ACT.03-75_DEEPDIVE,or Knocking on Silent Past.[chapter.04~05]
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どこもかしこも厳戒態勢であった。
ミシェリナの指示通りに足を進めてはいるものの、相変わらず現在地は不明瞭。だがどれだけ移動を繰り返そうがここは『ピネウス=アンテピティス』の本拠地であり、ハルピュイアの羽の安定供給を可能にするだけの力を持った職人が集う場所だ。その事実自体は何ら変わらない。
戦闘に長けていない下級の職人ないし徒弟も大勢存在する以上、どうしても彼等の目から逃れ切ることは不可能だった。それに、仮に彼等が一人としていなかったとしても、ここに仕掛けられた無数のセキュリティ網が一行の進行を阻害していたことだろう。
相手が人間である。
限界もへったくれもないシステムでなく、肉体的にも精神的にも上限が存在する。そんな前提とミシェリナの助言があったからこそ、ある程度は抗戦も許されていたのだ。もっとも『勇者』が万全ではなくルーシーの扱う『弥撒』にも使用制限があることから、無暗な激突は可能な限り避けたかったのだが……実際にはそんな贅沢は言っていられなかった。
それも、多少のとかいう生易しいレベルではなかった。
厳密に表現するならば。
これっぽっちも、だ。
「対象設定……『勇者』を補足。『残甲』、突撃」
「対象確認。『導盗』より各員、対象は中央大階段を逃走中……上層到達前の無力化が絶対条件である。武器及び術式の使用は無制限まで許可、総力を以ての追撃を要請する」
「うっさい中二病クサい名前だけ言ってないで少しは本名名乗りなさいっての!! アンタ達アレか!? 本名使わないってだけで自分達カッコイイとか思ってる思春期のオトコノコ思想に染まってたりしないわよね!?」
「『勇者』さん無駄に相手を刺激しないで下さい!! 『贖宥状』を使うにも相手の精神に多少なりとも乱れが生じていないと効果は薄いんです、下手に無駄撃ちすれば根本的な効果から順々に消えていってしまう可能性だってあるんですから!! 価値と総数は反比例するものってことは『ピネウス=アンテピティス』の方が分かってませんかこれ!?」
石造りの壁に囲まれた廊下、大量の羽が吊るされた作業場、そして現在は中央が巨大な吹き抜けとなった直径一〇〇メートル程の螺旋階段。本来は壁に吊るされたランプが照明として機能するのか、どこまで行っても明り取りとしての窓らしきものはない。それでいて空気が劣悪な訳ではない所を見るに何かしらの魔術による濾過機能でもあるのだろうが……今この空間を照らしているのは、別の意味での光だ。
激突の余波、火花。
一度は見失ったことに対する反動なのか、追っ手はますます増えている。今はルーシーの『弥撒』+『贖宥状』が相手の攻勢を弱めているようだが、それも万全ではない。
『弥撒』はそもそも、相手に教会への信仰心がなければ万全の力を発揮できない術式だ。『贖宥状』は深層心理にそれを強制的に植え付けて『弥撒』の効果範囲内に納めているようだが……どうやら敵方も法則性を理解しつつあるらしい。
最初に迎撃を突破してきたのは、全裸の上から民族衣装のような貫頭衣を纏い、さらに腕や足回りを包帯で固めた少年だった。
根元から切り落とされた耳に鮮やかなハルピュイアの羽で作られたイヤーマフを当て、さらに両手には柄だけになった片手剣。一見して何の脅威でもなさそうな武器ではあるが、しかし外見だけが職人達の実力を示すものではない。
「『残甲』……この人、……待ってルーシーさん、刃の動きを当てにしちゃ駄目なのです!! あれはあくまで注意を引き付けるだけの『もーしょん』で、斬撃の本体は後から飛んでくるっていう力があるのです!!」
「……標的追加、ミシェリナ=ディアントロス。対象に対する助言行為を確認。要殺害対象として新規登録、情報を全職人クラス間で共有。『残甲』、エンゲージ」
『勇者』の左肩を支えるミシェリナの言葉に合わせ、少年も応える。
存在しない刃を振り下ろし……それに一歩遅れる形で、斬撃を視覚化したかのような巨大な金属板が現れたのだ。
綺麗な円弧を描くそれの半径は本来の刃が持つ長さと同等のようだが、問題は現れた位置。物質と化した煌きは『勇者』でもルーシーでもなく、一直線に半透明ドレスの少女ミシェリナの方へと振り下ろされる!?
