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再醒のセブンロード  作者: 帯刀勝後
再醒のセブンロード ACT.04
22/24

ACT.04-00_ Vol de nuit sanglante.【chapter.01~03】


 

 1(八月一六日/午後五時四〇分/『骨船』ゲオルギウス号客室区画『修道院長(アッバス)』寝室)

 

 世の中には良い出会い方と悪い出会い方がある。

 前者については、それはもう多くの人間が体験しているようなものだろう。俗に言う障害の友だとか運命の人だとか赤い糸で結ばれた恋人とか、まあ表現自体なら多様なものだ。今現在の『勇者』にとってそんなものは無縁どころか欠片も考えたことはなかったが、胸の大きさを除けば世の中の男が求める水準には達しているはずなので決して胸の大きさを気にして婿探しを躊躇っているとか遺伝的なおっぱいが全ての元凶だとかは微塵も思っていないことを願いたいのだがそれはさて置き。

 続いて後者に関してだが……これを言うなら、今現在『勇者』が置かれている状況を説明した方が早いかも知れない。

 第五回ヴィエンヌ公会議。

 発端は、一週間前に発生した『ピネウス=アンテピティス』事件。具体的には親方オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスにより行使された高次元転移術式ティファレト=ダァトの露見。

 その効果その存在、それ自体が教会にとっての不利益となると判断されたが故に、かつて彼が属していた『借名無神者(エグゾロパティー)』そのものも危険視され、その存在を抹消しようとする流れが生じたという具合だ。

 今後オデュッセリアの術式を解析し、同じことを繰り返す人間が現れるかも知れない。収監されているルイ=サン=ゴダードではないなら、それは以前の彼が属していた『借名無神者エグゾロパティー』から現れるだろう。ならば、そんな危険な存在をむざむざ残しておけるか、と。

 今回は中身が中身なだけあり、かなりの紛糾が予想されそうなもの。

 元々互いの思想の対立のせいで一つに纏まれない割に、陰謀を画策する時に限って協力関係を作ってみたりと色々カオスなことになっている。教会組織の設立・廃止を検討するヴィエンヌ公会議……特に第四回までは会議の裏で数々の暗殺計画が飛び交うぐらい張り詰めた空気だったらしい。会議終了後もそれがしばらく続いたとかで、本当にその時代の連中の神経の図太さには関心させられる。

 そんな中では数少ない良識派……と呼んで良いのかどうかは分からないが、彼女の前には一人の男がいる。

 会議に出席する六大修道会の中でも、特に円卓騎士団寄りの思想を持つ修道会。個々の不断の鍛錬こそが主の教えを理解する最大の近道だとする独特の信仰体系を築くその名もプラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会、その『修道院長(アッバス)』なのだが……。

(……、)

 正直訳が分からない。

 そう音を上げる彼女の脳ミソは、さて一体何を見てしまったのか。

 ……というよりも、体験してしまったのか。

 簡単に言うとこうだ。

 

 寝室に入った途端、首筋を掴まれた。

 そのまま床スレスレを掠めるような地獄車を食らい、堅牢な壁にキスをする羽目、に?

 

「……部屋に入るのにノックもせずに勝手にドアを開けるとは何事か。害意を持った侵入者かと思って迎撃態勢を取ってしまったではないか、と弁。……次回以降は気を付けるように。吾輩は許可なく自室に踏み込む者は敵意のある侵入者として処理する信条を持っている、と忠告」

 その後もやんわりとは降ろしてくれず、ぱっ、と適当に手を放すだけ。『骨船』自体は上空まで舞い上がっているとはいえまだ重力圏を抜けた訳ではサラサラないので、当然ながら引力に引かれた彼女は床までズルズルと這い落ちることになる。

 何というかこう、前回の『翔禁(ウインドハング)』とか何とかを思い出してしまったのは内緒だ。

「……、それで貴官の名と用件は? と弁」

「アポは取ったと思うんですけど……今回のヴィエンヌ公会議に際しプラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会『修道院長(アッバス)』の警護役として派遣された『勇者』です。『骨船』が水平飛行に入り次第寝室に伺えと、私のトコのアストレア閣下が」

「ああ、あの年齢詐称のBB……げふん、司祭枢機卿か。妹君の話は吾輩も伺っている。聖書の教えに反しているとはいえ、アレは純粋無垢なる愛の形の一つ。別段擁護するつもりはなくとも心は痛むもの、と本音」

「……ええと、その喋り方ってそういう癖なんですか? それとも儀礼的な?」

「性分でありどうにかなるものではない、と事実。若き頃より定型的儀礼を重視する生活から離れていたが、自分でもどうにか獲得できないかと中途半端に足掻いた結果、と説明……」

 などと若干顔を背けつつ頭を掻く巨漢はヘクシス=ゼノン=バルディウス司祭枢機卿。プラエセプトゥム=クゥムの『修道院長(アッバス)』にして先代の『円卓執長(メンサムドゥクス)』の血縁に当たる人物だという話なのだが、実際その通りと言えばいいのかイメージがそのまま形になったと言えば良いのか。

 二メートルを優に超す身長と後ろ向きに反り返った赤毛の短髪。儀礼的に羽織っている赤と白の法衣がここまでミスマッチする人物も中々にいないだろうが、ヘクシス枢機卿を簡単に表現するなら……筋肉モリモリマッチョマンの変t、……ではなく聖職者だ。

 個人の努力を第一とし、他人の助力は己の恥。

 それがこの修道会の信条であることを考えると、確かにこの人が『修道院長アッバス』であるのも納得なのだが、そうなると『勇者』なんぞ護衛に付けなくても立派に自己防衛できそうな気がするが、さて今回は何を考えているのだ腹黒執事。

「それはさて置いて……『勇者』だったな。教会より『聖剣』を賜り『魔王』の盗伐を正式に許可された者だとは聞いているが」

「今はまだ免除期間ですけどね……『魔王』を倒すに至るだけの力がないってことで、一時的に使命を棚上げされてるって感じです。それでもって十分に実力を得たら、もう一回教会に盗伐実行を申請することになってますが」

「実力を底上げする期間であるのか? と質問」

「そんなノリで『ミーシャ』だの『ピネウス=アンテピティス』の件だの色々とやらかしちゃって、教会からの株はダダ下がりですけどね……詳しくはアストレア閣下から念を押されて言えないんですが」

「それは残念であるな、と弁。吾輩共は個々の実力を第一に据え、それぞれの力こそが主の御膝元へと至る道であると捉える故、貴官の武勇伝は是非とも聞きたかった所なのであるが……アストラーニュ司祭枢機卿の言いつけであれば致し方あるまい。その事については聞かないでおこう、と弁。……それより、立ち話では落ち着けんし吾輩も立て込んでいることが多いのでな。わざわざ来て頂いた所に対して申し訳ないのだが、続きはまた後程に致そう、と提案」

