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再醒のセブンロード  作者: 帯刀勝後
再醒のセブンロード ACT.03
13/24

ACT.03-75_DEEPDIVE,or Knocking on Silent Past.[chapter.01~03]


 

 1

 

 ところで先程『勇者』一行は佳境だった。

『や、ヤバいヤバい何か知らないけど何あのグジュグジュ新手のスライムとかじゃないわよね!?』

『少なくともサラクス=ベスティアの類じゃないと思いますけど、でも明らかに私達とナカヨシコヨシって感じじゃないですねこれ!! とにかく足を止めない方が良さそうです!!』

 変態が変態で変態な趣味をお持ちの変態ジジイことアルクタン=フェリペ=ダ=インテルノ=ポメーツィア(名前長い)は後から追い付いたルーシーが撃破したものの、その後が厄介だったのだ。

 曰く、彼女とルーシーがいる場所……『ピネウス=アンテピティス』の本拠地と思わしきここには、魔術かそれに類する何かしらのセキュリティ網のようなものが構築されていて。

二人はそれに引っ掛かってしまったために、現在進行形で背中を追い回されているのだと。

 端的に説明してしまえばこの程度。

 しかしながら、状況は上っ面の文章とはまるで印象が違った。

 二人を追跡してきたのは赤い『水』だ。少なくとも彼女が持つエレメントを感じ取る第六感は遠回しにそう告げていたのだが、問題はアレが単なる『水』ではなく人間に近しい意志を持った生物だということ。

 口もないのにやたら饒舌にギリシア語の罵声を浴びせては壁から床から天井から無数に『水』の槍を生み出し、ただでさえ回復術式が間に合っていない彼女の身体に幾度となく追い打ちを掛けていた。唯一の救いはそれらに貫通力や切断能力がなく、どちらかと言えば水圧を利用した長大なメイスのように使われていたことだが……それにしても消耗は激しい。

 ルーシーが『贖宥状』と『弥撒』で逐一迎撃していなければ、『勇者』としての頑強な身体など気にも留められずゴリ押し気味に撲殺されていたかも知れない。そうでなくとも、彼女の両肩には元からハルピュイアの鉤爪が空けた大穴があったのだ。

 自分がこれでは、下手に動けない。

 今はまず、状況の鎮静化を待つしかないのだ。四面石造りの倉庫と思わしき小部屋に座り込みながら、白いフードを被るルーシーは彼女の肩口に指を当てる。

「……神経系も結構やられてますね、これ……事前に多少の回復痕がありますけど、効果としては痛みを和らげる程度しかありません。これが長期間続いていたらモルヒネ中毒者みたいな症状に陥っていたかも……」

「い、痛っつぅ……ば、そこは強く押さないでよ本当に痛いんだってば!! ……あと今のはあの変態趣味のクソジジイに言ってくれないかなルーシー。ハルピュイアを自作の音楽で操るなんて芸当は私でも初めて見たんだからね」

「ハルピュイアの制御? 一体どんな術式ですか……常識的に考えて有り得ませんよ。ハルピュイアの知能レベルと精神力の高さからしても、生半可な術式では彼等の思考に干渉することはできないはずですけど」

「……つまり、連中の実力がそれだけ高いってことでしょ」

 先程の『水』とは別の赤色が付着した鎧下に眼を落とし、彼女は答える。

 追っ手は一人(と、呼んで良いのか?)だけではなかった。あるいは数メートルはあろう馬上剣の先端を二つに裂き、切っ先の間に超高圧電流を流して切断する武器を携えた少年、あるいは両手首の先を切り落として鋼鉄製の拳と付け替え、その表面に無数の黒曜石をはめ込んだ青年。あるいは踵まで届く長い黒髪で自身の両足を縛り、身体全体を鞭の如き凶器として扱う老婆。

 いずれもこれまで目撃してきた魔術師とは毛色の違う連中だった。赤い『水』や個々の連携が皆無に等しかったのは不幸中の幸いという奴だろうが、それでも抗戦は困難だった。少なくとも消耗した彼女、それとルーシーの組み合わせでは一時的に身を潜めることは不可能だっただろう。