「……こっ、のぉぉお!!」
ルーシーでは間に合わない。だからこそ少女に体を支えられる形だった彼女が、とっさに右拳を振り抜いて金属の斬撃を殴り付ける。それだけに留まらず、皮膚を直接接触させると同時『鋼』のエレメント操作を加え強引にその軌道を折り曲げていく。
直角とまではいかないが角度を変えることには成功した。ミシェリナの脳天から体内へと侵入し身体を切り裂いていくはずだった金属板は少女の頭上スレスレを通過し、すぐ横の壁にめり込んだらしい。ボゴンッ!! というくぐもった音、続いて少年が自らの作った斬撃に激突する轟音が響いたが、いちいち確認なんてしている暇はなかった。
回復術式により多少とも動かせるようになってはいる。だが彼女も、まして『弥撒』や『贖宥状』を乱発するルーシーも万全の状態ではないからだ。
魔術にしても聖術にしても根本を成すのは使用者の体力、それを逃走しながらの状態で使用し続ければ自ずと消耗も激しくなるのが常識。元より『勇者』の手元には『聖剣』もない。力量差を考えればルーシーが応戦に専念するのが最善ではあるものの、これが長時間続くようでは結末は全く改善しない。
むしろ、これだけの物量を相手に逃げるしかない、ということ自体がマズい兆候ではあるのだが。
「ま、アルクタンは当初から期待も信用もしていなかったみたい」
次に前へと躍り出る、二人の女性。両者似たようなデザインの西洋喪服に身を包み、両手で短杖を構える点から、一瞬聖術師のようなイメージを抱かせるが……だとすれば、むしろ聖書の記述とは反対方向に走って胸元や腰回りに大きな切れ込みを入れたりはしないだろう。敢えて煽情的な下着を見せつけるような服装は、特徴的にはむしろ性魔術のほうが近い。
「それにも拘らず放置し続けた結果がこれだなんて、つくづくミシェリナ=ディアントロスも使えない人材っぽい。裏切り者って言うか寝取られ願望って言うか、そもそも最初からこっちサイドでも何でもなかった感じ? まあ予想通りではあッたけど、さぁ?」
「……ッ!!」
「っと、何でキレてる『勇者』? 元はと言えばまあこっち側の問題なんだし、あるいはそこのミシェリナを引き渡してくれればこれ以上の不便は掛けないつもりっぽいんだけど」
「ふざけんなクソビ〇チ野郎!! 初っ端から私を半殺しにして幼女の脳天叩き割るような真似するような連中の言葉なんか信用できる訳があるかっつーの!! っていうかアンタの方は名乗りもしないのか礼儀はどこ行った!?」
「『ピネウス=アンテピティス』は根本的にアウトローであり、違法組織であり、教会支配とは一切の縁がない……アルクタンから聞いてないっぽい? 『勇者』を名乗るぐらいの奴なんだから、話し合いでどうこう片付けようなんて発想自体そもそも甘すぎるってことにいい加減気付きなさいな、クズが」
「……『照準補正』完了。姉貴、いつでも」
「ちなみにそれは感謝ね、ファンラ。やっぱり『心掘』の味は伊達じゃないっぽいかな?」
刹那、真っ直ぐに伸びた指先が付き出される。
それが向かう先は、殿として黄金の聖書を操るルーシーの右目だ。
あからさまな目潰し。
しかし動き自体はそう早くはない、むしろ体感的には避けられない奴など存在しないぐらいのもの。一見してひ弱そうなルーシーであろうと回避はいとも簡単に行える。言わずもがな、そのまま『贖宥状』を貼り付けて『弥撒』の制御化に置くことも容易であるはずだった。
なら、実際には? つまり、そうならなかった。
ルーシーは回避動作の一つも取らなかった。だが先程アルクタンを撃破した時の余裕とは明らかに違う。ルーシーの視界に入っていなければおかしいはずの、毒々しい色の付け爪が目立つ指先を、そもそも認識できていないような……?