「わ、分かりました。それでは……また後でお伺いしますね」

 ぺこりと頭を下げ、ひとまず部屋を出、『骨船』のサイズと比べるとやや小さい扉を閉じる。閉め終わるまで視界に映っていたヘクシス枢機卿の顔がやたらとキラッキラしていたような気がしたが……それはさて置き。

 何故か同乗する事になってしまいました『勇者』。

 プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会保有『骨船』ジャック=ド=モレー級ゲオルギウス号。

 何故か、今回はその護衛役でございます。

 

 2(八月一六日/午後六時七分/『骨船』ゲオルギウス号客室区画前部大広間『殉教の槍の間』)

 

「出会って早々に一発食らったって? そりゃ、お前は運が良かった方だと思うがね。他の奴がノックを忘れると二回か三回はオマケに付いてくるしよ」

 で、とりあえず自室に戻ろうとした途中で早速ナンパが入った。

 ……ちょっと復習させてもらいたい。

 プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会とは、厳格な戒律の下で自己の鍛錬に努めることを第一に据える、自力回向的かつ非常に独特な修道会だ。もちろん六大修道会の一角を作るだけあってその歴史は長く、一説においては十字軍設立よりもさらに前から存在していたとも言われる。同時期に既に存在していたジュディチュム=イノミエ=デイ修道会とは頻繁に激突があったらしく、その流れは今日に至るまで続いているのだそうだ。

 六大修道会とはいえ、結局は対立と潰し合いの繰り返し。

お互いがお互いを消すために群雄割拠の何とやらを繰り広げている訳だが、さてこんな調子で良いのか教会……という難しい話を考えていた矢先に、こんな男が出てくるとは……。

「……厳格な戒律の下での自己鍛錬じゃなかったのかよプラエセプトゥム=クゥムって……」

 初っ端から踏んだり蹴ったりでため息も出るものだ。

 航行中の自室として与えられた部屋のある客室区画、その前半分にある三層を貫通して吹き抜ける、劇場にも似た外観を持つ巨大なサロン。彼女が件のナンパ野郎にとっ捕まえられたのは、その二階部分にあるボックス席状の休憩スペースだ。

 人口密度も高く、床面積も飛行船の類にしては破格のレベル。ただ、やはり信条故の改造でも施されているのだろうか。金細工のレリーフが埋め込まれていたと思わしき箇所には釘の跡が残るだけだし、至る所に散見される十字架型の壁飾りにも宝石の類は付いていないのだ。

「そりゃもちろん鍛錬は怠っている訳じゃないよ。だがそれはそれ、これはこれ、ってヤツだ。今は非常配置じゃなくて待機状態、ヴィエンヌに向けて飛行中の『骨船』内部。対空迎撃に関しては専門の聖術師がいるし、しばらく俺みたいな奴等には出番がないってことだ、うん」

「だからってナンパはどうかと思うよ正直。私軽い男は駄目だし全然タイプでもないしつーか正直うざいんですけど」

「恋愛は駆け引きが重要、その場で落としたら面白くないって話は聞かなかったか? なるべく早く落としたい、けど今すぐじゃ不都合が出る……修道会同士の諍いと同じだよ、うん」

 それ故なのか、やっぱりこいつは周りの連中に比べるとやや浮いて見える。

 先程名乗った名前が正しければ、男はジャスパー=ケリュール=アペリンティア。プラエセプトゥム=クゥムの原則に則って円卓騎士をやっているらしく、現在のランクは銀若葉だとか。ヘクシス枢機卿からもらった乗船名簿によると、実力はあってもこの態度が良くないらしく現在に至るまで大絶賛降格中……らしい。

「んで改めて聞きたいんだが、ぶっちゃけどうだった? うちの『修道院長(アッバス)』」

「まだ少ししか話せてないから良く分からないけど……悪い人じゃないとは思う。ぶっちゃけアンタの方が遥かに胡散臭いわよ、つーかいつまで馴れ馴れしく話すつもり?」

「俺は……まぁ別に信用してもらわなくても良いんだ。問題は『修道院長(アッバス)』の方だからな」

「? どゆこと?」

「『勇者』サンはさあ、何でウチの『骨船』の名前がゲオルギウスなのか知ってるか? ほら、『勇者』サンも悪龍殺しのエピソードで有名だってことは知ってるだろ」

 言いながらジャスパーが指差した方向は、巨大なサロンの天井。

 全体的に質素な船内に比べ逆に異質な、色鮮やかなモザイク画があったのだ。描かれているのは件の悪龍を切り伏せたシーン、ではなく……これは何だ? 純白の神殿の前で縛り上げられた一人の男が、また別の女性を抱き締めているようにも見えるが……、

「教会の教えじゃ、死を以て自らの信仰を貫いた殉教者ってことになってる。あのモザイクはその間際のエピソードを描いたものなんだがな、うん。異教徒の王、今現在ヴァティカンがある都市国家の支配者ディオクレティアヌスに捕らえられたゲオルギウスは自らの処刑の直前、その妃が……教会の教えを信じようとしたらしい。それにキレたディオクレティアヌスは自分の妃を手に掛けて、その直後の場面があのモザイクに描かれているって訳よ、うん」

「……とんだとばっちりの話ね」

「まあ……そう言っちゃそうなんだがな、うん。いや、むしろこの話に関しちゃそれこそが重要なんだが。それと今の『勇者』サンの話もな」

「……?」

 いきなり意味深な発言が飛んできた。

 眉をひそめて疑問の声を上げる『勇者』に、ジャスパーは自分の右手を見下ろしつつ続ける。

「結局、それだけの信仰心を示しておきながらゲオルギウスは死の運命からは逃れられなかった。いいや、逃げようと思えば逃げられたはずだ、うん。にも拘わらずそうしなかったのは一体どういう理屈だ? 幾度となく行われた拷問でも傷一つ付く事さえなかったのに、ゲオルギウスは最後の最後に斬首されちまってる。……『勇者』サンよ、これはどうしてだと思う?」

「どうして、って……『救世主(キリスト)』みたく主に見捨てられただけの話じゃないの? 何だっけ……主よ、何故我を見放したのですか(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)、的な」

「そういう解釈もアリっちゃアリ、うん。だが……俺は少し違うと思ってんのよ」

「違う?」

「そ、違う」

 ジャスパーは含み笑いを交えつつ、

「そもそも、何で俺達プラエセプトゥム=クゥムが『個々の鍛錬』を主の教えを解する最短ルートだって信条を掲げてるか分かるか? 力を求めることは七つの大罪として禁じられてるし、本来他人を傷付けるような事態に繋がり兼ねない暴力の技術を磨くことは、聖書にさえ背く行為のはずなのにな」

