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再醒のセブンロード  作者: 帯刀勝後
再醒のセブンロード ACT.03
19/24

Checkpoint : [ACT-Bridge_03>>04]


 目を開けて早々、我らが『円卓執長(メンサムドゥクス)』フィナンジュ=F=フィナンシャルに鉄拳を食らった。

 その直後に、我らが司祭枢機卿アストレア=A=アストラーニュ閣下から全力のハグを頂いた。

 今さっき『勇者』こと彼女が体験した出来事を簡単に整理すればこうだ。

 そんでもってクナブラ=クォド=アモル殿の自室のベッドに座り、ため息交じりに第一声。

「……目覚めが悪いってこういう事を言うのね。もう鉄拳制裁はうんざりだ……」

「少しは自分のしたことの重さを理解して頂けると、私としては少々気持ちが収まって良いのですが。これは、恐らくリディアス様の方がよく理解していらっしゃるでしょうがね」

 とりあえずフィナンジュによる鉄拳交じりの怨念を説明しよう。

 アストレア閣下とパズィトールを含めた一行がヴァティカンに戻るよりも前、ヴァティカン内部のジュディチュム=イノミエ=デイ修道会の持つ聖堂で大規模な爆発が発生していた、らしい。同修道会の調査では原因不明とされているが、その爆心地に全身モミジオロシと化した彼女がぶっ倒れていたそうだ。

しかも分析によれば、その時彼女が負っていた怪我は生命活動に対し二度も三度もストップを掛けるような重症だった……訳ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 現段階で言えるのはこのくらい。

 その上で、見た目は涼しげ声は怒り心頭という調子のフィナンジュが淡々と述べる。

「……それで、結局はこうなった訳ですか。私達が不在の中クナブラ=クォド=アモル殿を任されたリディアス様に断りもなく勝手に『ピネウス=アンテピティス』を壊滅させた上に一枚の関係資料も持ち帰らずにひょこひょこと……ついでに二度も件のプルーマ=ブラツィウム種ハルピュイアを連れ込んで、へーほぉーふぅーんそうですかそうですか全く『勇者』という立場にありながら毎度毎度どういう類の行動をしてくれているのですか貴様は全くええ全く」

「……済まぬがフィルナンデル、今『勇者』殿はこの通りぞ。色々と文句を言いたい気持ちは我にも分かる、じゃが肝心の本人がこれでは尋問のしようもなかろう」

「今ここで首をねじ切ってポイ捨てしていない辺りは十二分に自制できていると思いますが」

「そういう問題ではない。お主も齢にして二六の『円卓執長(メンサムドゥクス)』、行動に移す以前に心の中でブチ切れるのを抑えろと言っているのじゃ。少しは自分の立場に対する自覚を持たぬか」

「当然、持っております。『勇者』様が不用意にオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスと接触し、その上ティファレト=ダァトなる術式の発動まで促していたとは……流石に想定外が過ぎますが、責任問題としては『勇者』様も結構あるかと」

「……まあ、適任や人員数の問題ありきとはいえ『ピネウス=アンテピティス』に狙われているという状況で『勇者』殿をマルティリャーナに送り込んだリディアスもじゃが……お主も少しは落ち着かんか。防護結界については我の術師達を当てておるし、修復もじきに終わるしの。……それより今は、『勇者』殿。貴殿は……本当にないのか? ()()()()()()()()()

「……、」

 無言で頷く。

 厳密に言えば、記憶自体がすっ飛んでいる訳ではない。数時間以内に起きた出来事の多くは記憶しているし、当然オデュッセリアが口にしたティファレト=ダァトに関しても同様だ。

 問題なのは、最後の一コマ。

 どうやってオデュッセリアを撃破したのか、ということ。

 それが、スモークガラスを通して見たように曖昧になっている。

ベッド脇に立て掛けた『聖剣』を眺め、触れてみても、何一つ思い出せない。

「オデュッセリアの奴にフルボッコにされて、フリューネ……ミシェリナちゃんを消されて、それからどうしてたのか……どこかで『聖剣』が絡んでたような気はするんですけどね」

 単なる失血や骨折のショックが原因だとは考えにくい。そうしたダメージを負っている間の記憶は非常に鮮明なのだが……自分でもよく分からないのだ。

 いつからの記憶が正常で、いつからの記憶が不鮮明なのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 とにかく、名状しがたい気持ち悪さ。あやふやで奥が見通せないような、そんな感じだ。