 二人だけなら。

「とにかく、ひとまず連中は撒いた。だからルーシー、今は私の回復を。とりあえず『聖剣』がなくてもある程度は大丈夫なぐらいにはしておかないと」

「……回復を受けてる側の割には上から目線な気がするんですが……」

「気にしないの。それを言うなら、貴方があいつらを撃退できたのは私がミシェリナちゃんを連れてたからじゃなかった? ようは、この子が連中の戦術を伝えてくれたからでしょ」

「どっちにしろ上から目線ですっ。そもそもその子誰なんですか『勇者』さんの娘さんですか?」

「ぴぃっ!? み、ミシェリナはお姉ちゃんの『かんしやく』なのです……む、むすめ、とかそういうやましいものではなくてなのです、お姉ちゃんにはきちんと『清いあかし』が残ってるのです!!」

「ぶっ!? な、ちょ、貴方いつの間に人の身体を色々調べてるのよそれ性別が違ったら犯罪の一歩手前ってか犯罪ってかセクハラじゃないの!?」

 こんな感じで『勇者』とルーシーの間に挟まって顔を赤くしているのは、半透明ドレスの少女ミシェリナ=ディアントロスだ。見た感じ『ピネウス=アンテピティス』の人間っぽいという理由でルーシーに無力化されかけていたのだが……ミシェリナがここの管理職に近いポジションに就いているという点から、彼女は一緒に連れていくという判断を下した訳になる。

 職人の人数、顔と名前及び使用する術式の特性の確認。

 いずれも他ならないミシェリナ本人の口から出てきた職務だ。あくまで本人は『りーだー』……つまり親方からの罰則を回避するために渋々やっているという調子だが、その割には職人の把握率は高かった。こうして一時的に息を潜められているのも、ほとんどはミシェリナの功績と言えるだろう。

「って言うか、そもそもルーシーどこから入ってきた訳? あの部屋のテラス、まさか外部に直接繋がってるなんてヤツじゃないわよね。それなら正面突破で戻るのも手かも知れない」

「一応忠告しておきますけど、怪我人+『聖剣』なしの『勇者』さんが大きな口を叩くとロクな目に会いませんよ。……それに私だって、どうやってここまで来れたのか自分で分かってないんですから。警備の目を逃れつつ『勇者』さんを探してたら、いつの間にかこんな場所まで来ていた的な感じなんですよ? 帰り道を私に期待しないで下さい」

「……どっかの委任統治教会領のボロカスがぬかした『我々に対案を求めないで頂きたい』的な台詞ねそれ。自分から理解を放棄してるじゃないの」

「……そういう『勇者』さんは自分の現状をきちんと把握してるんですか?」

「それは私も思ってる。じゃあルーシー、ミシェリナも。まずはこの状況について私達が知ってる情報を確認しておきましょうか」

 喧喧囂囂、ひたすらに気配を消しつつ数分経過。

 その間にも周辺からは慌ただしい足音が響いている。

 一応全周警戒は維持しているものの、いつ自分達の所在がバレるのか不安でならないのは彼女もルーシーも同じだ。今はとにかく、連中が自分達を見つけ出さないことを祈るしかない。

 そんな中で言葉を交わし、しばらくした後、まず彼女が再三切り出す。

「……ここがジュディチュム=イノミエ=デイ修道会の聖堂? マジで言ってる?」

「『勇者』さんを見つけ出すまでの間に、その証拠もいくつか発見してます。彼等が使う祭器に拡大解釈と誇張満載の聖書。いずれも機密性を第一とし、内外問わず一切の情報漏洩を許さないジュディチュム=イノミエ=デイ修道会のものに酷似してます。つまり……」

「『ピネウス=アンテピティス』とジュディチュム=イノミエ=デイ修道会……というか、教会そのものが癒着している、ってことか。つまり『ピネウス=アンテピティス』が聖堂を占拠してるんじゃなくて、教会が自主的に聖堂を貸与しているって」