「……右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ?」

「傷付けられても反撃はしちゃならない。どれだけ他人から苦痛を与えられたとしても、同じことを他人に返そうとしてはならない。それが隣人愛(アガペー)ってヤツだ。……例えそうであっても必要だったんだよ。ゲオルギウスには、目の前で苦しみを味わっている妃を助けられるに値するだけの力……いいや、むしろ覚悟が、うん」

「一人の暴君を殴って一人の妃を助け出そうとしなかった。……それを実行できるだけの心がなかったから、ゲオルギウスは死に甘んじるしかなかったって、そういうこと言いたいの?」

 鍛錬とは即ち、文字通りに己を鍛え、練ることを指す。

 それは単なる実力だとかそういうレベルの話に留まらない。プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会の信条と並べて考えると、むしろ心理的な側面が強いということだ。

 円卓騎士団は教会の正規軍にして異端勢力を一掃するために作られた暴力装置。

 主の教えを知らしめるためには、時に誰かに傷を負わせることを余儀なくされることもある。いざという時にその覚悟を持てず、ゲオルギウスの如く他人からの死を受け入れるだけでは、それは主の教えを理解しているとは言えない。

 彼等の信条を簡単に言い表すならこういうことになる。

 端から見ればただの方便にも聞こえるだろうが、これはこれで彼等なりに妥協した結果なのかも知れない。教会の教えと相反する異端盗伐行為を、どうにかして納得させる、いいや自分達が否定しないために。

「……じゃあ、円卓騎士団の信者が多いってのは……」

「皆欲しいんだ、言い訳が。異端に対するカウンターとしての円卓騎士団だとしても、どう足掻いた所で認められない奴等も少なくないんだ、うん。その点『勇者』サンはどうだ? そういうの、抱えてたりしないか?」

「……大声じゃ言えないけど。正直、怪しいラインだとは思ってるわよ」

 目を落とした先は左腰に提げた『聖剣』だ。

 前回の『ピネウス=アンテピティス』事件において、一時期これは彼女の手元から離れていた。何故これが戻ってきたのかどうかについては曖昧なままだが、確かなのは『ピネウス=アンテピティス』壊滅において重要な役割を果たしたらしい人物が自分であること。

 オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスについては、未だに遺体が見つかっていない。恐らくティファレト=ダァトと座標が重なっていたのだろうジュディチュム=イノミエ=デイ修道会の聖堂にはそれらしいモノは発見されなかったようなのだが……。

「どういう経緯があったにせよ『聖剣』は私を『勇者』に選んだ。この力を与えて、『聖剣』を手にする資格を与えた。そうなったからには頭の方にも相応の何かが要るってことは分かるんだけどね……」

「それが分からないって? うん?」

「掴めない、の方が正しいかも」

 甘えている、とは思う。

 自覚症状込みで、それはずっと感じている。

 だからと言って、『勇者』として戦っている内にそれが身に付くかと聞かれれば、イエスとは答えられない。

「以前の『勇者』に比べて未熟だってのは承知してるわよ。『鉄拳交渉人』なんてやってた時代もあったけど、アレは要するに自分の好き勝手を他人に押し付けてただけだったってことも理解してる。だから? 多少の積み重ねがあったとしても、それで気持ちを整理して受け入れろなんてのは無理難題だしね」

「だろうな」

「だろうな?」

「大方は俺の予想通りだった。『勇者』サマはウチの『修道院長(アッバス)』と似たような台詞を言ってるって意味だよ、うん」

 やや苦笑いを含みつつ返答するジャスパー。

 主の名において万人は平等である。教会の教えをそのまま飲み込むのであれば必ずと言って良い程このフレーズにぶち当たるはずだ。仮にそうなのであれば、何故盗伐という名目で異端者達が次々と殺戮されなければならないのか、と。

 ……言い訳を欲している、だったか。

 プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会が肉体的な鍛錬を主としながらも、それを媒介とした実質的には精神的な主柱を作ることを目的に据えている以上、それは円卓騎士団という組織に対する疑問を誰しもが抱く可能性があることの裏返しとも表せる。

 平等であるなら、何故格差というものがあるのか。

 円卓騎士団という名前がありながら、何故階級による区別があるのか。

 神命裁判さえ通さずに殺される者が、こうも多く存在しているのは何故なのか。

 それは誰の疑問だ。言い訳を信条という形で浸透させている存在、それが『修道院長アッバス』であるなら。その発想自体、主に使える立場でありながら主の御言葉に背を向けるような真似。

 分かっていても捨てきれない疑問を持っているのは、それこそヘクシス枢機卿なのか?

「……悩んでるのは私だけじゃないって、そう言いたい訳?」

「考えることは誰だって同じなんだよ、うん。そうじゃないのがジュディチュム=イノミエ=デイ。あそこは元々主の教えを知らない辺境の民に主の存在を伝え、教えを正しい形で理解していない者に対してはその解釈を正すために作られたはずだった。それが今じゃ、教会支配に従わないってだけで虐殺を繰り返すだけのイカレ野郎になっちまったんだよなぁ……」

「じゃあ、そうなる前はプラエセプトゥム=クゥムなんてものは必要なかったって?」

「最終的にはなくなった方が良い。円卓騎士団もそうだが、『借名無神者(エグゾロパティー)』も同様にだよ。ウチの『修道院長(アッバス)』は『借名無神者(エグゾロパティー)』の廃止それ自体には肯定的なんだが、そこにジュディチュム=イノミエ=デイの思惑が絡むことに関しちゃ快く思ってないのさ、うん」

 第五回ヴィエンヌ公会議、その議題たる『借名無神者(エグゾロパティー)』存続の是非。

 最終目的が同じだけなら協力もあり得たかも知れない。だが目指す所が違う。

あくまで自己の利益のために『借名無神者(エグゾロパティー)』を利用しようとするジュディチュム=イノミエ=デイに対し、プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタスは『借名無神者(エグゾロパティー)』に代わる黒い組織の存在など望んではいない。そういう意味ではアモル=クィア=クィスクとも似通った部分はあるかも知れないが……、

(アストレア閣下は過去に何度かジュディチュム=イノミエに殺されかけてるし、先代の『修道院長(アッバス)』だった妹さんは魔族の男性との婚姻が発覚して殺害されてるんだっけね……会議の開催には六大修道会の全『修道院長(アッバス)』の参加が必須だとしても、会期中に何も起こらないとも考えにくいし……)

「そのために『勇者』サンが派遣された。そうなんだろ、うん?」

「サラっと読心しないでくれないナンパ野郎?」

「言っただろ。人間の考えてることなんざそう変わらないってな」

「かも知れない。だけどさ、私はリディアスから何も伝えられてないんだよ? プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタスの『骨船』に同乗して『修道院長(アッバス)』の護衛に回れって、それだけしか言われてないんだし……理由を満足に説明してくれないのはこれが初めてじゃないけど」