「それは良いんですけど……そう言えばルーシーは? あとサリィナちゃんと、エリィルも」

「ほぼ同じ場所で発見されて、今は隣の部屋におる。ついでにもう一人、ワイヤードビキニの露出痴女……げふん少女も昏睡状態で確保されたとのことぞ」

「ですが肝心のオデュッセリアについては痕跡ゼロ。同じ場所にいたらしいサリィナとエリィル……件のハルピュイアはまだ覚醒していませんし、またルーシー様は爆発の発生以前に記憶欠損を起こした状態で発見されています。現在はリディアス様主導の特別捜索隊を編成し、周辺の捜索を続行していますが、オデュッセリア及び関連した証拠品は発見できていません。あまり期待はできませんね……」

「そういう訳ぞ。ルーシー殿が言っていた『ピネウス=アンテピティス』とジュディチュム=イノミエの連中の癒着に関する資料が出てこない以上、そこを追っても意味はない。この場合は……むしろ肝心なのはオデュッセリアがティファレト=ダァトを作った理由ではないかの」

「理由、か……」

 俯きつつ、彼女は小さく呟く。

「オデュッセリアは、力だけを求めてティファレト=ダァトを作っ……じゃない。自分自身を含めたあの場所自体をティファレト=ダァトにして、主をも超える力を手に入れようとしていた。本人の弁明を信じるならこうなりますけど……結局、違ったんですか」

「うむ……最後の最後で、いきなりルイ=サン=ゴダードが喋ったのじゃ。その前の尋問ではオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスという名前だけを与えておいて、いきなりの」

 ティファレト、『美』のセフィラ。

 ダァト、他のセフィラを補完する『知』のセフィラ。

 ティファレト=ダァトとは、つまり『美の知識』。

 エドワルドがレデンズ=ニーマンドの名前を使って著した魔導書では、形成界(イェツェラー)のような高次元の世界へと足を踏み入れるためには清い魂を持つことが前提条件とされている。彼女が『僧院』へと入ることができるのもそれが理由だと言っていたが……。

「……結局、オデュッセリアの目的は術式の名前そのものだった。そういう訳ね」

「『美の知識』と形成界(イェツェラー)への進入、詰まる所彼は自分の犯した間違いを認められなかった、ということでしょう。自分は形成界(イェツェラー)における主たる存在へと昇華した、言わば『(ティファレト)』の『定義(ダァト)』、ひいては『原義(イデア)』そのものたる者。そんな自分が、自ら妻を手に掛けコルス島の集落を壊滅に追い込んだ訳がない、と……穢れを持たぬものだけが天国の門を潜ることができるとは言いますが、それを文字通りに体現しようとしていた訳ですか」

 オデュッセリアには、確かにハルピュイアの妻がいた。

 だが、それは今回の事件の攻勢要因の一つであって直接的な原因ではない。当然ながら二人の娘、プルーマ=ブラツィウムの血を濃く引くエリィルと人間寄りの血統イピス=スィーネ=アラスたるサリィナにも、同様のことが言える。

 教会がオデュッセリアに対してコルス島の掃討を命じたのは、つまり自身に対しての忠誠心を作らせるためだったのだ。

 元々『借名無神者(エグゾロパティー)』という不安定な立ち位置にいたオデュッセリアの支えを、自らの手で殺害させ、反逆の芽を完全に摘み取る。あるいは彼が敵に回らないという固定的状況を作った上でティファレト=ダァトの作成をさせるつもりだったのかも知れない。

 聖書と信仰の上でしか存在を証明できない主を、絶対的な『唯一神』にするために。

 教会の教えが、宣告が、全てが現実のものとなる。ティファレト=ダァトの適用範囲によっては主の真似事どころの騒ぎではなく、教会そのものが主を体現することになる。結果的にティファレト=ダァトが教会の手に渡ることはなかったが、もしもオデュッセリアが個人的な感情によって『理性ありきの暴走』に走っていなければ、あるいは……

「……結果的には、今回はオデュッセリアの野郎に救わていた、か……私が言うのもアレだけど、つくづく癪に障るわね。加害者かと思ったら教会の理不尽の被害者だったって、これ何回目だったかな……」