「……『心掘』ってことは、……、『感外』!?」
「まずいっ、ルーシー!!」
ミシェリナが口にしたのは恐らくこの二人の名前だ。数秒程度の短時間は意味合いを理解するにはまるで足りないが、とっさの行動に移るには何とか充足している。
今度は拳を握らない。背後のルーシーを突き飛ばし、指を真っ直ぐに揃えた両手を、今まさにルーシーの眼球を貫こうとしていた女性の腕へと振り下ろした。疲弊しているとはいえ『勇者』の全力が込められた一撃、皮膚越しに骨が砕け散る感覚がダイレクトに伝わってきても何ら奇妙ではない。
なのに。
「……『情報解析』……完了。損傷警備、続行推奨」
「やっぱり、それなりに機能しているっぽいわね。今は本来の性能の半分程度って所だけど、これでも十分と言えば十分、っぽいかな?」
響かないのだ。人体の中でも比較的脆い関節を直撃したにも拘らず、骨格が軋む音どころか皮膚に打撲痕ができる兆候さえ、彼女には掴めない。
逆に、だ。病的な程に白い顔を黒いベールで隠し、骨の形が外から分かる程にほっそりとした女性の手が、手が!! 彼女の指先に絡み付き、締め付け、まるで神経を直接焙るかのような激痛をもたらす。極東の魔族占領区にはかつて膝を石で圧し潰す拷問があったらしいが、それを指に変えたらこのような感じになるのだろうか。あるいはハルピュイアの爪に肩を貫かれるよりも激しい痛みに苛まれ、彼女の口からはただ呻き声しか発せられない。
「、ぁ、っがぁァ!!!?!?」
「言っておくけど、これは姉さんの術式でも私ノ力でもないっぽいわ。『感外』は貴方たちの感覚の外、つまりことができるもの。『心掘』はあくまでその補助に過ぎない。相手の五感に干渉し、相手が無意識的に選別している『目を向けたくないもの』の定義を移し替えるだけの力しか持たないっぽいんだから」
(な、んで……!? だったら、どうしてこいつの腕は……!?)
「あと、こういう状況だと考えてることも筒抜けになりやすいって分からない? ……『勇者』が聞いて呆れるっぽい。そんなの、『トリック』の一言で片付く問題じゃないの? 少しは自分で考える頭を持った方が良いっぽいわよ」
『感外』、と呟く。
だがそれだけ。喪服の女性は特に行動に移らないし、ルーシーも特に反応している様子がない。具体的に何が起きているかは分からないが、強いて言えば青白い肌の女性の付け爪が彼女の肌へ潜り込むように突き立つ、その直ぜ
(……う、)
盲点からの傷害行為の全てを例外なく直撃させる。
威力や程度は関係がない。当たれば百パーセント致命傷。
根拠はない、確証もない。 だが彼女の視界に入る女性の指からは、あたかもこのような警告が発せられているような気がする。
絶対に受けてはならない、少しでも触れれば最悪は失血死が待っている、と。
死。
ここで、か!?
(ぁ、……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアあああああァァあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!)
すぐ近くのルーシーもミシェリナも頼りにできない。何故だか分からないがあの爪は自分にとっても危険なのだ。それがはっきりと見えている訳ではないが、とにかく彼女は闇雲に目の前の女性へとブーツの踵を突き込んだ。ドズンッ!! というこもりのある音、そして腹を押さえてよろめく女性の姿が目に映って……そこで、思い出す。
『心掘』、『感外』。これが、その効力という訳だ。
「『勇者』さん、大丈夫なのです!? 今はまだ『心掘』の精度が不足してるから良いですけど、調整が済めば『感外』を感じることはできなくなるです!! 気を付けてくださいです!!」
「そんなもんどうやって注意しろってのよクソッタレ!! あとルーシーは呆けてんなマジで死ぬ一歩手前だったんだからねアンタは!!」
「……はっ、え、えと今何が……って、きゃっ!?」
半ば狂乱に近い状態に追い込まれながらも彼女は頭を振り、棒立ちのルーシー、それと彼女の鎧下の裾を掴むミシェリナの肩を掴んで再び走り出す。白フードの露出狂(推定)の衣装に亀裂が入る嫌な音がした気もするが……今はそこまで構っていられない。
いっそ冗談や悪夢で済めばどれだけ楽だったことか。『ミーシャ』やそれ以前、『鉄拳交渉人』時代に邂逅した連中とはまるで毛色が違う。何と言えば良いのか、普通ではないのだ。単なる悪趣味とかいう次元を超えた、そもそも凡人どころかエドワルドやパズィトールでも使ってはいなかった術式だ。後者については早朝に若干の例外を見せてはいたが、それにしてもこういうタイプではなかった。
イメージできる死とそうではない死。直接的な威力よりかは周囲の人間の精神に対して切り込んでいくような、そんな印象がある。
(冗談でも何でもない……五感で認識できない攻撃って、それじゃ何に頼って避ければ良いっていうのよ!? しかも一発で致命傷って何? 俗に言う『相手は死ぬ』ってヤツなの!?)