「そうかい……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、うん」

「? ……どういう意味?」

 二度目の疑問視が『勇者』の口から発せられる。

 がくん、と小さな揺れがあった。『骨船』が軌道修正のために旋回を行っているのだ。船体は非常に巨大ではあるが駆動力に使用されている奇跡陣が莫大な推力を生み出してくれるし、そもそも『骨船』自体空力学的な力で浮いている訳ではないので、さほど大きな旋回角は必要としない……らしい。

 揺れが収まるのを待ち、ジャスパーはゆっくりと言い始める。

「さっきの繰り返しだが、今回の会議じゃ間違いなくジュディチュム=イノミエ=デイと俺等は対立する羽目になる。主催のエヴォルド司祭枢機卿が各『修道院長(アッバス)』に開会宣言の原稿を送り付けているのも、自分の政策を事前に政敵に知らしめておくだけじゃない。今の教会じゃ公会議を主催できるのは教皇からおkを貰った枢機卿だけだからな……」

「これは教皇の意志でもある。自身の方針に背くような態度で会議に臨めばそれは教会の意志に背くことと同義である。そういう風に伝えてる……いえ、脅迫してるのね」

「それだけで終わるなら俺達は『勇者』サンなんぞ必要としてなかった。逆に言えばそれじゃ終わらないはずだ、うん」

 力だけでは救えない。

 それには、相応の覚悟を伴う。

 聖名において手を差し伸べなければならない者を、自らの手で切り捨てる程の。

 例え言い訳であろうと、ヘクシス=ゼノン=バルディウス司祭枢機卿は必ず自身に盾突いてくると理解している。ジュディチュム=イノミエ=デイがそうであるなら、確かにヘクシス枢機卿が会議中に無事で済むとは思いにくい。

 あるいはその前でも。

「……そういう訳で、改めて『勇者』サマにはお願いしたいんだよ、うん。会議が終わるまでウチの『修道院長(アッバス)』をよろしく頼むってな、うん」

 安直な相談ではある。

 だがこれは六大修道会だけの問題ではない。

『勇者』でさえ当事者として関わっている以上、他人事では済まされない。


 3(八月一六日/午後七時五〇分/『骨船』ゲオルギウス号機首内操舵室)

 

「……雲行きが良くありません。船長、針路を修正した方が宜しいのでは?」

 時間と共に場所は変わる。

『骨船』ゲオルギウス号、その船橋であった。

具体的な説明を行うにはあまりに名状しがたい外見をしているジャック=ド=モレー級『骨船』だが、その形状は辛うじて『鯨の全身骨格』と形容することができる。

 巨大な頭骨から二本の脊柱が伸び、それが二重螺旋型に絡み合って一本に収束することで本体を構成し、その二本の間に挟まれるような格好で吊り下げられた客室区画が存在するという構成だ。一対の胸鰭を思わせる主翼は鳥の羽のように長く伸び、さらにその基部や尻尾の付け根に両舷一つずつ貨物区画を備えるという構造をしているのだが、その歪かつ不安定な外見に反して強度自体は優れている。加えて本来ヴァティカンの城壁のような巨大な拠点の防衛に用いられる対魔術結界『約束された地(サンクトゥス)』も備えられているため、見た目よりも遥かに高い防御性を誇るのが一つの特徴でもある。

 まさか自分がそんな船の舵輪を握ることになるとは……と、今でも思う聖術師兼円卓騎士団の男、アーサー=クランシェル=ヴァーナミアン。彼は鯨の頭骨の上側にある操舵室で舵を取りつつ、隣に立つ側近の青年に対し告げる。

「新路上に分厚い雨雲……所定の航路に従えば付近を掠めることになるが、迂回すれば遅れは二時間近く生じる。本日一一時の到着のはずが日付を跨いで明日の一時になる。ヘクシス閣下のお疲れを考えればこれは致命的だ」

「……ゲオルギウス号の信頼性は承知しています。しかし、いくら時間的な問題があったとしても考え得る問題は最大限避けなければならないと仰ったのは貴方ですよ船長。今回の件についてはそれが特に重要となるはずです。六大修道会の『借名無神者(エグゾロパティー)』に加え、教皇聖下までもがヴァティカンを離れヴィエンヌに集結するのですから……連中がこの機会を逃すはずがありません。……()()()()()()()()()()()()()()

「そのために、わざわざお付きの従者を削って護衛の円卓騎士を増やしているのだろう。いずれも『骨船』に乗っての戦闘経験が豊富な者ばかりだ。階級についても銀若葉を最低ラインとし、その中でも特に黄金若葉以上の者は……」

「……ノルマンディー航路完全奪還作戦への参加経験がある者のみに絞っている、ですか?」

「察しが良いな。その通りだ」

 アーサー船長は頷きつつ舵輪を回す。

 操舵室、『骨船』の頭骨内部。しかしながらその場所は、あたかも巨大な器の中に四本マストのガレオン船が係留されているかのよう。マストには帆が張られておらず、その途中から天井を貫いて機外まで飛び出ているという恰好なのだ。

 帆船が収められている空間の外壁には聖術により外部の風景が映し出されている……つまり主観的には帆船自体が宙に浮いているような印象なので、さほど窮屈さはないのだが。

「教会がノルマンディー航路を制定してから何十年と経っている。地元の『ギルド』との交渉は幾度となく行われているが、結局首を縦に振った連中はほとんど現れなかった。自分達の『ギルド』が教会傘下の組織として組み込まれることがそこまで嫌だったのだろうな」

「地元の人間にはそれ相応のプライドというものがあります。世界の半分を掌握する教会に盾突くような、いわゆる愚の骨頂のようなものですがね……」

「それを知っていてなお自分達の誇りを忘れないのが彼等だ。一人の航海士として敬意は払うが、連中が行ってきた悪質な妨害工作は許されるものではない。せいぜい煉獄で自らの罪を贖ってくれるよう願うだけだ」

 教会直属の公共交通機関『骨船』の設置は五〇年前。

 輸送系『ギルド』による反発、それを火種とした航路利権闘争は今の今まで途切れたことがない。元々その地域の運送業を司ってきた所に対して、『骨船』が航路の独占を図ってきたのだから当然ではあるが、だからといって世界情勢をここまでかき乱して良いはずがないだろう。

 自らの誇りを守りたいがために、何故自らを贄としようとする?