「まぁ、世の中の悲劇には大体教会が絡んでおるものぞ。そうであったからこそ、教会は『ピネウス=アンテピティス』という不確定因子を抱え込んでおきながら、ここまで盤石な支配基盤を作ることに成功しているのじゃからな。ある意味、ティファレト=ダァトなどに頼らずとも教会は既に主そのものと化しているのかも知れぬの。根本的に言えば『主』という概念を生み出したのも教会のようなものじゃからな」

「……既に、教会が主……ねえ……」

「……、」

 何か思う事でもあるのか、フィナンジュだけが黙っていた。

 彼が撫でているのは、常日頃から肩にぶら下げている金属製カバーの聖書……『円卓祭祀公憲章』。円卓騎士団の長としての心得や円卓騎士団運用に際してのあらゆる規則が事細かに記されているというものだが、実の所彼女もアストレア閣下も、ましてやフィナンジュ本人もこれを開いて読んだことはない。

 その内容は写本として円卓騎士団内部に広まってはいるものの、これが本当に『原典』であるかどうかは分かっていないのだ。

内容を知ることができる唯一の機会は、『円卓執長(メンサムドゥクス)』に就任するその一回だけ。その時教皇と共に『円卓祭祀公憲章』に封をするという儀礼が延々と続き、条件付きではあるが『円卓執長(メンサムドゥクス)』にはそれを開く権利が与えられているものの……フィナンジュが開封を許可されたことはない。これに力があることは確かではあるが、『本当に』中身が『記された』原典であるかどうかは誰にも分からない。

 例え、形だけの聖書であっても。

「これもある意味ティファレト=ダァトであり、『主』そのもの。言われてみればそうかも知れませんね……」

「……、なーんか、アンタにしちゃ珍しく謙遜してるじゃない。もしかして……私の功績にでも嫉妬してるのかにゃーん? 今回は威勢よく出ていったのに結局解決に携われなかったとか何とかで」

「この場での殴殺をご所望であれば是非ともやらせて頂きましょうかええ今すぐに全く貴方様の言葉に乗じて決めてみた途端にこれですかええ良いでしょうちょっとくすぐったいですが痛みは一瞬ですこの『円卓祭祀公憲章』でもって貴方様を五六四八六三五回殴って差し上げましょう具体的にはそのケツをですね」

「…………やっぱり冗談は通じないタイプなの?」

「まあ少しでも通じると思われたのが運の尽きです」

 

 

 びしんびしんばんばんばんべきべきばしびしんっ!! などと凄まじい音が隣から。

 

「……何だか騒がしいですね。集中が途切れて回復術式の編成が上手く行かないじゃないですか」

 などと眉をひそめつつ、フード付きの肌着のルーシー=ギブスンは呟いた。

 一時的にではあるが、ルーシーもここクナブラ=クォド=アモル殿の世話になる。今回の件での事情聴取と傷の療養を兼ねてアストレア閣下の提案に甘える形になったのだ。『ピネウス=アンテピティス』本拠地で負った怪我も決して軽いものではないし、あそこでの活動は身体的にも精神的にもショックが強い。

『勇者』は何度か『僧院』という場所に入ったことがあるから多少とも衝撃は軽くなるが、全くの未経験者にはやはりキツイものがあるようだ。それは記憶欠損についても、である。

(『ピネウス=アンテピティス』拠点内に入って、『勇者』さんと合流して、何故かオデュッセリアの寝室に入って……うう、やっぱり……どれだけ思い出そうとしても駄目ですか……)

 見えなくなっているような感覚ではない。

 どちらかと言えば……見てはいけなかったものに、強制的に蓋をしているような感覚だ。

今までに味わったこともなく、何とも言い表せない微妙な……ここから先は言葉にできないか。

(まあ、この子達が覚えていたら……というのは高望みでしょうね。いきなり知らない場所に連れていかれて、いきなり訳も分からず術式の一部に()()()()()()()()()ですけど……自分の娘だからって、やっていいことと悪いことがあるでしょうに)

「まあ、既に終わったことですし、こっちはこっちの仕事に専念しましょうか。サリィナちゃんの方は大体終わったから、今度はエリィルちゃんに……翼に少し腫れがありますけど、これは冷やしておくのが正解ですね」

 言いながらルーシーが包帯を巻くのは、人の腕ではなかった。

 鮮やかな黄色と水色がグラデーションを形作る羽。ルーシーが腰掛けるベッドで小さな寝息を立てているのは、プルーマ=ブラツィウム種ハルピュイアのエリィルだ。で、すぐ隣で向かい合うように目を瞑るのがサリィナ。お互い小柄とはいえ一つのベッドを少女二人で占有しているので少々窮屈そうではあったが、見た感じではそういう雰囲気は感じられない。