「……やっぱり、『勇者』ともなれば簡単には効かないっぽいわね。常日頃エレメントの心的作用を受け続けてるから、って安易な理由でもないだろうけど……姉さん、『照準補正』お願い。場合によっては『有効打測定』も必要になるかも知れないっぽいから」
「要請承諾。『情報解析』開始……完了まで推定五分。配置をk-9で固定、続行……」
当然、もう相手は全くのお構いなしだ。彼女の視界の中にある、それでいて存在しないような鉄拳……いや正確には、ある。見えているし、拳が空気をかき分けた時に発生する風もまた肌が掴み取っているはずだ。それにも拘らず分からない。
個々の現象が起きていることは把握できるのだが、それが文字通り一撃必殺の即死攻撃である……という点がどうしても曖昧になる。こうしている間にも、病的に白い淑女の拳が幾度か彼女の身体を掠めてくが、どうやっても察知できるのは直撃の一歩手前の時点でだ。カウンターなんてとても考えてはいられない、回避に徹するのが精一杯なのだ。
「という訳だから、もう少しだけ待ってて欲しいかな『勇者』。あと五分でチェックメイトが来るっぽいの。もちろんこっち側じゃない、貴方達三人の方。当然と言えば当然じゃないかアホの子ちゃん?」
「誰が、こんなクソゲーに付き合うってのよ!! 数分前まで自分達の仲間だった女の子に手を上げるようなイカレ野郎のゲームなんかに乗ってたらマジで自分の感性を疑いたくなるわよ!!」
「あら、そうなの? まさか『勇者』、未だにこっち側が正常な人間っぽいとでも思ってたり?」
気の抜けるような低速のエルボーが頬に突き刺さる……直前で頭を振って避ける。
その反動を殺さず、腰の辺りを中心にバク転を決め、金属のプロテクターで覆われたブーツでもって喪服の女性の顎を蹴り上げる。相変わらず手応えはない、だがその代わり若干だが態勢を崩すことには成功した。
それでも、あくまで足を遅らせたに過ぎない。
例えこの喪服の二人を撃破した所で、追っ手の物量を考えれば結局一瞬の逆転であることが容易に掴めるだろう。今はとにかく足を止めないことが先決なのだ。
「……まともだったら、たまらないよ」
事実、追撃の速度は緩まない。
多少ともバランスを失って足がもつれたようだが、それだけだ。姿勢の安定を取り戻し次第、再び認識外の拳が彼女の柔肌を狙って宙を飛ぶ。一度でも気を抜けば即死級、しかし察知可能なのはヒットの直前。避けられたはずなのに、あと一歩が及ばなかった。
こんな後悔に苛まれつつ死亡というのでは、いっそ完全に感知できない方がよっぽどマシだっただろう。
「『ピネウス=アンテピティス』はハルピュイアの羽を専門にする密猟系『ギルド』。でも、密猟とそれに伴う収入にかまける程度なら他の『ギルド』と何ら変わらないっぽい。……何故、『ピネウス=アンテピティス』がハルピュイアなんて獲物を狩り続けてると思う? 自分の身も心もグッチャギチャに弄り回して、自分の姿形まで投げ出すような連中が集う場所が、一体何のために存在してると思ってるっぽい訳ェ!?」
「単なる密猟行為だけが目的じゃないって言いたげな口調だけど、ガチのガチでガチネタって言うつもり!? 現在進行形で自分を殺しに掛かってる相手の台詞のどこを信用しろってのよ!?」
「信じるも否も自由で結構っぽいわよ。でもね『勇者』、少なくともこれだけは確か!! 今の姉さんも私も、『ピネウス=アンテピティス』っていう組織それ自体も直面してる現実ってヤツがあることぐらいは!!」
びっ、と耳元で小さな音が響いた。
上向きに反る彼女の横髪だ。本来こめかみをブチ抜くはずだった淑女の付け爪がそれに触れた直後。先端部分が千切れ、はらりと空中に残る。どうやら直撃=即死とは言ってもある程度の制限はあるらしい。
『生きている部分』に触れていない場合はセーフ、ということか。だがミシェリナの説明通りなら、このまま逃走劇が長引けば『感外』は完全に感覚外の存在と化すのだ。
今現在は一歩手前での回避が可能ではあるが、要するにそれができなくなると。
