いつつ、部屋の中へ駆け込む彼女。
部屋自体は共同で使っているのだろう。端の方にベッドが五つ並び、各所がリボンやインテリア等々入り口の広間とは違った庶民的な装飾が成されている。それと壁や床は可愛らしいピンク色の壁紙やマットで覆われているが……その床に、粉々に砕け散ったガラスがくまなく散乱していたのだ。急速冷却による強化処理に加え、建物自体が聖術による防護を受けていたにも拘わらず、このように。
一体誰がやった。
言葉にさえ出てこない、そんな疑問に答えるように動く影がいた。
ガラスどころか窓枠までグシャグシャにひしゃげ、破片と壁の瓦礫にまみれた子供部屋。
その中央に鎮座するのは、一人の少女の姿をした何者かだった。
(……、)
背丈も体付きもさほど大きくはない小柄な体だが、今更それだけで驚異か否かを判断することはできないだろう。エドワルド然り、『紅舞』のヘレナリア=ステムフィスト然り、外見が当てにならない連中を今日だけで二人も見ているのだ。『聖剣』に掛けた右手はそのまま、ゆっっくりと視線でその姿をなぞっっていく。
目を引くのは要所要所が羽毛で覆われた肢体、鮮やかなスカイブルーのセミロングヘア、やや小さめの耳などだが……それ以上に特徴的なのは、両腕と両足だ。本来あるべき手は存在せず、水色と黄色が混ざった羽がその代わりに生えている。足についても膝下が鱗で覆い尽くされ、四本の指の先には猛禽類じみた鉤爪。総じて人型からは外れた形ではあるものの、彼女には見覚えがある。
教会領・魔族占領区を問わず世界中に広く分布する魔獣。
その凶暴性のために多くの人間を殺めてきたが、それでいて仲間内での絆を何よりも大切にするという原住生物。
そして何より、密猟系ギルド『ピネウス=アンティピティス』が専門的に狩っている獲物。
つまり、
「ハル、ピュイア……?」
「……ぴよ?」
唖然とする彼女に、有翼の少女はただ一言だけを返す。
……で、何故か口には子供達のおやつと思わしき魚肉ソーセージを咥えてござった。