「ここがヴァティカンの中に作られた聖堂ということを考えても、その線はかなり濃厚です……何てったってヴァティカンですよ。全ての教会領を束ねる中枢都市にして教皇の住まい、ひいては主を起点とした信仰の中心点ですし……」

「……つまり、『ピネウス=アンテピティス』はずっと教会の庇護下で密猟を進めていた」

 血液と脂汗を吸った鎧下を裂き、肌に付着した汚れを落としつつ彼女が呟く。

 自分達の話をしているからなのか、それとも。彼女とルーシーに挟まれたミシェリナは、自分の膝を抱えて黙っている。

「ハルピュイアの羽の安定供給と引き換えに、教会って巨大な後ろ盾を得た。だからこそ連中は違法『ギルド』でありながら教会の盗伐対象にはなっていなかったし、恐らく教会の情報操作によって詳細を知られずに済んでいたってこと……は、良いんだけどさ。どうも、ね。私の頭に根本的な疑問があるみたい」

「?」

「……そもそも、何で連中は私を狙っているの? 確かに『勇者』の力は決して舐められるものじゃないし、私も『ピネウス=アンテピティス』なんて組織の存在を認めてる訳じゃない。……でもさ、連中にとって最も厄介な敵って私じゃなくない? 現時点で自分達の密猟行為と裏ルートを通じた販売を阻害する最大の要因ってことにしたいなら、連中は真っ先にエドワルドの方を狙っていなきゃいけないはずなのに」

 思い返してみれば、だ。

 最初に『ピネウス=アンテピティス』の職人である『(サイレント)(バーサーカー)』、及びヘレナリア=ステムフィストとかち合った時、状況からして連中がターゲットにしていたのはエドワルドのはずだ。自分達が作った販売ルートに水を差すように、エドワルドが自らの雑貨店でハルピュイアの羽を扱っていた、それ故に連中は雑貨店を襲撃したのではなかったか。

 もちろん、これらの状況説明はもっぱらエドワルドの口から成されたものだ。彼(?)が意図的に情報を錯綜させていた可能性も否定できないが、いずれにせよ矛盾は解消されない。

『ピネウス=アンテピティス』は彼女を敵視している。

ならば、何故マルティリャーナ教会立公園で彼女を殺さなかった?

 それ以前に、何故ヴァティカンを出てから彼女を襲撃した?

 ヴァティカン内部の聖堂に拘束するつもりなら、何故最初からそうしなかった?

 何故、彼女をマルティリャーナに誘き寄せてから、再びヴァティカンへと連れ戻したのだ?

「……奴等は一体、何を考えてる? 何をしようとしてるの?」

 ひたすらに、気持ち悪い。

『ミーシャ』の時も、相手が何をしているかは掴めなかった。抱いた疑問が解決に向かったのは、相手たる『ミーシャ』からの誘導、そして回答の提示があったからだ。

 逆に、今回の『ピネウス=アンテピティス』に関してはそれがない。

 ある意味、意味深な言葉だけを残してその場その場をお開きにするエドワルド以上にタチが悪い。本当の本当に、事態の解決に繋がる情報を何一つ提示してこない所が、とにかくだ。

「……りーだーは、お姉ちゃんを利用して何かをするつもり、です。たぶんですけど」

 それ故に、その場の沈黙を破ったのはミシェリナだった。

 小さな肩は震えている。単に石造りの壁や床に体温を奪われたとかいう話でもなければ、そんな仕草は見せないはずだ。

「りーだーは、わたしにとっても……みんなにとっても大切な人なのです。リーだーが望むことはできる範囲で叶えてあげたい、それはここに入ってきたみんなの願いなのです……。だとしても、たぶんこれは……もう、わたしが付いていける所にはないのです」

「……、ミシェリナ?」

「りーだーはわたしを拾ってくれたのです。わたしは、まだお父さんとお母さんの顔も知らない内に、二人を失った……らしいのです。りーだーも詳しいことは知らないそうですから、これが本当かどうかは分かりません。そうであってもりーだーはわたしの恩人で、わたし達のりーだーだった。……でも、何故か分からないけど、思うのです。これ以上一緒にいたら、わたしもわたしでいられなくなるって」