「『ギルド』が密猟に走り出すのは、単純に自分達の欲に素直になったからじゃないっぽい。そうでもしなきゃ自分と仲間が死なないだけの金を手に入れられない、それだけじゃない!! 私も姉さんも、お母さんがいなくなった後にどうなったか……『勇者』ってのはそんな簡単な悲劇も想像できない訳っぽいのか!?」
「うっさいそんなん言われなきゃ分からないに決まってるわよ!!」
「じゃあ、ハルピュイアの狩猟を違法行為に指定してるのは誰!? 元々自分達の手で脅威級の魔獣として登録しておきながら、一度生まれた番は一生消えることがないって習性を知った途端に『聖なる獣』なんて呼んで保護政策を打ち立てたのは!? それこそ他でもない教会って野郎っぽいじゃない!! 『勇者』なんてライセンスを作ったのも……その名前を、自分の暴力と抑圧と虐殺の言い訳にしてるような貴方が属しているのも!!」
どちゅッ!! と粘質な音が響く。
『勇者』の首元へと向かうはずの付け爪を、会話の外にいたルーシーが弾いたのだ。ただある種の標的設定の制限があるのか、この一撃はやや深い裂傷で済んでいる。どうやら効果の対象外の者に直撃しても『感外』は機能しないらしい。
それはそれで、その都度『再設定』をし直せば良いだけの話だけなのかも知れない。
今は宣言からどれだけ経過した?
『照準補正』には五分を要する、というのが本人の台詞だ。その間は『感外』の精度はやや低いものとなるのか、『勇者』が体感した限りでは直撃の直前に攻撃動作を察知することができていた。
だが自分達の敵を目の前にして、この姉妹が事実を伝えるのか?
ある意味切札とも言える術式のトリックを、むざむざ敵に知らしめるようなことをするのか?
「……、」
「『ピネウス=アンテピティス』が違法『ギルド』として成立してるのも、教会の方針が原因。自分達の信仰が絶対、それ以外は決して認めない。……そんな政策のために何人が消えたっぽい? ありもしない主の威光をかざして、その結果に何が残ったっぽい!? どんなに綺麗に取り繕った所で、結局は何も、何一つ姿を留めることはないのよ!! 『ピネウス=アンテピティス』のきっかけになった、親方様が狂い始めた、教会の堕落がさらに進んだ、あの事件も含めて!!」
「だ・か・ら人を説得したいのか殺したのかどっちかにしなさいっての!! マジで行動が一貫してないわよアンタ達、結局何なの私に何を期待してんのよ!?」
律義に返答してはいるが、時間稼ぎにはならない。
五分間だけは『感外』が絶対ではない……という前提自体、そもそも当てにはならないのだ。
今はまだ出力を抑えているだけで、実際には最初から不可知の一撃を放つことができるかも知れない。この言葉の応酬は、こちらにありもしない反撃の糸口を探らせて精神的ダメージを強くするための策なのかも知れない。あるいはその強弱によって『感外』は効果を増していくのかも知れない。
ミシェリナの案内によれば、この先に『ピネウス=アンテピティス』親方オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスの部屋がある、とのことだが……根本的に、そこまで辿り着けるのか?
その疑問を、『感外』の女性が遮った。
「……『ピネウス=アンテピティス』の目的なら、最初から教えてるようなモノっぽいわよ」
「っ?」
「何で親方が『ピネウスの逆襲』なんて名前を付けたと思う? 神話にしか名前が残ってないようなギリシアの賢人を、どうしてここに使ったと思う? 単にハルピュイアを狩るための『ギルド』だからじゃない、自分達が違法組織なんかじゃないって主張するためでもない!! 親方が見たのは、そんな浅はかなモノじゃないっぽいの!!」
「だったら!? アンタ達の親方って奴は、一体何を見たって言うつもりよ!?」
「言ったって分かる訳がないっぽい……親方は、オデュッセリアは……たかが『勇者』なんて『剣』に選ばれただけで燥いでるような凡人が口にできるような……ッ!!」
―――その辺で、終わらせろ
ぴくり、と。
彼女の尖った耳が、何かを捉える。
いいや厳密には違う。それは音ではない、むしろ感覚的には『胸中対話』に近い何かだ。言葉というよりも明確化されていないイメージが直接流れ込んでいるような、そんな印象。
根本的に、だ。
今のは一体、誰に対して向けられた言葉だった?