 感じさせないような、と言った方が正確かも知れない。

 姿形は大きく違う、だが二人は血の繋がりを持つれっきとした姉妹なのだから。

(……でも、ちょっと不思議ですね。同じ母親から生まれた姉妹なのに、久しぶりに再会してもお互いのことに気付かなかったなんて。何でしたっけ……イピス=スィーネ=アラス? のサリィナちゃんはまだしも、記憶力に優れたプルーマ=ブラツィウム寄りの血が出たエリィルちゃんも反応がなかったなんて。『勇者』さんのかっぷらーめんに手を出すぐらい人間社会に馴染んでたから、その分サリィナちゃんの記憶が薄れちゃったのかな)

 カップラーメンのくだりについては、エリィルの食い意地が張っていたからというシンプルな考え方もできなくはないが、プルーマ=ブラツィウム種の性質が強く出ている点から考えるとやはり奇妙だ。元々何らかの刷り込みがあったか……あるいは遺伝的な問題なのかも知れない。

 今から調べるのも悪くはないだろうが、まあ別に力を入れて調査すべきものでもないだろう。

 ただし記憶云々の問題については別か。

 ティファレト=ダァトから帰還した自分と『勇者』。さらにハルピュイアの少女二人。その全員に対して何らかの形で記憶欠損が生じている事実は、確かにある。

 だが作成方法を知るオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスが既にこの世の者でない以上、真相を突き止めるのも難しくなっているのだ。誰の記憶にも残っていない空白の時間帯に何かがあって、その結果オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスは死亡しティファレト=ダァトも消滅、自分達が現実世界へと排出された。そう考えるのが最も妥当な所ではある。

 では、逆にだ。

 何をどうしたら、ティファレト=ダァトの消滅という事態が起きる。

 何がどうなって、オデュッセリアは死へと追い込まれたのか。

 何があったから、この事件は収束へと向かったのだ。

 ……結局、最後に何があったのだ?

(最も最近の記憶が残っているのは『勇者』さんだけ。ですけど、それもミシェリナ=ディアントロスという少女……私達と同じ場所で昏睡状態に陥っていたあの子の『本質』? って『勇者』さんは言ってましたけど、それを司る別の少女がオデュッセリアに消された瞬間まで。何がオデュッセリアの敗北を引き起こしたのか、どうして『勇者』さんは何の傷を負うこともなく帰還できたのか……それが全く分からない。もしも他に覚えている人物がいるとすれば)

 お互いに抱き合うような格好になりつつ、くうくうすうすうと可愛らしい寝息を立てるサリィナとエリィル。

 肩を覆うように布団を掛けてやりつつ、ルーシーは二人の頭を軽く撫でる。

(『勇者』さん曰く、この子達はあの場所にいたらしい。オデュッセリアがティファレト=ダァトを発動するためのトリガーとして利用していたそうですが……最初から最後まで、目撃していたとすればこの子達しかいない)

 記憶欠損が生じているのは『勇者』含む全員。

 だが、だけど。

 もしも二人から欠落した記憶が、最後の激突の場面ではないとすれば、あるいは二人が。オデュッセリアが死んだその瞬間を目撃し、それを覚えている可能性がある。

 実の父親が、どうやって死んだのか。

 誰に、殺されたのか。

(……まさか、とは思いますけど。というか、そうであって欲しいですけど)

『鉄拳交渉人』。

『聖剣』を手に入れ、『勇者』となる前の彼女が持っていた名前だ。正確な出所は不明らしいが、幼少期からフリーランスの傭兵として各国を渡り歩いていた彼女は次第にそう呼ばれるようになったらしい。

 民族国境宗教の垣根を飛び越えて戦いに介入し、両陣営の全員をぶん殴って目を覚まさせる。

 その過程において人は殺さず、誰の血も流させず、最後には全員が笑顔でいられるように。

 名前についてはこんな眉唾物な由来があるようだが……これが本当なら、今代の『勇者』は、ただの一度も誰かの血を浴びたことがないことになる。だからこそあんな風に過剰なお人好しを通常運転とし、誰かの涙を見ればその場で力を貸す。そんな真似ができるのか。