 どれだけ上辺を取り繕った所で、『ピネウス=アンテピティス』は違法にハルピュイアを狩り、その羽毛を密売してきた事実がある。例えミシェリナの言うことに間違いがなかったとしても、その行いは手放しで赦免されるようなものではない。

 教会は……ジュディチュム=イノミエ=デイ修道会含めた彼等には、『ピネウス=アンテピティス』との癒着疑惑がある。そういう意味ではどちらも同罪のようなものだが、決定的なのは終始その行動が私利私欲に傾いているようにしか見えない点か。

 教会とて一枚岩ではない。時に自身の利益を無視してまで他者に尽くしている存在だっているのだ。最も分かりやすい例としては、やはり彼女自身が籍を置く修道会があるだろう。

 アモル=クィア=クィスクという一例が。

「ですから、今は……今に限ってはお姉ちゃんと一緒にいるです。いさせて、欲しいのです。りーだーの一番近くにいたのはわたし、なのにわたしは……そもそもりーだーの名前も知らなかった。『なかま』っていう括りの中にいたつもりだったのに、いつの間にか……じゃない。最初から入れてもらえてなかったってことなのです……」

「……一見して良いように聞こえますけど……『勇者』さん、この子のこと全般的に信用して構わないのですか? いくら協力的な態度だとしても『ピネウス=アンテピティス』の人間、トラップの可能性だって捨てきれてませんよ」

「仮にそうだとしても、何も変わらないわよ。……これは論理的とか非論理的とかそういう話じゃないの。初対面の貴方が納得いかないのは分かる。だけど、これは理屈がどうこう口出して良い問題じゃないわ」

 間髪入れず、彼女は断言する。

 ミシェリナは徹頭徹尾味方だという訳ではない。本人にその気がなかったとしても、この『ピネウス=アンテピティス』の本拠地らしき場所において、少女を百%信じ切ることは危険なのだろう。『(アヴァランチ)(レイジ)』、『翔禁(ウインドハング)』。どちらもハルピュイアの精神に干渉し、間接的にその行動をコントロールする術式。いずれも使いようによっては、ミシェリナの言動だけでなく深層心理までをも掌握する可能性があるのは確かだ。

 でも。

 そうであろうと、『勇者』とルーシーがミシェリナに助けられたのは事実だ。

 例え少女の想いが作られたものだろうが、こればかりは否定できないのだから。

「……それで、具体的にどうするつもりですか? 私でもここからの脱出方法は分かりませんし、教会と『ピネウス=アンテピティス』の癒着構造がある以上は増援も期待できません。そもそも私と『勇者』さんの行動自体、リディアスさんから下された非正規任務な訳ですし……、そもそも『(アヴァランチ)(レイジ)』と『翔禁(ウインドハング)』の存在が判明した時点で最初の目的は達していますが……」

「『ピネウス=アンテピティス』が……いいえ、オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスがしようとしている事。その全体像を掴んで、その上で阻止する。……今はそれで十分でしょ。連中が何を考えてるにしても、少なくとも私達にとってメリットになるようなものな訳がないんだから」

「ですから『勇者』さんは具体的にどこに行くつもりだと」

「……りーだーの、部屋です」

 ぽそり、と。

 ルーシーの言葉を遮るように、ミシェリナが小さく呟く。

 こんな助言をしている時点で、少女は『ピネウス=アンテピティス』に背を向けてしまう。

 そもそもを言えば、ここに至るまでの間二人の部外者に職人の名前と使用する術式の特性を教えてしまっている以上、既に後戻りはできない。つい数分前まで自分の居場所だった『ピネウス=アンテピティス』という名前の意味が、少女の中で変わっていくようだった。