「……君は最後の発端の名前を知っているか?」

「運送系『ギルド』の一つ、『マルシュール=デ=シェル』による『骨船』ボエモン一世号撃墜事件。ちょうど四六年前、『骨船』によるノルマンディー航路制定後に反対する同『ギルド』が自身の所有する飛行船でもってボエモン一世号を破壊、墜落に至らしめたと」

「言うなればあれが全ての始まりだ。事件以後『ギルド』による自由な航路共有を訴える精力がポツポツと現れ始め、やがて教会への宣戦布告まで唱え始めた。それが四五年前。ヴァティカン=ノルマンディー公国航路譲渡令の全ての条項は聖書の教えを冒涜するものであり、それを広く知らしめることを主目的とする教会がそのような真似をすることは許されない、という主張と一緒に……」

「しかし、……それは暴論です」

 側近の青年は一瞬詰まってから、

「……彼等は教会の教えを信じていません。そればかりか生前洗礼も生後洗礼も受けていない。この世界が主によって作られ主の命を受けた我々により統治される義務がある、そんなことすら知らずに生きているのです。それは立派な罪の一つではないですか」

「教えを知らないことは一つの罪。それ故に辺獄というものがある。君が言いたいのはそういう理屈か? かの詩人が書いた通りの模範解答だな」

「それが教会の教えです。主の命と教えを受けた教会が、自らの進むべき道を知らぬ子羊達へと伝えた真実です」

 ……また随分と信仰心が豊かな者が回ってきたな、と喉の奥で呟く。

 逆にそういう感じの教えを正当なものであり唯一無二の正義だとして、プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタスの信条を否定する修道会も一つ存在する。

 今回の第五回ヴィエンヌ公会議に参加する六大修道会の一角、タントゥム=エニム=リヴェラティオ。長年自分達と対立状態にあり、数度の交渉においても一切譲ることのなかった連中だ。

 武とは精神の糧なれば、それは教えの愚弄なり、と。

 説かれる教えはまさに水と油、陸と海の如く。表面的な信条の対称性もさることながら構成員の性格面もことごとく正反対ときたものだから呆れるな……とはアーサーの弁だ。

「……そうである以上、ノルマンディー航路に居座る運送系『ギルド』による妨害工作はあって然るべきです。悔しいことですが空を飛ぶことについては連中の方が上ですし、少しでもリスクを伴う航路は避けるべきです。事を急いては全てが狂ってしまう」

「だからこそ、このゲオルギウスにはかの者が同乗しているのだ。たった一人と侮ってはならん、されど一人だ。かの者は単騎で『ピネウス=アンテピティス』を壊滅に追い込み、親方足るオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスをも打ち倒したのだぞ」

「いかな時であろうとも己の敵を侮ることなかれ。これが我々の信条です、お忘れですか?」

「だが侮る価値もない相手だ。かつてこのジャック=ド=モレー級の搭載火力を突破した者が一人たりとも存在したか? それにあの暗雲、解析結果から推定して『ギルド』の用いる小型飛行船ではとても内部に潜むことはできんよ」

 どの道襲撃は考える必要はないのだ、とアーサーは告げる。

 ジャック=ド=モレー級は『骨船』の中では最大級の大きさを誇るクラス。撃墜事件で名が知れるボエモン一世号は長距離輸輸送想定型『骨船』としてはかなり小型、かつ軽武装のクラスだった。

だが今回は違う。

 今のゲオルギウス号には、護衛の円卓騎士や聖術師に加えて『勇者』までもが乗り込んでいる。混乱が続くノルマンディー航路には偽装用の『骨船』も派遣しているし、報告からも『ギルド』の目がノルマンディー航路に釘付けになっていることは明らかだ。

 過去に撃墜されている『骨船』にジャック=ド=モレー級はいない。規模こそあっても所詮は民間人の寄せ集めでしかない『ギルド』にとって、このクラスに属するゲオルギウス号を落とすことなど不可能なのだから。

「良いか、進路に変更はない。このままヴィエンヌへ直行する。今回は特に時間が惜しいことは君がよく知っているだろう。到着は本日一一時、例え一分であろうと遅れは禁物だ。このような重要な会議の場において、開会の瞬間を閣下がご覧になれないなどということはあってはならん。今後の我々のためにもな」


 4(八月一六日/午後七時三七分/『骨船』ゲオルギウス号客室区画中央部大広間『禊の間』)

 

 ゲオルギウス号客室区画中央に位置する大広間は、主に夕食に使われる場所だ。

 プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス修道会の信条を引用するのであれば、彼等にとっての食膳の祈りの時間は同時に自身の力の不足を顧みる場でもある。生きていく上では欠かせない食事という行為それ自体が、自分が主の教えを解することのできない不完全な存在であると知り、最終的にはそれ自体が不要となることを目指し個々が邁進の礼を述べる……という感じらしい。

 まあ傍から聞いていれば、あからさまにも程があるような脳筋思想だ。それは手っ取り早く言えば『入信して身体と精神を鍛えれば食事なんて要らなくなるぜ☆』的な安易かつ無根拠なものでしかない。それでも信条の破綻が起こらないのも一つの謎か。

「何だか申し訳ないですね、夕食にまで一緒しちゃうなんて……」

 そんでもって件の『禊の間』。

 枢機卿が座るにはやや質素なテーブルを囲んで、数人の円卓騎士と聖術師、それに加えてヘクシス=ゼノン=バルディウス司祭枢機卿と『勇者』が会食に勤しんでいるのがそこだ。

 時間はヴァティカン基準での午後七時。聖職者の夕食としてはやや遅めの時間帯なのだが、起きている間のほとんとを武術の訓練……分かりやすく言えばトレーニングに費やす彼等にとってはこのぐらいが丁度良いらしい。かく言う彼女も食事のリズムは意外にもプラエセプトゥム=クゥム寄りなので、普段と変わらない時間に腹を満たせるのが有難かったりする。

「招いたのはこちら側である故気に病む必要はない、と弁。来客に備えてゲオルギウス号には十分量の食糧を備蓄しているし、万が一のために機内で植物を栽培するための施設も容易している、と説明。唯一の懸念は肉類だが……こればかりはどうしようもない、と苦言……」

「閣下とか見た感じ全然ベジタリアンとかじゃなさそうですしね」

「当然と言えば当然だが……プラエセプトゥム=クゥムにも一部菜食主義に傾倒する連中がいる、と補足。ただし基本的に教会の教えは肉食を禁じてはいない。精神を鍛える一環としてのものだとはいえ武に依るは肉体、我々にとって必要なのは特に肉類を食べることであるしな」

「……豚は不浄。……牛は清浄。鳥は……うーん」

「むがが関係ない私はただ肉を食らうのみ筋肉を付けるにはとにもかくにも肉を喰って訓練の繰り返しが最も効果的であるからして私は肉を食らうのであるガツガツガツガツガツ」

「……まったく、何故『修道院長』閣下の前であってもこいつらは……げふんこの二人はこの調子なの……。閣下、申し訳ございまん。このアトーシャが人選を誤ったばかりにこのような醜態をお見せしてしまって……」