(人間の持つ感情はエレメントの心的作用が与えるもの。本来微弱な精神的上下動でしかない『こころ』を、エレメントの増幅効果が『心』に変える。いわゆる六芒四道説に則れば『怒り』を司るのは『火』であり、逆に『穏やかさ』を司るのが『水』。『風』はその複合エレメントとして暫定的に六芒の外枠にされている、でしたか)

 もし、そうならば。

 もしかして、なんて思いたくもなかったけれど。

(ハルピュイアの羽は、『風』のエレメントを制御する力を秘めるもの。言わば『風』のインテークであり、増幅機であり、出力装置であり、記憶媒体でもある。……では、あの時、……『勇者』さんの一番近くにあった羽は……)

 安らかに眠る二人のハルピュイア。その内の、布団で隠れたエリィルの右の羽。

 ちょうど先端近くには、一か所だけ。

 一枚の羽が、故意に抜かれた部分があった。

 

 

「……で、何でアイツじゃなくて俺に話を振るんだ?」

「一つ、これは現状の『勇者』に話すべきものではない。二つ、現状において最も口が堅そうな奴が君しかいなかった。理由はこれだけだ。別に何か特別な理由があるからとかいう訳ではサラサラないから、変な期待をしないように。いくら積もうが私は抱かせてやらんぞ」

「俺にカミさんがいなかろうとゴメンだよ。誰がオメエなんぞに発情するかっての、この美少女面の変態ジジイ」

 グラスを乱暴に置き、口元を袖で擦る金髪長身の老人。その向かい側には、全裸の上から赤いエプロンを来て頭にカチューシャを乗っけつつ日本酒を啜る銀髪の少女。つまりパズィトール=クスティガトルとエドワルド=アレクサンデル=クロウリーの二人は、円形のテーブルを挟んでお互いに顔を合わせていた。

 ここは昨日の早朝にも訪れていた。ヴァティカン外周部寄りに位置する下級市民の居住区にある、聖堂を改造した雑貨店。さらに言うなら、そのバックヤードである小部屋の中だ。相も変わらず大量の木箱や瓶などが山積みになっていて、それぞれに商品の情報が書かれたラベルが貼ってある以外はロクな整理もされていないという有様だったが、昨日とは少し様子が変わっている。

 具体的には、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「んで、用件は? まさかこの俺と一杯やって日頃の本音をぶちまけたかったなんてアホな理由じゃねえよな」

「そうだと言いたかった所だが、残念ながら違う。今回の『ピネウス=アンテピティス』事件、その顛末に関して情報を整理し、君に託しておきたかったんだよ。恐らくは……今後の私の研究にも大きな影響を与える。それぐらい、今回の件は厄介なものと化しているからな」

「厄介? ティファレト=ダァトとかいう術式か?」

「現状ティファレト=ダァトはどうでも良い。アレは元となった術式自体、教会が再現しようとした所で、既存の信仰体系にしがみ付いている限りは不可能だ。今回についても製法を知るオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスが死亡しているから別の誰かに復元される心配もない。レデンズ=ニーマンド著の魔導書を勝手に利用してあんなものを作られたのだ、もし二度目があるなら私自らがその芽を潰している」

「アレがどうでも良い事かよ、ケッ。つくづく他人事みてえに言いやがるなオメエ……結局、大本を辿れば今回の元凶はオメエだってのによ……で? ティファレト=ダァトじゃなかったら問題は何なんだ?」

「今回、『勇者』の行動をマークしていた。途中までだがな。ストックから持ち出した『私』の一つ……視神経刺激転送特化型微生物群Ed-MC014を『勇者』の眼球に潜り込ませたんだが、その間に……ある異常を捉えたんだ」

 異常だ? と怪訝な声を上げるパズィトール。

 ばら撒いた思想を誰も正しく理解しない、故に自分の教えは誰にも広まらない。こんな曲解野郎な『不導士』にとって、あらゆるイレギュラーは状況を変えるための材料でしかない。他でもない自分自身がそう言っておいて、今更何が異常なのか。

 パズィトールはそう考えた。

「……『勇者』は物質界(アッシャー)形成界(イェツェラー)の中間のような……そうだな、一・五階層とでも呼ぼうか。詰まる所の『ピネウス=アンテピティス』本拠地において、一度『聖剣』をオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスに奪われている。『聖剣』の形を司る外殻だけではなく、文字通り内包された力も含めてだ。ここまでは良いな?」

