ACT.03-00.5:{Now Loading…: [ACT.03-Background_Task.#01]}
ゴンッ!! という音が響いた。
金属と金属を打ち付け合った時のものとは違う。
実際にそうだとしても、そこに混じる別の音響を耳にすれば、抱かれる印象もまた変わるだろう。
ただ野蛮で、野性的で、それでいて感情的な鋼の音。真っ向から自らの身体を打っている音だとしても、これだけで他者を圧倒し絶対的な恐怖心を植え付けられるような者はそうそういないはずだ。
少なくとも、その光景を間近で見ている彼はそう思う。
長い時間この音と共に過ごし、片時も聞き逃したことはない。職人としての仕事に従事する時、自らの猟具を手入れする時、食事の時、就寝の時。いついかなる場合だろうが三六五日二四時間変わらずに鳴り響いて自分の耳を刺激するこの音は、もはや人生の一部と化していると言っても過言にはならないはずだ。
だからこそという訳ではないが、気にはなる。
あれだけ止まずにいた音が、今日はやけに感覚が長い。
まるで長年に渡って探し続けていたものをようやく見つけたかのような……ある種恍惚さえ醸し出す音の空隙が、あたかも先の尖った木の串のようにピリピリと耳を突くのだ。
いつもとは異なる、それだけでも彼にとっては異常。
ただでさえ巨大かつ複雑化した『ギルド』にあっては指導者のカリスマは究極の楔でもある。それが揺らいでしまえば『ギルド』は体裁を保つことができなくなり、自然崩壊する。それが一般的なルールであり、理だったはずなのだが……。
「……何か、特別なことでもあったので? いつもとは様子が違うように見えるのですが……まさか例の報告を本気で信用なさると? いくら『借名無神者』の情報とは言え相手は教会の人間です。その本質が金一つで動く傭兵に近いものであっても信頼できるとは限りません。むしろ、その方が信じるに値しない。そう仰られたのは親方です」
「だとしたら? 俺に、どうしろと? それとも逆か? 俺にどうするつもりだって聞いてんだよゴミクズ野郎。この俺が、仮にも、テメエ等大馬鹿クソ馬鹿ア〇ルホール共の親方だってことを忘れたか? 近くに置いてやってんのは、テメエが一番馬鹿だからだ。テメエは誰よりも非力だ、だから裏切る心配がない。……別にテメエを信用してるからとかいう甘っちょろい理由じゃねえんだよ」
ゴンッ!! という音が響いた。
今回は間隔が空いているが代わりに音量が大きい。ミシミシと何かが軋むような音も多い。単に金属が割れたり凹んだりしている時の単調音とはまるで異なる、複雑な階層構造をいっぺんに圧し潰しているような感覚さえ与えてくるのだ。実際に何がどうなっているか、それを想像するのが億劫にもなるはずなのに、何故か他のことを忘れてそれに聞き入ってしまう。
むしろ聞き入らざるを得ない、と書いた方が適切か。
薄暗い中で、敬愛する親方の顔も見据えられない。
かえってその方へと意識が集中していってしまうのはそれ故か。
「……まァ、アモル=クィアはもう動き始めてて良い頃だな。あいつらは教会本来の指揮系統を無視して独自に活動を開始してる。まあ狙いは分かってるな。つまり、ここを、目指してるって訳だ。クソッタレにたまんねえなぁ……」
ゴンッ!! という音が響いた。
ぱたたっ、と小さな水滴が床に散らばる。はっきりとは見えないせいでそれが何なのかは掴めないが、少なくとも腕全体を包む包帯から汗が滲み出た訳ではないだろう。粘度からしても膿が落ちたとも考えられないし、親方がここから外に出たことがない点を鑑みても衣服に染み込んだ雨水ではないはずだ。
そのヒントと言っては何だが……部屋に満ちた鉄黴臭い臭いはいつまで経っても消えることがない。
現在進行形で増え続けていくその色は決して楽観的思考をもたらす材料には成り得ないにも拘らず、この親方はむしろ、その臭いに嫌悪感を抱くどころか快感として捉えているフシがある。だから常々こう思ってしまう訳だ。
自分がまだ死んでいない。
その証拠として、親方は意図的に自身を傷付けているのではないか。
「ただなあ……問題は『勇者』の方だ。あの野郎はマジでどういう行動を取るか分からねえ。今のトコはクナブラ=クォド=アモル殿に留まっているようだが、それもいつまで持つかってヤツだ。ったく、せっかく『静狂』と『紅舞』を送り込んだ結果がコレかよ……」
「しかし、その『勇者』も場合によっては行動を見せる可能性があります。アモル=クィア=クィスク修道会と共にここを攻めてきた場合、こちら側に勝算はまずないと言って良いでしょう。『ミーシャ』を撃破したという『聖剣』の使い手……こちらの戦力では……」
「……分かってんだよ。だから俺も楽しみでタまんねえんだ、なぁ? 久々にハルピュイア以上の獲物が出てきたってんだ、そろそろあの野郎のリミッターを切っても良い頃合いだよ」
ゴンッ!! という音が響いた。
時間的には、少なくとも暗がりの中で相手の姿を確認する余裕はあっただろう。ここは戦場ではなく自分達の拠点、内部での抗争もごくわずかしか存在しない以上、違法組織たる自分達が十分に羽を伸ばせる場所であることは確かなはずなのだ。
で、あるならば。
この部屋に漂う殺意まみれの空気とは、一体何なのだ?
言葉は人を殺す。かつて賢人はそう言ったと伝わるが、では純粋な空気だけで人を死に追いやることができる人間とは、一体どのようなものなのだ?
敬ってはいる。
信頼してもいる。
だが、それだけで吊り合いが取れる程、この男は甘優しくない。
違法に組織された密猟系『ギルド』。ただ違法に狩り、高額の報酬と引き換えに命懸けの仕事に就いているこの組織は、本当にそれだけを目的としているのか。
この男は殺意に満ち満ちている。
では一体何を殺そうとすれば、ここまでの敵意と悪意を持てるのだろうか。
そんな疑問さえ、浮かんでしまう。
「ここも使い道がねえしな、そろそろ場所を変えても良い頃合いだ。一応拠点関連のマネジメントはテメエに任せちゃいるが、俺が気に入らなかったそこまでってことは忘れんなよ。俺達は違法企業だ、教会の敵だ、異端者だ……表に出てきちまったらそこでゲームオーバー、後先なんて何も出て来やしねえ。テメエも無駄足掻きをしてみせろよ、産廃野郎」
「……肝に、銘じます」
「その一言呟いときゃ許されるとか思ってんだったら落第点だわな。まあその代わりだが……そろそろ『裂禍』にお目覚めのキスでもしてこい。今まではスキルの方向性のせいで全く然使えなかったクソ野郎だが、そろそろアイツにも目立った出番を作ってやらなきゃならねえしなァ」
ゴンッ!! という音が響いた。
親方は本気だ、と素直に思う。
思考が壊れているのはいつもと変わらない、だが今回はこれ以上ない程に狂っている。
それでいて支離滅裂な部分が一切ないというのも、ある種の異常事態だと言えるだろうか。