彼女ではない。隣の部屋からの音漏れを聞いているようなこの感覚は、どう考えたって。
(……なに、が)
瞬間的に、時間が硬直しているようだった。
その間、『心掘』『感外』の姉妹を含む追っ手に変化があった。
ほんのわずかな空隙の内において、彼等の視線が移っていたのだ。殺害ないし確保対象たる彼女、または同行するルーシーとミシェリナから、その奥側に位置する何かへと……いいや、誰(、)か(、)へ(、)と(、)。
直後の、出来事だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!
……頬に響く 激痛
ルーシーと ミシェリナの
悲鳴らしき
声
全身を 叩く衝撃
浮
遊
感
5
「……どの回線も繋がらない。一体どうなってるんですか、これは……」
「おおむね想定内という所だ。この様子では、どうやら『転移』が始まったらしい」
「『転移』? それは?」
「ティファレト=ダァトと言っただろう? ごく典型的なセフィロトの樹を用いて世界線の演算を行えば、自然と『界』の区切りが生まれるものだからな。人の魂という物は、通常であれば『この世界』に相当する物質界にしか存在できないものだが遣り様によっては、こうなる。飛び越えたのだ、奴は。物質界と形成界とを分断する一六番目のパスを超え、形成会の中心に位置するティファレトへと行きついた訳だ……理論上はな」
「理論上? 貴方の言うそれと実際に起きていることとは、厳密には違うと?」
「ハルピュイアの羽はあくまで『起爆剤』。膨大な数の羽に込められたエレメントを利用してアレの真似事をした所で、現状奴に『剣』が備わっていない以上は本物にはなれない。本来、そんなものでは形成界へと足を踏み入れることはできないのだ」
「……、」
「だが突破口はある。それが一一番目の隠されたセフィラ、すなわちダァト。他のセフィラの完全体ないし補完機構として成立するそれの意味する所は英知、つまり『主の真意』。……全ての魔術に必要なのは記号性、であればこれが『救世主』の聞いたという『主の声』に結び付いたとしても不思議ではない。これが、奴が『剣』なくして形成界へと踏み入るという離れ業を可能にしたトリックなのだ」
「できれば凡人にも分かるように説明をお願いしたいのですが……ようは、オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスは第二の『勇者』へと至る道に立っていると、そういうことですか?」
「……耳にしたものは『主の真意』だと言っただろう?」
「?」
「『この世界』における教会信仰の原点、それが主だ。世界を七日で創生したとか信仰心一つを試すために実の息子を殺させようとしたとかいう仮初の存在ではあるが、的を射ている点がない訳ではない。『救世主』は人には殺せない、にも拘らず『救世主』は自らの生命と引き換えに人の持つ原罪を引き受けた。それは何故だ? 世界における法則・定義を自在に生み出すことのできる存在、つまり主による干渉があったからだよ。これこそが重要なキーとなる。もしティファレト=ダァトが完成系へと至るのであれば……それこそ『勇者』などという次元には留まる必要性がなくなるのだからな」
「……つまりオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスは主そのものになろうとしている、と。安易な世界征服願望よりも遥かに高度な問題ではありますが……それがオデュッセリアの目的だと?」
「自己を喪失することなく凶器の道を進み出した。もしオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスが主に成り代わりたいだけなら、こんな大仰な術式に『勇者』を付き合わせる必要はなかったはずだ。樹の頂点に位置する主の意志たるアインではなく、形成界の一セフィラでしかない『美』、つまりティファレトを無理に記号としてつなぎ合わせることも」
「……、つまり?」
「奴は何かを隠している。だがそれは自身の欲望というよりも願望に近い。コルス島の惨劇において発生したアレの結末にどうしても納得がいかないと見えるが……全てを拒絶するばかりが『勇者』ではない。むしろ『闇』のような受容性こそが『勇者』に相応しいものだと言うのに、それを否定してどうやって『勇者』を超えられるのか……」
「ですが、貴方はこうも言った。アレを放置しても好転はしない。『転移』が今現在起きているのであれば、むしろ状況は貴方にとって芳しくないのでは?」
「だから行動は起こしているさ。この私ではなく『私』がな。流石に私本人が出ていけば周辺被害が大きくなりすぎるが、あの程度であれば多少の手助けにはなるはずだ。今は『勇者』の救出は後回し、早急にオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスを叩く。……回収はその後でも構わんよ」