 だがミシェリナは続けた。

 その重みを押し殺すように、自らに言い聞かせるように。『勇者』とルーシーに挟まれて座り込む半透明のドレスの少女は、ゆっくりと口を開く。

「わたしやアルクタンさんが特別なだけで、みんなはりーだーがどういう人なのかは知りません。でも、りーだーは自分の大切なものは自分の部屋だけにしまっておく癖があるのです。みんなには存在も知られない、自分だけが覗けるような所に……ここから抜け出る方法を隠しておくなら、これ以上の場所もないはずなのです」

  

  2

  

「……これで三人、ピースは出揃った。だろ、オデュッセリア?」

 

  3


「かぁ、はっ……」

 粘ついた味が喉の奥で干からびていく。

 口元から染み出していた液体も、じきに硬く固まっていく。

 普段は味わいもしなかった感触だ。この鉄黴臭い臭いは『勇者』のものとは明らかに違う、自分の中から生じているもの。それ故に指で拭い取ることはできないが、しかしこの味がかえって興味深い。これは、『ここ』に閉じこもってから一度も体験したことのない感覚なのだ。

 だからこそ、アルクタン=フェリペ=ダ=インテルノ=ポメーツィアは笑っている。

 天井まで二〇メートルはあろう巨大な空間。その一番下の床で仰向けになりながら、性根の悪い老人はこれ以上ないぐらいに悪趣味な笑みを浮かべている。

「始まった……そうか……。これで、ようやく始まったという訳か」

『そう見ても問題はない、ということで良いな? しかし意外なことだ、まさか最後のマスターキーがあのような形で発現するとは。つくづく「表」は予測不能だな、アルクタン。あらゆる事象に対して無数の法則性が存在し、全ての現象を一定の解で表現することができない。……これはあまりに無駄なことだ。全てが「この場」の如くシンプルに動くのであればこれ程に素晴らしいこともないと言うのに』

「それは逆だよ、『夢我(ファントミー)』。『表』に関しては俺であっても予測不能、だからこそこの解は完成へと導かれたということだ。……しかし皮肉なものだな。あれだけ俗世を嫌っていた親方が、結局は俗世の概念たるエレメント論に活路を見出していたとは……」

『アルクタン、君に良い言葉を送っておこう。それは五十歩百歩だ』

 会話に応じるのは、白を基調に豪奢な金刺繍を施した燕尾服を纏う壮年の男性だった。がっしりとした体躯や骨の張った顔付きは東洋人のそれと酷似しているが出身は違う。それよりは西側に寄った直轄統治教会領の出だと聞くが、実の所詳しい出で立ちは組織内でも不明だった。

 曰く、存在そのものが不安定。

 一度でも決まった『観点』に収まってしまえば即座に心身が崩壊する。そういう類の『呪詛』を受けている、と。

『エレメント論それ自体は確かに「表」の産物だが、その存在は「表」も「裏」も関係ない。魔族占領区風で構わんのであれば……そうだな、エレメントはある種のグローバル変数と呼んでも良い。だからあのような術式だろうと成立するんだよ、ヤり様によってはな』

「……『夢我(ファントミー)』、素人目戦にも分かるように説明できないのか。俺は魔族占領区の事に関しては何の知識もないのでな。俺の本分はあくまで組織内部の保安役、そっちのように世界線の狭間も国境の壁も鼻歌交じりで越えられるほどの力が無い。無論知識についてもだ」

『詳細な説明を求めるのか? この私に?』

「ああ、済まんね。迂闊な言葉だった。その『呪詛』とはそういう性質だったな」

 指先で摘まんだ指揮棒……表面が擦り切れ、持ち手には黴さえ生えかけているそれを眺めつつ、アルクタンは適当に返す。

 既に必要な工程は踏んでいる。あの『勇者』の連れの行動は想定外ではあったが、逆に言ってしまえば、それさえ解決できれば後は簡単な話なのだ。

『ピネウス=アンテピティス』という組織、それに属する職人と個々の技術、そしてこの場所。いずれも必要不可欠な要素であり、しかしながら親方にとっては最初から使い捨てることを前提とした消耗品。ただ『ピネウス=アンテピティス』の狩猟技術の高さから鑑みれば、無論それは対ハルピュイア戦における死傷者のことを指している訳ではないと知れるだろう。