「そりゃ『聖剣』がただの剣じゃねえのは分かるがよ、『聖剣』それ自体が意志を持ってる訳じゃねえんだから奪われることもあり得るだろ?」

「その通り。性質上、『聖剣』も奪われることが考えられる。それは良いんだが……重要なのはそこではない」

「あん? どういう意味だ?」

「ティファレト=ダァト。オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスによって作られ、オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスによってその定義を定められたはずの第二階層、つまり形成界。その場所において力の上でも定義上でも上位に位置するのはオデュッセリアだった。『勇者』を下位の存在と定義し、自分の足元にも及ばないように設定していた。……では何故、今『聖剣』は『勇者』の手元にあると思う?」

「……奪い返した、って訳か? ティファレト=ダァトの、『世界』の管理者から?」

「私とて理解が追い付かん。だが、そうとでもしなければ説明ができないのも事実だ」

 指先で優雅に御猪口を撫でつつ、エドワルドが言う。

 アストレア閣下、それと『円卓執長(メンサムドゥクス)』の坊ちゃんことフィナンジュと一緒にヴァティカンを離れていたパズィトールも、今回の事件の全貌を把握しているとは言い難い。証言者の記憶がことごとく抜け落ちている上に、ティファレト=ダァト消滅の余波と思われる爆発の爆心地においてもそれらしい物品は現時点でも発見されていないのだ。

 ティファレト=ダァトの基盤となっていた膨大な量のハルピュイアの羽毛も。『勇者』やルーシー曰く、オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスの過去や行動を記していたという羊皮紙の束も、何一つ。今回エドワルドが掛けていたらしい保険も役に立たなかったようだし……今回ばかりは誰にも全貌が分かっていない。

『僧院』から世界を傍観するエドワルドでも。

「それともう一つ。一部は推測なのだが、『勇者』について少し忠告をしておきたい」

「……、アイツについて、?」

「確か、『勇者』はマルティリャーナへの出発前にプルーマ=ブラツィウム種の羽を一枚受け取っていたな。本人の弁では、群れの中にコルス島生まれの個体がいれば顔パスの代わりになると踏んでいたらしい。……恐らく、最終的にティファレト=ダァトを打ち砕くカギとなったのはこれだろう」

「一枚の羽が……にわかに」

 信じられる話じゃねえ、と言い掛けた。

 だが、思い出してみれば。

 オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスが作ったティファレト=ダァトの基盤になっているのは、何万何億何兆という数のハルピュイアの羽だ。一枚一枚が『風』のエレメントの制御基板として機能し、ハルピュイアに過剰な飛行能力を与えるそれの機能は、

「『風』のエレメントの制御、読み取り、記憶、増幅……エレメントの心的作用……、まさか?」

「君自身が『勇者』に話したことがあったな。ラシェル=セレヌム=グレッサ、先代の『勇者』にして第一・第二のエレメントの『司徒』たる『洪焔主』。彼女がひたすらに魔族を憎悪し、ありとあらゆる魔族の根絶へと進むに至った理由は何か。エレメントによってもたらされる心的作用、それを増幅する『剣』レズィオの存在……つまり特定の感情の暴発と言っても良い。今回はそれと同等の事が起きたのだろう」

形成界(イェツェラー)っつっても世界は世界。世界創造のベースに据えられたのがハルピュイアの羽なら……その場において最も強い感情を持った者が、ティファレト=ダァトの主導権を握るってことか? だけどよ、それだと完全な推理にはならねえぞ。アイツがあの場で何を見たかは知らねえ、けどそれだけでオデュッセリアが負ける理由は出来上がらねえはずだ」

「……パズィトール、誰が『勇者』のことだと言った?」

 遮るように。

 御猪口をテーブルに置いたエドワルドが呟く。

 それに合わせて、どこからともなくテーブル上に滑り出てくるものがあった。赤い文字で何かが書かれた、タロットカード大の羊皮紙だ。

「これまでにも『勇者』の名を継いだ者は多い。そして今の『勇者』もラシェルも、初代とされるサン=ナトゥラも、共通してあるものを手にした時点で、『勇者』となったことにされている。つまる所の『剣』、『勇者』の象徴にして『魔王』を斬り殺すことを目的に生み出される一振りの武器だ。そして、これは自らの意志でもって持ち主を選ぶという。以前は教会による総当たりでの『勇者』の候補者探しが行われていたようだが、当然今代が現れるまで死ぬか精神疾患を起こすかという有様だった。()()()()()()()()()()()()()()()、拒絶反応を示した訳だな」