 それで同じテーブルに座る他の人達のラインナップなのだが……こう、やたら背がデカいくせして皿の前で首を捻っている黄金柏葉円卓騎士と、体格的にさほど大きくないのに人一倍かっ喰らっている少年と、それと腰回りは細いのに胸はやたらと成長している眼鏡のおねいさんが一名。

誰を見ても個性的が過ぎるのだが、少なくとも『勇者』からすればこう言うしかない。

「……ここって閣下のお食事の場ですよね?」

「そうであるが、それが何か? と疑問」

「何か、こう言っちゃ失礼かも知れませんけど……とてもお傍に置いておくような人には見えないのが一緒にいるのはどういう理屈なんですか? 人数も結構少ないみたいですし、閣下の身の安全を考えたらもう十数人ぐらいは同じ部屋にいても良い気がするんですが……」

「おや、『勇者』様はアトーシャと同意見なのですか? しかし申し訳ありません、この二人については閣下のご指示があったもので、アトーシャとしてはとても閣下の傍に侍らせるような者ではないと散々申し上げていたのですが……はぁ」

「教会に属する者としてはそれも一理ある意見だな、と外より返答」

 小さく切ったサイコロ状の牛肉を口に運び、ゆっくりと味わった後でヘクシスが言った。

「だがプラエセプトゥム=クゥムとはそのような場所につき、と弁。真に主の教えを解する道は、肉体を鍛えるその道筋において無我の境地を得ること一つのみ。力はただ他者を傷付けるためにあるのではなくむしろ自身が主の教えを知り、結果として聖ゲオルギウスが成し得なかった救済を可能とすることである、と結。『勇者』殿もそれは分かるであろう」

「救済、ですか……」

「表面的な態度が人の内面を映しているとは限らない。むしろ人は自らの醜さから目を背け、自分の思っている自身と他人から見られる自身との間の溝を埋めるために仮面を身に付ける。その場その場に応じ、自らが最も良い目で見られるように顔を書き換える訳である、と弁」

「……閣下はそういう理屈でこのような二人をお傍に置くのですか……。アトーシャに反抗する気はございませんが……ですが、もう少し常識的な人間を選んだ方が良いと思われるのです」

「「人の身を見て自分を顧みれバーカ。そのおっぱいで聖職者は無理だっつってんだろ」」

「……この食事を最後の晩餐にしてやりましょうか具体的に言うと表に出ろ」

 何かテーブルの一角でギスギスした雰囲気が漂っているが、流石にヘクシス閣下の前だからかお互いに自重しているらしい。

 何だかんだ言いながらも食事に没頭している様子は、聖職者のそれと言うよりかはむしろ『ギルド』に属する家族のような感じがする。人が少ない分アモル=クィア=クィスク修道会の夕食に比べるとやや寂しい気もするが雰囲気自体はそれと似たものだ。

 心地良い、と素直に思える。

 実家のような安心感、あるべき場所にいるような感覚、まさに文字通りなのだ。

「……そのように感じているのであれば僥倖、と本音」

「サラっと読心パート2しないで下さいよ」

「読心も何も『勇者』殿の顔に出ている。勘違いはしないで頂きたいのだが、吾輩としては貴官がそのように思っていること自体、嬉しいことなのであるからな」

「嬉しい? 逆じゃないんですか? プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタスの信条を見た時にはこう、もっと厳格でガッチガチなイメージがあったんですけど」

「それも間違ってはいないな、と返答」

 何故だか、ヘクシス枢機卿は否定しなかった。

 本人も本人で大きめの皿に盛られた……(枢機卿団なんかから見ればただの暴食の産物にしか思えないであろう)分厚いステーキにかぶり付き、ついでに銀のグラスに注いだワインを飲み干しつつ続ける。

「……『勇者』殿。貴官は今の修道会の有り様についてどう思っている?」

「どう? どうって言われましても……私がよく知ってるのはアモル=クィア=クィスクとジュディチュム=イノミエ=デイぐらいですし。閣下は知ってるかもですけど、私達のトコもこんな感じですね。ついでにジュディチュムの方は年中異端盗伐と内部告発に忙しい感じで、何だかあまり纏まっているようには思えないんですが」

「それも重要ではある。だが問題は信条に関してだ、と補足」

「信条が、ですか」

「ああ。修道会の設立に関しては貴官も熟知しているだろう。教会の支配体制に関わる枢機卿が自身の地位の盤石なることを望んだ時に欲するモノ、簡単に言う所の味方。それが修道会だ。そうして特定の信条を見旗として修道士を寄せ集め、枢機卿は自らの解釈によって作られた新しい信仰を軸として足固めをしていく。六大修道会の一つにまでのし上がれば発言権も大きくなる故、修道会を作ることは枢機卿にとって出世街道の必須通過点とも言えるだろうな、と弁」

 教会の行政に関しては、基本的に教皇が直接的に行うことが原則となっていたはずだ。直轄統治教会領は元々教皇領という扱いであったし、領土の拡大に伴い条件付きで支配権を譲渡している委任統治領という存在こそあれ、現在も名目上の支配者は教皇だと見て間違いはない。

 ただ六大修道会を始めとする修道会の台頭、つまり枢機卿の権力拡大に伴い、それも怪しくなりつつある。

 現在の徹底した異端排斥政策の提唱者も、『勇者』の行動指針の決定を担っているのも。先の『ピネウス=アンテピティス』事件の黒幕とも言える連中も、ひいては今回の第五回ヴィエンヌ公会議を招集したのも、全て同じ修道会だった。

主の名の下(ジュディチュム)の裁き(イノミエ=デイ)』。

 現在の教会が聖書に記述がない選民思想的な政策に傾倒しているのも大体こいつらの思惑だ。『修道院長(アッバス)』たるエヴォルド=ディルミック=ルブルムヴェル司祭枢機卿もかつては反対派から常時批判を浴びていたらしいが……今では彼に対して反抗的な態度を見せる者も、直接的に対立姿勢を作ろうとする者は少ない。

「だからこそ思ってしまう。それこそ現在の教会を蝕んでいるものの正体だとな」

「……、」

 食事の手を止め、ヘクシスの言葉に集中する彼女。

 外野の三人はそんな事には構わずに相変わらず騒いでいるようだが……今はそちらの音を耳に入れている場合ではないか。

「主の教えを正しく解さない者、そもそも主の存在自体を知らない者に対してその信仰を広めること、それが当初のジュディチュム=イノミエ=デイの目的だった。それが現在は……エヴォルド枢機卿の私利私欲の権化、教会支配の腐敗の象徴と化している。……ここまでは良いな? と確認」

「……はい」

「それが昨日今日に始まっていれば良かった。エヴォルド枢機卿の代になって始まった堕落ならまだ取り返しは付いた。そうでないからこそ今の教会がある。主への信仰を軸として魂の安寧を願うはずの教会がこうなったのは……主の子が没し、その教えの拡大のための組織たる教会が作られた当時からでないと説明が付かんだろう」