 この場にいるアルクタンや『夢我(ファントミー)』。対しても、それは同じ。

 オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥス。『ピネウス=アンテピティス』の親方たる人物が考えているのは、ごくありふれた『ギルド』が考え付くような安い陰謀ではない。教会の人間にも魔族にも、即ち誰にも理解できない『計画』。手っ取り早く結論を出すならば、それでこそ正常なのだ。

 誰かに全体像を把握されてしまった時点で全てのプランは破綻する。それ故にオデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスは組織内部においても秘密主義を徹底していたのだろう。

「……かつて賢人は未来を見通した。眼を奪われたのはそれ故だが、しかし失ったのは感覚器官としての視神経だけではないか。正直な所、俺はそう思っているよ。エレメントという基盤に支えられたこの世界においては、少なくとも視覚を潰された程度で力が霧散するとは到底考えられん」

『親方は「この世界」の先を見たと?』

「厳密には、そんな所に留まらないものと表すのが正しい」

 白い燕尾服の男に見下ろされ、アルクタンは呟く。

「『夢我(ファントミー)』とて分かっているだろう? 自分がどういう存在と化しているか、何故自分は『表』へと現出することが敵わないのか。……親方という存在の根本にある賢人は何もピネウスだけではない。オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥスという男が辿り着いた理論は、少なくとも『表』も『裏』もない、あらゆる世界線を飛び越えた概念……世界の先と言うより、世界の原理とでも呼べるもの。つまりは……『実体』だよ」

『……ふん。洞窟の比喩か』

「思想それ自体はとっくの昔にエレメント論により駆逐されている。だが根本的な概念についてはエレメント論とそう変わる所はない。エレメント=元素ではない部分に関してはプリマ=マテリアとも同質だ。……結局はこの世界における理論でしか説明できない点ばかりは悔しい部分ではあるがね」

『人間の考えることはそうそう変わるものでもない。音楽を志す前は精神科医にも興味があった者ならそのくらい理解しているものと思っていたが』

 ひたすらに平坦で人工的な声については、言ってくれるなよ、と軽くあしらっておく。

 この施設に張られた迎撃網……『仮称(ウォースレス)』の分体は作動している。

 だがアレそのものには明確な殺傷能力はない。莫大な『赤い水』の奔流は対象者に原始的、いや本能的な恐怖感を与えるものの、効果としてはそれだけだ。もちろん設定次第では接敵した全ての対象を即死させる無差別殺害機構(ジェノサイダー)とすることも可能ではあるが、それでは意味がない。『ピネウス=アンテピティス』、オデュッセリア=マヴロス=ケルドゥス。その全てが噛み合ってこそ『計画』のピースは揃っていることになる。

 それは『勇者』とて同じことだし、現状唯一の不要な要素はルーシー=ギブスンとかいう同行者ぐらいだが……、

『……それも問題はない。奴なら既に行動しているよ』

「既に? ……フリューネがか?」

『違うな。そちらは今本筋とは別に走っている。どういう発想からあのような……ではないな。アレは元々そういう風に「できている」。ここが作られたその時以来の悩みの種ではあるが、今更悪態を吐いても無意味というものだ』

「であれば誰だと? ()()()()()()()()()()()?」

『それでもない。「表」の件で少々面倒が起きてはいるが、それも解決済みのようだからな。帰って来るなり「断財(プライスメイカー)」が持っていたロングソードを奪って追跡に向かったらしい。先の戦闘において盛大に刃毀れを起こしたにも拘らずな』

「……成程。つまりはアラーニャか」

 一言口にして、納得した。

 傷と痛みのない部分を探す方が難しい。そんな第一印象を与える指揮棒だが、この使用痕こそ『翔禁(ウインドハング)』の術式の要となる。そんなことを思いつつ、アルクタンは指揮棒の先で宙を掻く。

 結局、最後に必要なのは記号性。

 どんな形であれエレメントを知覚し、繋がりを構築できるなら……。


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