「……おい、」

「そのまさかが現実に有り得た可能性がある。私が考えられる最大限の可能性が、それだ」

 つまり。

 あまりに純粋な悪意を上回り、持ち主たる『勇者』の理性を焼き切ってでも自らの使命を刷り込み、ティファレト=ダァトの主導権を奪わせた存在。

『風』、つまり『火』と『水』の複合エレメント。その媒介たるハルピュイアの羽を介して『意志』を増幅し、『勇者』へと流し込み、最終的にオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスを敗北へ追い込んだ者こそ……、

「……マジで、あり得るのか?」

「十分。いや十二分としても過言ではない。さらに付け加えるならこれこそが私の予測を外れたファクターの一つだ、当然ヤバい方向にな。……だがそれ以上に、今回の件が『勇者』に与えた影響は多大かも知れん」

 ここまでの話し方だけでも、らしくない。いつもいつも育ちの悪いガキを再教育するSっ気の強い女教師のような態度も、今に限っては沈静化しているのだ。

以前の世界(いっしゅうまえ)』を見たことがある、と少女は言った。

『勇者』が見た『僧院』にいる本来のエドワルドは、この目の前にいるエドワルドをそのまま幼くしたような外見のものであり、元居た世界と外見の差異が生じているのは『以前の世界』が崩壊に導かれたからだそうだ。聖守護天使エイワスとかいう存在との契約によって『僧院』ごと本体を別次元に固着させているエドワルドは、言うなれば『現在の世界(こんかい)』の法則性の尽くを知り尽くしている人間だとも言い表せる。

 であるならば。

 そんなエドワルドが、それ程までに危惧するような事態とは……?

「……ハルピュイアの羽は『風』の制御装置であり、増幅機であり、記憶媒体であると言ったな。今回それに最も強く作用したのは『聖剣』であると考えた訳だが、それに加えてハルピュイアの羽にはもう一つ役割がある。つまり……『風』の持つ特性を持ち主へとフィードバックする出力装置としてのな」

「じゃあ、だよ……仮に『聖剣』が持つ『意志』の力が、ティファレト=ダァトの主導権を書き換える程のものだとすれば……今のアイツには、『聖剣』の『意志』が上書きされているってことか!?」

「より正しい表現を使うのであれば、矯正されていると言った方が近い。むしろ今の今まで『勇者』にそれらしい反応が見られなかった方が奇妙だ。ラシェル=セレヌム=グレッサのように、『剣』によって精神を喰われた存在は珍しくはないからな。それはサン=ナトゥラとて例外ではなかった。近代の『聖剣』が持つ力は未だに未知数だが……もしも、その『意志』がハルピュイアの羽を通じて『勇者』に逆流していたとすれば。あるいはオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスに奪われていた間、その『悪意』さえ吸収し、増幅し、フィードバックしていたとすれば……いつになるかは私でも見当が付かん。だとしても、『勇者』は間違いなく……『堕ちる』だろう」

「………………………………………………………………………………………………………、」

 話を終えた後も。

 裸エプロンのエドワルドが、自らの身体を細分化して空気に流した後も。

 しばらく、パズィトール=クスティガトルの時間は停止したままだった。

 まさか、とは思いたかった。

 その辺のパーティーに比べればまだまだ日は浅い、だがほとんどの肉親を失った自分にとって、『勇者』は決して蔑ろにして良い人間ではない。そう信じていたからこそ、でもあったのか。

 とんっ、と。

 あの変態趣味の無責任野郎の置き土産のつもりなのか、エドワルドの御猪口の傍に、一枚のトートタロットが刺さる。


 アテュ、番号は十。

 その絵柄は『運命』。



























 そして。

 時を同じくして、どこかで。

 その誰かは、『胸中対話』の陣が刻まれた木片をそっと下ろす。


「……また、抗ったのか」

 

 背中から垂らした真紅の羽。

 腰の後ろに伸びる、背丈程もある細い尾。

 自分自身で望んだものではない、だけど生まれを嘆いても何も始まらない。どういう風に運命づけられたにせよ、自分がこの世に現れた瞬間からこの『使命』は始まっていたのだから。

 

「君は、いつまで。いつになったら、自分の(カルマ)を受け入れてくれるんだ……?」

 

 当たり前の世界を見たかった。

 そんな小さな夢は、未だに実らない。


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