救世主(キリスト)』の死をもって人の原罪は浄化された。

 聖書の記述に従うのであればその通りになるにも関わらず、教会に従わないか教会の教えを正確に解さない者を片っ端からぶっ殺してきたジュディチュム=イノミエ=デイが、かつては平和的に布教を行う修道会だった……などという話はにわかには信じ難い。

 ただし、だ。

 世界の運行が全て聖書通りなのであれば、そもそも『勇者』がいていいはずがない。

 聖書のどこにも『魔王』はいないし、そもそもエレメント論でさえ原典に近い聖書には記述がなかったとかいう風の噂もいくつか存在する。データソースが不確かな場合が多いから鵜吞みにするのは危険ではあるが、それでも彼女は信じたくなる時がある。

 火のない所に煙は立たない、から。

「それ故だ。もしも教会が……いいやエヴォルド枢機卿が本気で『借名無神者(エグゾロパティー)』の廃絶を考えているのであれば、ここで考えを変えておくべきだろう、と警告」

「けいこく?」

「自らによる自らのための教会を作るつもりであればそれもまた僥倖。だが、六大修道会の一角を担うジュディチュム=イノミエ=デイと言えど戦力としてはこちら側と対等、円卓騎士団を加えれば直接的な戦力としてはこちらが上回っていることを忘れるべきではないのである、と宣戦布告……」

「……、何か言いたげなお顔してますけど大丈夫ですか?」

「いや、何でもない。それより先程の質問に答えていなかったな、と確認」

 ……とか何とか言いつつも、銀細工のワイングラスをミシミシと音を立てつつ握り潰しているので恐らく本人は本気なのだろう。

「本来修道会があるべき姿は吾輩にも分からん。だが教えの拡大を焦るあまり自ら聖書の記述に背いてしまっては、それは単なる愚者の集まりでしかない。そこに属する者が正しい意味で『居心地が良い』と思えるようにすること、それこそ吾輩に託された仕事だ。これまでのプラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタス同様、厳格な戒律の下で鍛錬に打ち込むのも悪いとは言わんが……だからこそ、今はまだ完全な改革に踏み込むことはできない。まずは彼等の反応を見、その上で彼等がどう判断するかに任せるのが最良の手だ、と持論。この自由を新たな信条とするか、これまで通り戒律に忠実な鍛錬を信条とするか。吾輩はそれを見ているだけで良い」

 いっそ教会の政策から手を引いているかのような口振りだった。

 これだけ聞いていれば、今から教会の体制が大きく変わろうとしている時に何を呑気な、という否定的な意見も出てくるだろう。

 それでも良いと、遠回しにそう告げているのだ。

 自分が関わるよりかは、その下に立つ者に判断を委ねたいと言っているのだ。

「吾輩も齢を重ねている。エヴォルドはまだジュディチュム=イノミエ=デイの椅子にしがみ付いているようだが、吾輩はそこまでして己の権威を保ちたいとは思わん。例え教会が残る世界の半分を鎮められたとしても、そこに禍根の種を蒔いてしまっては意味がないからな、と弁」

 自分自身の地位に拘りがない。

 例え枢機卿という立場にあったとしても、それによって傷を負う人間がいてはならない。

 主の教えを広めるにしても、まず本人達がそれを受け入れなければ意味がない。それ故に元々の信仰を捨てさせてまで教会の教えを植え込むことは、単なる大量虐殺よりもタチが悪い。

 一見して信条とは真逆にも見えるそのスタンスこそ、この不器用な『修道院長(アッバス)』の『願い』なのだろうか。

「……何だか似てますね、アストレア閣下に」

「あの年齢詐称B……げふんげふんごほん、アストレア=アルティス=アストラーニュか」

 ヘクシスは綺麗に折られたハンカチで口を拭いつつ答える。

『禊の間』の壁、飛行船に備えられるものとしては異様に大きな窓。彼が視線を向けたのはその外だ。

「お互いに目指している場所は似ている。だが……今回のヴィエンヌ公会議においては敵同士になってしまうかも知れんな」

「敵、どうし……」

「吾輩は『借名無神者(エグゾロパティー)』を完全に廃絶し、その後ジュディチュム=イノミエ=デイが介入する余地を残さないようにするのが目的。だがあの野郎共は『借名無神者(エグゾロパティー)』が欠片まで散り散りになろうとその残滓をかき集めて自分達の都合の良いように使い潰そうとする連中だ。地位があるだけの吾輩が勝てる見込みはあまりないと言っても構わんだろう、と弱音」

「同じ六大修道会の一角でも発言力があまりに違うって、そういうことですか。今の教会の体制に深く関わっている連中の方が意見にも強身が増すって……」

「ああ。だからこそ、プラエセプトゥム=クゥム=ヴェリタスはアモル=クィア=クィスクとは違う意見に立たなくてはならない。貴官の所の『修道院長(アッバス)』は『借名無神者(エグゾロパティー)』の存続という立場に立っているのだろう? 細かく解体されて目を届かなくさせられるよりは、現在の体制のまま自分達の監視の内に入れておいた方が未然に防げる悲劇も減るという理由で、と看破」

「……察しが良いんですね、閣下は」

 彼女も否定はしなかった。

 今回の議題たる『借名無神者(エグゾロパティー)』の存続については、言い換えればこういう問題だ。

 法的にはグレーゾーン、しかし実態はほぼ違法という組織がある。

 これが表舞台から完全に見えない闇のわだかまりと化すのを知っていながら、事の流れに全てを任せて組織を消し去るか。

 それとも違法な組織であるという点こそ変わらないものの、とりあえずこれ以上『見えない』悲劇の発生を防げるように組織を残しておくか。

 どちらを選ぶにせよデメリットが付いて回る。今後アモル=クィア=クィスクが察知できない範囲で惨劇が起こるという事態を回避するか、目先の違法を駆逐して今後の十年二十年、いいや百年単位で見通した時に予測される悲劇の数は無視するか。

 信条に従うか、それとも信仰を捻じ曲げてでも最大多数の絶対幸福を取るか。

 二つの修道会の対立軸とはこのようなものなのだ。

「連中が六大修道会の中でも最初期から存在していることを考えても、連中を教会の支配者層から抜き取ることは難しい。六大修道会に属する修道会が時と共に変遷していく中で唯一ジュディチュム=イノミエ=デイだけが変わらず同じポストに座っている……そんな奴等の陰謀を外から防ぐことは、恐らく不可能なんです。だから」

「企ての目を摘み取るのではなく既存の選択肢を少なくしていく、あるいは増加しないよう楔を打ち込む、か……確かに理屈は通っているな、と感嘆。連中に新しいカードを手に入れさせずに手の内を読み取るには問題ないだろう。()()()

 再び顔を『勇者』に向けるヘクシス。

 そこで一旦区切りを入れ、匂わせるように話を突っ込む。

「……あの『修道院長(アッバス)』は、アストレア=A=アストラーニュ司祭枢機卿は本当にそれで構わないと? 『借名無神者(エグゾロパティー)』が残り、アモル=クィア=クィスクの目の届く領域に残ったとしても、それがジュディチュム=イノミエ=デイに対する有効打たり得るかどうかは分からんぞ」

「それは、……アストレア閣下も承知の上です。そのはずです。ですけど、長い目で見れば連中の独裁に対して少しは歯止めを掛けられる、例え連中に対して明確な効果が見込めないとしてもその第一歩にはなる。教会の体制を維持しつつ六大修道会の最古参を打ち倒すためにはこれが最適解だと、……」

「……最適解、か……」

 初めて、だった。

 ヘクシス=ゼノン=バルディウスの声色に、何かが混じるような感覚があったのだ。

 怒り?

 アモル=クィア=クィスクが消極的な姿勢しか見せないことに。

 戸惑い?

 アモル=クィア=クィスクが『最適解』に従って行動していることに。

 あるいは、悲しみか?

 アモル=クィア=クィスクがそんな手段にしか頼れていない、今の状況に。

 どれも違う。

 具体的な答えは彼女でも分からない。目の前でこうして会話をしていても、ヘクシス枢機卿の目の奥にある思いは掴み取れない。エレメント知覚なんて手段を伴っても、だ。

「二つの修道会、お互いが目指す方向性は似ている。だが共通の敵を得てもなお、やはりアモル=クィア=クィスクと同じようには進めないな、と弁」

「……、」

 言葉に、彼女は答えない。

 何となく言いたいことはある。

 それを言ってはならないと、何故かそう思えて仕方がない。

「人は最適解を求める。主は我々をそういう風に作ったからだ、と弁。故に今回のアモル=クィア=クィスクの見解を否定するつもりはないし、吾輩としてはアモル=クィア=クィスクの意見も尊重している。だが、最適解が常に最適とは限らない。その結果が予測されうる中で元も適当であったとしても、それによって引き起こされる別の悲劇があっては意味がないからだ」

「……、」

「アモル=クィア=クィスクとは相容れないと言ったな、と確認。それ故にアモル=クィア=クィスクには迷惑を掛けるつもりはない。だからという訳ではないが……もし少しでも吾輩に賛同できる部分があるなら、会議の終わりには『勇者』殿に頼みたい」

「……、何を、ですか?」

「今はまだ話せん。だがその時に頼れるのは恐らく『勇者』殿か、あるいはもう一人ぐらいしか候補がいないのでな、ひとまずここで伝えておきたかった。それだけのことだ」

 さてと、と小さく呟き、ヘクシス枢機卿が腰を上げる。

 壁に掛けられた時計を見上げれば、時刻は八時を回っていた。

『骨船』の航路が予定通りなら、到着はあと三時間後になる。シャワーでも浴びたら一応『聖剣』のメンテナンスでもしておくか……、などと考えていた時だった。

 ヘクシス枢機卿が耳に指を当てていたのだ。

 典型的な『胸外送話』のサイン。素振りからして話し相手はゲオルギウス号の船長の側近のようだが……漏れてくる音とヘクシス枢機卿の言葉を合わせて会話を推測すると、こんな感じだった。

「……進路上に雲だと? 規模は?」

『ゲオルギウス号の耐久力ならば全く問題ないレベルだそうです、閣下。私が申し上げられる立場ではないことは重々承知していますが、安全を考慮すると針路を変えて迂回した方が間違いありません。ですが時間の都合を鑑みると、雲をやや掠めることにはなりますが予定通りの到着時刻になる、と』

「吾輩としては多少遅れても良いから安全航路で……と言いたかった所だが、確かにヴィエンヌ公会議への到着に遅れが生じるのも問題だな、と弁」

『「ギルド」が内部で待ち伏せている可能性もありますが、彼等の小型~中型貨物船では長時間は隠蔽できない。その前に機体の限界が来て空中分解を起こすのが関の山だと。一応内部の確認のために「ノアの白鳩」を送っていますが、今の所は』

「ふむ……ちなみに今も操船はアーサーが担当しているのか? と質問」

『そうでうすが、……閣下、何か問題がありましたか?』

「その逆だ、と断言。アーサーは吾輩が直々に見越した実力者であるし、同時に長年の友でもある。操船の腕について心配する必要はない。貴官も信頼してみてはくれんか、と依頼」

『了解、……しました。では航路は現状維持、速力及び結界の展開体制は通常航行時を第一とし、到着は予定通り本日一一時丁度。時刻厳守の上、ゲオルギウス号はヴィエンヌまで直行いたします。では、私はこれにて』

「分かった。アーサー船長に宜しく言っておいてくれ、と再び依頼」

 そこまで会話を行い、ヘクシスは耳から指を下ろす。彼は赤と白の法衣を整えつつ、彼女の方へ顔を向けつつ。

「……申し訳ないが、このゲオルギウス号の船長より伝言があった。進路上にかなり分厚い雲があるが時間の都合から針路の変更は行わないらしい。雲の中に『ギルド』の連中が紛れている可能性はほぼないそうだが、風の強さによっては少々揺れるやも知れぬな、と忠告。就寝の際にはくれぐれもベッドから転落などしないように。貴官の仕事はゲオルギウス号がヴィエンヌ公会議の場に到着するまでだという話なのでな、と釘刺し」

「心得てます。リディアスの奴からはそういう約束だと聞いてますし、『勇者』一人じゃ少し心許ないからも知れませんけど……精一杯の務めはするつもりですから」

「では、されど一人、と言っておこう。例え一人であろうと信頼できる人間が吾輩の近くにいるというのは、何にも代えがたい安心感をもたらすものなのでな、と本音」

 そんな風に言いつつ、小さな微笑を浮かべていた。

 信条としての戒律に縛られない自由な修道会という意味では、例え自分が高位にあろうと気兼ねなく悩みを打ち明けられる、相手も気楽にその相手をできる、そんな場がある方が良いのだろう。

 ……そこで、一つ引っ掛かったことがない訳ではなかったが。

「そう言えばですけど、例のジャスパーとかいう騎士……あいつも閣下のお考えのような感じなんですか? これまでのプラエセプトゥム=クゥムに縛られない自由な……的な」

「ジャスパー=ケリュール=アペリンティアか? あれの性格は元々のものだが、うっかり吾輩の今後の施策を話してしまったばかりに悪化してしまってな、と苦言。女たらしの気質は前にも増して酷くなっているがそのクセして不幸にした女性が一人もいないらしいから、くれぐれも『勇者』殿は注意してくれたまえ」

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